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第5話 手紙


 薬草調合師のロアは、ヤナギの枝で編んだカゴを背負い町の大通りを進む。

 晴れた春の午後は無条件に気分がいい。朝市の余韻はすっかりなくなり、いつもの日常が戻ってきている。

 ロアはこれから薬草を道具屋へ納品しに行くところだ。

 成分を煮出してろ過し瓶詰めしたドリンクタイプのもの、粉末状のもの、患部に塗るタイプのもの。効果や用途に合わせた種々の商品が、カゴにぎっしりと詰め込まれている。


 ロアは足早に通りを歩く男を見かけた。左腕が義手なのでほかの人とすぐ見分けがつく。それに、めったに町で見かけることがないし、見かけたとしてもこの時間帯は珍しい。

 最近よく見かけるなとロアは思った。


 町の人たちは隻腕の疫病神という異名で呼んで忌み嫌っているが、ロアは悪い人だとは思えなかった。

 仕事がとても丁寧で、この人が受けたときに納品される品は、薬草が種類ごとにきちんと分けてあるだけでなく、状態の良いものが多い。おかげで品質の良いものを作ることができている。

 ほかの冒険者が受けたものは、種類ごとに分けられていないことがほとんどだ。ひどいときは、似ているけれども違うものが入っていたり、使えないほど状態の悪いものが入っていたりすることもある。

 報酬の単価が安いので、ほかの依頼のついでに受けたのかもしれないが、少しはこの人を見習ってプロらしくちゃんと仕事をしてほしいものだと思っていた。

 ギルドの受付の女性に改善の要望をそれとなく言ったこともあったが、「専門家じゃないとなかなかわからないですからねー」と言われ、そのままうやむやになってしまった。


 ロアは以前からこの男と話をしてみたいと思っていた。そして、何かお礼ができないかと考えていた。


 今朝の朝市では出店していたので声をかけられなかった。それに、朝市に来るなんて珍しいだけでなく、子どもを連れていたのでどう声をかけていいか少し戸惑ったからだ。昨日見かけたときに連れていたのと同じ子どもだった。


 ロアは今がチャンスだと思い、男へと駆け寄っていき、思い切って話しかけた。

「スミマセン。あの」

 男は歩みを止めることなくロアの方をチラッと見るが、また前を向き歩き続ける。ロアは男の横を歩きながら話しかける。


「たしか町外れの丘に住んでるウィルさんですよね?」

「だから何だ」

「ギルドでいつも薬草採取の仕事をやってくれてる」

「だとしたら、どうだというんだ。俺をバカにしたいのか?」

 ウィルは渋々といった感じで足を止めて、ぶっきらぼうに言った。


「そんなんじゃないよ。あたしの名前はロア。いつも薬草採取の仕事を受けてくれてありがとう。他の冒険者ってこの仕事を受けてもすっごい雑だから。いつかお礼を言いたいと思ってたの」


「言いたいのは、それだけか?」

 急いでいるのか早く話を打ち切りたいように見えたが、ロアはせっかく話しかけることができたので、もう少しいろんなことを聞いてみたいという好奇心を抑えられない。


「あの、ちょっと気になったんだけど」

「取ってきた薬草に不満でもあるのか?」

「ぜんぜん! むしろ丁寧に取ってくれてるから不満なんてないわ。そうじゃなくて。昨日と今朝、子ども連れてるの見たんだけど」


「で?」

 先ほどよりもウィルの語気が強くなった。


「何ていうか、その、あなたの子どもには見えなかったから」

「余計なお世話だ」


「もしもだけど、一人で他人の子こどもの面倒みてるのかなって思って。あなた左腕がそんなだし大変なんじゃない? あたしが一緒に面倒みてあげよっか。何かお礼がしたいと思ってたし。もう三十になっちゃったけどあたしは独り身だから、いろいろと協力できるかなって思って」


「断る」

 ウィルは無表情で言った。


「えっ? でも、あなたが忙しいとき、あたしが栄養満点の薬草入りの食事を作ってあげられるし」

「俺は物乞いじゃない。食事くらい自分で作れる」

「そ、それに、あなたがギルドの仕事で家を空けるとき、あたしが代わりに面倒を見ることもできるよ」


「やっぱり俺をバカにしたいだけじゃないか。俺が義手だから何もできないヤツだと」

「そんなことないって。薬草を売ってるから少ないけど現金収入もあるし、協力すれば少しは金銭的にも負担が減るんじゃないかなって」


「どうせ俺は薬草採取しかできない甲斐性なしで、ろくにカネも稼げない男だよ」

「そんな意味で言ったんじゃ――」

「ウルサイ! 俺は忙しいんだ。どうせ無能な隻腕で、何をやるにも他人より時間がかかるからな」


 ウィルは嫌味ったらしく言い捨てるように言った。


「人がせっかく親切にしてあげてるのに」

「親切じゃなくて、余計なお世話だと言っているんだ」

「なによその態度。あなたみたいなサイテーな人が薬草を採ってきてたなんてサイアク」


 ロアが軽蔑して当たり散らすように言うと、ウィルは足早に去っていった。


 せっかくの良い天気で一日を気分良く過ごしたかったのに、これからむしゃくしゃした気分で過ごすことになると思うと、ロアの心は天気とは対称的に雲がかかったように感じられた。





 家に戻ったウィルは、物に当たるように強くドアを閉めた。帰りを待っていたバディが出迎えに来たが、テオがいないことに戸惑っている。

「テオは帰ってこない」

 ウィルは荒っぽく椅子に腰掛け、宙に向かって言った。しかし、バディは首をかしげたあと、テオを探すかのように家の中をあちこちウロウロする。


 ウィルもじっと座っていられず部屋の中を歩いた。テオのことを思い出しそうになり、何か別のことを考えようとした。

 帰り道で変な女から嫌みを言われたことを思い出した。テオを孤児院へ預けた直後に、テオについて聞いてくるなんてタイミングの悪い女だ。もしかしたら預けたのを見ていて、嫌がらせでわざと聞いてきたのかもしれない。そう思うと余計にむしゃくしゃした。


 畑へ行き作業をする気にもならない。そんな気分のときにいつもやることがある。表に出て剣を振ることだ。

 嫌な思いが振り子のように去来するたび、切り捨てるように剣を振る。そして、何も考えられなくなるまで一心不乱に剣を振り続ける。

 気がつくと、汗ばみ肩で息をするくらい没頭していた。


 部屋に戻ると、ウィルは部屋の中に何かが欠けているような感じがした。

 テオがいなくなり、急に家の中が静かになった。

 窓の外を見ると、バディはテオが帰ってこないことなど知らず、走ったり寝転がったり一人遊びをしている。


 この感覚は寂しさなのか、と思いウィルは戸惑った。

 孤児院へ預けたという行為に少し感傷的になっているだけだ。一時的なものだ。すぐに元に戻る。これで以前の生活に戻れる。これでいいんだ。自分にとっても、テオにとっても、お互いにこれが一番いい選択肢なのだ。


 そう思いながらも、ウィルはテオがいた部屋に足を進めていた。

 昼だというのに、誰もいないというだけで部屋の中は薄暗く感じられた。テオの作った少しゆがんだベッドサイドテーブルが静かにたたずんでいる。


 ベッドサイドテーブルの上に何かが置いてあるのに気がついた。近づいてみると、テオが腹に巻いていた布だ。開くと、カネと手紙が入っていた。テオの親が我が子のために残したものが、そのままの状態でここにある。


 ウィルは手紙を手に取った。手紙の中を見てみたいと思った。いつもなら他人の手紙など見たいと思わないのに。置いていったのはいらないからなのか、どうしてなのか気になった。

 ベッドに腰掛け手紙を開く。母親からの手紙だ。一枚目は夫、つまりテオの父親に向けて書かれたもので、二枚目はテオに向けて書かれたものだ。


『テオは世間ではハーフエルフと呼ばれるけれども、お母さんにとっては呼び方なんてどうでもいいことです。どんな人も一人の人間として平等であり、種族なんて関係ないからです。

 お母さんにとって、この世で一番大事な存在であることに変わりないのですから。

 テオが大きくなるのを見ることができなくてとても残念です。ちょっと弱虫なところもあるけれど、ほんとうはとても強い子なのをお母さんは知っています。お父さんと力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられると信じています。

 きっと、すてきな大人になるのでしょうね。

 これからは近くで見守ることはできないけど、いつも遠くから見守っています』


 ウィルには親の愛の深さがどれほどのものか想像がつかない。けれども、この手紙が愛に満ちていることだけはわかった。

 テオは最初から孤児院に連れて行かれるのをわかっていたのだろうか。町へ行く前、いったん部屋に入ったのは、心を整理するためだったのか。手紙を置いていったのは、過去を捨てる決意だったのか。あの年齢の子どもに、そんな決意をさせたのか。


 ウィルはカネと手紙を白い布にくるむと、机の引き出しにしまった。

 テオが孤児院に慣れたころ、孤児院にカネを寄付することにした。一か月、いや二週間もすれば友だちもできて慣れるはずだ。自分も心の整理がつき、テオの様子を見ることができるかもしれない。

 ウィルは強引に自分を納得させた。

 何も持たなければ失うものもない。最初からなかったのだ。そうだ、これからもずっと独りだ。


――薄暗い海でアンナが佇んでいるのが見える。白い肌を隠す白いワンピースが眩しい。波は膝の高さまできており、スカートが濡れている。手には一輪の白い花を持っている。下を向いて咲いている小さな花だ。


「わたしはここよ。あなたも来て」

「そこまで行けば、いっしょにそっちの世界へ行けるのか?」


 この時を待ち続けていたのだ。ついにその時が来た。

 ウィルはそう思いながら海の中に足を踏み入れる。足首が波につかる。アンナはいつの間にか、太ももがつかるくらいの深さのところにいる。


 ウィルはさらに二歩、三歩と進む。アンナを見ると、腰の高さまでつかる深さにいる。ウィルに微笑む。

 ウィルは足を進めようとするが、なぜか動かない。


 まだ生きたいのか? あの何も楽しいことなど何もない、ただ生きているだけの生活を続けたいのか? あのつらく苦しい世の中を、泥水をすすってでも生きていきたいのか? それほどまでに生に執着しているのか?


 背後に気配を感じた。足が動かないので体をひねって後ろを見る。砂浜に誰かが立っている。背はそれほど大きくない。子どものようにも見える。薄暗くて顔はわからない。

 前に向き直ると、アンナはどこにもいない。――


 ウィルは目を覚ました。上半身を起こし窓の外を見る。まだ日が昇る前で辺りは暗い。

 夢を思い出そうとするが、はっきり思い出せない。『アンナ』『花』という言葉だけが頭を巡る。


 アンナが好きだった花を知らない。その花はどんな形をして、何という名前なのだろうか。散骨した花畑は、どこの何の花畑だろうか。だが、今となってはどうでもいい。知りたくもないし、見に行きたくもない。


 左腕を失い、最愛の人を失った。生きる希望を失った。しかし、自ら命を絶つことはできないでいる。生きることまでは捨てられていない。

 こんなところで惨めな一人暮らしをしている。なぜ生きているのか自分でもわからない。死が怖いのか。この世に未練があるのか。それとも、まだ生きることに希望を持っているのか。どこかの誰かが自分を救ってくれるのではないかという、甘ったれた希望を。

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