第4話 腰抜け
十日ほど経ったある晩。ウィルは、バディと寝床へ行こうとするテオを呼び止めた。
「明日はちょっと町へ行ってくる」
「なにしに行くの?」
「ただの買い物だ。バディと留守番してろ。家事をやっておくのを忘れるなよ」
ウィルはテオを町へ連れて行きたくない。町の人たちから何を言われても気にしないとはいえ、これ以上、変なうわさが増えると、ふだんの買い物さえしづらくなってしまう。
「うん」
テオは素直に返事をして自分の部屋に行った。
翌日。ウィルが町へ行く準備をしていると、テオが近づいてきて言った。
「あの……僕も町に行ってみたい」
テオは不安げな様子でモジモジしながら立っている。無下に断られるか、怒られると思っているのだろう。
昨夜、素直に返事をしたのに、なぜ今日になってそんなことを急に言い出すのか、とウィルは戸惑った。
ダメだと頭ごなしに言おうと思ったが、頭の片隅に押し込めていた考えがはい出てきた。このまま一緒に暮らすなら、いつかは連れていかなければならない。
狭い丘にいつまでも閉じ込めておくわけにもいかないし、いつかは町の人たちにバレる日がくる。変なうわさがたつようなバレかたをするより、早いうちに連れて行った方がまだマシなのかもしれない。
何と言われても気にしなければいい。隻腕の疫病神と言われても何とも思わないのに、いまさら子ども一人のことで何だというのだ。ウィルは決心した。
「わかった。その代わりバディは留守番だ」
「うん」テオはバディの前でしゃがむと「バディ、ゴメンね。今日はおりこうさんでお留守番しててね」
バディの頭をなでながら言った。
「早く準備しろ。置いていくぞ」
「ま、まって」
テオは慌てて支度を始めた。
町へと着くと、ウィルはいつもの順で買い物をしていく。町の人たちがテオを連れたウィルを見てひそひそと話をする。
店の人はテオをジロジロと見るが、ウィルには何も聞かない。ウィルも自分から余計なことはしゃべらない。
いつもの買い物とは違う空気。妙な緊張感。ウィル自身の緊張ではなく、店の人、町の人たち、町全体に緊張感が漂っているのをウィルは肌にヒリヒリと感じた。
冒険者ギルドに出入りしている若い男の二人組が、ウィルたちの近くを通りがかった。
「おい、あんなところに隻腕の疫病神がいるじゃねぇか。見ろよ、ガキを連れてるぜ」
「きっと、さらってきたに違いねえ」
「ということは親を殺したのか?」
「子どもを言いなりにして、左腕の代わりに利用しようって魂胆だろ」
「そういや一週間ぐらい前だったか、西の森で人が殺されたらしい。死体を見つけたヤツが言うには、すでに獣が食い散らかしてて身元もわからなかったとか」
「オレも聞いたぜその話。ゴブリンの死体もあったんだってな。ゴブリンに襲われてるところを盗賊が割って入って、身ぐるみはいで殺したってうわさだろ。俺の見立てでは盗賊じゃなくて、たぶんヤツが殺したんだろ」
「人殺しと子どもさらいか。ヒデェ野郎だ」
二人組は周りの人たちに聞こえるように言いながら去っていった。
テオはキョトンとした表情をしてウィルの袖を引っ張った。
「ぜんぜん違うよね? 言い返さないの?」
悪気もなく聞いてきた。
「放っとけ」
「あんなこと言うやつ、倒しちゃえばいいのに」
「構うな」
「でも――」
「黙って歩け」
ウィルは低い声で脅すようにテオの言葉を遮った。
テオは釈然としない様子だが、ウィルに言い返せず黙った。
その後も、ウィルとテオは町の人たちからひそひそ話をされながら買い物を終え、家へと戻った。道中、ウィルとテオは一言も言葉を交わさなかった。
家に戻るとウィルは荷物を投げるように床に置き、乱暴に椅子に腰掛けた。
帰りを待っていたバディはウィルの態度にびっくりし、テオにすり寄った。
「これでわかっただろ。俺は町で隻腕の疫病神と忌み嫌われるただの厄介者だ。面と向かって言い返せないただの腰抜けだ。俺はお前のヒーローでもなければ、何でもない」
ウィルはテオに向かって吐き捨てるように言った。
「強い冒険者なんでしょ?」
「いや、ただの腰抜けだ。この左腕はランブルに食われた」
「ランブルって?」
「山の主のドラゴンのことだ」
「ドラゴンと戦ったことがあるの?」
「ああ。小型だがな。その代償がこのザマだ」
「でも倒して帰ってこれるほど強かったってことだよね」
「いや。まったく敵わなかった。左手以上に大切な仲間を失った」
「……」
テオはウィルから急に真実を聞かされ、戸惑っているようだ。ウィルは開き直ってさらに続ける。
「いつかヤツに仕返しをしたいと思っていたが、今はもうどうでもいい。三十過ぎの片腕の腰抜けが倒せるような相手じゃない」
左腕もない、仲間もいない。歴然とした力の差を見せつけられ、ウィルは早々にランブルへの復しゅうを諦めたばかりか、町の人たちからも逃げるような生活をするようになっていた。
「腰抜けなんかじゃないよ」
「俺にお世辞はいらない」
「本当だよ。僕を助けてくれた」
「それは……ただの気まぐれだ」
「……気まぐれ?」
「そうだ。最初は助けるつもりなどなかった。でも、親子とも無事だと思ったから、モンスターを倒したらさっさと帰るつもりだった。そしたら予想とは違いすでに盗賊に襲われた後で、お前の親父が瀕死だった。それでしかたなくだ。ヒーロー気取りの善意なんてものじゃない」
「……」
うつむくテオの悲しそうな表情に向かってウィルは続けて言い放った。
「最初からお前を引き取るつもりなどなかった。流れで同情しただけだ」
あの日、テオの父親から強く握られた腕の感触を思い出し、消し去ろうと義手で右腕を上から押さえつけた。
ウィルの話を聞いたテオは、何も言わずバディと自分の部屋に行ってしまった。その日、テオは部屋から出てこなかった。
その夜。ベッドに入ったウィルは、闇の中に答えを求めるように思考を巡らせる。
もう限界だ。やはり一緒に暮らせない。元の生活に戻りたい。十年以上やってきた暮らしを今さら変えることなどできない。これ以上、悪評が広がると町で買い物どころか、ギルドで仕事を取ってくることさえできなくなるかもしれない。
この町を捨てて都会に行くのもできない。ただでさえ冒険者としてピークを過ぎた三十代の男だ。しかも左腕がない。都会で新たに冒険者としてやっていこうにも、受けられる仕事などあるわけがない。
今の生活でもギリギリなのに、都会の高い家賃を払って生活していくことなど到底無理だ。畑をやるにも、都会ではカネを払って土地を借りなければできない。
これ以上、問題を先延ばしにするのは自分だけでなく、テオにもよくない。テオにはテオの人生がある。ここに留め置いて左腕の代わりをさせてもテオのためにならない。お互いの幸せのために決断するときだ。
ウィルは深まる闇だけが孤独を理解してくれるように感じた。
翌朝、ウィルは起きるとすぐ町に出かける準備をする。準備を終えるとテオが水くみから戻ってきた。テオは昨日のことを引きずっているのか、挨拶はない。
お互い無言で簡単に食事をすませる。
「畑に行ってくる」
ひとことだけ言ってバディを連れて家を出ようとするテオを、ウィルは呼び止めた。
「今日は朝から一緒に町へ行くぞ」
テオは少し戸惑った様子だ。
「なんで?」
「……朝市に行く」
ウィルはテオから目をそらして言った。
「なにを買うの?」
「いろんなものが売ってるから、たまにはお菓子とかどうだ。天気がいいから外で食べよう」
ウィルはそらした目を窓の外に移して淡々と言った。
「畑は?」
「後でいい」
「バディは?」
「留守番だ」
「わかった」
テオは自分の部屋に行く。少しすると出てきた。
「準備できた」
ウィルから見て何も変わっていない。着替える服も荷物もないのだから当たり前だ。
「じゃあ出かけるか」
「バディ、おりこうさんにしてるんだぞ」
そう言いながらしゃがんでバディの頭をなでるテオの後ろ姿をウィルは黙って見た。
ウィルはいつもより長く感じた。気が急っているからだろうか。じっとしていられず外へと歩き出す。
「早く行くぞ」
「ま、まって」
テオが小走りでウィルに追いつく。
町の小さな広場はたくさんの人でにぎわっている。
ウィルは左腕を失ってから朝市には一度も来たことがないこともあり、町の人たちは珍しいものでも見るかのように遠巻きからウィルとテオをジロジロと見たり、避けるように通り過ぎたりする。
テオは出店されているいろんな店を興味津々で見ながら歩く。落ち着きなく顔を右へ左へと動かしている。
しかし、テオは「欲しい」とか「買って」などとひとことも言わない。何度も言われると覚悟していたウィルは少し拍子抜けした。
揚げ菓子を売っている店があった。中にジャムが入っているドーナツで、表面には砂糖がかかっている。
「あれでも買っていくか」
ウィルはドーナツを指して言った。
「でも……いいの?」
「ああ。せっかく来たんだ」
「やったぁ!」
テオは店の前へと駆けて行った。
「ひとつくれ」
ウィルがテーブルにカネを置きながら言うと、女性店主はあからさまに不愉快な顔をした。「なんでわざわざうちで買うんだ。客が逃げるじゃないか」とでも文句を言いたげな顔だ。
「俺が食うんじゃない、こいつだ」
ウィルはテオを指して言った。店主はテオを見ると渋々ドーナツを準備する。
ウィルは、嫌そうな顔をする店主から紙にくるまれたドーナツを受け取り、テオに手渡した。
どこか座って食べられるところはないか探していると、広場の隅にあるベンチを見つけた。
ベンチの端に中年の男性が座っている。ウィルが反対の端に腰掛けると、男性は足早に去っていった。
テオはウィルの隣に座り、ドーナツにかぶりつこうとしてやめた。
「ウィルはいらないの?」
「遠慮しないで食え」
ウィルに言われ、テオはドーナツをほおばった。
こんなところで何をしているのだろうか。いつもなら絶対にこんな無駄遣いはしない。罪悪感からくる罪滅ぼしの意識からなのか。無邪気にドーナツをほおばるテオを見ながら、こんな不慣れなことはこれで最後だ、とウィルは自分に言い聞かせた。
テオがドーナツを食べ終えると、広場を抜け町の奥へと進む。
「どこ行くの?」
「もう一件用事がある」
行き先も告げずウィルは黙って歩く。テオも黙ってついてくる。
レンガ造りの堅固な建物が見えてきた。町の教会が運営している孤児院だ。
建物の前に着くと、テオは何の施設かがわかったようでハッとした表情をした後、絶望のような、魂が抜けたような、何ともいえない悲しそうな表情をした。
テオがだだをこねたり、走って逃げたりするかもしれないとウィルは思っていたが、テオはただうつむいて立っている。
「そうだよね。僕は呪われているから……」
テオはポツリと言った。
「俺と一緒にいたらお前は幸せになれない」
呪われているのは俺の方だ。ウィルは心の中でつぶやく。
「バディの面倒、忘れないでね」
「ああ」
弱々しいテオの声に、ウィルはかける言葉がなかった。
孤児院の中へ入ると、どこにいた子どもなのか、親類などほかに身寄りがないのかなど、いろいろと聞き取りを受けた。手続きを済ませてウィルが孤児院を出たころには昼になっていた。
ウィルは振り返ることなく足早に歩いた。町には長居したくなかった。開放され、元の生活に戻れたというのに、なぜか気分が晴れない。こんなに晴れている春の午後なのに。これでよかったんだ、と頭のなかで何度も繰り返した。