第3話 ハーブティー1
家につくと、ウィルは物置部屋に置いたまま使っていない椅子をダイニングまで持ってきて、ウィルの席からテーブルを挟んだ向かいに置く。
「ここに座ってろ」
少年は黙ってうなずくと椅子に腰掛けた。
ウィルは形の違う二つのカップにハーブティーをいれ、ひとつを少年の前に置く。家の周りに自生しているハーブで作ったものだ。瓶入りのハチミツも少年の手の届くところに置いた。九割ほどなくなり瓶の底にいくばくか残っているハチミツが照明の光で鈍く光っている。
少年は遠慮しているのか、口をつけようとしない。
「カネは取らん。遠慮せず飲め」
ウィルが言うと、少年はハーブティーにハチミツをひとさじ入れ、熱さに気をつけながらちびちびと飲み始めた。
子ども向けの甘いものはないかと思いウィルはキッチンの棚を見たが、男ひとりの自給自足の生活にそんなものは常備していない。
ウィルもハーブティーにハチミツをひとさじ入れて飲む。適度な甘さが疲れた体と張り詰めた心をほぐした。
二人とも無言のまま向かい合いハーブティーを飲み終えた。空になったちぐはぐのカップが薄暗い明かりに照らされ、ぼんやり影を落としている。
ウィルは沈黙の時間にはもう慣れたが、さすがにこの状況でいつまでも黙っているわけにはいかない。少年はうつむき加減でもじもじしている。
ウィルが先に名乗ると、少年も名乗った。
少年の名はテオ。十三歳。年齢の割には少し体が小さいように思える。肉付きもよくなく華奢だ。貧しく、あまり栄養のある食事ができなかったのだろうか。もしくは、ハーフエルフの成長は人より少し遅いのか。
人種を問わず十五歳から冒険者として登録できるが、年齢だけでなく体力も足りなさそうだ。
いつもの夕食の時間を過ぎている。腹が減っているが、ウィルは食事の前にいくつか聞いておきたいことがあった。
「どうしてあんな時間に、あんなところにいたんだ?」
「父さんは、仕事がなくなったから都会へ行って仕事を見つけるって言ってた。急いで引っ越しをしないといけないって。カバンに入れられるだけ荷物を入れて、出てきた」
裕福な身なりとはいえないので、家賃を滞納して追い出されたのだろう。そして森を抜け、スモールホープタウンの町を通過し、さらに山を越え、都会へ行こうとした、というところか。都会なら仕事が見つかる可能性も高い。
都会には大きな夢や希望をもって田舎から出てくる人も多いが、やむにやまれず移住してくる人たちもおり、スラム街も広がってきているらしい。光が強ければ闇もそれだけ強くなる。
「で、森で盗賊に襲われ全部取られたってわけか。挙句の果てに……」
先を言いそうになりウィルは口をつぐむ。沈黙が部屋を支配する。
「あの……」
言いよどんだテオがシャツをめくると、腹に白い布が巻きつけてあるのが見えた。テオが布を外し机の上に広げると、お金が出てきた。子どもに持たせるには大きな金額だ。
テオがモジモジしながらお金をウィルに差し出した。
ウィルは受け取ろうと一瞬手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。
「それは俺のカネじゃない。親父さんがお前のために残したカネだろ。自分のために使え」
テオはうなずくと、ズボンのポケットに入れていた封筒を出し、大事そうにお金と一緒にして布にくるんだ。
「お前からは何か聴きたいことはあるか?」
「あの……その左手って……」
テオは遠慮がちに言った。
「この義手か? 冒険者稼業をやってると、いろいろあってな」
ウィルの脳裏にランブルとアンナがフラッシュバックしたが、何事もないように言った。
「不便じゃないの?」
「元の左手にはうんざりしてたんだ。それに引き替え、こいつは金具を付け替えれば、農作業も大工仕事もオールマイティーだ。ケンカだってこいつで殴ればひとたまりもないだろ。町のヤツらは俺のことをビビって、ピーチクパーチク言うしかできない。小鳥のさえずりより意味がない」
「へえ、すごい冒険者なんだね」
「昔の話だ。今はピークを過ぎたから、大した仕事はしていない」
ウィルは自分で張った虚勢に胸焼けがするような気持ち悪さを感じた。
いつまで隠し通せるだろうか。そう遠くない日にはったりだとわかり幻滅する日がくるだろう。そして、これまでの人たちのように離れていく。そう、それだけだ。それでいい。ウィルは無言で悟った。
夕食を食べ終え、ウィルのベッドでテオが寝ることになった。ベッドで横になるテオが不安げな表情で聞いてきた。
「僕は呪われているけど、ここにいていいの? やっぱりここにいたらいけないんじゃ――」
「お前は呪われてなどいない。ただのアザだ。アザが呪いの印だとかいうバカげた時代はもう終わったんだ。そんなもの気にするな」
むしろ、呪われているのは自分だとウィルは思った。
よほど疲れていたのだろう、テオはすぐに眠りについた。
ウィルはダイニングの椅子に座り、使い古した薄っぺらな毛布を羽織る。部屋の灯りを消すと、いつもの静かな闇がウィルを包み込む。
闇によって冷えてきた空気でウィルは少しずつ冷静さを取り戻すとともに、闇の中から不安が押し寄せてきた。
これからどうするんだ。自分一人でもやっとの生活をしているというのに。不自由な左腕の代わりに家事や農作業を手伝ってもらえれば助かるが、どれだけ働けるかもわからない。足手まといになる可能性もある。考えれば考えるほど不安が増大して襲ってくる。
そして、ウィルは怖かった。これまで築いてきた生活を崩されることが。町の孤児院に入れることも考えておかなければいけない。
闇は不安と恐怖の力を得て、より深みを増していった。
日が昇るころ、ウィルは一人森へと向かう。
テオの父親の遺体がある場所に着いた。遺体はすでに獣によって食い散らかされた後だった。ハエもたかっている。とても子どもに見せられるものではない。
森や山では、モンスターに襲われるなどして、どこから来た誰かもわからない遺体が見つかることはよくある。
身元不明の遺体を放置しておくと衛生や治安の悪化につながるので、そのうち領主から冒険者ギルドへ回収依頼が出る。
遺体回収の依頼は汚れ仕事で、領主から出る報酬はわずかばかりの金額だが、社会的貢献度が高くギルドのランクアップの査定につながるので、ウィルにまわってくることはない。
町の教会からも、名もなき者のさまよえる魂を神のもとへと送ることができると感謝され、自身の信仰心や承認欲求が満たされるらしい。そんな彼らにとっては汚れ仕事ではなく尊い仕事のようだ。
あの日以来、神はいないと確信したウィルにとっては理解し難い考えだ。背教的な態度が、余計にウィルを孤立させる要因になっている。
ウィルは、何か形見になるものでも残っていればと思ったが、破れて血のついた服や、残った骨の一部を持って帰るわけにもいかないし、ましてや火葬して遺灰をもたせてやるほどの世話をする義理もない。
手紙とカネがあれば形見としては十分だと判断し、何も持たずに家へと戻った。
家に入ると、テオはすでに起きていた。
「どこに行ってたの?」
「ちょっと用事だ」
お前の親父は見るも無残で形見になるものなどなかった、などと言えるはずもなかった。
そんなことに心と時間を割いている場合ではない。生活していかなければならない。ウィルはすぐに気持ちを切り替えて朝の準備にとりかかる。
テオの当面の着替えは、ウィルのシャツとズボンを使うことにした。ブカブカだが、裾と袖をまくれば着られる。いずれお金に余裕ができたら、古着でも買えばいい。
ウィルは、テオに水くみや家事でやらなければいけないことをひとつひとつ教えていった。
いつもと違う生活リズムに、ウィルは違和感を覚えた。テオも知らない人の家で同じように違和感があるだろうと思い、仕方がないと自分に言い聞かせた。
使っていない部屋をテオの部屋として使うことにし、昼から掃除と家具の運び入れをする。
物置部屋に置いたまま使っていないベッドと、片袖机と椅子のセットを運び入れる。狭い部屋だが少しは部屋らしくなった。
使い古して置きっぱなしになっていた布団を外に干した。ホコリをかぶったシーツは、水を張った木桶でテオに足踏み洗いをさせた。ハーブが群生している上にシーツを広げて干す。
納屋に置いてある家の補修用の端材で、ベッドサイドテーブルを作ることにした。ウィルは手伝うだけで、なるべくテオに作業をさせた。
なかなか作業が進まないテオにウィルはイライラしたが、何とか仕上げることができた。少しゆがんでいるが、テオは満足そうだ。
日が暮れる前に、昨日採取した薬草の納品のためウィルは町へと出かける。テオには留守番を任せた。子どもを連れてギルドなんかには行けない。何を言われるかわからないし、余計な面倒を起こしたくないからだ。
ウィルが町から戻ってくると、テオは家の外にいた。そして、テオの足元には雑種の子イヌが小さな尻尾を振ってウィルを見ている。もともと栗毛のようだが土ぼこりなどで茶色に薄汚れている。
「やることがないから丘を探検してたら、バディが茂みのところに捨てられてたんだ。あ、バディはこの子の名前だよ。あの、その、飼ってもいいかな?」
山や森、この丘では、飼いきれなくなったペットを捨てに来る人がいる。身勝手な話だが、そんなものをいちいちかわいそうだと言って拾っていたらキリがない。
ただでさえ一人増えてカネがかかるのに、イヌまで飼うとなったらさらにカネがいる。テオの無邪気さが余計にウィルをイライラさせた。
飼うつもりで連れてきているのに、今すぐ捨ててこいと言ったところで、捨てに行かずどこかで隠れて飼うに決まっている。子どものすることなど予想がつく。ウィルは自分で捨てに行こうと思ったが、こういうことは自分でさせなければいけない。代わりにやっていたら仕事が増えるばかりだ。
どうせ数日で飽きるだろうから、そのとき自分で捨てさせればいい。それまでの辛抱だ、とウィルは自分に言い聞かせた。
「納屋を整理してコイツの寝床をつくってやれ」
「じゃあ、僕も今日から納屋で寝る」
「部屋にベッドを運び入れたばかりだろ」
「だって夜に外でひとりだとかわいそうだもん」
テオはバディと名付けた子イヌを抱き上げる。バディはテオの顔をひと舐めした。
「薄汚いイヌを家の中で飼うってのか?」
「汚くなんかないよ。それに、おりこうさんだし」
まだしつけも何もしていないのに、りこうなわけがない。数日の辛抱だとウィルは再び自分に言い聞かせる。
「わかった。汚いから川で洗ってこい。あと、納屋にボロ布があるからコイツの寝床に使え。家の中で飼うんだろ」
ウィルはぶっきらぼうに言った。
「うん! バディ、こっちだよ!」
テオはうれしそうに返事をすると、水くみをする小川へバディと走っていった。
夜。ウィルはベッドに入ると、いつもとは違う疲れを感じた。初日から自分の思いどおりにいかないことだらけで、心労が絶えない。
これだから子どもは面倒なんだ、と不安が的中したことで後悔が少しずつ大きくなるのを感じた。
翌日から、ウィルはテオに家事や畑作業を手伝わせた。
テオは貧しい暮らしだったからか手伝いなどは日頃からやっていたようで、細かい作業は器用にこなした。しかし、体力がないので農作業や大工仕事は苦戦した。
ウィルにとっては当たり前にできることが、テオにはなかなかできない。初めからできる人なんていないのはわかっているが、ウィルはテオの一挙手一投足に自分のペースを崩されたように感じ、どうしてもイライラしてしまう。
一生懸命に取り組んでいるテオの姿を見ると厳しく当たることもできない。ウィルはもうしばらく様子をみることにした。