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第29話 春の使者

 その日の晩。テオはうつむいて夕食に手をつけないでいる。


「どうした? 今日は疲れただろ。たくさん食べろ」

「僕が足手まといだったんだ。僕が災いを呼び込んだんだ。僕が行かなければ、きっとロアは安全な場所で一晩過ごせたんだ」


「そんなことはない。お前のおかげでロアは助かった。そして、俺はお前に助けられた」

 お世辞などではないウィルの本心だ。


「違う! 僕は呪われているんだ。疫病神なんだ。僕と関わった人たちはみんな不幸になるんだ。全部、僕のせいなんだ。僕さえいなければこんなことにはならなかったんだ。ヴィントが亡くなったのもそうだ。僕が関わりだしてから急に病状が悪くなったのは、僕が呪われているからなんだ」


「少し混乱しているだけだ。今日はゆっくり休め」

「ぼくは冷静だ! 僕は生まれるべきじゃなかったんだ!」


「生まれるべきでないヤツなんていない」

「じゃあなんで僕は生まれてきたんだ。なんで僕はエルフからも人間からも忌み嫌われるんだ。これからも一生、誰からも愛されない。そして関わった人たちは不幸になる。どこにいても独りぼっちなんだ」


「今はここにいて独りじゃないだろ。ロアだって、いつも優しく迎えてくれただろ。寂しいことを言うな」

「今日、あのまま助けないでいてくれれば。いや、もっと前の最初のときだ。あのとき僕を助けないでいてくれればよかったんだ。そしたらこんなに苦しむことなんてなかったんだ。どうせ気まぐれで助けたんだろ!」


 ウィルはかける言葉が出てこない。確かに一時は助けないでおけばと思ったこともあった。しかし、今はそう思わない。でも、どんな言葉をかけてやったらいいのかがわからない。


「とにかく今日はゆっくり休め」

「うるさい! 今が幸せなのかどうかもわかってないくせに!」


「お前に俺の何がわかる! そんなに死にたかったらいつでも殺してやるさ! 明日の朝までに首を洗って待ってろ!」


 テオは自分の部屋へ行き大きな音をたててドアを閉めた。

 バディがテオの部屋のドアの前まで行き、心配そうに座った。


 最低の言葉を言ってしまった。ウィルは自分の愚かさに嫌気が差した。

 ウィルは力なく背もたれに体をあずけ天井の隅を見つめる。小さな明かりが届かず陰になっている。

 どんなに明るい照明を置いたとしても、どれだけ漆喰を塗り直しても、あの天井の隅だけは暗い陰のままのような気がした。

 朝も昼も照明をつけた夜も、永遠に深い闇から解放されることはなく、この家に住む者はあの闇から逃れることはできない。前に住んでいた人たちは、あの闇から逃れるためにこの家を捨てたのだ。そんな気にさえなってくる。


  ウィルは戸棚の奥にしまっていた指輪を取り出した。

 シルバーのリングはくすんでいる。小さなダイヤだけがあの日と変わらず輝いている。

 アンナの敵を討った。しかし、アンナが戻って来ることはない。これからどうやって生きていけばいいのか。生きる目的は何なのか。テオの言うとおり、呪われている者同士、死んでしまった方がいいのか。


 ウィルは指輪を握りしめ目を閉じる。誰も何も答えてはくれない。

 指輪を戸棚の奥にしまった。


「今はそっとしておいてやれ」

 ウィルはバディの頭をなでながら言った。

 暖炉の火が小さくなり消えかかっている。いつの間にか雨はやんだようで、窓から星が見える。北風が窓をたたく。今夜は冷えるだろう。



 翌朝、ウィルは起きてきたテオに声をかける。


「朝飯を食ったら出かける。準備をしろ」

「どこに?」

 テオはぶっきらぼうに言った。

「ルシフェリオ山だ」

「何しに?」

「行けばわかる」

 ウィルも必要以上のことは言わず、淡々と支度を整える。


 昨日とは打って変わって晴れている。朝の空気はまだ冷たい。

 ウィルは先頭を歩く。少し離れてテオがついてくる。バディも戸惑い気味でテオの横を歩く。気まずい雰囲気のままひとこともしゃべることなくぬかるんだ山道を登っていく。


 十二の翼の手前の木のトンネルまで来た。ウィルは立ち止まり黙って先を見据えた。一歩踏み出すと、不意にテオが言った。

「責任をとるために、昨日のあの場所で殺してくれるんじゃないの?」

 ウィルは立ち止まり振り返る。テオは戸惑った表情をしている。


「その前にやることがある」

 そう言うと、ウィルは十二の翼の方へ歩き出す。テオが付かず離れずついて来ているのを感じながらゆっくりと進む。


 木のトンネルの向こう側から光が差し込んでくる。光の中を進む。視界が開けていくにつれ逆光で見えなかった景色が見えてきた。

 木のトンネルを抜けると一気に視界が開けた。


 ウィルは後ろを振り返り、テオの手を取ると十二の翼へ一歩踏み入れた。


 遠くに町が小さく見える。森を挟んだ向こう側にはテオがかつて住んでいた町が見える。反対側には、そそびえる城と港のある城下町。


 テオは初めて見る景色に見とれている。


「どうだ、世界は大きいだろ。お前が知っている世界は、かつて住んでいたあの町と森と今住んでいる町だけだ。この山の向こうに見えるあの城はもちろん、城下町さえ行ったことがない。そして世界はもっともっと広い。ここから見えないはるか向こうにもまだ見ぬ世界が広がっているんだ」


 暖かく太陽が照らす。風は少し冷たかったがウィルは少しだけ春のにおいを感じた。


「自分の人生がわかった気になって納得して、これからの人生を決めてしまっていないか? そんな小さな世界で自分の人生を決めてしまうのはもったいない。世界は広い。今まで見てきたことは世界のほんの一部でしかない」


 強い風が吹いた。しかしウィルは寒いと思わなかった。手からテオのぬくもりが伝わってくる。


「俺も少し前までは自分でわかった気になって、自分の人生を決めて生きていた。何年もの間、失った過去に縛られ嘆いてばかりいた。でも、お前と一緒に生活したことで、そうやって生きている自分にやっと気がついたんだ。新しい自分を受け入れることは不可能ではない、とお前に気付かされたんだ」


 ウィルはテオの方を見た。いつだったかテオにあげたバンダナが、テオの首元で風に揺れた。もうずいぶんと色あせている。


「また昨日と同じことがあったらどうする? 俺は助けに行く。昨日のお前を見習って真っ先にだ。それが自分にとって正しい生き方、正しい行動だと思うからだ。お前がそう思わせてくれたからだ」


 テオは答えずうつむく。


「せっかく生きているのに、生きていることが申し訳ないとか、生きる意味なんてないと思う必要はない」


 テオは黙ったままウィルの顔を見た。


「だから今日、いや、今この瞬間だけでいいから、死にたいと思わないでほしい。この景色を見られてよかった、生きててよかった、と一瞬だけでいいから思ってほしい」


 ウィルはテオを強く抱きしめた。左腕は残った腕の部分をめいっぱいテオに押しつける。両腕でしっかりと離さない。

 ウィルは気の利いた言葉などかけてやることができない。これがウィルにとっての昨夜の返事だ。


「生きていてくれて、ありがとう」

 自然と言葉が出た。


「……と、父さんって……呼んでいい?」

 テオがためらいがちに言った。


 いいぞ。俺はお前の父親だ、とウィルは言いたかったが、恥ずかしさのほうが先に立ち口が裂けても言えなかった。


「本当の父さんに比べたら頼りないし、ダメな人間だけどいいのか?」


 テオは無言でうなずいた。

 ウィルは心にかかっていた霧が晴れていくような感じがした。

 自分を信じていないのは自分だった。左腕と一緒に心まで失ってしまっていた。取り戻さなければならないのは、左腕でも過去でもなく心だった。

 テオは失ったものを取り戻してくれた大切な存在、春の使者だと思った。

 厳しい冬に耐えて花を咲かせ、これから来る春を告げてくれる。そしてこれからも。


 ウィルは足になにかが当たるのを感じた。見ると、バディがウィルとテオの足に体をこすりつけている。

「そうだな。お前も大事な家族だ」

 ウィルはかがむとバディの頭や体をなでた。テオもかがんでウィルと一緒にバディをなでた。


「親方さんが言っていたこと。今なら少しわかるかもしれない。悲しみや憎しみにとらわれているとき、亡くなった人たちが悲しんでいること。『なぜ?』『どうして?』と自分を責めないこと」

「ああ。そうだな。これまでの自分に教えてやりたい」


 ウィルはそう言ったものの、過去の自分には教えても理解できないだろうと思った。テオから言葉ではない方法で教わらないと気づくことはできない。


 テオが急に立ち上がり、十二の翼の先端の方を向いた。

「不安も恐怖もここに置いていく。過去が消えるわけじゃない。アザが消えるわけじゃない。でも、そんな過去のイヤな出来事も、今の僕を作ってる一部なんだ。消し去るんじゃなくて、向き合って生きていこうと思うんだ。いきなり変わることはできないけど、少しずつ向き合って変わっていきたい」


 テオの目はまっすぐ空を見つめていた。ウィルには希望に満ちた未来を見ているように見えた。


 神はいないのか。それとも、最初からすべて神の試練だったのだろうか。神がテオと会わせてくれたのだろうか。ウィルの心に神はまだ戻ってきていない。でも、少しだけ神を信じてもいいかもしれない、と思えた。




 朝日が昇るころ、ウィルは一人で岬に来た。手のひらにはアンナの形見の指輪。アンナとのいろいろな思い出が走馬灯のように駆け巡る。


 今の自分には、これからの自分にはもう必要ない。ウィルはそう決心すると、指輪を海に向かって投げた。


 闇を呪う生き方は終わりだ。生きにくい世の中で、クソッタレな人生だったとしても、自分しだいで未来は今より少しでも明るくなる。明るくできる。闇の中で生きるのか希望を見いだすのかは自分しだいだ。

 ウィルは朝日から「生きていていい」と受け入れられているような気がした。日は沈んでも、新しい朝を連れてまた昇ってくる。




 ロアの部屋の前に立つウィル。左腕にバラの花束を抱えている。

 ドアをノックしようとして手が止まった。


 ここに来る前、家でのことを思い出した。


「やっぱり無理だ。いまさらこの俺が何を言ったってもう遅い」

 ウィルはどんな顔をしてロアに会ったらいいのかわからなかった。


「そんなことないよ。『いつだって遅すぎることはない』って言ってたじゃん」


 今までテオを勇気づけるために言っていた言葉が自分に返ってきた。いざ自分がやるとなると難しい。勇気が出ない。まだランブルを相手にしていた方が気が楽だとウィルは思った。


 テオに連れられるように町へ来て、花屋で花束を買い、途中までテオと来た。

 テオに見送られて一人でここまで来たものの、ドアをノックしようとした手が止まったまま動かない。


 ウィルは深呼吸をして気持ちを落ち着ける。再度、ドアをノックしようとしたらドアが開いた。

 いつものロアがいる。といっても、手や足にはまだ包帯が巻かれており、松葉杖もついている。


 あの日、ロアはすぐさま病院に運ばれたが幸い大事には至らず、三日の入院で済んだ。まだ包帯がすべて取れたわけではないようだ。


「そんなとこで何してんの?」

「ちょっと、見舞にと思って」

「さっき窓の外に見えたと思ったんだけど、ぜんぜん来ないから何の用かと思った」

「寝てるところを起こしたら迷惑かなと」

「ふーん」


 部屋に通してもらう。

 薬草を作っているのか、材料やら道具がテーブルの上に並んでいる。


「寝てなくても大丈夫なのか?」

「ずっと寝ていても退屈なだけだし。何かやっていないと落ち着かない。それに、動いていいから退院したんだし」


「そうか。あ、忘れてた。これ、見舞いの花だ」

 ウィルはそう言って花束を渡そうとしたが、ロアは松葉杖をついていて手がふさがっているので机の上へ無造作に置いた。


「ありがとう。うれしい。でも、この花束、お見舞いにしてはちょっと仰々しくない?」

 ロアはイスに座りながら言った。


 ウィルはいつもロアの部屋で座っているイスには腰をかけず、立ったまま咳払いをした。

「えーと、大事な話があって。あの、俺と……じゃなくて、テオのことだが、今後もいままでどおり、いや、テオが独り立ちするまで、これまで以上に世話をしてやってほしいんだ。俺のことは嫌いでもいい。嫌なら無理強いはしない」

「面倒見るならこのままじゃイヤ」


「そうか。自分勝手で迷惑な話だったな。ゴメン。忘れてくれ」

「そうじゃないでしょ。面倒は見るわよ」


「どうしたら――」

「面倒見るけど、一緒に面倒見ていかないとだめでしょ?」


「そうだな」

「じゃあ、それ相応の、アレがあるでしょ。アレが」


「えーっと……それは……つまり……」

「シャキッとしてズバッと言ってくれなきゃわからないわ」


 ロアに言われウィルは姿勢を正した。

「俺と、その……一緒に暮らさないか。結婚してください」


「どうしよっかな。何度も何度もヒドいケンカしてるし。あたしたち相性悪いのかもね」

「そうだよな。やっぱり俺なんかとは嫌だよな」

 ウィルは帰ろうとする。


「ちょ、ちょっと待って。ウソよウソ。まだちゃんと返事してない」

 ウィルは立ち止まり振り返った。

「あの、あ、あたしなんかでよければ、こちらこそおねがいします」

 ロアはかしこまるように背筋を伸ばして言った。


「本当は、こういう話のときは指輪を用意しないとと思ったんだが、指輪を買うカネがなくてスマン」

「指輪なんていらない。ダイヤよりも輝いてるテオがいるから」

「そうだな。俺にとってもテオはどんな宝石よりも輝いている大切な存在だ」


「それにしても、こんなところで包帯まみれでプロポーズなんて、ムードのかけらもないわ。サイアク」

「ごめん。急に押しかけて」

「でも、あたしらしいのかも。この方が」

 ロアはそう言ってほほ笑んだ。


 ウィルはロアの笑顔を見て、胸が奥の方から温かくなるのを感じた。

 これまで毎日同じことを繰り返すだけの人生だと思っていた。けれど違った。同じ瞬間は二度と来ないということに気づいた。

 どれだけ後悔しても死んだ人は生き返らない。敵を討っても、もう一度だけ、一瞬だけ会うこともできない。一瞬だけ声を聞くこともできない。

 敵を討った満足感はほんの一時でしかない。会うことさえできない虚しさが残るだけだ。

 心にできた虚しさを埋めるためだけに、ロアと一緒になろうと思ったのか。そう思われても仕方がない。しかし、自分の心の中では、過去には踏ん切りをつけてきた。

 これからは過去ではなく未来を見て生きていこうと思ったから、テオとロアと――もちろんバディも――一緒にいたい、とウィルは心の底から思った。


 すれ違ってばかりいたのは、お互いのタイミングがあり、それぞれに準備が必要だったからだ。近道だったのか遠回りだったのかわからないが、遅すぎることはない、とウィルには思えた。


「でも、本当に俺なんかでいいのか? 町で何と呼ばれているか知ってるだろ」

「あなたの過去になにがあったのか知らないし、イヤなら言わなくていい。あたしも過去にいろいろあったけど、言いたくもない。これから生きていくうえで過去に何があったかなんて関係ない」


「そうだな」

「でも条件がある。あたしは家政婦じゃないし飯炊き係でもない。薬草調合師の仕事は続ける」


「それはもちろん構わない」

「そしてもうひとつ条件。テオが独り立ちしても、ずっとあなたのそばにいる。そして、世話焼きは一生直らないから覚悟して」


「……ありがとう」


 ウィルは訳もなく涙が出てきた。いや訳はちゃんとある。うれしかった。人に受け入れられるということが、こんなにうれしいことだとは知らなかった。いや、知っていたが忘れていた。

 これまでの人生、何をしていたのだろうか。生きていたのだろうか。生きてなんかいない、ただ死ななかっただけだ。


「なに泣いてんのよ」

 ロアに言われてウィルは我に返った。そしてロアを見た。

「そういうお前こそ泣いてるじゃないか」

「だって……うれしいんだもん」


「俺も一生そばにいる」

 ウィルは袖で涙を拭きながら言った。

「一生は長いわよ。あたしとずっと一緒にいられるかしら?」

 ロアも涙を拭きながら言った。


「そう言われると自信がなくなってきた」

「ちょっとしっかりしてよ。今さっき告白されたばっかりなんですけど」

「た、たぶん大丈夫」

「たぶん?」

「いや、絶対大丈夫です」

「そういうとこもキライじゃないわ」


 これまでは、思い出を完全に消し去ってしまうか、一生とらわれ続けるしかないと思っていた。

 孤独に浸りたいなら過去にしがみついていればいい。かつて愛した者にとらわれ続けていればいい。

 ウィルにとって過去はただの思い出になった。思い出は心の中にある。いつでも思い出せる。とらわれなくてもいい、消してしまわなくてもいい。

 新しい生活、新しい人生が始まる。これから新しい思い出ができることに、ウィルは期待に胸が膨らんだ。


「これからたくさん迷惑かけると思うが、よろしく」

「こちらこそよろしくお願いします。何かあたしに聞いておきたいことはある?」


 ウィルは少し考えるとロアの目をまっすぐ見て言った。

「一番好きな花の名前を教えてください」

これで終わりです。

拙い文ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

みなさまの貴重な評価をいただけると幸いです。

どう点をつけていいかわからない方は、以下の採点基準案を参考にしてください。


採点基準案

星1:ところどころ難ありだが、いちおう及第点ということにしといてやろう。感謝しろ

星2:まあまあ。星をつけてやらないこともない。感謝しろ

星3:仕方がないからおもしろいということにしてやろう。感謝しろ

星4:かなりおもしろかったということにしてやろう。感謝しろ

星5:気に入ったということにしてやろう。感謝しろ

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― 新着の感想 ―
採点基準案、初めて見ました。 感謝しろ には吹いちゃいました! 思わず感想を書きたくなるくらい斬新ですね^^ まじめに、お話の方の感想。 「一番好きな花の名前を教えてください」にやられました。 素…
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