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1、ソーダに悶える

 昔々、狩りをするために葛城山に登った天皇が山中で天皇と全く同じ姿の神に出会った。その神は、自らを「我は悪事も一言、善事も一言、ことはなつ神、葛城一言主の大神なり」と名乗った。大神と天皇は狩猟を競い、後に天皇は大神に刀矢、百千の衣服を献上し大神を祀ることになった。

 

「というように私は非常に高貴な存在なのだ。覚えてないけど……」

 オニグマを追い払ってくれた自身と全く同じ姿の化物は自らを一言主の大神、一言さんであると名乗った。

 一言さんとは、古事記に登場する奈良県の辺境の地にて語り継がれる神様の名だ。

 両親の出身地が大阪であった俺は、一言さんの名こそ知れど祀られている場所など知る余地もなかった。

 しかし、気になるのはその姿だ。

「で、なんで俺と全く同じ姿……なんですか?」

 自分と同じ姿の者に対して敬語を使うことに若干の気持ち悪さを感じながらも大神と名乗った一言さんに敬意を払い尋ねた。

 俺の問いに対して一言さんは呆れたような顔を浮かべて答えた。

「無知め、神はいつでも下界に降りて来れるわけではないのだ。季節、天候ももちろんだが一番降臨に起因するのは呼び出す人間の波長だ。今回私を呼び出したのは貴様、つまり私は貴様の願いと波長が強かった故にこのような姿で顕現されたのだ」

 なるほど。全然納得がいかない。

「つまり俺はたすけてって願っただけで神を降臨させちゃったってことか?」

「そうだ……」

 一言さんは、納得いかないのはこっちのセリフだとでも言いたげな表情を浮かべていた。

「ちなみに聞くけど今まではどんな風に下界に呼び出されてたんですか?」

「覚えていない」

 間髪入れずに一言さんはそう答えた。

「覚えていない?古事記に残る一言主は何度も下界に降臨していて、人間と接触をはかっていたはずだが……」

 高校で選択している日本史の知識が役に立つ時が来るとは思ってもいなかった。

「なるほど、流石は私だ。私の伝承は現世にも語り継がれているのか。しかし、神は降臨して下界で行った事柄の記憶について天界に持ち帰ることはできないのだ」

「え、そうなのか?じゃあなぜ神は下界に降りてくるんだ?」

 記憶に残らないということは、こちらで起こった出来事は無に帰るということだ。それほど無意味なことはないだろう。しかし、古事記に伝わる神々は下界に度々降臨している。

 それに人間の都合だけで降臨するほど神が便利道具になるとは考えづらい。となると、下界の記憶は天界に戻る際に不都合があるのだろうか。

 俺がそんなことを考えているのを見透かしたのか、一言さんは答え合わせをしてくれる。

「神にとって下界に降りることは娯楽にすぎない。天界は色界と呼ばれ、欲や煩悩は存在しないのだ。私たち神々は人間の欲によって下界に召喚され、煩悩の時間を共にする。それが昔は神にとっての娯楽となっていた……」

「そうなのか」

 なるほど、天界と下界では根本的に違うということか。しかし、神々は感情がないということなのかと考えると少し気味が悪いと思ってしまう。

「あれ、じゃあオニグマって呼んでたあの熊のことはなんで覚えてたんだ?」

「そう問題はそこなのだ。知らない記憶が、いや消えているはずの記憶があの熊を見た時に思い出したのだ」

 一言さんは困り顔で唸った。そして話を続ける。

「オニグマとは熊に宿る妖の名だ。やつは大昔に人々を食い殺し、ここ御所を蹂躙していた大熊だった。たしか四十二人だ。やつが狩られるまでに食った人の数は。そして最悪とも言える大熊狩に成功した人々は喜び三日三晩宴をしたという。しかし喜びは束の間、死してなお大熊の魂は人間を殺すことを望み天に登らず、山に生きる熊の魂を呑み込み妖となった。それがオニグマだ。私は以前どこかでやつを狩っているのだ。だが、どうしてあのような下賤なものを狩ることになったのか……葛城山……約束……だめだ、思い出せない」

「つまり一言さんが昔誰かに召喚されて、その時にオニグマを狩ったってことか」

「おそらく、この記憶が正しいならそうなるな……」

 なるほど。忘れられないほどの衝撃的な記憶の断片が残っていたのかもしれない。

「神様も大変なんだな……あ、やばい遅刻する」

 スマホを見ると時刻は午前八時五〇分だった。

 高校の予鈴が鳴るのは九時十分、急げばまだ間に合う。

 出来るだけ波風立てずに、平穏な日常を目指す俺にとって、高校を遅刻するのは御法度だ。先生に目をつけられないことこそ、高校生活を楽に過ごすコツである。

「ごめん、学校遅刻するからじゃあな。あ、助けてくれてありがとう!」

 軽くお礼を伝え、片手を上げながら俺は急いで神社の入り口にある大きな鳥居に向かって走り出した。

 

 ※


 時刻は十二時二○分。

 四限の終わりを刻むチャイムが鳴り、生徒たちは席を立ち各々グループに分かれてお弁当を広げる時間だ。

 しかし、チャイムが鳴った後も俺は席を立つことはなく、肘を付き重たい頭を手のひらに乗せてため息をついた。

「あれは現実だったのかな……」

 今朝の出来事を思い返していたのである。

 俺は今朝、熊に追いかけられて絶対絶命のところを一言さんと名乗る俺と全く同じ姿の神に助けてもらった。その後、自称神様と色々会話をしている最中に遅刻するからという理由で神を放置し学校に駆けてきてしまった。

 なんで放置してきてしまったのだろうか。

 完全に油断してしまった。俺と同じ姿の神というだけで妙に親近感が湧き友達のように接してしまったのだ。

 ……もう天界に帰ったのだろうか。まさかどこかで迷子になってたらどうしよう。

「はぁ……」

「どうしたの?神田くん」

 風に揺れる木の葉の隙間から刺す太陽の光に心地良さを感じていたが、突如現れた大きな影がその光を遮った。

「別になにも……」

「うそばっかり!顔になにかあったって書いてある!」

「そんなはっきり顔見えてないだろ」

 渋々顔を上げると目の前には、丸く澄んだ瞳に白く透明感のある肌、そしてその肌とは対照的な黒く綺麗な髪は肩の高さで揃えられ歳からすると若干幼く見える整った顔の少女が、頬を膨らましてこちらを見つめていた。

「峯野こそなんで怒ってるんだよ」

「誰かさんが朝当番の仕事をサボってギリギリに登校してきたからじゃないかしら?」

「あ……それはごめん」

 黒板の端に掛けられた札に神田まことと峯野みことの名前が見える。うちの高校では珍しく馬を飼育しており、朝当番になったものが馬に餌を与えることになっている。

 今朝熊に追いかけられたものの学校に遅刻しなかったのは馬に餌を与えるために早く登校したからだ。

「別に忘れていたわけじゃないんだ」

「へぇ、どーだかねぇ?」

 細めた横目でこちらを見る顔は何かを疑っているようだ。

「本当のこと言うと、朝餌やりを終えて教室に戻ると宮田さんが、朝から神田くんが一言主神社の池で何かしてるのを見たって教えてくれたの。」

 え……誰かに見られてたのか⁉︎ てことは朝あったことは事実なのか。

「そしたらね、間抜けな顔をした神田くんがふたりいるように見てたって」

「やっぱりふたりいたのか」

「やっぱりってなに(笑)」

「いや、なんでもない」

 誤魔化すように目を逸らしてしまう。

 すると、峯野は少し楽しそうな顔で話を続ける。

「実はね、高校からの知り合った神田くんは知らないと思うけど、私一言主神社の神主の娘なの。古事記で一言さんは天皇と全く同じ姿で現れたんだよってよくお父さんが話してくれたから神田くんが今朝一言さんに会ったのかなとか勝手に思ってたの。私オカルト部に入るくらいこういう話好きで、冗談だってわかってはいるんだけど……」

 峯野は頬を掻きながら手を背けた。

「勘の鋭い小娘だ。褒めてやろう」

「「え?」」

 ふたりの調子外れの声が重なる。

「いやなんで神田くんが驚くの。急に時代がかるからノリの良さにツッコむよりびっくりしちゃった」

「はは、それな……」

 おかしい。俺は今何も言っていない。

 いや、正確には俺の意思では何も言葉を発していない。しかし、確かに俺の声帯が震えた感覚はあった。

 どうなってるんだ。

「ちょっとトイレ行ってくるわ……」

「あ、いってらっしゃい」

 俺は駆け足でトイレに向かった。

 気持ち悪い感覚がある。周囲の音に膜が張り、意識が遠くにある感覚だ。

 トイレに入ると鏡の自分と向かい合った。

「今朝ぶりだな」

「やっぱりお前か」

 鏡に映る自分が不敵な笑みを浮かべ、鏡の中から出てきた。

 何がどうなってるのか訳が分からない。

 ゆっくりと全身顕になりやはり自由な身に限るなと呟いた。

「俺は今どうなってるんだ。お前に祟られたのか?」

 今朝別れたはずの神がまたしても俺と同じ姿で出てきた。しかも今回は俺の体の中から、一度は俺の心までを乗っ取ったのだ。

 体を奪われる感覚は非常に気持ち悪く、祟りや憑依とかこーゆうものなのかと恐怖を感じる。

 しかし、怯える俺の質問に一言さんは愚問だと言わんばかりの答えが返してくる。

「神は人間を祟ったりなどせぬ。貴様が対価を払わずに去った故、ここへこうして引っ張られてきたのであろが!」

「対価?」

「そうだ、召喚には必ず見返りがくる。本来召喚された際に見返りを献上し、神は契約を施すものだがオニグマなど戯れにもならず追っ払ってしまったのだ」

 本当にあのようなことで私を呼び出すなど無礼なやつだと悪態をつきながら一言さんはこちらに手を差し出した。

「では、対価をもらおうか」

「えーっと、ジュースとかでいいか?」

「じゆーす?なんだそれは」

「これなんだけど……」

 そう言って俺は3限終わりに買ったペットボトルのラムネを差し出した。

「水ごときで私をどうこうできると思っているのか?貴様無礼にも程があるぞ」

「いや、水ではないラムネっていう飲み物だ」

「なに水ではない透明の飲み物だと?」

 少し興味が湧いたのか、一言さんはラムネを手に取り水面に上がっていく泡を眺めたり、振ってみたりとラムネを観察している。

 そして匂いを嗅ごうと蓋に手をかけた。

「あ、ちょっと待っ……」

「ん?」

 手遅れだった。

 ラムネはプシュッという音と共に一言さんの顔に吹き出した。

「あー、やってしまった」

 炭酸飲料を振ると中のガスが噴き出すことなど幼稚園児でも知っていること。

 一言さんはラムネが目に入ったのかうるうるとした瞳をしながらこちらを睨みつけた。

「貴様騙したな⁉︎ 許さんぞ」

「いや勝手に開けたのは一言さんだろ。それ炭酸って言って水に二酸化炭素を混ぜてるんだよ」

「二酸化?なんだそれは」

「まあとにかく飲んでみてくれ」

 一言さんは吹き出して半分ほどになってしまったラムネをもう一度見つめ、ごくりと喉を鳴らして一気に飲み干した。

「ッ〜‼︎」

 炭酸が喉を通る感覚に一言さんは瞼をギュッと締めた。

「どうだ?美味いだろ」

 手を挙げてちょっと待てと言わんばかりに訴えかけ、その後炭酸が収まったのか瞬きをしながらラムネを見つめた。

 そしてこちらに見直り、

「美味い!これが二酸化なんたらか!」

「二酸化炭素な、みんなソーダって言うよ」

「そーだか。素晴らしい飲み物だ」

「じゃあ見返りは渡したし、これでチャラってことで……」

 俺はニコニコと笑顔を振り撒いて鏡の方へおかえりの手を差した。

「何を言っている。こんなものが見返りになるはずなかろう」

「デスヨネー……」

 分かってはいた。こういう見返りや生贄云々の話は大抵金銀財宝やその命で償われるもの。

 ラムネひとつで買われる安い神ではなかったようだ。

「が、しかし……」

 一言さんは空になったペットボトルをおもむろに眺め、広角を上げて答えた。

「面白い。私に渡す見返りがないのなら私と契約をするが良い。契約内容はひとつ。貴様の願いを私は聞いた、貴様も私の願いをひとつ叶えよ」

「え、嫌なんだけど……」

「なに?では命を対価に貰うがそれでもよいか?」

「嘘です。喜んで契約を結びましょう!なんなりとお申し付けください」

 危なかった。先ほどまでの会話とは比べものにならないほど一言さんの言葉に重く冷たい何かがのしかかった。


 命に比べればどんな願いも安いものだ。

 さあ、どんとこい!

 一言さんはよしよしと頷き、口を開けた。

「では、私が約1000年前に出会った人間に会わせよ」

 無理ゲー。

 俺は天を仰いだ。

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