第1部 7
「そろそろ始めようか」
「そうですね。前置きが長くなり申し訳ありません」
予想外の事態もあったが、改めて場を仕切り直す。
ニーナが、少し聞き辛そうに、質問してくる。
「アランとエマはどうして魔人のために活動しているのですか?」
アランは一瞬だけエマを見て、事前に決めてあったセリフを口にした。
「まだ話していないなかったな。実は俺もエマも魔人には大きな借りがる。それを返すために活動しているんだよ。ただの自己満足かもしれないがな」
「そうですか。では、私と同じですね」
笑顔で述べるニーナが眩しい。純粋な彼女に嘘をついていることが、いたたまれなかった。
アランのそんな雰囲気を感じ取ったのか、続いて質問したのはエマであった。
「ニーナは普段どんな活動をしているの?」
「私ですか?」
ニーナが自ら日々の活動について教えてくれる。
街での広報活動(演説)と、奴隷商や多くの奴隷を抱えている富裕層に対して待遇改善の呼びかけの、2つを主軸に活動を行っているようだ。ただ、成果はあまり芳しくないらしい。
自らの活動の成果を話す時に、悔しそうに唇を噛みしめていた。
「諦めずにやり続ける事自体が尊敬に値するよ」
行動すること事態が素晴らしいし、それを継続できるこもすごい。
アランはニーナの行動を賞賛しつつ、次の活動の際に同行したい旨を申し出た。
「本当についてきてくれるのですか?」
少しうわずった声になったニーナに、アランは鷹揚に頷く。
「ああ、ぜひとも」
そして、明日にとある商人との面会の約束があったのでそれに随行することになった。
アランとエマが屋敷を出たのは、太陽がちょうど沈みかける直前の時間帯であった。夕焼けが石畳を赤く照らし美しい。そんな道を二人はゆっくりと宿へ向かって歩いた。
(つけられてるな)
人数は一人。アランとニーナは屋敷を出た時から尾行されていた。
こちらが止まれば相手も止まり。一定の距離を保ってついてきている。
(撒くこともできるけど•••)
「処理する?」
エマが「明日の朝食何する」という軽い感じで聞いてくる。
アランとエマには、見張りをつけられる覚えがない。もしも、エマが魔人だと露見しているならこんな回りくどいことはしないだろう。
残る心あたりはニーナしかない。彼女のお家騒動の関係で、ニーナに接触したアラン達を調べようとしているのだろうか。
だが、この尾行の仕方は明らかに裏社会の者である。
「ニーナにカゲはつけてあるのか?」
アランは小声で横にいるエマに尋ねる。ニーナはアランだけに分かるような小さい頷きをする。
エマの分身体がついていれば、ニーナも安全だろう。
さてどうしたものか。
アランが追跡者の処理に考えているうちに、泊まっている宿につく。
二人が中に入ると、さすがについてはこなかった。アランはエマと共に部屋に戻り、外の気配を伺う。
「まだいるな」
「ええ。だけどすぐに居なくなると思う。今回の尾行は私達の宿泊先を把握するためのものだと思うから」
エマの指摘の通りで、しばらくするとそれまで感じていた気配が遠のいていく。
「カゲはつけてあるか?」
アランの問いかけにエマはにっこりと頷いた。
ーーー
ニーナはアラン達が屋敷を去ると、自分の部屋へ戻った。鍵を開けて、部屋の中に入る。
(またか)
室内には、誰かが先程までいたような空気が漂っていた。
ニーナは気配に対して敏感であった。タンスにベット、ゴミ箱に至るまで、誰かが触れた感じがする。
深くため息をつく。
既に何度も探しているはずなのに、まだ懲りないのか。
ニーナはベッドに腰を下ろすとそのまま倒れ込んだ。
さらりとした金髪がふわりとシーツの上に広がる。
そのまま枕を手に取り、自身の顔へ押し付けた。
父の遺言書が公証人よりニーナに渡されてから、義母であるカーラは、執拗にニーナの周囲を捜索してくる。
きっと遺言書を処分して、無かったことにしたいのだろう。カーラのどろりとした笑顔が頭の中に思い出される。
渡さない。渡すわけにはいかなかった。
服の内ポケットから一枚の封筒を取り出す。
これこそ父がニーナに残した遺言書であった。誰にも奪われないように肌身離さず持っていた。風呂に入る時も袋にいれて、目の届く位置に置くという徹底ぶりだ。
味方がこの屋敷にいないため、一瞬も気を許すことができない。
一番心が通じ合っていた実母は数年前に死に、ニーナのことを何だかんだ愛してくれた義父も、先月亡くなった。
残ったのはニーナと義母のカーラ、その息子ビッコ、そして義母に逆らえない家臣たちだけであった。
(大丈夫。私はまだやれる)
最近ニーナには心強い仲間ができた。アランとエマだ。
自分と同じく魔人の権利に関心があり、目を丸くした。これまで自分の考えに賛同してくれる人が誰一人いなかったのだ。
途中でカーラからの刺客ではないかと疑ったが、アランやエマの魔族を心配する姿は本物であった。
普段から周囲を敵や悪意に囲まれているニーナは、余計に彼らの魔人に対する慈愛が、本当のものであることが理解できる。
これまで孤軍奮闘していたせいだろうか、二人に対して心を許すスピードが早かった。
ニーナはベットの上でそんな仲間のことを思い浮かべながら眠りについた。
「お嬢様、夕食のお時間でございます」
ニーナは侍女の呼ぶ声で目を覚ます。
父が死んでから、一人で勝手に夕食を食べているニーナは、不審に思いながら、ドアの鍵を開けて侍女の対応をした。
「夕食でしたら勝手に食べるから気にしないで」
「カーラ様からの招待でございます」
嫌な予感がする。だが、断るとさらに面倒くさいことになるので、渋々ではあるが、夕食の誘いを受けるしかなかった。
食堂に入ると既にカーラが席についていた。ニーナは彼女の正面の席へと案内され、着席すると料理が順々に運ばれる。
食事が進み十分ほど経過したころであろうか、カーラが突然口を開いた。
「ニーナ、今日はあなたに話したいことがあって夕食に誘ったの」
そうだろう。これで何もなく食事が終わったら、何のためにニーナを呼び出したのか分からない。
「なんでしょう、お義母様」
出来るだけの笑顔をつくり対応した。
カーラはニーナの顔を見て、気持ちの悪い笑みを浮かべ口を開く。
「あなたにお見合いの話がきているの」
「お見合いですか・・・」
歯切れ悪く復唱する。
「ファテイスト家のご子息をご存じかしら」
その一言でニーナは理解した。ファテイスト家とはカーラの実家が最も懇意にしている家である。大方、ニーナの婿養子となり旦那という立場を利用して、ニーナを操ろうという算段だろう。
しかし、次の言葉はニーナの予想の上を行った。
「ファテイスト家に嫁いでもらえないかしら」
「私がですか!」
思わず強い口調になってしまった。
ニーナは暫定的ではあるがこの家の当主である。そのニーナが他家へ嫁ぐということは一般的に考えて非常識であった。
「ニーナよく聞いてちょうだい」
諭すように話しかけてくる。
「お父様が死に、この家は存続の危機にあります」
そんなことはない。声を大にして言いたかった。ニーナがこの家を継ぎ、カーラとビッコがしっかりと支えてくれれば十分にやっていける。
「だからニーナ、この家を救うためにもあなたには他家に嫁いで、繋がりを強化してほしいの。大丈夫、この家のことはビッコが引き受けるから」
とんでもない理論だと思った。それならビッコが婿養子として他家へ嫁げばいい。
しかし、そんなことを口にしても、上手くかわされるだけだ。
ニーナはその申し出をただ断ることに留めた。
ニーナは夕食後に部屋へ戻ると、そのままベットに倒れ込む。枕に顔を埋め、ため息をつく。
カーラはなぜあのような提案をしてきたのだろうか。ニーナが承諾しないのは百も承知のはずなのに。
胃がキリキリと痛む。流石に食事に毒を仕込むような真似はしないから、ストレスであろう。
風呂に入ることが億劫になり、そのまま眠りについた。
久しぶりに夢を見た。
夢の中で本当の母がやさしくニーナの頭を撫でてくれる。母のさらさらした金色の髪も、アメジストのような輝きを放つ瞳もニーナは大好きだ。そして、彼女自身も、そんな母の特徴を受け継いでいることが誇らしかった。
夢の中で母の胸にうずくまり泣いた。
こんなに泣いたのはいつぶりであろうか。おそらく母が死んで初めてである。
母は盗賊に襲われて殺された。
その盗賊からニーナを命がけで助けてくれたのが、魔人である。彼のおかげでニーナの命は救われ、殺された母も無駄に辱めを負わされることもなかった。
しかし、ニーナを救った魔人も盗賊に負わされた傷が原因で死んでしまう。彼女はそのとき、魔人の亡骸に対して、必ず恩返しをすることを誓った。
ニーナは魔人保護のために動いた。調べれば調べるほど人間と魔人の違いがそこまでないことを知った。魔人とは悪魔の使いではなく、人間と同じ愛を知る生き物だった。
しかし、誰もニーナの考えてを理解してくれない。嘲笑され、時には人類の敵とまで言われる。
ニーナは夢の中で、母に己の行動が間違っているか聞いた。
母は微笑み返してくれるだけで何も言ってくれない。
ニーナの頭を何度か優しく撫でると立ち上がりどこかへ消えてしまった。
慌てたニーナは懸命に母の姿を追う。夢の中で、先の見えない道を走った。
すると目の前に人影が見え、やっと追いついたかのように思ったが、その人影は母ではなかった。
人影が振り返りこちらを見る。その顔はアランだった。少し驚くも意外ではない。
ふと後ろから気配がして振り返ると、そこには母がいた。
柔和な笑みを浮かべながら手を振り、母は徐々に粒子となって消えていく。
そして最後に安堵の表情を浮かべ、完全に消えた。
「!」
ニーナはベッドの上で覚醒する。
夢の中で、母には何回か会ったことがあり、会うたびに慰めてもらっていた。
しかし、母はもう夢には出てこないだろう。
なぜかそんな予感がした。