第1部 6
アランは高級住宅街を歩いていた。
ゴミ一つ落ちていない綺麗に舗装された道路。周囲の家々は、どれも大きく、その外観は趣向を凝らせたものが多かった。いかにもお金をかけていることを強調している建物ばかりである。
どの家にも門番が立っており、一挙手一投足を見逃すまいと目を光らせている。
さすが多くの大金持ちが住むエリアである。
アランとエマは、ニーナと今後の話をするために、彼女の家に向かっていた。
ニーナの家は、この高級住宅街の中においても、裕福な者が住まうエリアに建てられており、それは彼女が資産家であることを物語っていた。貴族であるニーナの家がわお金持ちであることは当然であると思われがちたが、実際はそうではない。貴族であっても貧乏で、このエリアに住めない者もいる。
アランは、そんな金持ちの住むエリアを歩きながら、昨日のことを思い出した。
先日、アランはニーナと初めて出会い、出会ったその日に意気投合した。しかし、互いに思いが高ぶりすぎて、建設的な話ができなかった。そのため、ニーナの家で後日改めて会うことになったのだった。
アランは自身が宿泊している宿屋の、何倍もの広さをほこる邸宅の前で立ち止まる。
門番がこちらを睨んできた。
「すいません。ニーナに用があるのですが」
怖いよ。怖いですよ。アランがニーナの名前を口にした途端、門番の目つきはさらに厳しくなった。
武装した人間がそんな顔を向けちゃいけません、帯剣していれば、思わず剣の柄に手をかけたくなるほどの、殺気が門番から放たれていた。
「話は聞いております。こちらへどうぞ」
(聞いているんかい!)
アランは思わず心の中でツッコミを入れた。
話を聞いているということは、アランとエマが、ニーナの客人であることは理解しているはずだ。それなのに門番のまるで敵を睨みつけるような態度に、アランは目を丸くする。
門番に連れられて、邸宅の中へ入る。中の調度品は洗練され、この家がいかに裕福であるかを証明していた。
「こちらです」
門番がとある部屋の前で立ち止まり、彼に促されるままにその部屋へと入った。
テーブルを挟んでソファが置いてある。これまで歩いてきた廊下とは異なり、中はシンプルな内装であった。門番からソファにかけて待つように言われる。
待つように言われてから十分ほど待つが何の音沙汰もない。
はて、約束していた時間通りのはずだが。
不思議に思っていると、部屋の扉が無遠慮に開かれた。
室内に甲高いヒールの音を響かせて入ってきたのは、五十代前後のマダムだった。
銀色の髪をミディアムくらいの長さで切り揃え、黒の衣装を纏ったその姿は、オーラも相まってなんとも気が強そうだ。
マダムは部屋に入るなり、不躾にアランとエマの対面のソファに腰を下ろした。
「あなたがニーナのお友達?」
なぜだろうか。アランはこのマダムの言い方に、とても腹が立った。
嘲笑、侮蔑、そして警戒の入り混じった声色に、自分の顔が強張っていくことが分かる。
「友達と言いますか•••。仲間ですかね」
アランとニーナは友達ではないだろう。それなら2人を表す関係性は何なのか。強いて言えば同じ志を持つ仲間だろう。
「仲間ねぇ•••」
マダムはの言葉にはやはり何らかの含みがあった。薄ら笑いが実に腹立たしい。
「申し訳ありません、マダム。私はニーナとお約束していたのですが、どのようなご用件でしょうか?」
マダムはすぐには答えずにソファの背もたれに体を預ける。そして、まるで命令するかのようにアランへ言葉を投げかけた。
「ニーナに近づかないでくださる」
「は?」
危ない。危ない。思わず素が出てしまい、表情を引き締める。
「ゴホッん」
マダムは咳払することで、場を仕切り直してから、先程の言葉を続けた。
「あなた方がニーナに近づいた目的は大体想像ができます。当家のお金か地位を利用しようとしたのでしょう」
マダムがこちらを凄まじい形相で睨む。
なるほど、そうだったのか。このマダムの言葉を受けて、門番やマダムが自分に敵意を剥き出しにしていた理由を理解した。
「魔人の権利保障?そんなものは、酔狂なあの子以外は考えません!本当の目的を言いなさい」
(酔狂ね・・・)
魔人の権利保障を謳うことが、この街で、いやこの世界でどのような印象を持たれるのかを、アランは改めて認識する。
そして、そんな中でも己が信念を貫いているニーナを改めて尊敬した。
室温が数度下がったかのように思える雰囲気の中、アランが口を開こうとしたその時、扉がまたしても勢いよく開かれた。
「お義母様!」
室内に芯の入った声が響く。目を向けるとそこにはニーナがいた。
「お義母様、私の客人でございます」
ニーナはそれ以外言葉を発しなかった。
しかし、それを聞いたマダムは大きくため息をつく。
そして、アランとエマをひと睨みすると、ニーナが開けた扉から出ていった。
去る際にニーナへ何か呟いたようではあったが、アランの耳には届かなかった。
「申し訳ありません」
マダムが退出した後、ニーナはソファに腰を下ろした。
「お義母様が失礼なことをしました」
「いや、失礼だなんて・・・」
アランは乾いた笑いを浮かべる。
本当に失礼なおばさんであった。横にいたエマなんて視線だけで人を殺せそうな表情をしていた。
「ニーナこそ、あんなのがいると大変でしょ」
その言葉にニーナは苦笑を浮かべる。
「お義母様も、ぴりついているのですよ」
「それはまたどうして」
ニーナは少し目を伏せがちにしながら話す。
「実は我が家は、後継者争いの最中でして」
その情報はエマから聞いて知っていたが、アランは口を挟まずに続きを促した。
「私は一ヶ月前、亡き義父よりこの家の財も権力も相続しました。しかし、この相続は議会の承認が下りるまで正式なものではありません」
ニーナは早口であるが、聞こえやいす声で説明する。
「どうやって相続を証明するんだ?」
「遺言書があります。義父は私に全てを託すと記した遺言書を残しました」
「なら何の問題もないのでは?」
「普通ならそうなのですが、それを面白いと思わない人が多くいます。いや、ほとんどの人がそう思っているかもしれません。貴族の世襲は、この街の議会に認められることで決まります。遺言書があれば問題ないのですが、もしなければ、お義母様の息子のビッコがこの家の当主に認められるでしょう」
アランは少し驚く。そんなことになっていたとは。
「そんなにビッコってやつが有能なのか?」
「ビッコが有能というよりは、多くの方は、私を当主にしたくないのですよ。魔族の権利保障を声高に叫ぶ私を」
ニーナの説明にアランは苦い顔をしながら納得した。
「でも遺言書はある。それなら次の議会で、ニーナは当主として正式に認められるのだろう?」
「そうだといいのですが・・・」
ニーナは含みのある言い方でさらに話を続ける。
「お義母様が私の遺言書を奪おうとしているのです。幸いにもまだ見つかってはいませんが」
「そんな理不尽なことが認められるのか?」
「議員の多くは、お義母様の味方です。強引に押し通すつもりでしょう。それに、こんな短期間に重要な書類を紛失するということは、それだけで当主の資格がないとみなされます」
アランはニーナの顔を見た。しかし、彼女の目はしっかりと先を見据えていた。
「次の議会まで一ヶ月、必ず守りきります」
ニーナは力強く言い切ったのであった。