第2部 33
ダンは剣を振り下ろす。
ダンを縛っている奴隷契約が、彼を攻撃へと導いていた。
エマの提案は嬉しかった。だが、受け入れられない。
契約が、受け入れることを許さなかった。
後ろに下がるエマを追従して前に出る。脇を締めて繰り出したのは突きだった。相手の顔に吸い込まれていく剣先を、彼女は寸前で避ける。
ダンの攻撃の隙を狙って、エマが仕掛けてくる。それを避け、空いた彼女の脇腹に蹴りを入れた。
「がっ!」
苦悶の声をあげて、後ろへと弾き飛ばされていった。
エマの動きが明らかに鈍くなっている。精神への影響が、肉体にも出ているようだ。
「どうした。もう、終わりか?」
「あなたが仲間になれば、すぐにでも終わる」
「断ると言ったろ」
奴隷契約には複数の種類がある。ダンは最上級の契約で縛られていた。エマはそのことを知らないのだろう。
「仲間になってくれないと、あなたを殺さなくてはいけない」
「おいおい、自分の状況が分かっているのか?このままだと、殺されるのはお前だぞ」
エマは膝立ちの状態からゆっくりと立ち上がる。
「私は負けない」
エマの体を漆黒のカゲが覆っていく。
「準備はできた」
カゲはすぐに霧散して消える。現れたのはエマではなかった。いや、正確には、これまでのエマではなかった。
頭には二本の角が生えており、容姿も明らかに成長している。それまであった子供っぽさは完全に消えていた。
「それが本来の姿か?」
「ええ。最後の通告。仲間になりなさい。魔人を殺しなくはない」
ダンは何も答えなかった。ただ無言でエマへ向かって、剣を振り下ろす。
エマの目を見ると少し悲しげだった。
二人の武器が交わり合う。金属がぶつかり合う鈍い音が響き渡り、火花が散る。
エマから繰り出される攻撃は、先程と全くの別物であった。威力、スピードが格段にあがっている。これが本来の力か。
擬態をといて、真の姿に戻った彼女は強かった。
既に何分経過しただろうか。互いに武器をぶつけ合い、ひたすらに相手の命を刈り取ろうとした。
しかし、実力は拮抗し、どちらも致命傷には至っていない。
エマを見る。最初に見た時は小柄で綺麗な女性だと思った。だが今は、艶のあった黒髪は乱れ、肌には切り傷や打撲痕がいくつもできていた。
まさしく戦士である。
なんの因果だろうか。ダンもかつては魔王軍の一員であった。家族ため、仲間のため、国のために懸命に戦った。それが今は同胞を殺すために剣を振っている。
家族や親しかった仲間は戦争で死んだ。自分だけは生き残った。なぜ生きているのかは、今でも分からない。
それでも契約によって・・・いやそれは言い訳だ。本能が生きたいと叫んでいるのだ。
ダンの振り下ろした剣が、エマの体を掠めて血が噴き出す。彼女は気にもしない様子で、攻撃を続けた。
エマと目が合う。その目には強い意志が宿っていた。ああ、なんて眩しい目なんだ。きっと自分の目は、濁り腐っているだろう。
一撃ごとにエマの斬撃は重さを増していく。
そろそろまずい。
そう思った時には、遅かった。ダンの剣は虚空を切り、エマの小刀が胸を貫いていた。
血が溢れ出す。余計な抵抗はしなかった。魔人にとっての重要な器官である魔核が、今の一撃で破壊された。そのおかげで魔核を基盤として結ばれていた奴隷契約も、破棄された。もう、何にも縛られる必要はない。
エマが小刀を胸から抜き去ったため、ダンは支えを失い、後ろへと倒れる。しかし、体を床にぶつける寸前で、エマが優しく支えてくれた。
「救えなくて、ごめん」
泣いていた。エマの目からは大粒の涙が流れている。先程までの戦闘の余韻はなく、あたりは優しい空気が満ちていた。
「っ!」
ダンは話そうとした。しかし、口からでたのは大量の血液だった。ああ、駄目だ。もう、言葉を紡ぐことすらできない。
意識が朦朧としてくる。
手を伸ばすと、その手をそっとエマが優しく握りしめてくれた。
ダンにはまだやるべきことがあった。能力を発動する。
その瞬間、ダンの意識は暗闇の中へ飲み込まれた。
ーーー
エマはダンの記憶の中にいた。彼の手を握った瞬間に目の前が暗くなり、記憶の世界へ誘われたのだ。
エマは、記憶の中のダンの横に立ち、一緒になって人生を振り返った。楽しかった日々。奴隷としての苦しい日々。感情がストレートに伝わり、心が大きく乱された。
そして、魔人奴隷として、この街の裏の者として行動してきた記憶が照らし出される。
これは・・・。ここまで深く裏側を知ってしまっては、この深みから抜け出すことはできないだろう。エマはダンを買うと約束したことが、恥ずかしくなった。
そんなエマにダンは優しく微笑む。そしてら彼は最後に搾り出す様に言った。
「ありがとう、後は・・・」
視界が歪む。
再び視界が鮮明になった時、ダンはエマの手の中で冷たくなっていた。
相手に記憶を読ませることもできたのか・・・。
ダンの最後の言葉を、心の中で反復する。
情けない。情けなかった。
死期を悟り、最後に出た感謝の言葉を、未来へ向けて全てを託した言葉を、受け取る資格がない自分が恥ずかしかった。
自然と目から溢れていた涙を拭う。
救ってみせる。
かたく心に誓ったエマだった。




