第2部 23
エマは今日も酒場へと来ていた。
この場所へ来る前に、宿屋で違う自分を作りあげる。
体にカゲを纏わせ、各部分を精巧に作る。時間にして一分もかからない。エマは筋肉隆々の四十代の男となっていた。
「親父、ビールとつまみを頼む」
カウンターに腰掛け、店主らしき男に注文を入れる。酒場の主人は無口なようで、黙ってジョッキと食べ物をエマの前に置いた。
エマはジョッキーを持ち上げ、一気に飲み干す。
「くぅー、うまい!おかわり」
どこにでもいる中年親父が、そこにはいた。
変装は完璧であった。見た目だけでなく、声や雰囲気まで変える。
酒場は情報収集に最適だ。疲労とアルコールが口を軽し、人の秘密を喋らせる。もちろん、重要情報が得られるわけではない。しかし、こんな草の根のような場所で集まった情報が、いつか繋がり、点から線となるのだ。
エマが普段の格好で、こんな場所へ来ても、浮いてしまう。若い女性が居ては、その場の空気が変わってしまう。だからこそ、変装して訪れる。
酒を豪快にあおり、どこにでもいるような仕事終わりの中年男性を演じながら、各テーブルの話しに耳をすませた。
「なあ、知ってるか、最近議員になった奴の話」
そんか中で左端の男の話が、エマの注意を引く。
「ああ、知っているさ。ニーナ・ウォーカーだろ。紙の件か」
「そうそう。彼女だ。就任早々に、こんなでかい法案を通しちまうなんて、すごいよな」
「まぁな。俺たち紙の卸にとっては、流通量が増えそうだからいいんだが、旧紙を作っているやつらの反感を買うだろうな」
その話を聞いて、先日までの苦労を思い出す。
エマ達は新紙の特別税を撤廃するため、法案成立まで駆けずり回っていた。アラン、ニーナ、ガドの三人は法案に賛成してくれそうな議員の説得。一方でエマの役割は、法案が可決された場合、不利益を受ける者の監視であった。
彼らが不穏な動きをしないか、その予兆がある場合は、報告と対策を行うことが、エマの役目であった。
この仕事は本当に骨が折れた。
エマの固有能力であるカゲを使いながら二十四時間体制で、旧紙に関連する有力者を見張った。彼らはアランやガド、ニーナへの妨害工作を血眼になって行おうとした。
その全てをエマは阻止した。
疲れた。本当に疲れた。
彼らを始末するなら簡単だった。だが、あくまで法の範囲内で行われている妨害行為に対して、こちらかが強行手段に出るわけにはいかない。
秘密裏にかつ、法から逸脱しない範囲で妨害の妨害をする。気づかれてはいけない。アラン達の行動に支障がでるかもしれないからだ。静かに、そっと、隠密に。
その結果、苦労の甲斐あってか、無事に法案を落とすことができた。
嬉しかった。そして安堵した。これでやっと、ゆっくりと寝ることができる。法案の可決した日、エマは久しぶりに、ぐっすりと休むとができたのだった。
だが、まだまだやることはある。エマは翌日から、新紙の普及に向けて、街の情報収集を行っていた。
今日の酒場は、そんな中の息抜きである。
変装はしているが、気持ちはオフに近い。情報収集も、もちろんしているが、それよりも酒に向ける意識の方が強いかも知れない。
アルコールが体に回る。魔力で体内を活性化させることで、酔いにくくすることもできるが、今日だけはアルコールが体を駆け巡るのを止めなかった。
潜入していると、本当の自分を見失うことがある。
この変装もそうだ。どこにでもいる中年親父を再現している。それは自分の中に、本来あるものを押し除けて、別のものを入れる行為でもあった。
そのため、長期間に及ぶ潜入で、かつ変装が解けない時などは、本当の自分が分からなくなる。
境界が曖昧になる、曖昧になっていつしか、本当・・・
どうやら飲みすぎたようだ。一度酔ってしまっては、魔力でどうすることもできない。
勘定を済ませて、店を出た。
「ダメだ、気持ち悪い」
道端にうずくまり、口から酸っぱい何かを吐き出した。
吐き出しても気持ち悪い。ムカムカする。帰って早く寝よう。そう思って立ち上がるも、情けのないことにふらついてしまった。
咄嗟のことに足がもつれる。
「大丈夫か、エマ」
そんなエマを支えてくれたのは、アランだった。
「え?」
声が出なかった。今のエマは変装している。どうして?
「え、エマであってるよな?もしかして、違いましたか」
「あってる」
無表情で頷くエマを見て、アランは額の汗をぬぐい、大げさに安堵したリアクションをとった。
「そうだよな。良かったー」
「どうして、分かったの?」
「・・・感?なんとなく、エマだと思った」
エマの変装もまだ未熟らしい。思わず笑ってしまった。自分が分からなくなることもある。だけれども、アランの前で自由に振る舞っているエマが、エマだ。
そう思うと、心が軽くなった。酔いで、体の調子は最悪であったが、どこまでも飛んでいけそうな気がした。
その後、途中でもう一度吐いて、アランと共に帰路につくのだった。




