第2部 20
ガドの人生は順風満帆であった。昔から勉強が好きで、一生懸命取り組み、この街でも最高峰の教育機関に入学することができた。
学校でも努力を怠ることなく邁進した。その結果主席卒業し、行政官登用試験もトップの成績で通過することができた。
全てが理想通り。
ガド自身も己の頭が良いことを自覚しており、かつ努力も怠らない。彼は行政官としても次々と成果を残していった。
そんなガドにとって一つだけ誤算があったとすれば、周囲の嫉妬心を感じ取れなかったことだろう。
ある時、ガドは罠に嵌められた。上司や同僚が罪をつくりあげ、それをガドになすりつけたのだ。
もちろんガドは反発した。しかし、上司や同僚がガドに対して不利な証言したため、ガドは懲戒処分を受け、左遷されてしまった。
まさしく急転直下の転落だ。
反撃しようと思えばできた。さらに上部の機関に客観的な証拠を揃え、提出することで無実を証明できたかもしれない。しかし、それを行うことはなかった。
馬鹿らしくなったのだ。
これまで一心不乱に頑張ってきた。努力を怠ったことはない。
もちろん才能はあったのだろう。だが、その才能に溺れずに努力してきた。
仕事に関しても、期待されている以上の成果を出した。出したのだ。その結果が左遷だった。仲間から裏切られるどころか罪を着せられ、追放させる。
自分は何のために頑張ってきたのだ。努力した結末がこれだったのか。
そう思うと全てがどうでもよくなり、大人しく左遷の辞令を受け入れられた。
左遷させらてれから一年がたつ。異動先の部署はガド一人しかいかなかった。しかし、それでも十分なくらい仕事量は少なく、またどうでもいいような仕事しかない。
そんな中でも一年間も仕事を続けられたのは、趣味であるチェスを楽しむことができたからだろう。
この部屋には自分一人しかいない。仕事も多くないので、ガドは趣味のチェスを楽しんだ。もちろん、定期的に上司の見回りはある。そのため、廊下に仕掛けを施し、人が来ると分かるよにした。
そうすることで、上司の見回りを回避することができたのだった。
ガドは今日もチェスを楽しんでいる。いかに美しく、綺麗に勝てるかは、永遠の命題だ。ナイトを手に取り、動かそうとする。
そんな時、机の上の鈴が揺れて、無機質な音を出した。
ガドの口からため息が漏れる。これは誰かが廊下を歩き、この部屋に向かっている合図だ。
チェスの道具一式をすぐに引き出しにしまい、仕事に戻る。いつ来訪者が来てもいいように準備した。
どうせ上司だろう。ここを訪れる人物は、その一人しかいない。
コンコンコン。部屋を叩く控えめなノックの音が響いた。
おかしい。上司ならば、ノックなどせずに遠慮なく扉を開けて入ってくるはずだ。
そんな疑問が頭をよぎるも、その入室を求める合図に対して、許可を出す。
「どうぞ」
その声に反応して扉が開く。扉の先にいたのは予想通り上司ではなかった。
二十代半ばくらいの男。目には力強い意志が宿っており、今のガドとは対極をなしているだろう。
男はゆっくりとこちらに歩いてくる。
「あなたがガドさんですか?」
丁寧な問いかけに対して、ガドは投げやりに肯定の返事をした。
「実はあなたにお願いがありまして」
男はこちらの反応に関係なく話を進める。
「単刀直入に私たちの協力者になってはもらえませんか」
「へぇ?」
あまりに素っ頓狂な申し出に、変な音が口から出てしまう。
「誰かと勘違いしていませんか?」
ガドの指摘に男は首を横に振った。
「ガドさんですよね?なら、間違い無いはずです」
一体なんの冗談だ。いや、新手の詐欺かもしれない。どうして、こんな左遷させられた野郎をスカウトに来るのだ。
貴族が政策立案や立法のために、優秀な行政官にブレーンに置くことはある。派閥も数多く存在していて、優秀であったり、役職の高い行政官は何らかの形で貴族と繋がりがあった。
かつてのガドも、貴族から多くの誘いがあった。まだ若かったこともあり、どの貴族につくのかを保留していた。
そんな時に冤罪をかけられ、左遷された。今では、自分に声をかけてくる貴族など一人もいない。
目の前にいる男は馬鹿なのだろうか?
不審者を見るような目で男を見つめると、そいつは「しまった」というような顔をして話出した。
「自己紹介がまだでしたね。私はアラン。ニーナ・ウォーカーの秘書をしております」
ニーナ・ウォーカー・・・。聞き覚えがある。最近ウォーカー家の当主になり、議員になった女だ。女が議員になることが珍しいため、情報収集を疎かにしているガドにもその名前には聞き覚えがあった。
「アラン殿、もう一度言います。誰かと勘違いしていませんか」
「いいえ、そんなことはありません。今この庁舎内でガドという人物はあなたしか働いていません」
自信を持って言い切るアランに、ガドは思わず握っていたペンを落としてしまう。
「失礼」
そう断ってから、床に落ちたペンを拾う。その間もアランの目的を考える。庁舎にいる全員の名前を調べているのならば、ガドの過去も当然知っているだろ。それでもあえて声をかける理由は何だ・・・。
残念ながらペンを拾う時間はそこまで長くなく、思考は結論へと辿りつかない。
少し疑うような眼差しをアランに向けると、彼は小さく笑った。
「そうですよね。いきなり押しかけて、仲間になれなんて怪しいですよね・・・チェスでもやりませんか?」
アランはそう言って鞄の中から折りたたみのチェス盤を取り出す。そして盤を執務机の上に広げて、駒を並べた。アランは近くにあった椅子を引き寄せ、腰を下ろす。
「どうぞ」
本気か?そんな言葉がガドの口から出かけた。アランがガドのことを調べていることは理解した。その過程でチェスが好きなことも理解したのだろう。だからこそ、興味を惹こうとチェスに誘ったのだ。
だが、それは悪手だ。ガドは自分自身がチェスの優れた指し手であると知っている。これまで対人戦は何度かやったが負けたことはない。力の差がある勝負ほど面白くないものはなかった。
すぐに終わらせて、帰ってもらおう。
ガドは頭を切り替えて、相手に確認もせずに先手で駒を動かした。
二時間後。
ガドは頭をはち切れんばかりに動かしていた。呼吸が荒くなる。盤面のどこをどう見ても、すでに負けを回避する術はなかった。
アランはガドが負けを認めると、さっと席を立ち扉の方へと歩いていく。
去り際に「また来ます」と言って帰った。
ガドは何が起こったのか分からなかった。こんなにもチェスが強い相手と戦ったのは初めてだった。




