第1部 18
リオネスの脳裏に嫌な予感が走った。
エマと戦っている最中だった。リオネスの奥の手である、相手の位置を強制的に移動させる技。これを使用して、生きている相手はいない。
今回も相手を悶絶させる程の一撃を叩き込むことができた。
しかしそんな時、脳に電流が走ったかのような、嫌な予感がリオネスを襲ったのだ。
この感じには覚えがある。これはカリバーンに危機がおとずれている時のものだ。
なぜ、そんなことが起こるのかは分からない。しかし、これまで何度もカリバーンが危機的状況に陥った時に、リオネスはそれを感じとることができた。
だからこそ、今回も確信する。
目の前の敵に追撃を加えることをやめ、リオネスはカリバーンの方向へ走った。
「どうか無事で・・・」
その言葉は誰に拾われるわけでもなく、空中で霧散した。
カリバーンはすぐに見つけることができた。周囲には激しい戦闘の後が残っており、その中心にカリバーンと敵対している男が立っていた。
「!」
息が詰まる。カリーバーンの胸からは夥しい量の血が溢れ出していた。
すぐ脇に駆け寄り、相手の男を睨みつける。敵対している男はこちらを警戒しているためか、すぐに手を出してくることはなかった。
リオネスはカリバーンと共にその場から瞬間移動で飛んで逃げる。移動距離に制限があるため、何回も能力を使いながら、距離をとった。幸いにして、敵は追ってこない。
そこでようやくカリバーンの状態を確認することができた。
「大丈夫ですか。カリバーン様!」
リオネスの少し上擦った声を、カリバーンは微笑みで受け取り、優しい言葉で返した。
「ギリギリかな・・・。いいタイミングだったよ」
そう言葉を残して、カリバーンの体が前のめりに倒れる。リオネスは地面にぶつかる前に、その体を支え、そして治療のために走るのであった。
ーーー
ニーナは泣いていた。怯える自分に、弱い自分に嫌気がさして。
「なぜ、自分はこんなにも弱いのだろうか」
先日襲われた際に、ニーナは何もできなかった。別に戦う力がないことはいい。しかし、それで怖くなり、動けなくなる自分が情けなかった。その後、ニーナは自室からまる三日、外に出られていない。
アランは言っていた。魔人の味方をすることは、多くの者を敵に回すと。こういうことなのだろう。
私の覚悟は甘かったのだろうか。ずっと魔人のために何かしたい、力になりたい。その思いは、目の前の暴力で屈するほど柔なものだったのだろうか。
分からない。それでも、もう三日間も外へ出られていない。
エマが何度もお見舞いに来たが、顔を合わせることはできなかった。
自分は一生このままなのだろうか。暗雲とした気持ちが心に立ち込める。
そんな時、影が揺らいだ。注視してその影を見ると、影はまるで生きているかのうに動き、立体的な形をとり、人形のシルエットとなった。
「エマ?」
エマそっくりとなったその影は、徐々に色味を帯びていく。そして、あっという間に本人となった。
「ニーナ、久しぶり」
エマの能力によるものだろう。ニーナは先日の出来事を思い出し、そう結論づける。
「どうして部屋に引きこもっているのですか」
いきなり確信をつく彼女に、ニーナは思わず苦笑いを浮かべる。
「いえ、なんとなく・・・」
「怖くなったんですか?」
回答を濁すニーナに、エマがズバリと本質をついてくる。
「そんなことは・・・」
否定しようとするもできない。言い訳が思い浮かばなかった。
「そうですか。それでいつまで伏せっているいるつもりですか?一日二日ならともかく、もう三日目ですよ。いい加減乗り越えて下さい」
「どうにかできるなら、とっくにしています!」
エマの無神経な言葉に、思わず声が荒ぶってしまっう。
「・・・なるほど。どうにかしたいけど、自分ではどうにもできない、そういうことですか?」
「はい・・・。頭ではわかっているのですが恐怖で体がすくむのです。克服したいです」
ニーナがその答えを述べた直後、体を強烈な衝撃が襲った、堪えきれずに後ろの壁に叩きつけられる。遅れてやってきた痛みは、その衝撃が強すぎて、声に出して、吐き出すことも許されなかった。
「っ、!」
痛い。痛い。痛い。
何が起きたのか理解できなかった。
いつのにか倒れ伏した体から顔だけを上げると、目の前にエマが立っていた。
「知らないから恐怖する。だから、私が教えてあげる」
エマの言葉に、全身が身震いした。
エマはニーナの髪の毛を掴み、強引に膝立ちさせる。右足を振り抜き、ニーナの頭を蹴った。
ニーナはまたしても吹き飛ばされる。
再び壁にぶつかったニーナの口が、苦く鉄の味がする液体を捉える。これは血だ。口の中が出血したのか、それとも頭から滴り落ちた血が、口に入ったのかは分からない。ただ、血であるということは認識できた。
痛い。・・・痛い。いたい、イタイ。
あぁ、まずい。痛すぎて、思考することが難しくなってきた。
エマがこちらに向かってくるのを、ぼーっとした目で見つめる。
「どう、これが痛み理解した?たいしたことはないでしょ」
反応しないニーナにエマは馬乗りになり、顔を何度も殴りつける。
殴られるたびに、うめき声が部屋に響き渡った。
痛いな。これが痛み。私は怖かった。アラン達の戦いを見て、自分も巻き込まれることが。これまでも、魔人奴隷が暴力を振るわれている時に、止めに入ったことはあった。
しかし、アラン達の戦いはそれとは違った。本質的な戦い、死がすぐ側に隣接していた。私はそれを恐れた。怖がってしまった。
なぜ、忌避したのか。分からない。ただ、得体の知れない何かが怖かった。
「もし、あなたが酷い目に遭うなら、今感じているような痛みがあなたを襲う。どう?心が折れた」
エマの無感情な問いかけにニーナの思考は動き出す。
痛い。痛い。痛い。
けれども痛いだけた。私が恐れていたものはこんなものだったのか。何かを成し遂げられずに負う、心の痛みの方がよっぽどつらい。
そう、よっぽどつらい。心の痛みは肉体の痛みに比べて何十、何百倍と辛いのだ。そう思うと体の痛みのことなどどうでもよくなる。
ニーナは無理やり笑顔つくって、エマを見つめた。
「もう、大丈夫。ありがとうエマ」
エマはゆっくりとニーナの上からどいた。
ニーナはよろよろと立ち上がると、そのまま部屋の扉まで歩いていく。
「どこへ行くの」
「決着をつけてくるわ」
ニーナはそう言って、自室から一階のダイニングへと降りた。
ちょうどカーラとビッコは昼食を食べていた。視線が一斉にニーナへと集まる。
「なっ!」
ニーナを見る視線が、異形の者を見る目になっている。当たり前か、こんな顔だし。腫れて、血も出ている人間を前にして冷静でいる方が難しい。
ニーナは二人の視線を無視して、上座、ちょうど亡き前当主が座っていた席へと腰を下ろした。ここは義父が死んでからはずっと誰も座っていなかった。
「そ、そこは・・・」
ビッコが何か言いそうになるが、ニーナは視線でそれを制す。
「私がこの家の当主です。遺言もここにあります」
ニーナは懐から取り出した遺言状を、机の上に叩きつける。
ビッコとカーラは突如として現れたチャンスに唾を飲み込んだ。しかし、二人が何か行動を起こすことはなかった。
ニーナの雰囲気がビッコとカーラを屈服させたのだった。
ニーナはその様子を見届けると、机の上に置かれた遺言状を再び内ポケットにしまい、その場を後にした。
そして、外に出る。
向かう場所は一つ、アランのところであった。
ーーー
アランはベッドの上で退屈な時間を過ごしていた。
カリバーンとの死闘の後、アランはやって来たエマの手を借りてその場をすぐに去った。宿にもどり、エマの治療を受ける。命に関わる怪我はないものの、外傷は酷かった。
三日たった今でも外出をエマに禁じられている。アランは退屈な時間をベッドの上で過ごしていた。
退屈だからこそ、様々な思考が頭の中を駆け巡る。
ニーナは大丈夫だろうか。普通の生活を送っている人間が、いきなり襲われれば、誰だって恐怖を感じる。
こちらに顔を見せてくれると思っていたので、その時に様子を伺おうと思っていた。しかし、まだ顔を見せてくれない。
やはり、相当ショックだったのだろうか。
心配だ。心配になる。自分の代わりにエマに何回か様子を見に行ってもらったが、エマは「大丈夫」としか言わない。
そんな時、扉を荒くノックする音が室内に響いた。
誰だろうか。エマならノックなんてしたい。また、衛兵の事情聴取であろうか。カリバーンとの一戦の翌日にアランとエマは街の衛兵から騒動について聞かれた。アランもエマも突然襲われたので、特別何か伝えることはできなかった。
アランは軽く身を整えてから扉を開けた。
するとそこに立っていたのはニーナだった。彼女がいたことにも驚いたが、何よりも彼女の顔が腫れ上がっていることに目を見張った。
「何があった!」
思わず強い口調で尋ねてしまう。
だが、そんなアランにニーナはやさしく「大丈夫です」と微笑んだ。
そんな訳がないだろという言葉が口から出そうになるが、それを制したのはニーナの瞳だった。
力強い瞳。誰だか分からなくなる。こんな瞳の女性は知らない。
「何があった?」
再度問い直す。ニーナはゆっくりと口を開いた。
「自分の中の恐怖と向き合いました。もう大丈夫です」
ああ、そういうことか。この感覚を表現することは難しい。それでも、ニーナが変わったことだけは分かった。
「おかえり」
無意識に出た言葉があまりにも見当違いであったため、アランは笑ってしまった。そして、その笑いにつられてニーナも笑った。
一週間後。
アラン議場の隅でニーナの勇姿を見届けていた。
「私は今日をもってウォーカー家の当主となります。皆さんにはどうかこれを承認して頂きたい」
ニーナは議場の答弁台に立ち、自らの思い語った。議員として何を成し遂げたいのか、何ができるのか。多くの議員が話半分に演説に耳を傾けている。
しかし、その中でも彼女の言葉に思いに魅了された者は少なからず見受けられた。
その一人はアラン自身であった。
「成長したな」
目頭が熱くなる。彼女の成長がまるで自分のことのように嬉しかった。今日の演説内容も二人で考えたが、ベースを作ったのはニーナだった。
ウォーカー家の相続は遺言書と有力議員であるグスターヴの賛成もありつつがなく成立した。
議場にまばらな拍手が鳴り響くなか、アランは出来るだけ大きく盛大に拍手をする。
ニーナ・ウォーカーの新たな人生の始まりであった。




