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長年の被害者




 次に私が瞬きをしたら、女は床に叩きつけられていた。



 中年の刑事が女の上にのしかかり、女はうつ伏せの状態で後ろ手に腕を絞められていた。


 包丁はテーブルの下に滑り落ち、クルクルとコマのように回っていた。牛刀だった。





 「佐々木!!ドア一旦閉めろ!!」と中年刑事は叫んだ。


 女の刑事さんは反射的にドアを閉め、目の前の靴箱を両腕で持ち上げドアの前に置いた。


 凄い判断と力だ。まずラブホテルは一度店側が鍵を開けたらこちらから鍵を閉めることが出来ない。それに気づいた上で靴箱を扉の前に置いた。共犯をこれ以上部屋に入れさせないためだろうか。


 しかもあの靴箱、金属製の50キロくらいありそうなものだ。それを軽々持ち上げた。





 って…いや違う。それどころじゃない。



 私は再びリビングに戻った。


 今、私を横切った女の人…あれ誰?


あの艶のあるボブカット…。


 まさか…



 カナエ…嘘でしょ…。


 女は中年の刑事に上から抑えつけられ、うつ伏せの状態になっていて顔が見えない。


 ただセットされた綺麗な髪が揺れる。



女は、刑事の下敷きになったままビクとも動こうとしないし一言も声を発さない。


 

 椅子に縛られた裸の先生は、虚な目をしてその女のことを見つめていた。




 そしてうつ伏せになっていた女がゆっくりと顔を上げた。髪にどんどん蛍光灯の光が刺し、髪に艶が出てきた。




 私は瞬きもせず彼女のことを見つめた。




 そうだ。私がここ最近出会った人の中でもう1人いたな…黒髪ボブの女が…。


 そして彼女と目が合った瞬間、私は中年刑事に向かってタックルした。


 「ちょっとお姉さん!!!何すんだよ!!」


 「バカ忍!!何やってるんだ!」


 冬馬は私のことを羽交締めにした。


 中年の刑事は再び女を抑えようとした。




 ダメ。


 やめて…。






「その人のお腹に赤ちゃんいるの!!」







 私は声が裏返りながら全力で叫んだ。



 「は…」と中年刑事は動きを止めた。



 顔を上げた女は虚な目をしていた。



 「そう…?貴方、私なんかの子供を大事にしてくれるの?」


 

 先生の…レイプ犯の胸を刺そうとしたのは奥さんだった。誰よりも夫の不起訴を望んだ彼女だった。


  「どうして奥さん…貴方が…」

 


 奥さんはゆっくり起き上がり、お腹をそっと一撫でした。



 「私があの人に会ったのは14歳の時。」


 「え…?」


 「彼は20歳で…私の家庭教師でした。彼から告白されたのは私が15歳の時。」


 奥さんはゆっくりと話し始めた。冬馬は私から腕をほどき、中年の刑事さんはタバコを再び吸い始めた。



 「あの人が…ある一定の少女しか愛せないと気づいた頃には、もう私の人生は引き返せないところまで来ていたの。気づいたのは29歳…私はあの人の中の消費期限を迎えた…。」


 「29歳なんていくらでも…」と女の刑事さんは言った。


 「私があの人の元から去るってことは、あの人の異常性癖を認めることになるでしょ。そんなの嫌…。それは私がロリコンに遊ばれていたことを認めなきゃいけないってことでしょ。認めたくなかった…」


 奥さんの左目からゆっくりと涙がこぼれ落ちた。朝露が葉先から一滴落ちたようだった。



 「でも子供を作ったってことは…」と私は言った。


 「アリバイです。」

 奥さんは間髪入れずにそう言った。



 「「アリバイ?」」

 奥さん以外の部屋にいるものが声を揃えて言った。


 見事に声が揃ったことに奥さんは少し笑った。



 「夫婦は円満です。子供も最近できました。そんな中でカナエさんが誘惑して邪魔してきましたっていうアリバイを主人は考えたんでしょう…」


 中年の刑事はタバコをフーと思い切り吐き切った。


 「確かに…その男は仕切りに子供のことと家族仲について話していたな…」


 涎を垂らし体をびくつかせる男の方を私はチラリと見た。


 「でしょうね…」奥さんはゆっくり頷いた。



 「きっと私ならあの人を止められた思うの。いつかやると思っていた。あの人が私に学級写真を見せてくれた時から、私が海野カナエの写真を見た時から分かってたの….」


 「ごめんなさい…」彼女は涙を何粒も何粒も流し頭を地面につけた。



 それは私でも刑事さん達にでもなく、ここにはいないカナエに向かって頭を下げていた。



 カナエはこの様子を見てどう思うんだろう。きっとあのお人好しはすぐに許すんだろうな。



 

「だからって殺そうとするのは間違ってますよ!」

 女の刑事さんは泣きながら奥さんにそう訴えた。



 「死ななきゃね反省できない人もいるの…。今回不起訴になったから、きっとあの人ならまたヤルわ」


 そう言って奥さんはお腹を2回優しく叩いた。


 女の刑事さんはそれに釣られてゆっくりと奥さんのお腹を見た。


 「女の子…」

 奥さんはそっと言った。刑事さんは奥さんのお腹から目線を逸らし下をうつむいた。






 「ねぇ…未来さん」彼女は髪をかき分けながら私の名前を読んだ。

 


 「なんでしょう…?」



 「こんな私に出来ることって何だと思いますか?」


 奥さんはどこかスッキリとした表情で聞いてきた。



 私は手を組んで考えようとしたが手錠が付いているのでできなかった。その代わりに首を傾げて「うーん…」と唸った。そしてどこか笑ってしまった。



 唸ってはみたが私は心の中で何をするかはもう決まっていた。




 「刑事さん…」と私は、4本目のタバコを吸おうとした中年の刑事に声をかけた。   



 「なんだい?」

 

 「外のマスコミどれくらいいますか?」


 中年の刑事は左手の人差し指をブラインダーに引っ掛けて下に落とした。



 「わんさかいるぞ。どっから嗅ぎつけたのか知らねーが」


 「そうですか」と言って私はニコリと口角を上げた。



 そして私は立ち上がり、奥さんの胸ぐらを力一杯掴んだ。手錠からは湿った金属の音がした。



 「なっ…」。冬馬は急いで私を制止しようとした。


 奥さんは突然のことでギョっとした顔をした。


 奥さんの鼻と私の鼻がくっつきそうな位置になった。



 「アンタ、何さっきから被害者ぶってお気持ち表明してるんだよ」


 「え…」

 奥さんは目を点にしてこちらを見ていた。急に親に叱られた子供のような顔をしていた。



 「アンタの人生は、加害者の妻で被害者の妻で、子供産んで苦しむ人生なんだからね」


 「は、はぁ?」

 奥さんは私のことを睨みつけようとしたが、突然の言葉の暴力に対応できていなかった。



 「ほら、刑事さん、とっととパトカー乗せてよ。この性犯罪者とその家族と一緒にいると吐き気するんだよね」


 私は立ち上がって、玄関の方に進んだ。


 急いで女の刑事さんが後を追った。





 本当に奥さんは番狂せ。


 まぁ最後にあの人の格好良いところ見れて良かった。立派な女の子産んでほしいな。



 …それでも私を上回る牛刀には驚いた。


 全く…私が霞むじゃない。



 強いな奥さん。





 でもダメ。



 この物語のね…悪女は私1人で十分なの。






 私は最後に冬馬や奥さんの方を振り向き、ニヤリと笑った。


 


 さぁカナエ見ててね。





強い女が好き。

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