第66話
説明会の後、夕方くらいから翌日の配置の連絡が回り始めた。離れていったクライアントも大勢いる中、これまで世話になったからと残ってくれたクライアントもそこそこあったようだ。
ステータス持ちの隊員は田島さんが居なくなってしまって俺と美沙、嶋原さんと北川さんと東山さんの五人だけになってしまった。今後の補充が待たれる状況だ。
シーカーズに作ってある栄光警備五号警備隊員チャットでも、明日以降の話が流れている。
嶋原さんは説明会の後、一旦本社に顔を出して今後の話を聞いてきたそうだ。
我々五号警備員は、しばらく商業施設やイベント警備といった不特定多数のお客様と直接関わる業務から距離を取る事になりそうだとの事だった。
まだ田島さんの乱心からそんなに日が経っていない現在、栄光警備のステータス持ちがそういった現場につく事でお客様、ひいてはクライアントにいらぬ心配をさせてしまうからと言うのが理由だ。
とりあえず明日の配置だが、嶋原さんはゴブリンだらけの中広ダンジョン、東山さんは食肉のドロップが多い観音ダンジョン、北川さんは早朝から夕方まで嶋原さんと一緒に中広ダンジョン、夕方から深夜まで矢野ダンジョンという布陣のようだ。
俺と美沙は明日は会社集合……これは栄光警備広島本社の事ではなく、中区大手町にある霧ヶ峰ホールディングス株式会社中四国ディストリクト統括営業所の事だ。やたらと名前が長い。
簡単に言えば中四国に散らばっている営業所の統括支部って事だが、広島営業所はこの中四国ディストリクト統括営業所内にあるとの事だ。
多分今後の話なんだろうが、そんな中ボスみたいなところに呼び出さなくても良かったんじゃないのか? 静香は何考えてるんだ?
ともあれ、こうして栄光警備の隊員に仕事の日々が戻って来る事となった。
§ § §
夕方、授業が終わった梨々香に今後仕事が再開するので、家を空ける事が増える旨を伝えた。
「そーなんだ、じゃあお仕事が始まるから家を空けがちになるし、帰って来る時間が前の日にならないと分からないんだね? わかったー」
梨々香は読んでいた本を横に置いて俺達の話を聞いていたが、用件が大体分かると読書に戻った。
何の本を読んでいるのかと思ったら、丙種探索者の講習で貰える教科書だ。静香が使っていた物だが、もう要らないとの事で貰ってきたらしい。
ちなみに同じ本が綾乃の部屋にも転がっていたが、そちらは落書きや愚痴が大量に書き込まれていて読みづらかったので遠慮したそうだ。
まともに勉強してたはずでは……? そんな感じでよく試験通ったな……?
「仕事現場や内容によっては、メシの用意が出来ない事があるから、そういう時は自分で用意してもらわないといけなくなる。……大丈夫か? お前、料理した事なかったろ?」
「うん、お母さんも教えてくれなかったしねー。でも近くにスーパーもあるし、お米を炊くくらいなら私にでも出来るから多分大丈夫ー。どうせ朝食はお兄ちゃん達と一緒だし、昼はみんなとお弁当だからね」
「宅配サービス使ってもいいんスからね、アプリの使い方は覚えてます?」
美沙も心配になったのか口を挟んでくる。梨々香はドヤ顔でスマホを操作して宅配注文アプリが複数入ったフォルダを見せてきた。
「覚えてまーす! ……だけど、何だかなぁ……ちゃんと手持ちのお金を払わずに買い物するって感覚は、あんまり慣れちゃダメな物って感じがするからなぁ……出来れば使いたくないのが正直な気持ちかな」
これはクレカ払いが常態化してる美沙やキャッシュレス決済に慣れてきた俺には耳の痛い話だ。
最初のうちは梨々香のように「何だか気軽に買い過ぎそうで嫌だな」とか「使っちゃいけないお金まで使いそうで怖いな」と思った物だ。
電子決済化の過渡期である昨今、大事にしたい感覚ではある。梨々香はいいこだ。
「どうせ支払いは俺がするんだから気にするな……と言いたい所だが、いずれ梨々香も働いて自分の財布から買い物をすると考えたら、今の段階で金銭感覚を壊す訳にはいかないな。梨々香がどうしたいかを尊重する事にしよう」
「うん、これが今の流行だってのは分かるから、ちょいちょい使っていって慣れる必要はあるだろうけど……とりあえず、居ない時は五百円くらい置いてってくれたら嬉しいな、スーパーでお惣菜買えるし」
「五千円……」
「五百円でいいの! 五千円も置いてかれても困るし、そんなにあっても何食べていいか分からないよ! 鰻なの!? 鰻重でも食べさせるつもりなの!? そもそも金銭感覚を壊さないようにって話なのに、お金一杯もらったら元も子もないじゃん! 本当にお兄ちゃんはフェアリーなんだから!」
梨々香がよく分からないキレ方をすると、キッチンで何かがひっくり返るような音がした。
慌てて見に行くと、トーカがコップを握りしめたまま過呼吸を思わせる荒い呼吸をしつつ、まるでフィッシングボートの上で暴れる魚のように倒れたまま跳ね回っていた……いつもの無表情で。
よく見たら凄まじい勢いで痙攣している。釣り上げられたカツオみたいだ。
何だこれ怖ぁ、一体どう言う状況だ……? 素直に挙動が気持ち悪い。
「あー! トーカちゃんごめん! 私がうっかり変な事言ったから! しっかりして! 大丈夫!?」
梨々香が慌ててトーカに駆け寄り、抱きしめた。トーカは真顔で引き笑いのような気味の悪い声を上げながら、相変わらずぴちぴちしている。
まるで釣り上げたカジキマグロにしがみついている釣り人だ。
しかしこんな不気味なトーカは初めて見た。一体どうなってるんだ? 何が原因だ? もしかして俺の知らない原初の種子持ちからの遠隔攻撃だったりするのか?
何とか落ち着いてぐったりしているトーカ本人に尋ねても教えてくれなかったので梨々香に話を聞いたが、俺の事をフェアリーと呼んだせいでトーカがあんな事になってしまったんだそうな。
……悪い、話を聞いてもさっぱり分からない。
あと、過去一冒涜的なあの挙動はトーカの大爆笑だったようだ。あの姿はSAN値をごっそりと削りかねない。
皆の精神衛生を守る為にも、トーカを迂闊に笑わせない方が良いかもしれない。
§ § §
広島市中区大手町。
広島で最も栄える市街地の一角であり、紙屋町や八丁堀、基町等と並んで「広島で一番栄えてる所と言ったらここだよね」と誰もが認める広島の中心地である。ちなみに原爆ドームの所在地も大手町だ。
そんな大手町の電車通り沿いにあるビルに、本日行く予定の霧ヶ峰ホールディングスの広島営業所がある。
もっとド派手でデカいビルがそびえ立っている物だとばかり思っていたが、周囲のビルとあまり変わらない。
「拍子抜けなくらい普通っスね」
「そうだな……奇抜な建築物とかじゃないんだな。全面ガラス張りとか」
「いやー、夏場と冬場に死にそうっスね、それ」
デザイナーズマンション的な建築物は、その見た目の為にいろいろ犠牲にしていると聞いた。
社員の働きやすさを考えたら、特異で奇抜な見た目を追求する必要は無いのかも知れない。
「都会の人間って奇抜で高価でマウント取れる物にすぐ流れるって印象があったからな……」
「偏見もいいとこですし、あかりさんや霧ヶ峰に言ったらしたたかに傷つくと思うんで黙っててあげて下さいね。あいつら一応都会の人間っスから……あんま外でぼんやりしてても邪魔になりますから、早いとこ行きましょうか」
自動ドアをくぐり、エレベーターで指定された八階へ上がると、無人の受付が出迎えた。
最近よくありがちな「御用の方はボタンを押してお待ちください」の上位互換みたいな奴だ。タブレットが置いてあり、そこに用件や来訪者の情報を入力するようになっている。
俺達は備え付けのタブレットを操作して、名前や来訪理由を入力し、雑談しながら待っていた。
五分程後、オフィス側のドアが開き……スーツ姿の静香と、静香と負けず劣らずのクールビューティの女性が現れた。……大丈夫だ、美沙。俺の鼻の下は伸びてないはずだ。
「やーやー、ようこそ我が二の丸へ。こうしてちゃんとした姿でお会いするのは……そういや高坂氏とは昨日を含めて三回目でしたな」
「そうだな、矢野ダンジョンで梨々香の情報を持ってきた時がそうだな。……ところで、何で二の丸?」
「本丸は東京の本社ですからな。ディストリクト統括営業所は二の丸、各営業所は物見櫓ってなモンですぞ。ささ、立ち話も何ですから奥へどうぞ」
静香と女性は先程開けて現れたドアから奥に戻り、ついてこいと言わんばかりにこちらを見ている。俺と美沙は二人の後を追い、奥へと進んでいく。
応接室が三つも並ぶセクションを抜け、関係者以外立ち入り禁止とプレートのかかったドアの電子ロックを解除し、最奥の支社長室……ではなく、さらに奥の廊下の突き当たりが隠し扉のように開いた。
「ここが拙者専用の執務室ですぞ。どこのディストリクト統括営業所にもこのような部屋を一つ設けておりましてな、聞かれたらマズい話はここでやる事にしておりますぞ。さ、座って座って。お茶をお出ししますぞ。きららちゃん、お茶を頼みますぞ」
きららちゃんと呼ばれた女性は静香を一度だけ睨みつけ、備え付けの急須にお茶の用意を始めた。
俺達は勧められるままソファに座り、静香は俺達の反対側に座った。
やがてきららちゃんがお茶を持ってきたが、俺達の前にはそっと出し、静香には湯呑みをテーブルに叩きつけた。
その衝撃で湯呑みからこぼれた緑茶が静香の膝にかかり、静香はじたばたしながら悶絶した。
「熱っっっっつ!? きららちゃんひっど! 何も悪い事してないのに! 拙者悪いCEOではないですぞ!」
その様を冷ややかな視線で見下ろすきららちゃん……もしかしてこの二人、仲が悪いのか?
「社主、私の事をきららちゃんと呼ばないように何度も言いましたよね? 霧谷と呼ぶよう言いましたよね? これもう何度目だか分かりますか?」
「せっかくかわゆいお名前なのに勿体無いですぞ……あ、お二人に紹介しときましょうかな。この子は霧谷きららちゃん、拙者の秘書であり分家の一人ですぞ」
「霧谷きららと申します。どうぞ霧谷とお呼び下さい。お二人とは良き関係を築きたいと思いますので、どうかこの魯鈍で間抜けな社主のように不名誉な愛称で呼ばない様、伏してお願い申し上げます」
きららちゃん……いや、霧谷さんが深々と頭を下げる。まあ、うん。俺達は人が嫌がる事をわざわざするような趣味はないので、そこは大丈夫だ。
「霧谷さん、よろしくお願いします。静香とはどうせ直接話す事が多いだろうから、霧谷さんと話す機会があるかどうかは分かりませんが……」
「そっスね。まあでも、本当言えば霧ヶ峰の社主だってこんなにポンポン一般人の前に姿見せるのがおかしいだけで、本当は秘書を通したとしても簡単にアポなんか取れない超重要人物っスからね。形だけでも秘書との面通しが必要って事でしょ? 霧谷さんでしたね、よろしくです」
俺達は霧谷さんと握手を交わした。ようやく熱いお茶のもたらすスリップダメージから逃れた静香が、執務机から分厚い茶封筒を持ってきた。
「きら……霧谷との顔合わせも済んだ所で、今回の本題ですぞ。マジで忙しくて根回し出来てなかったのは心の底から申し訳無いとは思ってるんですが、弊社で探索者チームを作ってそこにお二人をブチ込むんで、有事の際にはそこから動ける様にしておこうと思いますぞ。いかがですかな?」
静香が茶封筒の中から取り出して俺達に差し出したのはカード型の社員証が一枚と、紙束をクリップで留めた物だった。
社員証の写真は、多分栄光警備の社員証を更新した時に撮った物を流用したんだろう。
確か撮影したのは三ヶ月くらい前……美沙達と御山に行く前だから、くたびれたオッサンの顔をしている。やっぱりあそこの水はおかしい、確実に十歳くらい若返ってる気がする。
紙束の方は「新規事業計画書」と書かれている。中身を確認してみると大体予想通り、探索者チームを大々的に売り出しますよといった物だった。
「これはつまり、あたし達を霧ヶ峰側で雇い入れて栄光警備配属にする訳っスね? そんで……この、新規事業って事になってる探索者チームとして特例甲種を活かして活動しろと」
「そうですな。お二人は五号警備以外でのダンジョン・アタックに後ろ盾が出来ますし、ある程度の知名度の調整や広報活動も出来ますし、お二人に対するコンタクトもウチが矢避けの盾になれますからな。形態としては……まぁ、正確な例えではないんですが、スポーツ実業団みたいな物と捉えて頂けたらと」
俺と美沙のネックになっていたのは、ダンジョン絡みで動けるのが五号警備の時だけって事だ。
どこのダンジョンにも無制限で入れる特例甲種資格を持っていても、どんな魔物とも戦える激強装備を持っていても、それを使えるのが五号警備中だけでは宝の持ち腐れだ。
そんな勿体無い状況を改善する為に、霧ヶ峰ホールディングスが探索者チームを結成、そのメンバーとして子会社である栄光警備に所属する俺達を組み込む……静香の言う通り、実業団みたいな物だ。
「渉さん渉さん、これ見てください。給料ヤバいっスよ、栄光の五倍以上ですよ」
資料の後ろの方に留められていた紙を目ざとく見つけた美沙が、俺に見せつけるように差し出した。
どうやら俺達の待遇を表にした物のようだが、目を疑うような内容だった。
栄光警備と比較しても基本給の時点で三倍、資格免許手当は五倍、精勤手当は二倍だ。職能手当と危険業務従事手当に至っては栄光警備には存在していない。
社会保険や税金でごっそり持っていかれるとしても、手取りの額がありえないほど高い。いいのかコレ?
「……うわマジだ、これってドロップ品の売却益は?」
「別ですな。貯金するなり推し活に使うなり自由にするといいですぞ。但し所属はウチに変わりますので、栄光警備で警備の仕事をしたからと言って二重取りは出来ませんぞ。あくまでウチの出向社員として警備業務に従事しつつ、探索者をやってもらう形ですな。有給休暇の発生は半年後ですが……まあ、そこらはうまい具合に回しましょう」
そう言うと静香は資料をめくりつつ、改めて俺達への説明を始めた。
俺も一旦待遇の表から目を外し、手元の資料を確認していく。ちゃんとした企画書といった感じの書類に目を通すのは初めてだ。
俺達警備員に渡ってくるのはイベント警備時の警備計画書くらいなモンだからな、新鮮な気分だ。
「しかしここまでしっかり資料が出来ているとは思わなかったな……チーム名は決まってるのか?」
「広島サンブリンガーズですな。正式名称は霧ヶ峰ホールディングス広島サンブリンガーズですぞ。平清盛の日招き伝説はご存知ですかな? せっかく広島で結成するチームですので、そこから取りましたぞ。そのあたりはロゴも含めて資料の三枚目に書いてありますぞ」
俺は静香に言われるがままに資料をめくった。とは言え、広島県民であれば清盛公の伝説はどこかで一度くらいは耳にする話だ。
鎌倉幕府成立より少し昔の1165年、音戸の瀬戸の開削工事を行った際、平清盛が沈む夕日を扇で仰ぐとみるみるうちに太陽が逆行した。
そのお陰で潮流の激しい難工事がたった一日で竣工したというイエス・キリストでもなかなかやらない類の奇跡を成し遂げ、日招き伝説と称されるようになった。
今でも呉の警固屋町にある音戸の瀬戸公園には、清盛公が扇で太陽を招いている像が建っている。
しかしサンブリンガー……太陽を運ぶ者か。少し大仰過ぎる気がしないでもない。
「うーん……大きく出たもんだとは思うが、名前負けしないか?」
「探索者チームは多少ビッグマウスな方が格好が付きますからな。それに拙者の個人的な考えではありますが、闇ヶ淵氏が見た世界の滅びを黄昏に見立てて、そこから人類の命運を招き返す程の奇跡を見せて欲しいという意味も込めておりますぞ」
静香の期待に満ちた目に着心地が悪くなる。
そりゃあ、これまでやってきたあれやこれやは普通の探索者には不可能なレベルの物も含まれているだろう。
しかし、俺の根っこは今でもモブとして生きてきたおっさん警備員だ。いくらお前は英雄候補だと言われたところで、それを真に受けて調子に乗れるような歳ではない。
こうしてチームを結成するのだって俺の中では結構なヤンチャだと言うのに、これ以上はっちゃけるのは正直辛い。
そんな複雑な俺の心境を放置して、美沙は資料を読み進めていた。制服のデザイン集のあたりでページをめくる手を止め、じっくり眺めている。
「企業所属の探索者ってプロスポーツ選手っぽい感じの……目が痛くなりそうなド派手なカラーリングの制服が多い印象っスけど、警備員の制服をベースにしてる……のかな? 色合いもデザインも落ち着いてるっ感じスね。この絵、デザイナーにでも頼んだんスか?」
俺もデザイン画に目を通す。意匠はどことなく警備服を想起させるような、かっちりとしたネクタイ付きの制服だ。冬用のアウターは男性用はチェスターコート、女性用はケープ付きのミドルコートとなっている。
胸の部分にチーム名とロゴマークが入っているし、コートと制服の背面には霧ヶ峰ホールディングスと東洋鉱業の社章が入っている。スポンサー枠だろうか?
しかしこのイラスト、どことなく俺と美沙に似ている気がする。デザイナーに俺らの写真を渡したんだろうか?
「ああ、これですかな? 描いたの拙者ですぞ?」
「……生成AIの自作発言は良くないっスよ?」
「それは流石に失礼でござろう!? 拙者、学生時代は友達がおらずもっぱらペンとノートがマブダチでござった故、イラストは結構得意でござるよ。……時折陽キャにノートをかっぱらわれてクラス中の晒し者にされ、好きだった男子には『君の趣味だから好きにすればいいけど、男同士が絡み合う絵は気持ち悪いと思う』と真正面から否定され……やめましょうかこの話、心が死にそうでござる」
今にも血を吐きそうな顔をしている静香に、さすがに可哀想に思ったのか霧谷さんが肩をさすっている。強く生きろよ。
「あ、そうでござった。あともう一枚追加のデザインがありましてな。これをどうぞ」
静香がさらに茶封筒からプリント紙をテーブルに置く。
ふわふわとしたかわいいドレスが数点描かれており、そのモデルと思われる少女はどう見ても梨々香だ。
よく描けている。梨々香のかわいさをしっかり表現出来ている。額縁を買った方がいいかな?
「静香、俺は何をしたらいい? 足りない素材とかあるか? ダンジョンに行ったらいいか?」
「待った待った、判断が早すぎるんスよ! 何で妹さん絡むとそんなにアホになるんスか!」
「だってこんなの絶対可愛いだろ、妹の幸せは兄の幸せだぞ」
「はぁ……そっスよね、渉さんそういう人っスもんね……で、これはどういう了見なんです? ただ描いてみましたって話じゃないんでしょ?」
美沙が尋ねると、静香はゆっくりと頷いて答えた。
「この探索者チームを受け皿にしようと思いましてな。受け止めるべき物はいろいろありますが、一番は梨々香嬢ですな」
「梨々香を受け止める……?」
「はい。言い方は悪いですが、梨々香嬢には何もありません。授業や自習で知識を詰め込んだとて所詮は付け焼き刃、今の日本に職歴も学歴もスキルもないアラサーとアラフォーの境界をさまよう女性を雇うような職場なんて水商売くらいしかないですぞ」
痛い所を突かれてしまった。梨々香に教育を施してはいるが、結局の所は中卒だ。しかも職歴は何十年も空白のままだ。
昔ほどの学歴社会ではなくなったが、依然として日本の就活はこれまでの生活を重視する。
入院していたからと言え、何故二十年もの間に何もしてこなかったのか? と尋ねられる事は想像に難くない。
「そして梨々香嬢は、経緯はどうあれステータスを持っております。丙種探索者の教科書を貸して欲しいと頼まれた時から、梨々香嬢は探索者の道を進みたがるだろうとは思っておりました。それなら受け皿を用意しておけば、梨々香嬢が探索者を志した時に安全な進路を示せるのではないか? と思った次第ですな」
「ふーむ……そうは言うが、まだ早くないか? ついこの間勉強が始まったばかりだぞ?」
俺が疑問を呈すると、静香は茶封筒から数枚の紙を取り出した。そんなに沢山何が入ってるんだ?
「梨々香嬢には教科書以外の教材を提示しております。弊社が作成した丙種探索者受験用のアプリですな。探索者協会の講習教本を網羅しておりまして、分からない単語もワンタップで意味まで教えてくれるスグレモノですぞ。で、これはそのアプリに入っている過去問出題機能における梨々香嬢の今朝時点での成績ですぞ」
歴史や法令、ステータス関連やジョブ・スキルに関する知識、ダンジョンの特性やトラブルが起こった際のケーススタディ等様々なセクションの問題が用意されているようだ。
梨々香は最初の数回こそ成績が悪かったが、十回二十回と回を重ねる毎に段々と点数を上げていき、最終的には合格圏どころか満点に近い成績を残している。
「頑張ってるじゃないか。スマホ買ってからまだ一週間くらいしか経ってないのに、ちゃんと使えているみたいだ」
「そっスね、ちょっと頑張りすぎな気もしますが……でもこの感じだと試験受けたら合格しそうっスね。あんまり根を詰めてやると体壊しちゃいそうっスけど……ここまで何時間かかったんです?」
「それ、昨晩インストールしたばかりですぞ。満点を叩き出したのはものの数十分ですな」
「は? いや待った、昨日の晩?」
俺は耳を疑った。昼間勉強して、夕飯を俺の部屋で食って、それから朝起きてくるまでずっとアプリで勉強してたのか?
少なくとも、昨日の夕方に今後の話をしていた時は教科書を読んでいた。……アプリを使い始めたのはその後だろうか?
「習熟度の曲線が地頭がいい人間の挙動をしてるんで梨々香嬢自体もスペシャルなんですが、いっちゃんやべーのがアプリの挙動でござる。一回一回テストで間違えた所を確認してる様子が記録されておりましてな……ちゃんと勉強しているんですぞ。ただし、TASでもやっているかのようなスピードで」
「……ああ、そうか。トーカが言ってたな。梨々香、どうやらタイム・ルーラー……原初の種子の力を不随意的に使えるみたいなんだ」
梨々香は初めて一桜達と勉強した日に、知らず知らずのうちにタイム・ルーラーの力を発動させていたようだ。
トーカが原初の種子の気配を感じて梨々香に探りを入れたら、当人は全く発動の意思がなかったものの能力が発動していた事が判明したらしい。
俺の話を聞いた静香の顔にシリアスの色が強く差し、静香は俺に真っ直ぐ向き直って諭す。
「高坂氏。貴殿の意思に依らずとも、梨々香嬢はきっと探索者になりますぞ。梨々香嬢は兄への恩を早く返したいと急いでおられる。月ヶ瀬氏が言うように、この成績は試験を受ければ受かるレベルですぞ。そうなると、常識は無いのに完璧な教科書の知識を持った、原初の種子持ちの探索者の出来上がりと相成りますな」
「……それは……危険だな」
俺達は梨々香に原初の種子について告げていない。強力過ぎる事もそうだが、希少性もまた秘匿せざるを得ない理由の一つだ。
トーカが「妖精の仕業だ」と誤魔化したようだが、そうは言っても正確な表現じゃない。いずれ、きちんと教えなければならない。
俺達は長いウィズダンジョン時代を生きてきたから肌感覚で情報の希少性や特異性を理解出来るが、梨々香は違う。
梨々香にとっては全てが真新しく、どれも等しく勝手の分からない物だ。ダンジョンもステータスも原初の種子も、全て同じ「ふしぎなもの」で一括りにしたらとんでもない事故が起こるだろう。
梨々香の危うさは、無知から来る物だ。すぐにどうにか出来る物ではない。
「そう、限りなく危険ですな。梨々香嬢は何が危険で何がそうでないか分かりません。ならば、我々で囲い込んでしまえば情報漏洩や変な探索者に引っかかる事も防げるのではないか? と愚考した次第ですぞ。囲い込んだ後ならいくらでも教えられますからな」
「なるほど……確かにそうだな。梨々香の事をちゃんと考えてくれて、ありがとうな」
「ま、それもこれも高坂氏に価値があるからとも言えますからな。しっかり働いて頂けたら拙者も頑張りには応えますぞ」
俺が静香に頭を下げると、静香はドヤ顔でふんぞり返った。その偉そうな態度に少し腹は立つが、してもらった事はとんでもなくありがたい。
「……ところで、この資料で気になる所があるんスけど……『イメージキャラクターに大人気アイドルのあの人を起用!』って、これ絶対あかりさんですよね?」
美沙が該当ページを広げて、テーブルに置いた。そこにはふんわりした衣装を身にまとった黒いシルエットの誰かの画像が載っているが……恐らく美沙の言う通り、十中八九あかりだろう。あいつ、何やってんだ?
「人殺しが出た警備会社の親会社を応援するのか? って意見も出る危惧もあるだろうに、あかりもVoyageRの運営会社もよくこんなのやる気になったな」
「VoyageRの運営会社はそもそも雪ヶ原の仕切りですし、あの人高坂氏が絡むと途端にポンコツになるので……ちなみに応援歌もネットで有名な作曲家に発注してるみたいですので、付き合ってあげて欲しいですぞ」
「もはや実業団って言うより、企業所属のプロチームみたいな感じになって来ましたね……まあ、あたし達の仕事はダンジョン行くだけですんで、フロント業務はお任せします」
ため息混じりに美沙が承諾し、俺も頷いた。
その後は詳細を詰め、具体的な活動内容の発表等について決めていった。
かねてよりその処遇を決めかねていたアノニマス・フォックスの正体も、この際バラしてしまって一元化する事にした。
正直言うと、管理が面倒臭い事になってきたので、ライツ関係を静香が取り仕切ってくれるのであれば楽が出来る。
唯一面倒なのは、俺自身の知名度が上がってしまう事だが……もう腹は括っている。
これからは梨々香を守っていかなければならないし、美沙に甘え続ける訳にもいかない。
いつまでもスチャラカ警備員のままではいられない。探索者的にはもちろん、内面も強くならなくては。
ネットやテレビを通じて事前に広報活動を行う必要があるが、実際の俺達のチームの初活動は半月後に予定されているヒロシマピースレイドへの探索者としての参加になりそうとの事だった。




