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【コミカライズ始動】アラフォー警備員の迷宮警備 ~【アビリティ】の力でウィズダンジョン時代を生き抜く~  作者: 日南 佳
第四章

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第61話

 翌日から、梨々香の精密検査とリハビリが始まった。

 精密検査と言っても症状は消滅しているし、リハビリと言ってもステータス持ちとなった梨々香は年相応の身体能力を取り戻していた。

 ……年相応とは言っても、梨々香の場合は戸籍上の実年齢ではなく身体的な年齢である高校生相当だ。

 お肌の曲がり角や慢性的な体調不良に泣かされるような、アラサーからアラフォーへのフライバイが始まる悲しきお年頃ではない。

 しかし医療施設としても症例が少ない奇病が寛解した稀有なケースとして梨々香のデータを取りたいと思うのは仕方のない話だろう。

 梨々香は何の異常も出てこない精密検査と健常者がスタスタ歩いたり軽やかに体操したりするだけのリハビリをこなしつつ、ベッドで横になる生活を過ごしていた。



 俺はと言うと、まだ会社の営業は止まったままだし、やる事もないので美沙を連れて梨々香の見舞いに訪れていた。

 たまに静香も同行して梨々香の体調を確認していた。栄光警備の買収で忙しいだろうに、なんともマメな奴だ。

 あかりは広島のラジオ番組に出演したり、広島の各種スポーツチームを応援する番組のゲストとして出演したりと近場での仕事が集中してしまい、なかなか見舞いに来れずにいる。

 しかし帰宅した時に梨々香の様子を聞いたりと気にかけてくれている。

 心配なのは綾乃だ。島根に帰ってから全く連絡が無い。いつもはどうでもいいメッセージを送ってくるのに、ここまで静かだと調子が狂う。

 もしかしたらお婆さんの病状が芳しくないのかもしれない。当たり障りのない挨拶と近況報告を送って様子を見る事にした。



 そんな暇なんだか忙しいんだか分からない日々を過ごしていたら、梨々香の退院が決まった。

 栄光警備の営業停止が明ける二日前だった。



 § § §



 荷物をまとめ、美沙が量販店で適当に見繕ったワンピースを着た梨々香と共に病室を後にする。今日は俺と美沙だけが付き添いとなる。

 あかりは残念ながら仕事だ。広島の朝のローカル情報番組に出演している。アナウンサーと一緒に大崎上島町を巡った時のロケ映像も併せて放送されるとの事だった。

 退院の処理をしている時に待合室に設置されているテレビを見ていると、大崎上島の特産であるレモンの紹介をしているあかりが映っていた。梨々香は声を上げないよう口を押さえながらも大いに驚いた。

 ……驚くのも無理はない。あかりは梨々香に対して幸村灯里ではなく雪ヶ原あかりとして接していたし、アイドルである事も告げていない。

 転院の手伝いをし誘拐された時に助けに来た奴が実は全国的に名の知れたアイドルだったなどと言われても、にわかには信じられないだろう。



 そうそう、静香は今日も不在だ。

 栄光警備を買収するにあたっての最終段階に入った事もあり、なかなか忙しくしている。退院日にどうしても体が空けられないと悔しそうにしていた。

 あかりのコーナーが終わり、報道センターからのニュースコーナーが始まると、今度は霧ヶ峰ホールディングスが広島の地場産業の活性化に乗り出す旨のトピックスが報じられ、梨々香は再び驚いていた。

 この間まで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた奴が記者会見を報道されるくらいの大企業の社長だなんて、そりゃあビビるだろう。



 半ば放心状態の梨々香を連れて病院前の駐車場に出ると、もうすぐ十月になろうかというのに涼しさとは無縁の蒸し暑い空気が押し寄せてくる。

 約二十年間ずっと空調の効いた病室で過ごしてきた梨々香だが、やはりステータス持ちという事もあるのだろうか。

 この暑さに少し顔をしかめはしたが、大汗をかいたり倒れそうになったりといった兆候は見られない。環境からもたらされるダメージに強くなるのはステータス持ちの特権だ。



「うへー……暑いねぇ、暑さ寒さも彼岸までじゃなかったの?」


「お前が入院した頃と違って、最近の夏場の暑さは軽く人が死ぬくらいだからな。ずっと病室にいたんだから、無茶するんじゃないぞ」


「はーい。……でも私、どこに帰ったらいいんだろ。江波のおうちって、まだあるの?」



 梨々香の言う江波のおうちとは、俺達がまだ家族四人揃っていた頃に住んでいた、広島市中区の江波にあるアパートだ。

 俺が生まれた当時で築三十年くらいのオンボロの集合住宅で、広さも俺がつい最近まで住んでいた栄光警備借り上げのマンションより一部屋多い程度で、四人で住むには狭かった。

 当然の事ながら耐震基準を満たしていない上、雨漏りや家鳴りが頻繁に起こる安普請だったが、家族仲良く暮らしていれば気にならなかった。

 ……しかしそれは仲良く暮らしていけたらの話だ。

 親父が事故で亡くなり、宗教に狂ったお袋の姿が消え、去年久々に様子を見に行ったら人が住んでいる形跡は無く、敷地の入口にはロープがかけられ完全な廃墟と化していた。



 江波のおうちにはもう帰れない。親父もお袋も亡き今、付き合いがある親戚はいない。祖父母は父方母方どちらも逝去している。

 住所不定無職の梨々香が頼れる身内は、もはや俺しか残っていない。

 ……だが、それは織り込み済み。既に梨々香の住所は俺達の住むファーマメント南観音へ変更済みだ。

 七階建てのマンションだが、既に五階分は入居済みだ。この六階を梨々香に充てる事になっている。



「江波の家は廃墟になっちまったから、流石に住めないだろうな。梨々香は俺達が住んでるマンションに住む事になってるから、心配しなくていいぞ」


「お兄ちゃんの住んでるマンションって、つまり警備会社の社宅だよね? 大丈夫? 二人で寝泊まり出来るくらいの広さはあるの?」



 梨々香は怪訝そうな顔で俺をじーっと見つめる。普通に考えたらそんな反応になっても仕方ない。

 これまで生活水準の低い家庭と病院しか見た事のない梨々香だ、安月給の警備員が平家建ての一軒家と同等の広さの家具付き高級マンションに住んでるなんて夢にも思わないだろう。



「大丈夫だ。実際に見た方が早いから、一旦帰ろう」



 辺りを見渡すと、一際目立つピンクの軽自動車が俺達のいるロータリーに入ってきた。月島君の車だ。

 雪沢さんはあかりのマネージャーなので、あかりに仕事が入っている日は動けない。そこで月島君にお出まし願った訳だ。

 梨々香は内装がファンシーな車に喜び、月島君が男だと判明して驚き……退院初日から刺激的な数時間を過ごしている。

 助手席の窓を少しだけ開け、流れ込む風を楽しんでいる梨々香に俺と美沙はほっこりとしていた。

 病院は空調は効いてるが、強い風が吹き込む事は無いからな。強い陽光も車の揺れも、梨々香には全てが新鮮な物のようだった。



 西広島バイパスを通り、庚午ランプでバイパスを降りてしばらく走った所で、車がマンション前の道路に到着した。

 俺達が降りると月島君が車を発進させ、真向かいに出来た砂利敷きの駐車場に入っていった。

 修行に行く前までは高齢のお婆さんが一人で住んでいる一軒家が建っていたはずだが、半月ぶりに帰ったら民家は解体されて駐車場に変わっていた。

 まさかあかり達が呉の時のような強引な根回しをしたのかと疑ったが、実際の所は売家になっていたのを買い取って更地にしたんだそうな。

 あかりも静香も車が必要な仕事なので駐車場を用意するつもりではあったが用地が見当たらず、このような形になったとの事だ。



「おっきなマンションだねぇ……端っこ以外はどこも同じような感じだから迷わないようにしないとだね。どの辺りなの?」



 そう言いながら梨々香が見上げるのは、俺が以前住んでいた方のマンションだ。まあ、うん。普通はそっちだと思うよな。



「そっちじゃない、こっちだ」



 俺は梨々香の肩を叩き、建物の質からして全く違うファーマメント南観音の方を指差す。

 一階につき入り口がたった一つしかないはずなのに異様にデカいマンションを目の当たりにし、梨々香がトートバッグを取り落とした。



「……おにいちゃん、これなんなの? えらいひとのおうち?」


「俺達の家だぞ。俺と、美沙と、あかりと、静香と、綾乃と……今日から梨々香も住む家だ」


「嘘でしょ……こ、こわいよぉ……お兄ちゃん、一体何したの……? 新聞に載るような悪い事したりしてないよね?」


「悪い事はしてないが、新聞には載ったらしいぞ」



 新聞に載ったのは俺名義ではなく、アノニマス・フォックスの方だけどな。

 俺の情報はあかりが抑えてくれているが、アノニマス・フォックスの時は大勢の目の前で大暴れをしてしまったので情報統制が意味を為さなくなったために大いにバズってしまった。

 結果、新聞のスポーツ欄の片隅に掲載されてしまう羽目になった。

 広島城近辺で魔物が出た際に狐の面を被ってテイムモンスター総出で戦った事もあるので、その時にも少し話題に上った事もあるくらいか。

 ……そういやあの時はアノニマス・フォックスとして大暴れしてたはずなのに、梨々香のステータス付与を認める書類には俺の功績として載っていたのは何でだ?

 もしかして公安とか探索者協会にはあの恥知らずな狐面の正体がバレてるのか?



「……まあ、そのあたりの話も暇な時にしてやるから、とりあえず帰るぞ」



 梨々香が落としたバッグを拾い、俺は美沙と一緒にゆっくりとマンションの階段を登って行く。

 少し間を置いて梨々香が追いかけて来た。



「この二階が俺の部屋だ。一階は美沙、三階はあかり、四階には静香、五階には綾乃と住んでる。俺と美沙は毎日居るが、あかりと静香は忙しいからな。居ない時もある」


「そっかぁ、アイドルに社長さんだもんね。……私失礼な事してないかな、大丈夫かな?」


「そんな事を気にするような奴らじゃないさ。……さ、入ろう。麦茶でも出そう」



 俺がドアを開けると、梨々香が完全にフリーズした。

 ……それもそうか、玄関からリビングやキッチンに通じている廊下だけでも以前住んでた江波のアパートと同じくらいの広さだもんな。



「お兄ちゃん、私の寝るとこはこの玄関でいいよ。十分広いし」


「何言ってんだ、お前の部屋はここじゃないぞ」


「あはは、そうだよね。玄関だと邪魔になるもんね。どの部屋を使っていいの? お布団があればどこでも眠れるよ」



 キョロキョロと見渡す梨々香だが……なるほど、根本的に勘違いしているな。



「お前が住むのはここじゃなくて、六階だぞ?」


「ふぇ? ろっかい?」


「だから、この二階のどこか使ってない一室じゃなくて、綾乃の一つ上の階がまるごと全部お前の部屋だって」



 この一言がクリティカルヒットしたのか、ついに梨々香は立ちくらみを起こして倒れた。

 ……流石にショックを与えすぎたか、少し反省している。



 § § §



 駐車場に車を置いた月島君も合流し、リビングのソファに寝かせておいた梨々香も目を覚ました。

 俺は皆に麦茶を出し、梨々香に今後の説明をする事にした。



「まず、必要な物を買う必要があるな。服は俺は分からんから……美沙、頼めるか? ただしよそ行きモードでだ。今着てるようなのは……ちょっとな」



 今日も美沙のTシャツのチョイスがイカれてる。

 普通の人間とめそめそ泣いてい女の子と二足歩行のサイと可愛らしいオーガとケンタウロスの余り物のようなクリーチャーがポップな絵柄で描かれており、「人間! バンシー!! サイ!!! オーガ!!!! 馬!!!!!」とギザギザ吹き出しのキャプションが添えられている。なるほど、人間万事塞翁が馬……か?

 病院でも看護師さんが何人か美沙のTシャツを見て撃沈しているのを見ているだけに……その、何と言うか。とても恥ずかしかった。



「え、月ヶ瀬さんのTシャツかわいいと思うけど……それ、どこに売ってるんですか?」



 梨々香の一言に美沙が爛々と目を輝かせた。とても希少な同じセンスの持ち主と認識したのだろう。

 正直、我が妹がトンチキTシャツの理解者たりえるセンスの持ち主だとは思いたくない。



「でしょー!? イカしてますよねー!? ネット通販で買ってるんスけど、渉さんこれ見て露骨にゲンナリするんスよ……妹さんにも今度買ってあげますからねー!」


「やったー! よろしくお願いします!」



 梨々香は大はしゃぎだがやめて欲しい、うちの妹は可愛いから何でも似合うと思うが、その服の趣味だけは頂けない。



「高坂さん、ご心配なさらずー。ボクもお洋服揃えるのお手伝いしますしー」


「そっちもそっちで心配なんだよなぁ……普段着として使えそうなコーディネートで頼むぞ。可愛い妹が地雷系やゆめかわガーリーや甘ロリなんかでこの辺を出歩く姿はあんまり見たくないからな」


「何だかんだで高坂さんもお詳しいじゃないですかー」


「そりゃあ毎回色んな装いで遊びに来る男の娘が恋人の親戚にいるからな」



 特に月島君とは探索者専用SNSで相互フォロー状態だから、嫌でも情報が流れて来る。

 月島君はこの間、涼やかな透け感のチュールトップスを主軸にした秋コーデと共に、それを煽情的に脱ぐ画像をSNSに上げていた。

 前者は若い女性探索者が、後者の方は大勢の男性ファンが独特なコメントを残していて、かなり引いたのを覚えている。……あ、そうだ。忘れる所だった。



「そういや梨々香の携帯も契約しないとな。無いと不便だし」


「そっスね、連絡手段は必要っスから」


「え、ケータイも買ってもらえるの!? やったー! 私パカ式ケータイに憧れてたんだよねー! 着メロ入れる本も一緒に買っていい?」



 大喜びする梨々香だが、美沙と月島君は何とも言えない表情で顔を見合わせている。

 あれは「微妙に聞いた事はあるけど何のことかハッキリとは分からない」って顔だな。そういや君らはバリバリのデジタルネイティブだったな。

 昔の携帯電話はスマホのように音声ファイルや音楽から範囲指定して着メロやアラームに使うなんて事は出来なかった。メーカーが作ったプリセット曲か自作曲だけだ。

 音楽を聴いて譜面に落とし込む「耳コピ」が出来るのはごく少数、大体の人は着メロブックなる流行曲の譜面が集められた本を買って入力していた。

 ……俺も言われるまでパカ式……折りたたみケータイや着メロブックの事なんてすっかり忘れていた。

 梨々香はガラケーこそが携帯電話だった時代に取り残された、古い価値観の人間だ。

 ……俺は梨々香に悲しいお知らせをしなくてはならない。俺は自分のスマホを取り出し、梨々香に見せた。



「梨々香……お前がよく知るケータイな、今はもう売ってないんだ。今はだいたいスマホっつって……こういうのになっちゃってるんだよ」


「え……嘘、もうないの……? 病院の待合室でみんなが見てたの、あれケータイだったの? 若い子からお年寄りまでみんなアレ使ってるの? 操作するボタンどこに付いてるの……?」


「ちょっと前ならスマホとガラケー……えーと、妹さんの知ってるケータイのキメラみたいなのがあったんですけど、もう使えなくなっちゃってますね。ボタンは無いっスよ、タッチパネル……画面をつついたら反応するんス」



 露骨にショックを受けている梨々香の背中を美沙が撫でさする。

 梨々香が入院していた頃から、時代は急速に発展している。ガラケーはスマホに変わり、電子決済が幅を利かせ、ロボットが飲食店の配膳を任される時代だ。

 見た目は今時の女子高生くらいの年代だが、中身はそこらのおばちゃんよりも世情に疎い。現代の基礎知識が軒並み欠落しているんだからしょうがない。

 梨々香はこれから、飛び越してきた時代の常識を一つ一つ学ばなければならない。大変だろうとは思うが、頑張って欲しい。



「そっかぁ……竜宮城から帰った浦島太郎ってこんな気分だったのかも知れないなぁ。ちょっと……ううん、かなり寂しい」


「逆に考えたらいいんスよ。これから覚える事は全部新しい事、新鮮な事ばっかりっスよ。異世界転生みたいで面白くないっスか?」


「いせかいてんせい……?」


「あー……そういうカテゴリが流行る前かぁ……そもそもスマホ以前だからネット小説って言うよりもケータイ小説全盛期……? どうしよう、あまりにも話題が違いすぎる……」



 ついに美沙が頭を抱えた。思ったよりも世代の壁による話題の断絶は根深いようだ。



 § § §



 美沙が悩んでしまうくらい梨々香に意思疎通にジェネレーションギャップがあったとしても、昼時になれば腹が減る生き物に変わりはない。

 色々買い揃える必要もあり、俺達は買い物ついでに昼食を摂るために出かける事にした。

 我々広島市民が「市内」と呼ぶ、最も栄えている紙屋町周辺に出張れば買い物も捗るのだが、今はそこまで余裕が無い。

 とりあえずの間に合わせの買い物ばかりなので、近場である商工センターのショッピングモール「レスト」に向かう事にした。

 レストは比較的新しい施設で、周辺道路の関係上入場が少し面倒な所だが、大きなフードコートもあるし、テナントも聞いたことのあるラインナップで買い物がしやすい。



 月島君に車を出してもらって十数分、現地周辺に差し掛かると、窓から景色を見ていた梨々香が何かに気が付いたのか、俺に話しかけてきた。



「お兄ちゃん、もしかしてここって昔サーカスが来てた所じゃない?」



 俺は少しだけ驚いた。梨々香が覚えているとは思っていなかったからだ。

 ここはかつて、海と島の博覧会……通称・海島博のメイン会場として整備された土地で、博覧会が終わった後の空き地に世界最大規模のサーカス団が大きなテントを建てて公演を行っていた。

 まだ梨々香が小学生に上がるか上がらないかくらいの頃に、一度だけサーカスを観に行った事がある。

 親父が会社の社長からチケットを貰ったとかで、俺達みたいな貧乏人が見るには上等過ぎる指定席で、猛獣ショーやアクロバットを観覧したのを覚えている。

 懐かしいな、家族全員よそ行きの服でおめかしして行ったんだった。親父だけは服に無頓着だったから、会社の作業着だったが。



 サーカスが広島に来なくなってからは長らく手付かずの土地だったが、広島に本社を置く大手スーパーがショッピングセンター建設計画をぶち上げ、竣工したのが大体十年前だ。

 全国チェーンのホームセンターが核店舗として入り、オシャレな本屋がテナントに入ると大々的に宣伝していた。俺はあまり来た事がない。



「よく覚えてたな。ここは昔サーカスが来てた所だ」


「川沿いからの景色に見覚えがあったからね。……そっか、こんな立派な建物が出来ちゃったかぁ……ねぇ、あのサーカスってまだやってるのかな?」


「ついこの間来てたぞ、場所は違う所だけどな。次来るとしたら数年後になるんじゃないか?」


「間に合わなかったかぁ……残念だけど、ちょっとだけ安心したかも」



 梨々香は窓から視線を外し、遠くを見つめる。それは風景ではなく、遠い昔に見た記憶の中のサーカステントを眺めているようだった。



「私ね、病院から出て来た時、私の知ってる世界とは全く違う世界に出て来ちゃったんじゃないかなーって思ってたんだ。あかりさん達の事とか、スマホ? の事とか、知らない事ばかりでさ。……でも、私の思い出の中にあるサーカスが、今もまだ残ってるのが嬉しいなって。私のいた世界が続いてるんだなって、そう思えるんだよね」


「梨々香……」


「ね、お兄ちゃん。もしまたサーカスが来たらさ、みんなで観に行こうよ。月ヶ瀬さんも、あかりさんも、静香さんも綾乃さんも誘ってさ。みんなでライオンとか見ようよ」


「そうだな、みんなで行けるといいな。その時は月島君も一緒にどうだ?」



 俺が月島君に話を振ると、月島君は軽く笑いながら返事をした。



「あははー、ボクはどうしましょうかねー。常日頃アクロバットやってる猛獣みたいな人が四人くらいいるんで、正直言って毎日がサーカスみたいな物なんですよねー」


「ふーん、それって誰の事っスかね?」


「筆頭でしょ? 千沙さんでしょ? 師匠でしょ? でも一番厄介で手がつけられなくて恐ろしいのは美沙ねぇ……ひっ」



 ずっとスマホをいじっていて会話に入っていなかった美沙の事を完全に失念していたからこその月島君の失言のせいで、車内の温度が五度ほど下がったような錯覚が俺達を襲う。

 美沙の手元からミシミシと音がする。スマホを握りしめるのをやめなさい、探索者用の高耐久モデルのはずなのに悲鳴を上げてるぞ。

 梨々香も車内の状況を見ないフリして車窓をガン見している。



「そっかそっか、最近ちっひー調子良さそうだから丁度いいや、妹さんの買い物終わったら久しぶりにみっちりと稽古をつけてあげようねー」


「えっ、いや、その」


「それともアレかな? 一番厄介で手がつけられなくて恐ろしいあたしとの組み手は嫌かな? ん? どーなんだい? ちっひー? 申し開きがあるなら言ってごらん? なーんか都合が合わないとか言っていつも逃げ回ってるけど今日ばかりは逃がさんぞー?」



 とても明るい口調となかなか見ることのないニッコニコの美沙だが、「泣いたり笑ったり出来なくしてやるからな」という決意がありありと見える程の濃厚な殺気が漂っている。

 月島君がハンドルを握ったままボタボタと脂汗をかいている。運転中に脅すのは辞めてほしい、事故られでもしたら大変だ。

 一つだけ安心出来るのは、ちょうど今駐車場の空きスペースに車が停まったので、事故を気にしなくて済んだ事だ。

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