閑話12 月ヶ瀬美沙は解き放たれる
【Side:月ヶ瀬 美沙】
修行開始から六日目。今日もあたしは朝食の片付けが終わると「深淵の問答」と呼ばれる洞穴へと向かう。
修行には全く関係ないが、今日の朝食はハムエッグトーストを用意した。父上も渉さんも美味しそうに平らげていた。
渉さんのハムエッグトーストにだけ、こっそりチーズを隠してあるのは父上には内緒だ。父上、ちょっとした事でもたやすくスネちゃうから。
渉さんの部屋へ押しかけ女房をやってる時に気が付いたが、渉さんは割とチーズが好きだ。惣菜パンや外食だと結構な頻度でチーズ入りの物を選んでいる。
本人に指摘したら気付いていなかったようで、もしかしたら無意識的かつ短期的なマイブームなのかも知れない。
とにかく旦那さんの潜在的な好みも把握して、期待に応えるのがお嫁さんというジョブだ。遠い昔に母上がそう宣っていた。
その割には母上の料理は殺人的……やめよかこの話。家庭に不和を持ち込むべきではない。
ともかく、あたしはルーメン数がインフレしている米国製のマグライトで足元を確認しつつ、奥へと進んでいく。買ったは良いけど使う機会がなかった奴だ。
この深淵の問答はぐねぐねと曲がりくねっているものの、その実ただの一本道だ。迷路になってなくて本当に良かった、絶対迷ってしまう。
最奥には空気の通り道になる穴がいくつか空いているだけで光は存在せず、明かり無しでは躓いたり壁にぶつかったりするのを避けられない程の真っ暗闇だ。
十分程かけて最奥の行き止まりに辿り着いたあたしは毛布のカード化を解除して地面に敷き、その上で座禅を組み、耳栓をした上で父上から頂いた原初の種子「ユザーパー」を取り出した。
ここは昔から己と向き合う場所として使われてきた。迷いと向き合い、己を律し、心を鍛える為にここで瞑想する。
人間は五感に頼って生きている。逆に言えば、常に五感が働いている状態だ。
そこで、強制的に五感のうちの幾つかを奪う。目を抉り出したり鼓膜を破る訳にはいかないので、暗闇に身を置き、耳を塞ぐ。
そうする事で第六感、普段は欠片程にも存在を感じない超感覚を呼び覚ます……という事らしい。
こんな話を娑婆でしようモンなら、スピリチュアルやニューエイジ、はたまた座禅を組んで空中浮遊する類のカルト宗教の関与を疑われそうだ。
だが、ここは月ヶ瀬が遥か昔からずっと守り続けて来た神秘の地、御山だ。この地ではいかなる胡散臭いペテンも有り得てしまうのだ。
あたしは手の中に転がる原初の種子に意識を集中した。さて、どんなアプローチを試してやろうか。
これまでの状況を思い出しながら、何か効果的な手段はないかと考えた。
一日目はただ握りしめて気を送ってみたが反応しなかった。二日目は殺気を放ったりオーラに同調しようとしてみたが効果無し。
三日目にはヤケになって食べようと口に含んでみたけど体が受け付けなかった。マズいとか硬いとかじゃなくて、何故か飲み込めなかった。
四日目に月ヶ瀬の血の力を発動させる呼吸法を試みたら、原初の種子はこれまでにない程の激しい反応を見せた。バチバチと放電したので思わず放り投げてしまった。
父上が言っていた「魔を討つ者の血と拒絶反応を起こすかも知れない」って、これの事かぁ……と、少し悲しい気持ちになった。
それでもあたしは、原初の種子を諦める訳にはいかない。あたしは渉さんの隣に居るために命を捨てるつもりで修行してきた。
それなのに、戦う力が無いから戦力外通告されるなんてあまりにも辛すぎる。置いてかれる未来を想像するだけで既に泣きそうなんだけど?
良妻賢母でいるつもりではいるが、決戦に赴く渉さんの帰りを家で祈りながら待ってるヒロインポジションは嫌だ。渉さんの相棒の座をあかりさんに渡したくない。
とは言え、泣いたって問題は解決しない。あたしは考えつく限りの方法で原初の種子のご機嫌を取る。
お湯でふやかすのは既に五日目の朝にやった。硬いままだった。ビー玉をお湯で茹でたような感じで、何の意味もなかった。
神水の坩堝から汲み上げた水に浸けてみたりもしたが、キラキラと輝くだけだった。少し綺麗だった。
撫でたり褒めたりありがとうを伝えてみたが全部ダメ。一体何がいけないと言うのか。
そもそも、これをどうやって取り込めばいいんだろうか? 食べようとしても飲み込めないんだし、経口接種で体内に取り込めないんだからお手上げだ。
……まさか、口以外の穴から入れろなんて無理難題を押し付けたりしないよね……? いや、それも違う気がする。
どっちにしても「これを取り込むなんてとんでもない!」と体が拒絶してるんだからしょうがない。
とりあえず今日は、原初の種子をへその穴に突っ込んでみる所から始めてみた。少しひんやりする。
……一体あたしは何やってるんだろう。何なんだろう、この謎の時間は。
いやいや、冷静になってはいけない。もしかしたらこれが正解の可能性だってあるんだから。
……結論を言うと、当然ながら不正解だった。まあそうだよね。分かってた。
§ § §
全く成果が出ない事に業を煮やしたあたしは早めに切り上げ、ベースキャンプで昼食の準備をした。
今日は気分が乗らないので袋ラーメンに真空パックに入ったチャーシューを乗せた物にする。たまにはこんな日があってもいい。
太陽が真上に差し掛かる少し前、父上と渉さんが帰ってきた。
初日は動けなくなって寝ながら泣いていた渉さんを見かけて気が動転しそうになったが、翌日からはふらふらしながらも自力で歩いて戻って来た。
今日に至っては二人とも走って帰ってきた。流石に渉さんは顔色が悪そうだったが、それはしょうがない。あの黒波、本当に痛いもんね。分かる分かる。
ゲームでありがちな酸によるコロッシブダメージを死なずに受けられる貴重な体験だ。あたしはもう二度と体験したくないけど。
「うーーーん、分からん……マジで分からん……」
ラーメンを啜りながら悩んでいる渉さんに、あたしはチャーシューを一枚追加しながら話しかけた。
「何が分かんないんスか?」
「どうやっても黒い水から逃げられないんだよ。途中で崖みたいになってるだろ? あそこ、どんだけ頑張って登っても間に合わなくてな……今日も何度も溶かされたよ」
あたしは咄嗟に父上の方を見る。父上は少し悩むように瞑目した後、小さく頷いた。
今回の修行は、父上発案だ。つまり育成方針は全て父上の計画のもと行われている。
あたしが勝手に渉さんにアドバイスをする事で、父上が想定していたマイルストーンを台無しにしてしまう可能性がある。
なので、父上に「これあたしが教えてもいいんスか?」とアイコンタクトを取ったと言う訳だ。そして父上も頷いたのでゴーサインが出た形だ。
「渉さん、あそこは魂と言うか、精神体だけで行く空間なんスよ。それは分かります?」
「ああ、空也さんから説明を受けてるよ。おかげで走っても息も上がらなくなったし、疲れる事も無くなった。黒い水に触れるととんでもなく痛いが」
「じゃあ、何で登ろうとしてるんです?」
渉さんはあたしの言わんとしている事を理解出来ていないのか、きょとんとしている。
「だって精神体なんスよ? それにあの世界は物理法則に支配されてる訳じゃないです。全ては本人の思うがままなんスよ」
「……おい、待て。それじゃあまさか……」
渉さんはどうやら、やっと思い至ったようだ。そう、別に崖をえっちらおっちらと登る必要なんてない。もっと単純な方法がある。
「父上は早く逃げろと言いますけど、崖をよじ登れとは言ってませんよね? 崖を走って登ればいいんですよ。崖に対して垂直に重力がかかってると思えばスイスイ登れますよ」
「そう言う事か……やけに水面の上昇が早いと思ったが、よじ登るんじゃなくて走って登る事を想定してたのか……」
「はい。後は渉さんがどこまでイメージ出来るかっス。明日か明後日には攻略出来るんじゃないスかね?」
どちらにしても、渉さんが今日もう一度彼岸の神棚に行く事は出来ない。あの修行は長い事やり過ぎるとこちらへ帰って来れなくなる。大体六時間が限界だ。
心の方は午前中にたっぷり頑張って来たんだから、後は無力の岩床で体を鍛えて、神水の坩堝で疲れを癒すコースで過ごしてもらいたい。
「そういや、美沙の方はどうなんだ? 原初の種子は取り込めそうか?」
渉さんがラーメンを一口啜り、あたしに尋ねる。……こっちも行き詰まっている事だし、素直に悩みを打ち明ける事にした。
「全くダメなんスよね。原初の種子の魔力と月ヶ瀬の血の力……うちの先祖に神様がいるらしくて、その神様の力らしいんスけど、神気が魔力と競合しちゃってると言うか、拒絶反応が出てるんスよね。原初の種子を取り込むの、無理なんスかね……」
あたしが思わず弱音を吐きそうになっていると、渉さんは腑に落ちない表情をしていた。
「なあ……もし魔力を受け入れられない体質なら、どうしてステータスが取得出来たんだ?」
「え、ステータスっスか?」
「ああ。ステータスシステムもスキルシステムもダンジョンのシステムであり、魔力に関係してるってトーカが言ってたろ? 実際美沙は魔剣士としてダンジョン潜ってたし。月ヶ瀬の力と競合するなら、ステータスも弾かれるはずだろ?」
言われてみればそうだ。普通に魔法を使っていたし、何ならステータスも魔力の産物だ。
どういう理屈ですり抜けたのか分からないが、確かに魔力と月ヶ瀬の血が混在している状態になっている。
じゃあ何で、原初の種子に対して拒絶反応が出たんだろう?
「うーん……でも原初の種子の拒絶反応が出てるのは確かだし……取り込む方法が……」
「……美沙はステータスのカスタムって、やってるか?」
渉さんが不意にそんな事を聞いて来たせいで……えーと、誰だっけな……あたしを手篭めにしようとしてた……あの……名前忘れちゃったなぁ……ああそうだ、越智の事を思い出してしまった。
越智は違法カスタムステータスと呼ばれる、安全上のリミッターを解除する能力強化システムを追加出来る改造行為を行っていた。
渉さんは越智の仲間である十数人の違法カスタムステータス導入者を敵に回して、一切手傷を負わなかった。
いやあ、やっぱり渉さんは素敵だなあ、流石あたしの旦那さん(予定)である。
本来であればもっと大変な事になっていたかも知れないが、あかりさんのバフのお陰で助かった。
そう言えばあかりさんの原初の種子の訓練はどうなってるだろうか? 多少沼ってて欲しい。
話を戻そう。
違法でないステータスカスタムも存在しており、あたしもデジタルネイティブの端くれ兼探索者としていくつかインストールしている。
あたしはアラームとレベルアップ通知機能と自動マッピングを常用している。結構便利だし、スマホを開いていられないダンジョン巡回中には重宝している。
「はい、違法じゃない奴をいくつかインストールしてますが……それが何か?」
「俺はやった事無いが、アレってデータを書き込んである魔石をカード化して、ステータスの書き込みデバイスを使ってインストールするだろ? その要領で原初の種子をカード化してステータスに書き込んだらいけるんじゃないか?」
原初の種子をそんな手でねじ込める訳が……と一瞬思ったが、なかなかどうして、案外悪い手ではないかも知れない。
むしろ月ヶ瀬の血を回避して実装されたステータスをエクスプロイト扱いして導入ルートにするのは思いつかなかった。旦那様流石です。しゅき。
「……ちょっとやってみましょうか、今なら何か起こっても父上がいますし」
あたしは自分のテントに戻り、カードケースからカード化しているステータス書き込みデバイスを持って来た。
これはカード化した魔石を読み取るためにダンジョン産の素材を使っているのであたしでもカード化が可能だ。
「それじゃあ、やってみますね」
まずはステータス書き込みデバイスをカード化から戻す。まるで血圧計のような腕に巻き付けるタイプのデバイスだが、血圧計と違うのはカード挿入口と複雑な操作が出来るタッチセンサー付きの液晶ディスプレイが備わっている事だ。
ステータス書き込みデバイスを腕に装着し、原初の種子をカード化した後、デバイスへとカードを挿入した。
しばらく応答が無かったが、液晶ディスプレイに文字化けの表示と共に「インストール開始」と書かれたボタンが出現した。
「……インストールできるみたいっスね」
「気をつけろよ、俺が原初の種子を取り込んだ時は気絶するくらい痛かったからな」
そう言えばステータス取得の時、渉さんは絶叫して気絶したんだった。
あの時はどうにか救護室に運び込んで、渉さんの胸に顔を擦り付けたり思う存分抱きついたり匂いを嗅いだり意識のない渉さんの手を勝手に使って頭を撫でてもらったり大変お世話になりました。
今は要求したらすぐに頭を撫でてくれるから、渉さんが気絶する必要は無くなった。
とは言え、ぐったりしてる渉さんを好き勝手出来るあの背徳感も捨てがたいので、もっとカジュアルに気絶してもらっても構わない。
この修行中に何度も渉さんのテントに忍び込もうとしたけどその度に父上が邪魔してくるから欲求不満です。辛いです、渉さんが好きだから。渉さんも彼女がこんな辛い思いをしてるんですからここは彼氏として誠意を見せるシチュエーションなんじゃないんですか? そんなに父上が怖いですか? いやごめんなさいあたしも父上は怖いです。だけど今こそ一歩踏み込んで愛する彼女を激しく求める獣欲を発散させるべきなんじゃないでしょうか? ほらほらこんなに可愛くていじらしくて一途な彼女なんて今の日本を探したところでそんなに居な
「美沙? 大丈夫か? さっきから表情が凄い事になってるが……怖いならやめとくか?」
「だだだ大丈夫っスよ!? 女は度胸、一発ブチかましてやる所存っスよ!? 乙女の生き様を見とくがいいっス!」
危なかった、途中から思考が暴走していた。それどころじゃなかった、反省反省。
あたしはえいやと気合いを入れて、インストール開始ボタンを押した。
そこで、あたしの意識は途切れた。
§ § §
体調が悪い時に見る夢、とでも言うべきか。
極彩色のフラクタル模様が次々に様相を変える不思議な空間で目が覚めた。とにかく激しい色使いのせいで目が痛い、少しは加減してくれないだろうか。
……そもそもあたしは本当に目が覚めたんだろうか? 御山にこんなサイケデリックな場所は存在しない。
よもやこれが三途の川や賽の河原だなんて事もないだろう。足もあるし頭につける三角のアレや天使の輪っかも見えない。
頬をつねってみたが、痛みは無い。と言う事は十中八九夢の中だろう。ここまでド派手な明晰夢を見た事は無い。
《我が係累たる月ヶ瀬の子孫よ。我が血を色濃く受け継ぎし特異なる娘よ》
突如、あたしを含めた空間全体に男性とも女性とも取れる中性的な声が響く。まるでこの空間とあたしが融合しているような奇妙な感覚に名状しがたい気持ち悪さを覚え、少し眉を顰める。
《我が真意に辿り着いた聡明なる子よ。相容れぬ神と魔の力をその身に宿す禁忌に至った愚かしき子よ。我が問いに答えよ》
この声の正体は何となく察しがつく。昼食の時に少しだけ話した「月ヶ瀬のご先祖様」だろう。
大昔、かつて日本がまだ「日本」と呼ばれていなかった頃。うちのご先祖様には神様が混じっていたそうだ。
口伝では武芸に秀でた男が女神様と交わり生まれたのが月ヶ瀬の始まりとの事だった。
まあ、広く世界に目を向ければアダムとその肋骨で作られたイブの話もある事だし、天皇陛下だって初代の神武天皇の父親は天照大神の孫であるニニギノミコトとされている。
だから先祖に神様がいると言われても「だからどうした」としか思わない。特にうちはそういう家だし。
とにかく、月ヶ瀬の血を引く人間がやたらと強いのは、脈々と受け継がれてきた神様の力を限定的に利用できるから……らしい。
しかし、どうもおかしい。神様の血を色濃く受け継いだ特異な娘と言っていたが、あたしは渉さんに出会うまで血の力に目覚めることが出来なかった月ヶ瀬のみそっかすだ。人違いでは?
どうにも腑に落ちないが、あたしをペテンにかけるつもりであるならともかく、一応ご先祖様を匂わせる声に失礼な事は出来ない。
あたしはゆっくり頷いて、答えた。
「分かりました。どうぞ、ご先祖様」
《我が子孫よ。お前は何故その身に魔の源泉たる種子を取り込もうとした?》
「そうしないと、渉さん……愛する人と並び立つことが許されないからです」
《月ヶ瀬は魔を討つ血脈。その身に魔を宿す事は自らを滅する事になったやも知れぬ。それを恐れはしなかったのか?》
「あたしは、愛する人の側にいたいです。必要とされたいんです。あの人の側で戦えないなら、あたしに生きていく意味なんてありません。月ヶ瀬の力では戦えなかった、だから原初の種子に手を伸ばしました」
我ながら酷い事を言っていると思う。お前の所の製品が役に立たないんで他社製品を買いましたとカスタマーセンターにクレームを入れるような物だ。怒られても仕方ない。
とは言え、あたしのようなみそっかすを生み出したご先祖様にも落ち度がある。こんな事にならない様にきちんと才能を分配してくれないと困る。……それがとんだ言いがかりであることもきちんと理解はしているが。
《最も新しき真なる月ヶ瀬よ、お前は勘違いしている。お前に流れる我が血脈の力は封印されていた》
「は? 封印? 何でそんな事……? と言うかその言い方だとあたしの力を封じた第三者がいるような口ぶりですけど?」
《まだお前が赤子だった頃、強力な呪術によって血の力が封じられた。強き想いによって封印の一部が弾けたようだが、未だお前の力の大半は封じられたままだ》
いや待った、聞いてない。そんな話はマジで聞いてない。父上からは「お前には才能が無いから諦めなさい」としか言われていない。
一体誰が? 何の為に? それじゃあ、あたしが死に物狂いで吉島ダンジョンに潜っていたのは何だったんだろうか?
それに今でも大半が封印されてるって言った? ちー姉様には負けるが、そこそこ戦えてる現状が限界じゃないとでも?
《神気を自在に操れれば、魔の力の影響を受けぬ。態々魔の力を取り入れる必要は無かった……が、道程は違えど我が思惑に至った事に違いは無い》
「ご先祖様の思惑って何なんです?」
《真なる月ヶ瀬の使命は魔を討つ事ではない。神にあっては神を討てず、魔にあっては魔を討てぬ。双方併せ持ち、人に仇成す神をも魔をも討ち滅ぼす、牙持たぬ人々を守護する事こそ月ヶ瀬の到達点。その力こそ神魔合一である》
「そんな事言われてもあたしは月ヶ瀬の末妹だからおっしゃるような壮大な使命なんて知ったこっちゃないですし、渉さんが無事ならそれでいいんですけど」
ご先祖様が勝手に盛り上がってる所申し訳ないが、月ヶ瀬のお仕事はちー姉様がやってりゃいい話だし、あたしは渉さんの側にいる為に望んで警備員になったんだからわざわざ転職するつもりはない。
月ヶ瀬の仕事は結構大変で、魔の者が現れたと一報が入れば南は沖縄、北は北海道まで日本全国を駆けずり回って一匹残らずシバキ倒すという脳筋ここに極まれりといった感じの業務内容だ。
ちー姉様や父上みたいな超越者は新幹線みたいなスピードで山を飛び谷を越え宅配ピザくらいの感覚で迅速かつ的確に死をお届けするのだが、あたしには無理だ。
そもそも渉さんの側を離れたくない。これが面接だったら転勤不可の欄にチェックマークを付けている所だ。
《案ずる事はない。お前の懸想人……今現世にて倒れたままのお前の手を握ってお前の無事を祈念している高坂渉は世界の宿命が収束する特異点、滅すべき悪しき神も魔もその下へ寄って来よう。彼の者の側に居れば、真なる月ヶ瀬の使命も果たされよう》
「あ、それなら別に問題ないです。てか、手を握ってくれてるんだ……やっぱり優しいなあ、えへへ」
手を握ってくれている渉さんを想像すると、ほっぺたが緩くなってしまう。あたしは両手を自分の頬にぐりぐりと押し付けるようにして揉む。
あたしだったら何しでかすか分からないのに、渉さんは紳士だ。目覚めのキスくらいならしてもいいんですよ?
いや、父上がいるから何もしでかせないのだろうか? 気にしなくていいのに。いや気にするか。
しかしやっぱり倒れてたのか、あんまり心配かけたくないからさっさと目覚めたい。
「父上も渉さんも心配してるでしょうし、他に話がなかったらそろそろ起きたいんですが……いいですか?」
《では手短に話を進めるとしよう。今のお前には魔の源泉が組み込まれている。比べて月ヶ瀬の力はまだ封じられたまま……これでは神と魔の釣り合いが取れぬ》
そう言えば、ご先祖様の言う事にはあたしの力は封じられているとの事だった。……あたしは全く自覚が無かったが。
《よって、お前の力の封印を解く。これによりお前は我が力を十全に使える様になるだろう。お前の父……月ヶ瀬筆頭に第四相、そして神魔合一について尋ねよ》
「第四相に神魔合一……はい、わかりました。しっかり聞いておきます」
《そして、お前に餞別を贈ろう。神にも依らず魔にも依らず、お前の思う様に力を込められる刀、その銘は「月虹」……大事にせよとは言わぬ、大いに使うがいい》
フラクタル模様の空から、黒塗りの鞘に入った日本刀が一振り落ちてきた。反射的に引っ掴んでしまったが、くれると言うのだから素直に貰っておこう。
刀身を確認する為に鞘から抜いてみたが、ガラスのように透明な刀身にオパールのような遊色効果の虹色が漂っている。……これ、耐久性大丈夫なんだろうか? 叩きつけた瞬間、ガラスよろしく砕けたりしない?
あと、こんな夢の中で貰った所で持ち出せなかったら何の意味もない。そこの所はどうなってるんだろう?
「え、でもこんな所で貰っても意味が無いのでは? この刀って持って出られるんですか? あとこの刀、ガラスか何かですよね? 使えるんですか? 割れたり砕けたりしません?」
《お前がどこにあろうと、念ずれば現れ、また念ずれば消える。我が加持によりて刃は綻びず、折れず、損なわれぬ。好きに使うがいい、長い間力を貸せなかった詫びの品だ》
「何それめっちゃ便利……ありがとうございます、上手い具合に活用します」
あたしは試しに月虹に「一旦撤収せよ」と念じてみた。すると刀は音もなくスッと消え失せた。なるほど、こんな感じか。悪用したらえらい事になりそうだ。
例えば丸腰のままで政府高官のいる所に忍び込んで問答無用とばかりにズンバラリと斬り伏せる事も可能だ。
まぁ、それをやってしまうと渉さんと二度と会えなくなってしまうのでやらないが。
《では、そろそろお前を現世へ戻そう。……その前に》
考え事をしていたあたしはご先祖様の声にふと我に返った。
「はい、何でしょう?」
《お前の父を恨むでないぞ。全て理由がある》
「……はい?」
父上を恨む? どうして? 確かに幼年期に姉様達と同じ月ヶ瀬として扱われなかったのはかなり辛かったが、別に恨む程の事じゃない。
《お前の血に封印を施すよう決めたのは、お前の父だからだ》
「……は?」
視界が白く染まっていく。この夢から覚める時が来たんだろう。しかしあたしの心は過去最大級の混乱の只中にあり、それどころではなかった。
極彩色のフラクタルから色が失われていき、真っ白に染まり……意識が暗転した。
§ § §
ゆっくりと目を開く。どうやらベースキャンプに毛布を敷いて、そこに寝かされていたようだ。
あたしを覗き込むようにして、父上と渉さんが心配そうな顔を向けている。
「美沙、大丈夫か!?」
「あれからずっと倒れてたから、昼の修行は中止にして様子を見ていたんだ。みーちゃん、大丈夫? どこか体におかしい所とかはない?」
あたしはゆっくりと体を起こして、手を握ったり閉じたりしてみる。異常はない……どころではない。体調が良すぎる。
今まで感じられなかった莫大な力の奔流が体中を駆け回っている。ともすれば暴走しそうなそれは、月ヶ瀬の血の力だけではない。
あたしは父上に顔を向けて、尋ねた。自分の心を押さえつけるように、ゆっくりと。
「父上。お尋ねしたいことがあります」
「何かな、みーちゃん」
父上はあたしの雰囲気を察したのか、真剣な表情で受け答えをする。あたしは……溢れてしまった涙を袖で拭いて、質問を続ける。
「あたしの血に呪術で封印を施したのは、どうしてですか」
「!?」
父上の表情が悲しみとショックを同時に受けたように歪んだ。それはあたしがするべき表情だ。
ずっと自分が不出来だからこんな目に遭ってるんだと思っていたのに、それが父上によって作為的に引き起こされた物だったなんて。一体どうして?
「……どこでそれを?」
「夢の中にご先祖様が出てきました。筆頭に第四相と神魔合一について尋ねよと。あたしの封印を解いてくれて、お土産の刀も貰いましたよ」
「古文書の通りか……分かった。みーちゃん、ちゃんと説明するよ。みーちゃんを傷付けしまったのは、ちゃんと説明しなかった僕の責任だ。渉君は……もう部外者じゃないもんな。一緒に聞いてくれると、助かる」
父上はすっくと立ち上がり、彼岸の神棚や無力の岩床のある山道の前まで歩き……あたし達に向き直った。
そして何かを決心したような面持ちで、あたし達について来るよう促した。
「……無力の岩床へ行こう。君達には聞く権利があり、僕には話す義務がある」




