第51話
空也さんがうちに来た翌日、会社が営業停止処分を受けてしまった。そうなる可能性は非常に高かったが、あまりにも早すぎる。
普通は営業停止になるにしてももう少し猶予があるはずだが、それだけ世間に対して早急に厳格な姿勢を見せる必要があったという事なのだろうか?
とにかく、渡りに船とばかりに空也さんの修行の申し出を受けた俺達は、食糧や生活用品、寝袋といったキャンプ用品をしっかりと用意した。水は現地調達出来るので不要との事だった。
現地にスーパーとか無いのか? と美沙に聞いてみたが、車を置いておける麓から修行を行う予定の場所まで半日は歩く事になるので買い出しは現実的に無理だそうだ。
美沙も以前一週間程修行したそうだが、最後の方では水も食糧も尽きたので山に自生している果物や動物を食ったり湧き水を汲んで沸かして飲んだりしていたそうだ。
普通であれば一ヶ月分の食糧なんてクーラーボックスがあってもすぐに傷んでしまうし、そもそも多すぎて持ち運びが難しい。飲用水なんて三日分が関の山だ。
だが俺は魔力を帯びていない物品もカードに出来る。まるでラノベに出てくるアイテムボックスのように時間経過も無いので、傷んだり腐ったりしない。
そして何よりかさばらない。一ヶ月分の野営セットもカードゲームのデッキケース一個あれば事足りてしまう。
俺と美沙はラッシュガードに長ズボン、足元は少し値の張るトレッキングシューズといった感じの「これから山籠りします」と言ったら怒られそうな装いで居残り組に出発の挨拶をした。
「それじゃ、行ってくる。そっちは頼んだぞ」
「はーい、こっちはしっかり試験受けて来るからねー」
「梨々香嬢については心配ご無用ですからな、何かあれば雪ヶ原の連絡要員にお願いする手筈になっておりますぞ」
綾乃と静香がにこやかに手を振っている。……綾乃の目のクマがコンシーラーでも隠し切れなくなっている。そんなに寝てないのか? 適度に休んで欲しい。
二人の探索者講習会は明日だ。結果を確認出来ないのは残念だが、帰って来たら何のジョブになったか聞かせてもらおう。
「高坂さん、お気をつけて。月ヶ瀬の御山は危険な場所ですから……」
「ああ、注意する。あかりも種子の訓練頑張ってな」
今朝方岡山より帰還したあかりから差し出された手を握って挨拶を交わしていると、俺達の真横にトーカが現れた。
「当個体が責任を持って訓練に付き合いますのでご心配は無用です。目標に到達出来るかどうかは個体名:雪ヶ原あかりの聞き分けの良さにかかっていますが、勝手な事をしでかさない限り問題ないでしょう」
トーカがいつも通りの無感情な声色で辛辣な評価を投げつける。あかりはその無遠慮な物言いに口の端をひくつかせながら俺に尋ねる。
「あの、高坂さん……この子、なんでいっつも私にはアタリが強いんでしょうか……?」
「ほら、ホテルの会議室で言ってただろ? お前らの企みのせいでトーカの育成カリキュラムが大幅に狂った事をまだ怒ってるんだよ。……トーカ、そろそろ許してやってくれないか?」
俺がトーカに許しを請うと、トーカは瞑目しながらため息を一つつき、「しょうがないですね」と言いたげに肩をすくめた。
「承知しました。当個体は愛らしくもありながら知性と品性を兼ね備えている瀟洒なサポート人格ですので、個体名:雪ヶ原あかり他二名のこれまでの愚行を水に流す事もやぶさかではありません。今後は当個体の邪魔だけはなさらぬようお願いします」
「高坂さん、何でこの子こんなに偉そうなんですか……?」
「それは……俺も分からん、こいつ俺にも辛辣なんだよ」
俺とあかりがトーカに聞こえないようひそひそと話していると、一台の黒塗りの高級車が敷地の外に止まるのが見えた。
車から降りてこちらに歩いて来たのは……これまで見たことないくらいにかっちりとフォーマルなスーツで身なりを整えた月島君だった。
「筆頭、お久しぶりでございます」
「やっほ、千紘君。元気してた? みーちゃんから聞いたけど、かずちゃんが迷惑かけてるみたいでごめんね?」
「はい、お陰様で……筆頭、申し訳ありません。万沙様は数日前から旅に出ておりまして……」
「いいよいいよ、どうせかずちゃんの事だし、僕に合わせる顔が無いからって逃げたんでしょ? 今度の正月には一度旦那さんを連れて実家に帰るように言っといてねぇ」
礼儀正しく挨拶する月島君に対して、空也さんは気安く声をかけている。……筆頭? 役職だろうか?
「なあ美沙、筆頭って?」
「当主の事っスね。雪ヶ原はあかりさんが惣領、闇ヶ淵は綾乃さんのお婆さんが宗主……みたいな感じで、それぞれ当主の呼び名が違うんスよ」
「ちなみに霧ヶ峰では社主ですぞ、先代から受け継いだんで拙者が社主ですな」
静香が俺と美沙の会話に割り込んで、鼻息荒くドヤ顔をしている。その点から言えばあかりも同じ当主だから、そう言う意味では立場上は対等なんだろうか?
そんな話をしていたら、空也さんと月島君の話も終わったようで、月島君から声を掛けられた。
「高坂さん。そろそろ出発しませんと、時間が……」
「ああ、分かった。じゃあ皆、頑張ってな」
居残り組から緩い声援を受けて、俺と美沙は空也さん達と共に車へと向かった。
§ § §
車はあっという間に市街地を抜けて安佐北区、八千代町、安芸太田町とどんどん北上していく。不思議なのは、一切高速道路を使わない事だ。
進んでいる方向は三次方面だ。三次は地元の画家と人形作家の作品が常設展示されている美術館や妖怪を題材にした博物館があったり、特産のぶどうを使ったワイナリーなんかが観光地として有名だ。
そんな三次は高速道路を通った方が圧倒的に早い。わざわざ下道を通る必要は無い。
しかもどう言う訳か、変な道を通っている。明らかに回り道を選んでいる。
「月島君、この車はどこへ向かってるんだ?」
俺が尋ねると、運転席でハンドルを握る月島君はバックミラー越しにちらりとこちらに視線を向け、逆に質問を返してきた。
「どこって……御山に行くんですよねー? ボクはそう聞いてますけどー」
「そうだよー、家に帰ると麻耶さんに捕まってお説教が長くなっちゃうからね。そのまま御山に向かってねー」
空也さんが助手席でうつらうつらしながら月島君の問いに答えている。
どちらも声が高く中性的なので俺以外皆女性のように見えなくもないが、逆だ。この車には美沙以外の女性は居ない。なんて不思議空間だ。
「ああ、もしかしてアレかなー? 変な道通ってるなって思ってます? 土地勘ある人は大体同じ事思うんですよねー」
「渡る必要のない橋を渡ったり、妙なところで迂回してるからな。土地勘があっても無くても変に思うぞ」
三次行きの道は江の川という中国地方最大の一級河川と並行して伸びている。
先程からこの車は江の川にかかる橋を何度も渡ったり、わざと山道に入ったりしている。不自然極まりない。
「んーと……高坂さんは異世界に行くエレベーターの話とか聞いた事あります?」
「よく聞く怪談だよな、ボタンを決められた操作をしたら異世界に行けるって奴だろ」
エレベーター以外にも特定の方法で怪異が発生する、なんてのもある。
特定のトイレのドアを三回叩いて遊びましょと呼びかけると現れるトイレの花子さんも有名だ。
「今ボクがやってるのは、それと似たような物ですねー。決まった橋を渡ると本来存在しない山道が出るのでそこを通って、さらにいくつか橋を渡ってーって感じです。そうしないと御山に辿り着けないんです。あそこはある種の異世界ですから」
「……それ、通るべき橋が崩落したらどうなるんだ? 道が閉ざされたりするのか?」
「ボクも不思議なんですけど、近代に入って橋がコンクリートに改修される事はあっても、天災や事故とかで橋が落ちたり壊れたりした事は一度も無いんですよー。……何でだろ、そういや深く考えた事無かったなー」
月島君は俺の疑問に答えながらも軽やかなハンドリングで山道を駆け抜ける。
あまり状態が良いとは言えない荒れた舗装を車体をさほど揺らす事なく走行するのだから、月島君のドライビングテクニックは大した物だ。
「それはね、御山がとんでもなく重要な場所なんで、天地六家が協力して保全活動をしてるからだよ。雪ヶ原に世間に対して欺瞞工作をしてもらって、霧ヶ峰の計上した予算を使って雲ヶ崎に橋の建設を発注してー……って感じだねー」
空也さんが解説を挟んでくれたが……雲ヶ崎? また新しい家が出てきた。話の感じだとエンジニア……いや、物作りとかに特化した家か?
「あ、そうか。雲ヶ崎は小さな物から大きな物まで色んな物を作る家だよ。みーちゃんが使ってた徒花も雲ヶ崎が作った奴だね。確か室町時代か安土桃山時代くらいだっけかなぁ」
天地六家の関係者ではない俺に空也さんが解説してくれた。
昨日美沙が壊した事を空也さんに謝っていた刀が、そんな年代物だったとは……やはりスケールが大きい。家系図を遡れるほどの記録がないうちとは大違いだ。
「こう言う特定の道を通らないと目的地に辿り着けない術は星ヶ峯の十八番でねぇ……星ヶ峯のお屋敷に辿り着く為には、それはそれは厄介な道順が指定されているそうだよ。……ほら、見えてきた」
月島君の運転する車が橋を渡ると、目の前に広がっていた川沿いの田んぼが掻き消えた。
その代わりとばかりに現れた、人の手が全く入っていない鬱蒼とした森に真っ直ぐ一本通っている道を黒塗りの高級車が進んでいく。
アスファルト舗装も無く、ただ踏み固められただけの道は流石に揺れる。舌を噛みそうなので余計なお喋りはここまでだ。
そのまま揺られる事二十分少々。誰もが押し黙る中、サスペンションや車体が軋む音をBGMにしていたが、それが唐突に止まった。
フロントガラスの前方に目をやると、そこには車一台がようやく転回出来そうな広場があり、その先には不安定そうな石で出来た階段がどこまでも伸びていた。
到着後すぐに月島君がシートベルトを外してドアを開け、空也さんのドアを開けた。
まるで使用人のような流麗な動作は、これまで見てきたどの月島君とは違う物だった。
月島君は続いて俺の側のドアを開けた。俺と美沙が車を降りると、月島君は俺達に一礼した。
「では、筆頭。私はこれにて失礼致します」
「うん、ありがとね。終わったらいつもの様に連絡するから、お迎えよろしくねー」
月島君は車に乗り込み、広場で転回してそのままこの場を離れていった。
車の排気音が聞こえなくなると、途端に山の木々が擦れる音と鳥や虫の鳴き声が強調される。
もうすぐ十月になるにもかかわらず蒸し暑かった気温も涼しさを感じさせ、何ならもう一枚羽織ってきた方が良かったかと後悔する程度には肌寒い。
空也さんが手を打ち鳴らし、俺達に向き直って宣言した。
「よーし、じゃあ登ろっか。まだ小学生の頃のみーちゃんはこの階段の真ん中くらいで泣いちゃったんだよねぇ」
「父上! あれはまだあたしが血に目覚めてなかった頃ですから! 今はもう平気で登れますし!」
美沙が慌てて否定する。こちらをチラチラと見ている所から察するに、美沙にとっては恥ずかしい思い出のようだ。
小学生で見上げる程の高さがあるこの階段の中腹まで登れるのは相当大した事だと思うのだが……
俺がぼんやり階段を眺めていると、空也さんと美沙がさっさと登り始めてしまった。俺も置いて行かれないように追いかけなくては……
§ § §
何とも拍子抜けなことに、階段は全く苦戦しなかった。
全力疾走しているかのような月ヶ瀬親子のスピードには流石に着いていけなかったが、五千段はあろうかという階段は途中で止まったり息切れせずに登り切れた。
これはステータス保持者の特権だ。ダンジョンをこれでもかと駆け回る探索者は、スタミナ面でもかなりの能力が強化させられている。
それでも石の大きさがまちまちで平らではない石段だ、登るのには相当苦労させられた。転げ落ちたらタダでは済まない高さに萎縮したりもした。
たっぷり一時間かけて登り切ると、空也さんと美沙が談笑しながら俺を待っていた。
「お、ようやく来たね。でも一般人にしては早い方……って、そうか。ステータスとか言うのを持ってるんだっけね?」
「そうですね。……二人ともめちゃくちゃ早いですね」
俺がカードケースからカード化した水筒を取り出して召喚し、少しだけ口をつける。
こういう激しい運動時に水をたんまり摂ると、内臓を痛めたり逆に汗が大量に噴き出たりするので、一口分ずつゆっくり飲むのが良い。警備の仕事中にも使えるライフハックと言う奴だ。
「さてさて……それじゃ、ここからは道を間違えると帰れなくなっちゃうから渉君も一緒に行こうね。なるべくペースはゆっくりにするからね」
空也さんが立ち上がり、木々が多少開けているだけの道とは到底呼べない道へと足を踏み入れた。美沙もこちらを伺いつつも空也さんを追いかける。
俺も休んではいられない。急いで先行する二つの人影を追った。
小ぢんまりとしたボロい祠の横を抜け、獣道を延々走り、もはや崖と呼んだ方がしっくり来る急な斜面を登り、広大な湖を泳ぎ、渓谷にかかった蔓橋にしがみつきながら股間がヒュンとなる思いで渡り……
ベースキャンプの設営が出来そうな開けた場所に出たのは日が落ち始めた夕方五時半頃の事だった。
テントを立てて焚き火台を設置し、空也さんがどこからともなくベンチ代わりになりそうな丸太を運んで来た事で野営の準備が出来た。
初日の食事は持って来た食材を使ったカレーだ。修行の為の合宿とは言え、やはりキャンプと言えばカレーは欠かせない。
空也さんは焼く以外の調理法についてからっきしらしく、美沙が率先して調理を担当した。
……こうして女性一人に任せきりで料理の完成を待つ中年男性の図が出来上がってしまった。まったきオッサンは俺一人だが。
美沙の作ったカレーに舌鼓をうち、後片付けが済んだ所で空也さんが手を叩いて注目を促した。
「はーい、じゃあ明日からの予定を伝えまーす」
俺は歯磨きしながら、美沙はパジャマを手にしたまま空也さんの元へと駆け寄った。
「早朝、日が上る前に起床するよ。そんで僕と渉君は彼岸の神棚に向かいまーす。みーちゃんは……そうだなあ、深淵の問答で瞑想しながら原初の種子のオーラを感じ取ったり同調したりして取り込む準備ね。昼に一旦ここに集まってお昼ご飯を食べて、三人で無力の岩床でトレーニングして……今日はもう時間が無いからアレだけど、お夕飯の前に神水の坩堝でお風呂に入って、一日の特訓は終わりだよ」
俺にはどういう所か予想もできない地名と思しき固有名詞がバンバン出て来る。
俺が戸惑っていると、空也さんが口にした「神水の坩堝」という単語で美沙が驚いたのが見えた。
「え、父上……いいんですか? その、渉さんは……月ヶ瀬じゃありませんけど」
「ん? どうせ関係者になるでしょ? 先取りみたいな物だからだーいじょーぶ! 僕くらいになったらアレだけど、今後必要になるでしょ?」
「それはそうなんですけど、うーん……でも……」
美沙がやたらと歯切れが悪そうに渋っている。何か気になる事でもあるのだろうか? 俺からしたら何もかもが分からないので口を挟む余地がない。
「とりあえず逐一観察しながらって感じでやっていこう、多分大丈夫だと思うけどね」
「まぁ、父上がそうおっしゃるのであれば……」
どうやら結論が出たらしい。俺が空也さんに視線を送っても、ニコニコしたままで説明してくれない。一体何なんだ、美沙が戸惑う神水の坩堝って?
「詳しい話は明日のお楽しみって事で! あ、そうだ。トイレは無いから、適当に隅っこの方で済ませてね。異界は元の状態を維持しようとする力が働くから、どんな物も触らずに一日放置してると消えちゃうからね」
空也さんの説明を聞いて思い出したのが、ダンジョンだ。ダンジョンは一部の場所を除き、物を放置していると消滅する。
性風俗扱いされていたかつての田方ダンジョンで、警備員がゴミ掃除をしなくて良かった理由はそれだ。どういう原理かは知らないが、ゴミや排泄物は放置していれば無くなる。
もし機序が同じなのであれば、もしかしたらここもダンジョンの一種のような物なんじゃないか?
「そうそう、人が一度触れるとロストのカウンターがリセットされるんスよ。だからテントとか椅子とかは簡単には消えないんスけど、あまり触らない荷物は油断してると容赦なく消えるんで、必要ない物はカードにしといた方がいいっスよ」
「みーちゃん、御山の入山許可が初めて出た時、帰りに着る服が消えちゃって道着姿で帰ってきた事があったねぇ」
「だってあの時誰も教えてくれなかったじゃないですか! お気に入りのお洋服だったんですよ!?」
茶々を入れる空也さんに美沙が食ってかかる。どうやら先ほどの忠告は、実体験から来るアドバイスだったようだ。
ダンジョンでもそうだが、不必要な物は持ち込まない、カード化の解除をしないというのは鉄則だ。ここでも同じように過ごすのが良いだろう。
その後、身支度を済ませて自分のテントで寝袋に入って就寝……となったのだが、現代日本に住まう人間が午後九時に眠れるはずがない。
スマホを見ても当然のように圏外だし、何なら木々のざわめきや虫や鳥やカエルの鳴き声の大合唱がこれでもかとやかましい。
俺はアラームを午前六時にセットして、耳を塞いで目を閉じた。
なかなか寝付けなかったが、それでも自然光が全くない環境は俺の眠気を呼び起こし……俺はすぐに眠りに落ちていくのだった。




