第50話
俺は部屋の扉の鍵を開けて、空也さんを招き入れた。
スーパーに行くだけだったので空調を効かせたままにしておいたのだが、正解だった。
リビングにお通しして、お客様用のコップを出して冷蔵庫の氷を入れる。
前の部屋で使ってた冷蔵庫は製氷皿を使って自分で氷を作るタイプだったが、今では水さえタンクに入れておけば勝手に氷を作ってくれる。ありがたい。
麦茶の水筒は……かなり減っている。綾乃が勝手に飲んだに違いない、後でアイアンクローをお見舞いしてやろう。
コップに麦茶を注いで、椅子にちょこんと座っている空也さんの前に置いた。
「どうぞ」
「どうもどうも、最近の日本ってめちゃくちゃ暑いから、本当やんなっちゃうよねぇ」
空也さんは麦茶を一口飲み、コップを置いた。外を通る車の音が聞こえるくらいの沈黙が部屋を支配する。……何とも気まずい。
「渉君、美沙の事……ありがとうね」
「えっ」
空也さんからそんな言葉をかけられ、少し戸惑ってしまった。普通こういう時って「お前みたいなどこの馬の骨とも知れない奴に娘をやれるか!」みたいな事を言われるんじゃないのか?
「美沙は僕が歳を取ってから生まれた子だからね、凄くかわいいんだよ。あ、いや、他の子がかわいくないって訳じゃなくてね」
慌てて取ってつけたように言い繕う空也さんにつられて、俺にも少しだけ笑みがこぼれる。
「だから、美沙には幸せになってもらいたかったんだ……美沙の二人の姉については?」
「聞いてます。千沙さんと万沙さん、二人の姉がいると」
「うん。千沙は千の魔を屠れるように、万沙は万の魔を打ち倒せるようにって願いをかけて名付けたんだ。……でも、それが本当に幸せなのかな? って思っちゃってね」
空也さんは手のひらを冷やす様にコップを両手で包み込んで転がしながら、少し表情を曇らせた。
「幸せに生きてほしい……出来れば魔を討つ者としてじゃなく、美しい物を美しいと感じるだけの余裕がある、普通の人生を生きて欲しい……そう思って美沙って名付けたんだ。美沙が生まれてすぐ、あの子に流れる月ヶ瀬の血の力をガッチガチに封印したんだけど……まさか自力で解くとは思わなかったなぁ」
「ああ、もしかして俺のせい……?」
まだ美沙をみーちゃんとして認識していた頃、現場を通りかかるみーちゃんはいつも傷だらけだった。
それがいつまで経っても発現しない自分の能力を目覚めさせるためにダンジョンで無茶な修練をしていたせいだと知ったのは、つい最近の事だ。
当時の俺はそんな事情を知らなかったから、俺はみーちゃんの心配をして、話しかけたり世話を焼いたりしていた。
「そうだね、美沙が偶然知り合った警備員を助けようとしたせいで血の封印が解けたって分かった時は驚いたよ。そうそう簡単に解ける物じゃないんだ、美沙の血の力は月ヶ瀬の中でもかなり強い部類でね……星ヶ峯のまじないの中でもとびきり強力な封印の術で縛ったんだ」
星ヶ峯……? また新しい名前が出て来たぞ? それもまた天地六家なのか?
魔を討つ者の月ヶ瀬、情報を牛耳る雪ヶ原、占いに特化した闇ヶ淵、商売と金融の申し子である霧ヶ峰、そして空也さんの言う星ヶ峯……最後の二つは「みね」が被っているが、何か所以でもあるんだろうか?
「ああ、そうか。星ヶ峯とは会った事が無いんだね? 闇ヶ淵と違って、呪術とか法術と言った神秘の技を使う面白い連中だよ。確か当主には双子の娘さんがいたと思うけど……手を出すなら、出来れば美沙の事を第一に幸せにしてやって欲しいな」
「待った待った、手を出す前提で話されても困ります!」
「あれ、違うの? 雪ヶ原と闇ヶ淵と霧ヶ峰の令嬢もコマしてるって聞いたけど?」
「誤報です! 出所はどこなんですか、その悪質なデマは!」
そもそも、そんな事をしようものなら美沙の手によって容易く握りつぶされてしまうだろう。どこをとは言わないが。
「あはは、その様子だと相当美沙の尻に敷かれてるみたいだねぇ。安泰安泰、旦那ってのは嫁さんの尻に敷かれるくらいがちょうどいいと思うよ」
「美沙とはまだ付き合い始めたばかりなんですけどね……」
「あれ? 麻耶さん……えーと、僕の嫁さんからは結婚秒読みみたいな話を聞いてたんだけど、違ったのかな……? まあいいや、話の続きだけど」
仕切り直しと言わんばかりに空也さんが麦茶を一口飲む。
「封印を施しても、美沙の力を完全には縛れなかった。だからわざと迷宮での修練を命じたんだ。ほら、どれだけ頑張っても血の解放は無理だっただろう? 月ヶ瀬の力の事はスパッと諦めて一般人として平和に暮らしなさい……そう言って突き放すつもりだったんだけどね」
「美沙は……それを望んでいませんでしたよ。ずっと傷つきながら、苦しみながら抗っていました」
みーちゃんの切羽詰まった表情は今でも思い出せる。俺に出来たのは怪我の手当と話し相手になるくらいだったが、それでも何かを成し遂げようと必死になっていたのは分かった。
「うん、そうだね。今にして思えばただの押し付けだったのかも知れない。だから僕は、あの子を支えてくれて、封印を解く程の『想いの力』を目覚めさせた君のことを評価してるんだよ」
「……俺はただ、ちょっと世話をしただけですよ。頑張ったのは全部アイツですから」
事実、俺に出来た事なんて何も無い。せいぜい身を挺してゴブリンから庇った程度だ。
それが美沙の中で起爆剤になったのであれば、努力して積み上げて来た色々な物が開花する最後の一押しになったってだけの話だ。俺の手柄じゃない。
「やっぱり聞いていた通りの人間のようだね。良かった良かった、安心して美沙の事を任せられそうだ」
「空也さんは不安に思わないんですか? 年若い娘さんがこんなオッサンとくっ付こうとしてるんですよ?」
「結局は美沙の人生だからねぇ……そりゃあどこの馬の骨とも知れない男だったら困るけど、美沙の為に命を張れる奴ってのは知ってたし、僕もこっそりと探りを入れていたからね。家庭環境はちょっとアレだけど、人品骨柄卑しからぬ人間だって事は分かってたから別にいいかなって」
空也さんが残りの麦茶を飲み干し、ニッコニコの笑顔を向けて来た。
「で、入婿になるの? 美沙を嫁に貰うの? どっち? 月ヶ瀬渉になっちゃうの? それとも高坂美沙になるの?」
「いや、その……まだそういう話をする段階には無いと言うか、色々立て込んでおりまして……」
「立て込んでる……って、何か問題でもあった? もしかして天地六家の令嬢以外にも付き合ってる子がいたりするの!? うちの美沙やあかりちゃん達だけじゃ満足出来ないって事!? 渉君そんな性的に爛れたスットコドッコイだったの!?」
「いや、そう言う話じゃなくて! 本当に立て込んでるんです!!」
俺は慌てて美沙と再開してから今日までの状況を逐一説明する羽目になった。やはり美沙の父親も美沙に似て一癖も二癖もある人物だ。
§ § §
「はえー……そんな事になってたんだねぇ、大変だったねぇ」
俺は空也さんに探索者となってステータスを得た際に原初の種子によってアビリティを得た話から、つい先程矢野ダンジョンで静香と話した事まで、全て詳らかに説明した。
途中で麦茶のおかわりを注ぎ、これまた何故か備蓄が減っていた小分けパックの豆菓子を供し、途中で空也さんから質問が挟まれたりとたっぷり二時間くらいはかかってしまった。
「このアパートの前で渉君と話していた時、変な気配を感じたと思ったけど……トーカちゃんが僕を調べてたんだねぇ」
「不躾かとは思いましたが、今は状況が状況ですので……奥方様の関係者を名乗る不審者の可能性がありましたので、生体情報のスキャンを行いました。ご容赦頂きますようお願いします」
俺の横で立っているトーカがぺこりと頭を下げた。
空也さんにこれまでの事を説明する上でどうしても原初の種子の話をする必要があったので、トーカには受肉体として表に出てもらった。
トーカが出て来た時、空也さんに魔物と勘違いされて殴られそうになっていたが、今では普通に話している。
「まあ、事情があるならしょうがないよね……迷救会? だっけ? 渉君も厄介な団体に目をつけられたねぇ」
「ええ……それで、『美沙には原初の種子の力が無いので戦いには連れて行けない』って言ったら泣かれまして……」
「あー、それは泣くだろうねぇ……あの子、渉君と再会するまでそりゃあもう訓練漬けの日々だったからねぇ……渉君の言い方だと『お前の重ねた何年もの努力は無意味だった』って突きつけられたようなモンだから……」
豆菓子をポリポリやりながら、空也さんが頷く。
そこまで酷い事を言ったつもりは無いんだがなぁ……武門の家には武門の家のコンテキストが存在するんだろう。
「んー……でもまぁ、それなら僕が今日来たのはちょうど良かったのかも知れないなぁ」
顎をさすりながら独りごちた空也さんにその真意を聞こうとした瞬間、玄関のドアが開いた。
「ただいまー! 渉さんごめんなさい、今日は疲れちゃったから料理するのしんどいんでどっか食べに行きませんか……って、あれ? お客さん来てるんスか? 一体誰……が……」
喋りながらリビングに入って来た美沙の動きが止まる。空也さんに視線が釘付けになり、ぷるぷる震える指先を空也さんに向けた。
「ち……ちち……ちちちちち……」
「やっほ、みーちゃん。元気してたー?」
空也さんは美沙ににへらーと笑顔を浮かべて手を振った。こうして見ると父親とは思えない。歳の離れた姉弟にしか見えない。
「父上ーーーーーーー!?」
美沙の絶叫が部屋中に響く。このマンションは防音性に優れているので騒音トラブルになる事はないが、もうすぐ夜なので気をつけて欲しい。
「そうだよ、父上だよー。遊びに来たよー」
「遊びに来たって……全然何も聞いてないんですけど!? おもてなしの用意もしてないですし!」
美沙は真っ青な顔でおろおろ狼狽えていたが、空也さんがそれを宥める。
「いやいや、気にする必要ないって。今日は渉君に会いに来た部分が大きいからね。麻耶さんから聞いてない? 芒の君の力の程は月が満ちたら直々に試すって」
「あああああそうだ忘れてた! 母上から父上が渉さんを試すって言ってたんだった! そんな何ヶ月も前の話を今持ってくるなんて思わないでしょ! やっっばい! どうしよう!!」
顔色が青を通り越して白に差し掛かりつつある美沙が俺の腕にしがみついた。ススキの君? 何だそれ?
「ちちちちち父上! 今日はまだ渉さん本調子じゃないと思うんで渉さんの力を試すならまた別の日にしませんか! 渉さん、父上は死を覚悟して全力出さないと十秒も生き残れないくらいマジで強いんで出来る限りの対策しないと! トーカちゃんにもバフをモリモリに炊いてもらって装備も出来ればカスタマイズしてもらってそれからえーとえーと……」
混乱の極致にある美沙だったが、空也さんの咳払いにヒッと小さな悲鳴をあげて硬直してしまった。
「試しはもう既に済んでるよ。二人の交際について僕から口を挟む事はないから、好きにするといいよ」
「そうですよねまずは千回組み手で地獄を見てから……え? いいの? 父上、もう渉さんと殺りあったんですか……?」
俺と空也さんは笑いながら首を横に振った。やった事と言えば茶を飲みながら話をしたくらいだ。
何か試されたつもりは全くないが、一体何を試されたんだろうか?
「みーちゃんがいるんだから別に武力なんかあっても無くてもいいんだよ、僕が見たのは心の強さだよ。みーちゃんの彼氏や旦那としてやってけるだけの胆力があるかってのを見たかっただけだから……で、ちょうど良かった、みーちゃんにも聞いて欲しかった事があるんだ」
空也さんは俺と美沙に向き直り、微笑んで提案する。
「二人ともここらで一度、しっかり修行する気はないかな?」
「「修行……?」」
俺と美沙の声がハモった。一言に修行と言われても、何を修行するんだろうか?
美沙はもう十分に強い。広島城での騒動で月ヶ瀬の長女に否定されたばかりだが、イレギュラーが無ければうちの最高戦力だ。
俺は体を鍛えれば解決する話ではない。種子の力の習熟はどちらかと言えば精神面に起因する物が大きい。
言い方は悪いが、月ヶ瀬の異能に長じた当主に俺達の問題点を解決できるとは思えなかった。
「まず渉君は心を解き放つ必要があるね。君は長年の普通の生活で、己の限界を知りすぎている」
空也さんが俺に指を突きつけて指摘する。
「腕はここまでしか伸びない、足はこれ以上早く動かせない……そういう身をもって知った限界が、君を型に押し込んでる。出来る理由の前に、出来ない経験が壁になってるんだよ。既にもう、壁なんて無くなってるのに」
「おー、さすが父上。よく分かってる……でもそれって修行で解消出来るんですか?」
「うん。『御山』に行こうと思う」
空也さんの言葉に美沙がびくりと震えた。表情を伺うと怯えを大いに含んだ物に変わっている。……何だ、そんなにヤバい所なのか?
「ち、父上……本気ですか?」
「本気も本気、今の日本で肉体から精神を解き放てるのは御山にある彼岸の神棚くらいだからね。……で、みーちゃんにはお土産がありまーす」
空也さんが傍に置いていた古い革製のボンサックを開けて、中をごそごそと探る。辺りに立ち込める埃っぽい匂いに少し顔をしかめながらしばし待つと、空也さんが何かを握り込んだ拳を美沙に突き出した。
美沙が空也さんの拳の下に手のひらを差し入れると、そこに落とされたのは……透明な何かだった。
一瞬ビー玉のように思えたが、若干違う。まるでどんぐりのように笠のついたガラス玉からは何かしらの気配を感じる。
「えっ、何ですかこれ……? 透明な……ガラス玉……?」
「ほら、広島に葦嶽山ってあるでしょ? あそこ、ついこの間異界化しちゃってさ。ちょうどいいタイミングだったから出て来た魔の者全部ぶちのめして回ってたらコイツを見つけたんだよ。で、持って来ちゃった」
まるで「ビーチコーミング中に綺麗なシーグラスを見つけたので持ち帰りました」みたいな気軽さで言っているが、恐らくそんな簡単な話ではないのだろう。
美沙も空也さんのあけすけな発言に軽く引いている。
「持って来ちゃった、って……ビー玉じゃないし、魔石の類でも無さそうだし……」
困惑している美沙の横からトーカがにょっきりと割り込み、透明な何かを凝視している。
俺や美沙、空也さんがその様子を見つめていると、結論が出たのかトーカが透明な何かを手に取った。
「これは原初の種子ですね。当個体やアンドゥアーと引けを取らない一点モノのアノマリーです。他の原初の種子の能力をコピーして自分の物にする簒奪者、ユザーパーです」
「……これが、原初の種子……」
美沙の目がユザーパーと呼ばれたガラス玉に釘付けになる。
無理もない、美沙は昨日原初の種子を能力が無いために仲間外れにされたばかりだ。
美沙にとっては、目の前に遊園地のチケットがぶら下げられているも同然だ。
美沙が空也さんにキラキラした目を向けると、空也さんは笑顔で頷いてユザーパーをトーカから受け取り、美沙の手に握らせた。
「みーちゃん、これまで頑張ったもんね。花嫁道具の代わりに持って行きなよ」
「あ、ありがとうございます! 父上!」
「でも、一つだけ懸念点があるんだ」
空也さんは真剣な表情で美沙の手を取り、その目を見つめる、美沙は対照的にキョトンとしている。
「その原初の種子……だったかな。実際の所はどうか分からないが、魔の物の気配を放っているのは分かるよね? それを取り込む事で、月ヶ瀬の血が拒絶反応を示すかも知れない。雪ヶ原のお嬢さんも求道なにがしも、その本質は異能を持たない一般人……僕らとは前提が違うんだよ」
「……でも、あたし……あたし、諦められないです……渉さんと一緒にいられないなんて、戦いに連れて行ってもらえないなんて、辛すぎるから……」
ぽろりぽろりと涙を溢す美沙の頭を空也さんが撫でる。愛おしそうな目つきはまごう事なく父親のそれだ。
「知ってるよ。渉君の側にいるためにこれまでずっと辛い修練にも耐えて来たもんね。たまーにだけど、見てたから分かるよ。娘が危ない橋を渡るのを止めないのは父親失格かも知れないけど、僕は止めないよ。みーちゃんがやりたいようにやりなさい」
「はい……ありがとうございます」
美沙は目元をぐいっと拭って、無理矢理に笑顔を作った。
「みーちゃんが原初の種子を取り込むにせよ、渉君が心の修行をするにせよ、我ら月ヶ瀬家がいにしえより受け継ぎ、守って来た聖地『御山』に向かう必要がある。だいたい一ヶ月くらいはかかるから、準備だけはしっかりするようにね」
「はい、長期休暇を申請する事にします。……栄光警備に入って初めての長期休暇が修行の為だなんてな……休日申請用紙の理由の欄に何て書けばいいんだ」
「別に旅行でいいんじゃないスか? 滝沢さんとか東京でオフ会とか同人誌即売会行くのに旅行の為って出したら通ってましたよ。無茶振りしてくる人がみんな休んでたり事務所にいない今がチャンスっスよ」
俺と美沙が御山とやらに行く算段を立てていると、綾乃と静香が勝手に上がり込んで来た。
あかりは岡山でロケがあるらしく、今日は帰って来れないとの事だった。
いちいち出歩くのも面倒なので、盛大に宅配ピザを頼んでピザパーティーと洒落込む事になった。
……俺は寄る年波と胃腸の衰えには勝てなかった。ピザがキツいお年頃に差し掛かりつつある。
驚いたのは、この中で一番の年長者である空也さんがとんでもない健啖家だった事だ。あのちっちゃい体のどこにあれだけのピザが入るんだ?
夕食を終えた後、様々な話に花を咲かせた。
空也さんの修行の話や、俺の知らない天地六家の話を聞かせてもらったりもした。
先程の話に出た呪術の大家である星ヶ峯は闇ヶ淵と仲が悪かったり、そもそも闇ヶ淵は天地六家の員数外扱いされる事が多かったりと言った話だ。
星ヶ峯の双子の姉妹に話が及んだ時、美沙が使っていたステンレス製のフォークが超能力を受けたかのようにひん曲がり、ねじ切れ、金属の塊と化した。
いくらこれ以上女と接触して欲しくないからってそこまでしなくてもいいじゃないか、また出費がかさんでしまう……もう百均でいいよな?
ススキの君とやらについての話も聞かせてもらった。月ヶ瀬家の故事にまつわる慣用句の様な物で、相思相愛の相手の事を指すんだそうな。
互いの顔が見えないくらいにススキが沢山生えている野原で、昔の月ヶ瀬家当主が好きな女性と語り合った事から来ているらしい。
そして付き合ったり結婚する事を「ススキを刈る」と言うんだとか。
これも婚姻にあたって互いの姿を確認するためにススキを刈った事に由来するらしい。何とも風流だ。
それに伴い、月ヶ瀬家での婚姻の作法として特別な刃物を贈る事になっているんだそうな。
縁が切れるからと結婚式では御法度の刃物だが、そこは流石歴史のある名家と言った所か。
……刃物と言えば、美沙がラピスと戦った時に使っていた二メートルはある由緒正しい長い刀……徒花と言う名前らしいのだが、広島城での戦いで壊してしまったらしい。美沙が空也さんに何度も謝っていた。
空也さんは「みーちゃんが無事ならそれでいいよ」と不問に付したが、美沙は納得していないと言うか、気に病んでいるようだった。
壊れた刀は姉である千沙さんが回収したそうだが、美沙が確認した所、修復不可能なレベルでバッキバキに壊れていたらしい。
美沙はとりあえず東洋鉱業から刀を一本支給してもらっていたが、どうにも馴染まないとの事だった。
半ば親睦会と化したピザパーティーもお開きとなり、空也さんは美沙の部屋に泊まる事になった。
綾乃と静香は最後の追い込みが残っているようで、さっさと部屋に帰って行った。
今日は早い段階で一人きりになったので、さっさと風呂に入って寝る事にした。
§ § §
翌朝、目覚めてスマホを確認すると、メッセージアプリに栄光警備の事務アカウントからメッセージが届いていた。
その内容を確認して、一瞬目を疑った。何度も見直したが、見間違いではない。
……そうか、そうなっちゃったか。弊社に下った沙汰は最悪ではないが、二番目に悪い物だったようだ。他の隊員は大丈夫なんだろうか?
俺のメッセージアプリに届いていたのは、栄光警備株式会社広島本社の今後についてだった。
本日より一ヶ月の営業停止処分に伴い、広島本社が請け負っている全ての現場への出向停止が決定。
全従業員には一ヶ月分の給与の六割にあたる休業補償が支払われる事となった。
……つまり、俺と美沙は、休暇届を出す必要が無くなってしまった。




