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【コミカライズ始動】アラフォー警備員の迷宮警備 ~【アビリティ】の力でウィズダンジョン時代を生き抜く~  作者: 日南 佳
第三章

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第49話

 その後は美沙が駄目になってしまったのでお開きとなった。綾乃と静香は綾乃の部屋で勉強会、あかりは自室で黙想をして自分を見つめ直すとの事だった。

 美沙はその後、完全にヘソを曲げてしまった。一階にある自室に戻らず、俺にくっついてめそめそ泣くだけの生き物になってしまった。

 頼むからトイレにまで入って来ようとしないで欲しい。十秒ごとにノックして在室を確認するのもナシだ。

 ……結局、美沙は一晩一緒に寝るまで片時も離れようとしなかった。



 翌日、美沙は安佐南区の祇園にあるスーパーの駐車場にて車の入出庫誘導、俺は矢野ダンジョンでの警備となり、お互い現場が離れ離れになった。

 前日予定が伝えられた段階で美沙はゴネにゴネたが、今回ばかりはどうしようもない。

 今の栄光警備株式会社広島本社の管制室は、山口県や愛媛県の支社から応援で来ている人間ばかりだ。

 春川常務も木下専務のご家族への報告や謝罪だけでなく、関係各所との話し合いのために東奔西走で事務所に顔を出す暇もないそうだ。

 監督できる人間がおらず、現場ごとの独自性や人間関係の分からない人達が分からないなりに頑張って配置を組んでいる現状で、無理を言って迷惑をかける訳にはいかない。

 俺の方が先に帰宅する予定のはずだが、美沙は出発する寸前まで「早く帰ってきて下さいね」とか「寄り道しないで下さいね」と何度も念押ししてきた。

 ……昨日のショックがまだ尾を引いているようだった。仕事帰りに気晴らしでスーパー銭湯に寄るつもりだったが、また今度にしよう。



 § § §



 マリンフォートレス坂から徒歩圏内にある矢野ダンジョンは、ダンジョンかくあるべしと思わされるくらいの正統派な造りをしている。

 洞窟のような岩肌に囲まれた全三十階層の迷宮は、浅い階層ではゴブリンやスライムが湧き、中盤で空飛ぶ魔物が出現し、深層ではゾンビやスケルトンといったアンデッドが徘徊し、最下層ではトカゲの亜種くらいのお粗末なタイプではあるが、一応ドラゴンが現れる。

 即死級ではないが喰らうと面倒な罠や定期的にランダムで出現する宝箱といった設置物も豊富で、まさに「RPGのダンジョンってこういう奴だよね」と言わんばかりの構成となっている。

 広島の練習用ダンジョンとしてはゴブリンしか出ない中広ダンジョンとどっこいどっこいであり、初心者や討伐の腕に自信がない探索者がよく訪れる。



 ここでは、警備員は基本的に討伐巡回をしなくていい事になっている。あまり魔物を狩りすぎると、初心者の倒す分が無くなってしまうからだ。

 ただし客が全く来ない場合は、迷宮漏逸を防ぐ目的として軽く間引く程度の討伐巡回が発生する。その実行の可否は守衛室の管理端末に接続されているAIユニットが判断する。

 俺達警備員は余計な判断を差し挟む必要がない。全てAIの指示に従えばいい。物足りないし、暇といえば暇だが、忙しいよりはずっといい。

 


 今日は弊社の相勤者がいない……と言うより、矢野ダンジョンはAIによる管理・運営の実証実験中であり、必要最低限の人員しか配置しない事になっている。

 守衛室も名ばかりで、そこに詰めているのも警備員ではなく常駐のシステムエンジニアだ。俺達警備員はダンジョンゲート外での立哨警備が主業務となっている。

 特に今日は午後から探索者協会と管理システムの運営が来てゲート管理ロボットをダンジョンゲートに設置する予定となっており、俺は午後二時に勤務が終了する。

 今後は機械警備のように特殊な事案があれば提携先の警備会社がすっ飛んでくる形になるそうだ。

 これから先、こうやって人間の仕事が奪われていく事になるんだろうなと考えると寂しく思う。



 ……だが、ロボットはどれだけ酷使しても、意図的に使用者を殺そうとはしないだろう。

 そう考えると何とも言えない。過酷な労働に従事している人間は、田島さんのように雇用主に反旗を翻して襲いかかる可能性がある。



「おはようございまーす」



 このように、通りかかる探索者に挨拶するだけならロボットだけで事足りる。別に人間でなくても構わない。

 俺達警備員が不必要になる社会ってのを時代を先取りして見せられているような気がして、何とも嫌な感じだ。



「こんな所で突っ立ってるだけで金貰えるんだからガードマンってのは楽な仕事だよなぁ、えぇ?」



 おはようございますと声をかけたらおはようございますと返ってくるのが普通だ。いきなり想定外のご挨拶をカマしてきた不届き者をチラッと見て確認する。

 見た感じ成人前の高校生といった感じの青年……いや、少年だろうか?

 丙種探索者は車の免許と同じく、十八歳から取得可能だ。高校生が来ていても不思議ではない。

 斬った張ったと血の気の多い探索者界隈は、触れる物を皆傷付けるキレたナイフみたいな連中が多い。

 どれだけ協会がイメージアップに奔走しても、こればかりはどうしようも無い。

 突っかかって来た少年はソロではなく、そのお供が二名居る。こちらも年端の行かぬ子供に限りなく近い。

 お供は男女一名ずつ、三名パーティだろうか。二人とも「やめなよー」とか言いながらニヤニヤ笑いを俺に向けて来ている。

 ゲートには防犯カメラが設置されているので、警備員が売り言葉に買い言葉と言わんばかりに喧嘩を買うと、しっかり記録に残ってしまう。

 俺は聞かなかったフリをして、無視して立哨を続ける。



「何か言えよオッサン、そんなんだからガードマンくらいしか出来る仕事が無ぇんだよ!」


「そんな事言わないであげてよー、このオッサンだって生きていくのに必死なんだからー」



 お供の二人も煽ろうとするが、安い口喧嘩を買っているようでは警備員なんてやっていけない。



「こんな所で暇を潰してていいのか? ここに来てるって事は、探索者になってまだ日が浅いって事だろう? 早いとこ実績を積んだ方がいいぞ。お前達の年嵩で身入りのいいダンジョンに籠ってる奴なんてザラにいるからな」



 ダンジョンへの入場を促す俺の一言の何が逆鱗に触れたのか、最初に絡んできた少年の顔が真っ赤に染まる。お供の二人も不快感を露わにしている。



「……もしかしてお前ら、懲罰期間中か?」



 それが決定的な一言だったのか、少年達はダンジョン外であるにもかかわらず武器を抜き放った。おいおい、ダンジョン外での抜刀はやむを得ない場合を除き厳禁だって講習会で習わなかったのか?

 懲罰期間と言うのは、探索者本人の故意的なやらかしが重なると発動する免停のような物だ。

 懲罰期間が設定されると、一部の特別に許可ダンジョンしか入場が許されない。

 広島だと中広ダンジョンとここ、矢野ダンジョンとなる。それ以外のダンジョンに入場しようとするとシーカーズから通報が飛ぶ。



 懲罰対象になるやらかしは基本的に軽微な物だ。探索者証を提示せずにダンジョンに入った、他人の魔物を横取りした、ドロップ品の分配で揉めた、探索者に怪我を負わせたといったありがちなケースが多い。

 とは言え、それを積み重ねるのはよっぽど注意力が散漫か、わざとやっているかのどちらかだ。

 重大な違反はステータス除去措置……下手したら命とステータスをどちらも失うくらい危険な措置だが、そこまで課す程ではない違反に対して定めるのが懲罰期間だ。



「おい、ここで武器を抜く意味を分かってやってんだろうな?」


「うるせェ! ガードマン風情が俺にナメた口を利くんじゃねェ!」



 先程絡んで来た少年は、どうやら短剣を二刀流で操るジョブ、デュアルブレーダーのようだ。うちの隊員である東山さんと同じだ。

 手数で攻めるジョブで、毒や麻痺といったバッドステータスを付与するエンチャントを武器に仕掛けて、敵の機動力や体力を奪いつつ圧倒する戦闘スタイルが特徴的だ。

 しかし、そんな物が俺に通用するはずがない。例えば……そうだな。

 俺の手のひらに体力と敏捷の基礎値が五千倍になり、全ての状態異常を受け付けず、全ての攻撃に対してオートガードが発動するパッシブスキルが付与される。

 ……トーカ、これは例えだ。使い捨てみたいな物だから、発動だけしてくれればいい。わざわざスキルとして登録しなくていいからな。



「なっ……どうなってんだよオイ!」


「嘘でしょ、何でルキヤの攻撃が全然当たらない訳……!?」



 お供の二人が驚くのも無理はない。今の俺は休めの姿勢のままで右手だけで少年の双剣をはたき、掴み、いなし、その攻撃を全て逸らしている状態だ。

 一昔前にあった仮想世界で戦うアクション映画みたいな不自然さ満点の俺の動きは、明らかに気持ち悪い物として見られるだろう。

 ……しかしルキヤか、どういう漢字で書くんだろうな。ちょっと気になる。

 俺に全ての攻撃をかわされたルキヤと呼ばれた少年はスタミナが切れたのか、肩で息をしながら手を止めた。



「終わりか? 何もなかった事にしてやるからさっさと中に入りな。そうでなければ帰るか?」


「クソがァ! 弱っちいガードマンが俺に指図すんなァ!」



 その弱っちいガードマンに全ての攻撃を封じられたのを忘れたのだろうか? 怒りで前が見えなくなっているようだ。

 しかし……弱っちい、か。言われてみれば、確かにそうかも知れない。

 こんな変態機動を取れるのも、原初の種子の力とあかりのバフがあったればこそだ。

 それらがなければ、俺はきっとこの親父狩りめいた少年探索者達に惨めな敗北を喫していたに違いないし、そもそも他のダンジョン警備員と同じように命懸けの生活を送っていた事だろう。

 そしてこんな力があっても、所詮は求道聖蘭に太刀打ち出来ないからと敵対しないよう釘を刺される程度だ。肝心な所で役に立たない。

 例えば、俺がデコピンに筋力の基礎能力値に五十六億七千万倍の補正値が乗るアクションスキルを叩き込んでも、求道聖蘭が「なかった事」にすれば、俺の攻撃は届かない。

 俺は、原初の種子を使いこなせていない。それだけじゃない、俺は純粋な自分の力なんて持っていない。全て借り物、貰い物だ。



「俺は……弱いな」



 堪えきれない慚愧の念が口から漏れる……と同時に、脳内に澄んだ少女の声が響く。トーカだ。



《管理者:高坂渉に警告します。今が職務中であり、喧嘩を売られている最中である事に留意すべきです。当個体が割り込み処理でスタン・コンカッションを発動しなければ、少年は新幹線事故のように血風を残して消滅する所でした》


(えっ……?)



 ぼんやりしていた俺の思考が急に引き戻される。

 俺と切り結んでいたルキヤ少年の姿が見当たらない……と思ったら、外周のフェンスに頭から突き刺さっている。

 俺の五十六億七千万倍デコピンをしたたかに食らったルキヤ少年は、トーカが発動してくれたスタン・コンカッションのお陰で辛うじて生きているようだ。

 お供の二人は腰砕けになり、地面にへたりこんでいる。少女に至っては失禁してしまっている。

 攻撃が全然通らないどころか、デコピン一発で三十メートルは離れているフェンスまで敵対者を吹き飛ばし、自分の拳を見つめて「俺は……弱いな」とか呟くオッサンはどう考えても危険人物だ。

 そんな奴に先鋒が指先一つで再起不能にされ、次は自分達……と考えたら、この惨状はさもありなんと言ったところか。

 俺は求道聖蘭に太刀打ち出来ない程度には弱いが、そこいらの探索者を一撃で木っ端微塵に出来る程度には強い事を忘れそうになる。

 力加減を間違えれば、田島さんと同じ人殺しになりかねない。注意しないとな……



「おーい! 高坂氏ー! これは一体どういう状況ござるかー!? コレ、ちゃんと生きてるんでしょうなー!?」



 俺が吹っ飛ばしたルキヤ少年の横には、何故か静香と中本社長、それからラピス襲来事件の時と特例甲種探索者証授与の時に顔を合わせた探索者協会広島支部長、朝倉十蔵さんが立っていた。

 中本社長と朝倉さんはドン引きと言った表情でこちらを見ている。今更格好はつかないが、俺は気をつけの姿勢をとり、挙手の敬礼をした。



 § § §



「へえ、じゃあ今日来る予定の探索者協会のお偉いさんってのが朝倉さんだったのか……で、管理システムの運営会社ってのが東洋鉱業と」


「そうですぞ。そして出資者である拙者も参上仕ったと言う訳ですな。そしたらこの惨状ですぞ! 朝倉氏も人に喧嘩を売るなんて許さんじょー! と顔真っ赤になった訳ですなデュフフフフフ」



 何韻を踏んでるように見せかけたダジャレをかましてんだ、この残念オタク王子様キャリアウーマンは。

 朝倉さんは一緒に来ていた協会職員と共に少年達をひっ捕まえて事情聴取を行い、中本社長は少し離れた所で会社に電話を掛けている為、この寒いダジャレを聴いているのは俺だけだ。

 咄嗟にデコピンの姿勢を取ると、静香は咄嗟に額を被って後ずさる。



「や、やめてくだされー! 拙者まだ生きていたいですぞー! せっかく情報持ってきたのに抱え落ちとか嫌ですぞー!」


「……情報?」



 俺がオウム返しに聞くと、静香はコミカルな表情を引っ込めた。



「そうですぞ、高坂氏にとっても大事な情報でござる。……まず一つ目に、梨々香嬢の話ですな」



 静香がスマホを操作し、画面を見せた。健康診断のような表に、聞いたこともないような項目がズラッと並んでいる。



「検査結果が出ましたぞ。医者の所見では症例が極めて少なく、近年ダンジョン技術が発展した事で発見された魔力由来の奇病であるレーフクヴィスト症候群という名の病気であるとの事でござる」



 静香の言葉に俺は首をかしげた。梨々香が病気にかかったのは魔力……というか、世界に初めてダンジョンが発生した時よりずっと前だ。

 美沙や綾乃と言った天然の異能持ちがいるだけに、何らかのイレギュラーである可能性もあるが……うちは天地六家のような名家でも異能の血筋でもない、ごく普通の貧乏な一般家庭だ。



「それ、誤診とかじゃないのか? 梨々香が体調不良になった頃とダンジョンが現れた時期には大きな開きがあるが……」


「そこは雪ヶ原氏も首をかしげている所でしてな……目下、情報を集めている所でござるよ。迷救会に狙われたのもそのあたりが原因ではないかとの事ですぞ」



 確かにそうかも知れない。言ってしまえば、梨々香は奴らが信奉するダンジョンよりも早い段階で魔力によって被害を受けた人間だ。

 それをダンジョンの祝福と見て自分の手の内に引き込むつもりか、それともダンジョンへの冒涜として信者の目の前で殺すつもりか……どちらにしても、迷救会にとっては目立つ存在である事には変わりない。



「あと、田島氏についても調査が進んでおりますぞ。どうやら高坂氏と別れて西広島の駅で電車を降りた所で迷救会の者から勧誘を受けたようですな。駅の防犯カメラに映っていたようですぞ。で、詳しい検査の結果、H型催眠のデバフが検出されたようでして」


「H型催眠……? 何だそれ」



 聞き覚えのない単語に俺が聞き返すと、静香は一つ咳払いをしてオタク特有の早口で捲し立てる。



「催眠デバフには二種類ありましてな、眠気や単調なリズム等で頭をぼんやりさせて暗示を刷り込むのをヒュプノシス催眠と呼び、頭文字から取ってH型催眠と呼ぶのが通例でござる。もう一方は精神攻撃等で魅了状態にして暗示を刷り込む方法で、こちらはメズマライズ催眠と呼びますな、頭文字を取ってM型催眠と。今回、田島氏が仕掛けられたのは前者ですぞ」


「じゃあ、あの凶行は催眠で操られた結果だと……?」


「雪ヶ原氏が言うには、その可能性が非常に高いとの事でしたな。とは言え、催眠に引っかかるくらい判断力が死ぬキツい連勤を課している時点で、探索者という暴力装置を身近に置く危険性を綺麗サッパリ忘れていると叱責されても仕方がありませんな」



 静香がやれやれと肩を竦める。

 被害者にも過失がある論法は好きではないが、今回ばかりは心情的に肯定せざるを得ない。



「で、どうやら迷救会からアプローチがあったのは田島氏だけではないようですぞ。かなりの数のダンジョン警備員がここ数日のうちに宗教の勧誘を受けた事があると答えたそうで、その勧誘員を現在捜索中との事でござる。高坂氏もお気を付け下され」


「……ああ、分かった」



 俺が頷きを返す。それとほぼ同じくして、少年達が協会職員によって敷地外に停まっている車に連れ込まれている。朝倉さんと職員一名がそれを見送っている形だ。

 中本社長も電話が終わり、そこに合流する。……どうやら本来の目的である矢野ダンジョンの視察が始まりそうだ。



「……む、そろそろでござるな。高坂氏は何か聞きたい事はありますかな?」



 静香からの申し出に、せっかくなので気になる事を聞いておく事にした。



「静香の病院に梨々香が入院しているって話だが、どこに入院しているんだ? 見舞いに行く……と言うか、一目だけでも見ておきたいんだが」


「あー……それも伝え忘れておりましたな。梨々香嬢は面会謝絶ですぞ。レーフクヴィスト症候群の患者全員に言える事ですが、強い魔力を帯びた品や人物を近づけると重篤なアレルギー反応が出るので探索者は出禁でござる。ダンジョン産につき魔力を有するポーションを使えないのが痛し痒しだと医者がぼやいておりましたぞ。ちなみに福岡にある某医療施設に収容しておりますな」


「そうか……分かった。梨々香の事、よろしく頼む。ありがとうな」



 俺は静香に軽く頭を下げて感謝を伝える。静香はそんな俺にニヤニヤと笑みを向けながら「みずくさいでござるなー」と肩を突っついた。

 その笑顔は先程の少年達の蔑みを多分に含んだ物と違い暖かさを感じ、俺は少しだけ心の強張りが解けたような気がした。



 § § §



 正午に勤務を終えて、帰り道に適当にラーメンを食い、我が家に戻ると郵便が届いていた。梨々香が入院していた病院からだ。

 入院費の口座引き落としの請求書か? と思ったが、どうやらあかりや静香による転院の措置についての事後報告の手紙だったようだ。

 今月まで入院していた分に関しては静香が支払ったらしく、引き落としはナシとの事だった。

 そこまでしてもらわなくてもいいんだが……これではまるで俺がヒモみたいだ。後でしっかり金を返さなくては、オッサンの立つ瀬がない。

 せっかくダンジョン警備中の討伐巡回のドロップ品で普通の警備員より儲かるようになったんだ、しっかりと払う物は払いたい。

 俺はこの状況を「我が世の春が来た」と喜べるような甲斐性無しではない……と思いたい。



 梨々香の入院費はさておき、家の問題だ。足りない物がいくつもある。

 ほぼ常駐に近い美沙やちょくちょく上がり込んでくるあかり達が勝手に使うので、想定外の減り方をしている物の筆頭が食器用洗剤とトイレットペーパーだ。

 俺は長年の独り身生活のせいもあって、水洗いで済む物に洗剤を使う習慣が無い。

 だが綾乃と静香はちょっとした小皿を洗うのにもたっぷりと洗剤を使う。洗剤は無限に出てくる訳じゃないんだぞ、俺が買って来てるんだぞ。

 そして俺の部屋に入り浸るのであれば、当然皆トイレにも行く。するとトイレットペーパーの減りがめちゃくちゃ早くなった。

 こればかりは性差の問題なので無闇にツッコむとセクハラになりかねないし、トイレットペーパーを使うのを控えろとも言えない。

 結局、俺がこっそり買い足すしかないのだ。まあ、家賃等が浮いているので強く言えないだけなのだが……



 そんな訳で、俺は徒歩圏内の近所のスーパーに買い出しに行き、右手に十二ロール入りのトイレットペーパー、左手に食器用洗剤や今夜のお楽しみ用のビールとおつまみの入ったビニール袋を引っ提げて店を出ると……



「参ったなぁ、この辺のはずなんだけど……」



 この辺では見ない中学生くらいの子供がメモを片手にキョロキョロと見渡していた。

 格闘ゲームの主人公が持っていそうな古びたボンサックの紐を肩にかけ、ボロボロのTシャツと短パンに身を包み、その性別は……よく分からない。

 伸びた黒髪をポニーテールのようにしており、第二次性徴期が来ていないのかフラットな体つきや声変わりを迎えていない高めの声のせいで、一見しただけでは少年か少女か分からない。

 最近の子供は男子でもこういうかわいい系の顔立ちが多い。俺がガキの頃はもっとこう、どこから見ても男子って感じの奴ばかりだったと思うが……これも時代だろうか?



「あ、申し訳ありません、つかぬ事をお伺いするんですが……この辺にお住まいの方ですか?」



 俺の視線を受けてか、子供が俺に話しかけて来た。あまり不躾にジロジロ見るモンじゃないな、失敬失敬。



「ああ、そうだが……どこか探しているのか?」


「この住所なんですが、ご存知ありませんか?」



 子供が俺に見せて来たメモに書いてあったのは、俺の住んでいたマンションの住所だった。206号室……って、俺の隣だから美沙の部屋じゃないか?



「ああ、そりゃあ分かるが……ここの部屋の人間に用事があるのか? 知ってる奴の部屋だから少し驚いたよ」


「はい、僕の身内でして……もしかして、美沙をご存知で?」



 子供は少し驚いたような表情を俺に見せた。

 身内……って事は月ヶ瀬家の関係者か。そう言えば、月島君をちんちくりんにしたらこの子供に似ている気がする。

 なるほど、月島君の言う分家衆か……と俺は自分で勝手に納得した。それならもう206号室に住んでない事を伝えてもいいか。



「ああ、それなら言っておくが、もう美沙は206号室には居ないぞ。新しく出来た別棟に住んでる」


「ありゃ、それは聞いてなかったなぁ……ご案内頂いても構いませんか?」


「別にいいが、美沙からは何も聞いてなかったのか?」


「いやぁ、ここ最近ずっと山籠りしてたんで連絡を取れていなくてですね……携帯電話も壊れちゃったもんで、連絡も取れないんですよね……お恥ずかしい話ですが」



 子供は照れ隠しにてへへと笑いながら後ろ頭を掻いている。何ともかわいらしい。

 とりあえずほったらかしにするのも気が引けたので、仕方なく道を案内する事にした。

 まだ残暑がキツいアスファルトの照り返しを避ける様に日陰を選んで歩き、俺はファーマメント南観音の入口まで案内した。



「ここの一階だが……美沙は夕方まで仕事で帰ってこないぞ」


「えー!? じゃあ時間を潰さないといけないのか……参ったなぁ、お兄さんはこれからどちらへ?」


「俺はここの住人だ。二階に住んでるから帰るところだよ」



 俺がそう告げると、子供がひょいっと郵便受けのある軒下を見た。……その瞬間、子供の雰囲気が変わった。



「高坂……なるほど、あなたが……どうでしょう、少しお話ししませんか?」


「……?」



 俺が首を傾げていると、子供は何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。



「ああ、そうでした。自己紹介がまだでしたね。僕は月ヶ瀬空也と申します」



 月ヶ瀬、空也……? はて、つい最近その名を聞いたような……? 空也……空也?



「美沙の父親と言えば分かって頂けますか、彼氏殿?」



 そうだ、お好み焼きを食べていた時に月島君が言っていた。

 人間を辞めてるびっくり超人で、余りにも強くなりすぎたせいで博愛主義に目覚めた善人で、もうすぐ山籠りから帰って来る月ヶ瀬家の当主、それが空也という名だったはずだ。

 びっくり超人とは聞いていたが……まさかこんな子供の姿をしているとは思わなかった。

 本当にこの子供が美沙の父親なのかどうかとか疑問点は沢山ある。



《念の為、個体名:月ヶ瀬空也と名乗る少年と奥方様とのデータを照合しています。……遺伝情報は奥方様との血縁関係を示しています。しかし細胞年齢や身体的特徴が通常の人類と一線を画しています。具体的に称するならば「びっくり超人」でしょう》



 トーカから教えられた情報に内心で驚きながら、目の前の少年を見る。いや、とにかく、今俺がすべき事は……



「分かりました、お上がり下さい。……麦茶でも出しましょうか? お父さん」



 美沙が帰って来るまで、もてなす事だろう。空也さんは美沙によく似た笑顔で応えた。



「喜んで」

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