第45話
あかり達との会談から半月が経った。
俺と美沙の住むマンションと同じ敷地内に建築中だった新棟が数日前に完成した。
名称は「ファーマメント南観音」だ。あかり曰く、ファーマメントは空とか天空を意味する単語だが、俺を除いて全ての住民に天候やそれに準じた名字が付いている事から決めたんだそうな。
……闇ヶ淵の「闇」って天候関係に含めていいのか? どうもしっくり来ない。
まあ、そこは天地六家の方針があるのかも知れない。俺は知らない。関わりたくない。
俺は栄光警備に入社して以来ずっと住み慣れた狭い我が家を出て、広くて真新しい部屋に入居する事になった。
俺の部屋は新棟の二階になる。新しい部屋には霧ヶ峰の分家である霧崎ハウジングの担当者によって、既に一通りの家具が運び込まれている。
一度内見させてもらったが、実に先進的でハイテクな家具だらけで不安になったものだ。
温水洗浄便座が個人宅にあるなんて贅沢の極みだ。冷蔵庫とスマホが連携することで一体何の得があるんだろうか。手を叩いて照明を消すシステムはいつ使えばいいんだ? スイッチじゃダメなのか?
俺が知らないうちに、世の中がどんどん便利になっていく。
俺が元々持っていた家具は適当にリサイクルショップで適当に買い揃えた物で、状態があまり良くない事から、この際全て断捨離することとなった。
地デジチューナーを繋いで無理矢理使っていたブラウン管テレビや天板のあちこちが割れて剥がれたこたつテーブル、度々美沙が入り込むモンだからせんべいを通り越してゴーフレットのようにぺったんこになってしまった布団ともお別れだ。
惜別の念やもったいない精神から来る未練が無い訳ではないが、新居に持っていったところで邪魔になるだけなので、早々に安佐南区にある大型ゴミの廃棄場に持っていってもらった。
俺の持ち物は貴重品と衣料品と仕事に使う物と食器と枕、そして若い頃から捨てられずに溜まっていく一方だったオタクグッズくらいだ。この程度、引越し業者を呼ぶまでもない。
一階は美沙が、三階はあかりが住む事になっている。
俺と一緒に住みたいと美沙が駄々をこねたが「高坂さんにもプライベートでゆっくりしたい時もあるでしょうから、節度を持ちましょう」とあかりに却下されていた。
結果、この四人家族でも持て余しそうな広い部屋を俺とテイムモンスター達で住まわせてもらう事になった。
ただし、テイムモンスターの中でもヒロシマ・レッドキャップの面々は俺と美沙の部屋をフレキシブルに行き来させる事にした。うちの子達は美沙の事も大好きだからだ。
あかりは本業のアイドル業が一段落ついたようで、今後は中国地方をメインに活動を広げていくつもりらしい。
どういうコネを使ったのかは知らないが、広島の観光大使に任命された事でこちらに留まる大義名分を得たと喜んでいた。
観光大使としての使命を果たすため、広島で活動する際の拠点としてファーマメント南観音の一室を借り受ける……そんなカバーストーリーを用意しているようだ。
四階には闇ヶ淵、五階には霧ヶ峰が入居する。……ああ、いや、綾乃と静香か。名前呼びがまだ慣れない。
二人とも来週の丙種探索者の講習会を受ける事が決まっており、試験対策の追い込みに余念が無い。
五号警備……丁種探索者の試験と比べて丙種の試験は難しい。講習会も一日ではなく三日連続で行われる。
俺も市販のテキストを読ませて貰ったが、法令関係をかなり重点的に学ばされるようだ。次いで重要度が高いのがステータスシステム、同率でスキル関連だ。
綾乃は法令関係の出題と、「必ず」という文言が入っている問題文を高確率で間違える。
自動車免許も同様の理由から五回くらい再試験を受けた事があるらしく、総じてひっかけ問題と法律に弱いと本人が語っていた。
静香は過去問を全問正解しており、「公認会計士や司法試験に比べたら楽勝ですぞ」とドヤ顔をしていた。
美沙や綾乃のような異能こそ無いが、静香もまた日本を支えてきた特殊なお家柄のお嬢様であり、その頭脳も異能と呼んで差し支えない物のようだ。
しかし、そんな静香も綾乃の出来の悪さをどうにかするのは難しいらしく、仕事の片手間で必死で教え込んでいる所だとこぼしていた。
残る六階と七階は空室となっている。俺が出会っていない天地六家が残り二つあるが、まさかその関係者が住む予定なんだろうか?
気になって美沙に聞いてみたら、ハイライトの消えた目でじっと見つめられ、「次はお前がこうなる番だ」とでも言わんばかりに無言でりんごを握りつぶされた。とても怖い。
もしかして女か? 女なのか? これ以上増えるのは勘弁して欲しい。
そんな賑やかな新たな我が家から出発して、俺は今日の現場へ向かった。
§ § §
「はい、白石豊さん、水原聡さん、桜井由衣さんの三名パーティですね。特に異変の報告はありませんが、お気をつけてお進み下さい」
「はーい、ありがとうございまーす」
重装甲の男と魔導士っぽいローブを着た男、そして露出度の高いコスプレ忍者のような出で立ちの若い女の三人組がダンジョンの奥へと歩いていく。
俺は今しがた見送った三人組の情報を守衛室に備え付けの管理端末で確認する。三人とも探索者の従事年数も長く、レベルも相応にあるので苦戦する事はないだろう。
昨今のダンジョン入場受付は簡単かつスムーズになっている。
スマホや探索者証をリーダーにかざすだけで資格情報が管理端末に送信される仕組みになっており、よっぽどの機械オンチでなければ簡単に確認出来るようになっている。
五号警備が始まった当初は帳簿に名前や住所や連絡先を書いてもらって、何なら資格者証をコピーまで取っていたと言うのだからテクノロジーの進歩は目覚ましい。
今日の現場は宮島ダンジョンだ。広島屈指の観光地にもダンジョンがしっかり生えてしまっている。
宮島観光協会にとって幸運だったのは、フェリー乗り場から厳島神社を通り過ぎた先にある多々良潟に出現した事だ。
多々良潟は細い山道をかなり歩いた所に広がっている小さな砂浜だ。養殖用の牡蠣棚が並んでいるくらいで特に目を引く物は無い。
安芸の宮島を楽しみに来た人は厳島神社、足を伸ばしても水族館あたりで回れ右をしてしまう。
こんな所まで来るのはトレッキング目的の登山家か自然豊かな植物を見に来たナチュラリスト、もしくは地元住民くらいだ。
ここはダンジョンが出来た当初、地元と探索者協会が揉めに揉めた。
探索者協会はダンジョンまでの交通のアクセスが死んでいる事を問題視して山道の拡張を提案したが、地元住民から猛反対を食らった。
宮島・弥山は神のおわす島……みだりに人の手を加えるべきではないというのが地元住民の主張だった。
特に多々良潟は広島大学の植物研究所名義の敷地があり、その点からも非難を受けた。
譲歩に譲歩を重ねた結果、対岸の大野町から三十分に一度の渡船を運行させ、ダンジョンへ潜る探索者や物資を運び込むルートを構築するに至った。
俺も今日はその渡船で来たし、帰りも船で帰る予定だ。ラピッドフライトは便利だが、あまり多用しすぎるとボロが出てしまいそうだからだ。
「……今日は思ったより入場者が多いねぇ」
ボソボソと小さい声で俺に話しかけて来た隣に座る男性警備員は今日の相勤者、田島さんだ。
いつも顔色が悪く、病的に細く、そして覇気のない声がトレードマークだ。
頬がこけ、吹けばティッシュのように飛びそうなその存在感から付いたあだ名が「こけティッシュ」。もはやイジメのようなあだ名だ。
そんな田島さんの事を不気味だと嫌う人も多いが、俺は田島さんの事は嫌いではない。
仕事を投げ込まれると断れない押しの弱さはよろしくないと思うが、業務には人一倍真面目に取り組んでいる。
影の薄さのせいでさりげなくなりすぎて誰も気付いていないが、困っている時は率先して助けてくれる気配りの人でもある。
……しかし、今日の田島さんはいつにも増して顔色が悪い。ハロウィンの時期だったらゾンビの仮装を疑うくらいだ。
「そうですね、もう少し客が少なければ休憩回しも楽なんですけど……田島さん、もしかして夜勤明けです?」
「ああ、うん、そうだね……日勤夜勤明けての日勤だね」
俺の雑談混じりの質問に返って来た答えに頭が痛くなる。何考えてんだ弊社は。
人手不足を錦の御旗のように掲げ、田島さんのような押しの弱い人に無茶な連勤を押し付けるのは悪しき風習だ。
サブロク協定? 何それおいしいの? と言わんばかりの鬼畜シフトはおそらく木下専務の仕業だろう。
春川常務も酷いシフトの組み方をするが、あの人は変な所で臆病だ。法令に違反しかねないような人使いはしない。やるとしたら木下専務だ。
あの人、自分が叩き上げだからって田島さんだけじゃなく隊員を奴隷か何かと勘違いしている節があるからな。断らない奴ばかりに厄介な現場を押し付ける癖はマジで改めた方がいい。いつか刺されるぞ。
「田島さん、嫌だったら嫌って言わないと永遠に仕事振られますよ? 管制室の奴らは出てくれてありがとうなんて思いませんよ? 空きが埋まってラッキーくらいにしか考えてないんですから」
「うん……それはまぁ、そうなんだけど……人居ないのは事実だしね」
田島さんがゆらりゆらりと揺れながら言い訳を漏らす。……これもう眠気とか体調不良とかで既に限界を超えてるんじゃないか?
これが「徹夜で飲み明かしてました」とか「ゲームやってて寝るタイミングを逸しました」なんて話であれば思いっきりどやしつけるのだが、田島さんの場合は働いた結果のこの有様だ。怒るに怒れない。
いっその事エリクシック・ヒールをぶっ込みたくなるが、あれはあかりからの提案で「存在しないスキル」として扱う事になっている。
回復魔法ってだけでも大変レアだと言うのに、その効能がエリクサー相当である事実はバレたら飼い殺しにされるか殺されるかのどちらからしい。
なので申し訳ないが、田島さんにはこのままフラフラしてもらうしかない。
「田島さん、大丈夫ですか? この後の討伐巡回、無理そうなら俺一人で行きますよ」
「大丈夫……うん、大丈夫、行けるよ……」
申し訳ないが、全然大丈夫そうに見えない。
五号警備は車両誘導や守衛業務とは比べ物にならないくらい危険な現場だ。命懸けの切った張ったが日常茶飯事の荒事の世界だ。
そんな所に万全のコンディションでない人間を数合わせで放り込まれるのは困る。いかに管制室が五号警備を軽視しているかがよく分かる事例だ。
「いや、正直今の田島さん見てると三階まですらもたない気がするんですが……」
「ダメだったらダメだったで……置いてってくれたらいいから……その方が楽になれそうだし……」
良くない良くない! 俺を犯罪者にするつもりか! あとサラッと希死念慮を混ぜ込むんじゃない!
俺はため息をつきながら、管理端末のデータの整理を始めた。マジで田島さん置いて言った方が良さそうな気がしてきた。
§ § §
宮島ダンジョンの基本構造は第一階層から第十階層までは山登り、第十一階層から第十六階層までは厳島神社の廻廊や平舞台を彷彿とさせる海上の回廊で構成されている。第十階層にエリアボスが居る事から、海上回廊エリアも同様に第二十階層にいる事が予想される。
エリアボスの回想の予測は出来ても実際に把握しているのが第十六階層までなのは、そこから先の踏破が行き詰まっているからだ。
何故第十六階層で探索者が足止めを喰らうのかと言うと、精神異常を引き起こす魔物が多く存在しているのが主たる原因となっている。
魅了系の魔法を使うサキュバスとインキュバス、幻惑効果のある胞子を飛ばしてくる歩くキノコのハルシネーションファンガス、過去のトラウマをほじくり返してその映像を見せつける真っ赤な人影ことパストシェードと盛りだくさんだ。
実際、興味本位で十六階を覗いたせいで手酷い精神ダメージを食らい、死にそうな顔で帰ってくる奴らもいる。
ゲームであれば精神耐性効果持ちの装備で固めてのゴリ押しが効きそうだが、ところがどっこいここは現実。そんな都合のいい物は簡単には見つからない。
噂では奈良かどっかのダンジョンで精神攻撃無効のタリスマンが見つかったって話だが、ここや他の精神攻撃がネックなダンジョンの攻略が進んでいないのでガセネタの可能性はある。
俺達警備員はそんな危険な深層まで行く必要はない。警備員の巡回ルートはエリアボスのいる第十階層への階段手前で引き返し、そのまま一直線で受付まで帰るルートとなっている。
海上回廊エリアから魔物がグンと強くなるが、山道エリアはそうでもない。虫系の魔物が多いので虫嫌いであれば地獄だろう。
そんな感じの分け入っても分け入っても青い山といった山道の迷宮を、俺と田島さんは進んでいく。
俺はともかく、田島さんは歩くのも精一杯の様相だ。正直探索者からも「こんなへろへろになってる奴を戦闘エリアに立ち入りさせるな」と怒られかねない。
しかし最低でも二人一組で回る事がダンジョン警備の就業規則でも明記されている。他の警備会社に頼るわけにもいかないので、半死半生モードの田島さんでも引き連れなければならない。
先程受付した三人パーティが結構魔物を間引いてくれたようで、あまり魔物と出くわさないのが不幸中の幸いだ。
ちなみに、俺の装備は栄光警備の標準装備と化した東洋鉱業製現行モデル最高峰である「不抜」ではなく、ダンジョン・ゴーレム騒ぎの時に回収されていた未発表の次世代フラグシップ装備群「八重垣」である。
結局装備から送られたフィードバック情報に間違いは無かったとして、俺のステータス情報を基に徹底的なオーバーホールが施され、先週手元に帰ってきた所だ。
大幅な変更は無いが、強度の怪しい部分を見直して補強を加えたとの事だ。
襲いかかってきたでっかいダンゴムシを一刀のもとに斬り伏せる。噛んだり刺したりする虫じゃないから接近する事に恐怖は無い。
体当たりは痛いし、のしかかり攻撃なんかは貧弱な装備だと装備ごとひしゃげる程度には重いのだが、アーマーでカバーされていない部分に口吻を突き刺そうとする人間大の蚊や、大型犬サイズのアリの群れに比べたら大した事はない。
このヒュージピルバグと呼ばれるダンゴムシの魔物は、切断系の武器で切りかかるよりも打撃系の武器で叩く方が効率が良いとされている。
剣だと弾かれるし、生半可な強度だと刃が潰れるからだ。俺が一刀両断出来たのはあかりのバフと東洋鉱業の最新鋭装備が成せる業で、ぶっちゃけズルのような物だ。
この手の魔物に対して普通の探索者は、剣や刀の形に加工されてはいるが刃がついていない鉄塊で応戦するのが基本戦術だ。スキルの武器種制限があるので、武器種に沿った形でなければスキルが発動しないからだ。
そんな理由もあり、ナックル系の打撃武器を武器種指定されているマーシャルアーティストである田島さんにとっては独壇場のはずだった。
二体出ていたので片方を田島さんに任せていたのだが……ダメだこの人、戦力になっていない。
拳を振り回すというよりも拳に振り回されている。ステータスがあるお陰でどうにか命中しているが、カス当たりも多く威力が乗っていない。
同じマーシャルアーティストの嶋原さんと違ってスキルの発動も見られない。たまに思い出したように突進系のスキルを使うが、それもタイミングが合っていない。
疲れのせいか、はたまた練度不足か……少なくとも宮島ダンジョンに入るにはレベルが足りていない。
俺に遅れる事五分、ようやく動かなくなり金色の粒子に変わっていくヒュージピルバグを前にして、息も絶え絶えで大汗をかいている田島さんに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ひい……ひい……ご、ごめんね……時間かかっちゃって」
「田島さん、ここから先は俺が討伐を担当しますから、後方の警戒お願い出来ますか?」
「うん……本当ごめんね」
謝り倒す田島さんだったが、結局その後もボロボロだった。
後方警戒を任せると巨大な蚊のバックアタックを許し、前方の索敵は魔物を見つけられず、進軍スピードも田島さんに合わせなくてはならず……その結果、言い方は悪いが田島さんはとんでもないお荷物になってしまっていた。
田島さんが他人に仕事を押し付けてケロッとしているクズであれば俺も気が楽だが、田島さんは役に立っていない自分を不甲斐なく思うタイプだ。
挽回しようとして裏目に出ている田島さんを怒る事も出来ず、俺もフラストレーションが溜まる。
九階層まで到達する頃には、俺がゴリ押しで魔物を倒して回る不健全なパーティ運営を強いられていた。会話なんてある訳がない、空気が死んでいる。
「じゃ、戻りましょうか」
「う、うん……ごめんね」
俺は黙って引き返す。「そんな事ないですよ」とか「気にしないで下さい」なんて言葉が出ないあたりで察して欲しい。
この件はしっかり管制室にクレームを入れさせてもらおう。いくら何でも酷すぎる。
この状態でダンジョン警備をさせるなんて、田島さんだけでなく相勤者をも危険に晒しているのと同義だ。
俺はバフと装備とレベルのお陰で対処出来たし、美沙や嶋原さんでもどうにか出来ただろう。しかし、他の隊員だったら負傷したり死んでいた可能性がある。
現場名が並んでいるだけのホワイトボードからでは分からない危険を理解していない管制室なんて存在する意味が無い。今回はきっちり説教しなくては……
「高坂くん、お……怒ってるよね、本当ごめん……」
俺の顔色を伺いながら、田島さんが謝罪する。
「そりゃあ怒りますよ。そんなコンディションで出てきた田島さんも田島さんですけど、命のやりとりが業務の五号警備従事者にアホみたいな勤務をぶっ込む管制室……と言うか木下専務や春川常務に腹が立ちますよ」
「そうだよね……ごめん、断りきれなくて……」
「そこなんですよ。アイツら、田島さんが断れないのを分かってて話持って来てるんですって。そりゃあ腹が立つでしょ、迷惑被るのは相勤者なんですから」
「ごめん……迷惑かけて……ごめん……」
田島さんの消え入りそうな謝罪の声を背に受けながら、俺はゆっくりと山を降りていった。
俺は何度も田島さんに自分自身を責めないように念を押したが、返事は返って来なかった。




