第33話
越智君取り逃し事件から数日経った。
探索者協会から通報者である美沙に「逃走犯のお礼参りに遭う可能性があるので、外出は最低限に控えるように」との連絡が来た。
越智君の情報を提供したであろう栄光警備にも同様の連絡があったらしく、美沙はしばらく出勤を自粛させられる事になった。当然、無給である。
美沙はと言うと呑気なもので、外出出来ないのを良い事に俺の部屋に入り浸っている。
俺から家事を全て取り上げ、良妻ロールプレイに興じたいようだ。俺としては楽だが、それはそれで怖い。
同棲状態も含めて既成事実化しそうだが……いや、なし崩し的ではあったが、やる事を既にやってしまっている訳だからもう手遅れではある。
美沙は「モグリ探索者なんてあたしの敵にもなんないっスよ」とは言っていたが、違法カスタムステータス持ちが相手となると話が違ってくる。
違法カスタムステータスとは、近年数を増やし始めている特殊なステータスシステムで、世界各国のアンダーグラウンド界隈やダークウェブで流通しているステータスの改造プログラムだ。
中国産の「超人状态板」やオランダ産の「Overheat」あたりが有名で、これらのプログラムをステータス付与装置や改造済みのステータス閲覧装置を介してインストールする事で特殊な機能を追加できる。
基礎能力の過剰な強化やスキルのリミット解除を行う……まさしく「チート」を可能とする危険な代物だ。当然、ステータス持ちでなければ使えない。
「おーい、高坂ー!」
通常のステータスシステムが違法カスタムステータスのような各種ブースト機能を採用していないのには理由がある。危険な副作用があるからだ。
ブースト機能は使用者に多大な負荷がかかる為、長時間の使用はもちろん、短時間の使用も頻度によっては身体・精神へ重篤な異常を来たす。
それだけでなく、能力値向上に伴う全能感は強い依存性があり、ブースト機能の使用が常態化してしまう。
最終的には狂人になるか廃人になるかのどちらかという、非常にリスクの高い機能だ。
ゲームのチートはデータをいじるだけで簡単かつ永遠に強くなるが、現実はそう簡単にはいかない。健康と安全性とのトレードオフで手に入る強さが一時的な物では割に合わない。
ちなみに違法でないカスタムステータスも存在する。レベルアップ時に通知音を鳴らす「あんたも成長したもんだ」、AM・FMラジオの聴取が可能になる「GAGA」、ダンジョンでの収支を自動で集計して事前に指定した割合で分配する計算機「なかよしわけっこ」、タイマーや世界時計準拠の時報プログラム「Ohayo!」なんかが定番だ。
俺はそういったカスタムは入れていない。スマホがあれば事足りるからだ。
違法カスタムステータスを導入済の敵戦力が越智君だけであれば美沙なら簡単に倒せるだろう。だが、もし越智君に違法カスタムステータスを導入させた団体が手駒勢揃いで襲いかかってくるとしたらどうだろう?
美沙の戦闘スタイルはあまり一対多数を想定していない物でもあるし、敵勢力の戦力が判明していないうちは迂闊な真似をすべきではない。
これが物語なら、美沙が此彼の戦力を侮って外出している所を数を頼みに誘拐……となるのが定番だ。
フィクションと現実を一緒にするのは良くないが、十分あり得る話だと思う。美沙には何度も言って聞かせておいたので多分大丈夫だと思いたい。
美沙に「事態が落ち着くまで買い物にも出ないように、買い物に行く時は俺が帰るまで待つように」と伝えたら「彼氏に大切にされてて幸せ」と大喜びしていた。本当に緊張感が欠落している。
「おい、高坂! 聞いとんか!」
しかしそれで問題が解決する訳ではない。
広島県警と探索者協会広島支部が総力を挙げて越智君を捜索中だが、未だ手がかり一つ見つかっていないと言う。
俺達の即席のカマかけに引っかかる程度のバカがおいそれと逃げ仰るとは思えない。逃走には外部の協力があったと見ていいだろう。
そうなると、美沙を俺の部屋に閉じ込めておくのは長期的に考えると悪手だ。ターゲットがほっつき歩かないとなれば、普通は居所を探るだろう。
いっそ美沙には実家に隠れて貰った方がいいのだろうか? いや、でもそうなると美沙の機嫌が悪くなるだろう。約束を盾に「一緒に来てくれないと嫌っス」とか言いそうだ。
まだ付き合って一ヶ月も経っていないのに実家訪問とか早すぎる。それはもう結婚間近のカップルのムーブだ。
それに美沙の親父さんは武芸の研鑽を重ねた日本最強の傑物らしいし、そんな人に「ワシの娘はやらん」と一発叩き込まれた日には、東洋鉱業の装備を着込んだとしても飴細工のようにベッキリと……
「アホタレーーー!!」
いきなり後頭部に衝撃が走った。ダメージは軽微だが、唐突な攻撃に俺は頭を抱えた。
「あいたたた……何するんですか嶋原さん」
「何しとるんかはこっちのセリフじゃい! お前ボーッとすんのもええ加減にせえよ! お前今ここがどこか分かっとるんか!」
こめかみに血管を浮かび上がらせて怒鳴っているのは弊社の職人と名高い警備員、嶋原さん……今日の仕事の相勤者だ。
そして、ここがどこかなんて言われなくても分かっている。ここは俺がタゴサクや赤帽軍団をテイムした田方ダンジョンだ。今は巡回警備中で……あれ?
「ここ……どこです? 第五階層……じゃないですよね」
「ハァ……その調子じゃったらマジで何も考えんでここまで来たんか……ここは第七階層、お前が人の話も聞かんで出てくる魔物を瞬殺しながらズンズン進んだ結果がこれよ」
サーっと血の気が引く。以前の田方ダンジョンだったら大問題になっていた所だ。
「全く……自治会が手ェ引いた後じゃけぇまだええ物を、前のままじゃったら草津港で魚の餌になっとったで」
「いや、本当反省してます」
以前、マリンフォートレス坂で行われたモンスターテイマー最強決定戦が世間に拡散された結果、かわいい魔物人気に火がついた。
それに伴い、かねてから実証実験で得られたデータを元に探索者協会広島支部が「魔物はテイムされた時点で自我が発生し、人間に対して好意を持つ」との発表を行った。
無論、テイミングスキルを持たない探索者にとっては魔物は依然脅威のままだが、比較的テイミングのスキルカードが手に入りやすいダンジョンが見つかった事もあり、テイミング保持者が増えるのは時間の問題だろう。
ちなみに探索者協会発表によるテイミングのドロップの可能性があるダンジョンは東京の上野ダンジョン第三十二階層、大阪の十三ダンジョン第五十六階層、熊本の古閑ダンジョン第四十階層ボス部屋の三箇所だ。
どのダンジョンも周回するにはかなりの実力が必要であり、大量生産には程遠い。
しかし不安定とは言え、供給が入った事によるスキルカードの価格低下のおかげでテイミング保持者はじわじわと増えており、ここ田方ダンジョンにも性の捌け口以外の用途で魔物を求める客が増えているのは事実だった。
これまでは夜のお店の客層同様に怪しい雰囲気を醸し出している探索者ばかりが闊歩していたが、普通の探索者が増えてしまってはグレーゾーンとして放置する訳にもいかなくなってしまった。
元々は探索者の権利についてのお上への突き上げがキツかった時代に生まれた負の遺産であり、いつかは解決しなければならない問題だったが、いいキッカケが転がり込んできた形だ。
探索者協会は広島県警とタッグを組んで浄化作戦を敢行、半グレ集団と化していた「田方ダンジョン自治会」を自称する魔物性風俗総括団体を駆逐することに成功。我々ダンジョン警備員の業務も適正化されることと相なった。
つまり俺の第七層突撃もノーカンだ。危ない所だった。巡回要領では「可能であれば第六階層まで見て欲しい」となっていたので一階層オーバーしているが、問題はない。
「しかし高坂、お前が仕事中にここまで気が抜ける事なんてあったか? 体調でも悪いんか?」
「ええ、ちょっと私生活で色々ありまして……すみません」
俺が軽く頭を下げると、嶋原さんは手をひらひらと振って背を向けた。
「ええよ、これが他の奴なら怒鳴り散らす所じゃけど、お前は真面目な奴じゃけぇ……ま、上に帰ろうや、ええ時間になるじゃろ」
「はい、ご迷惑おかけします」
「言うて道中の敵は全部お前が狩り尽くしてしもうたけぇ、帰り道は楽じゃけどな」
俺は申し訳ない気持ちで一杯になりながら、第一階層への帰途へ着いた。
§ § §
その後何事もなく本日の業務は終了した。が、嶋原さんが少し気になる事があるから話をしたいと申し出て来たので、近場のコンビニでコーヒーを買った。
駐車場の片隅でオッサン二人が膝を突き合わせて雑談とは華のない絵面だ。これで飲ってるのがコップ酒にスルメイカだったら逆に絵になるのだろうが、俺達はこの後バイクで家に帰らなければならない。
警備員が法律を守らずに何とする。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、だ。
「……そんな訳で、美沙……ええと、月ヶ瀬と付き合う事になりまして」
「なーんじゃい、やっとか」
越智君の話をするより先に前提情報を伝えておかないといけないと思い、美沙との事を伝えたが……嶋原さんのリアクションが思った物と違った。めっちゃあっさりと受け入れられてしまった。
もっと「お前みたいなオッサンが若い子とひっついてどうする」とか言われると思ったんだが……
「驚かないんですね」
「そりゃあお前、月ヶ瀬見とったら分かるじゃろ……お前にはベッタリひっついて、他の男には分かりやすいくらい拒絶反応を示して……むしろみんな『何で高坂は気付かんのんや』言うてドン引きしとったぞ」
「そんなにですか……妙に俺に懐くなあと不思議ではあったんですが、実は十年前くらいに会ってたらしくて……」
「お前……それは気付いてやらんと月ヶ瀬が可哀想じゃろ、わざわざ追っかけて来るとか普通せんぞ。大切にしたれよ」
うんうんと頷く嶋原さんを見て、本題から離れつつある事に気がついた。俺の恋愛話じゃないんだよ、本当に話したい事は。
「それで、本当に悩んでるのは違う事でして、まず、こないだの事なんですが……」
俺は八月六日にばったり出くわした事に端を発する越智君とのあれやこれや、状況から考えても越智君の逃走は協力者がいるとしか思えない点、そしてこれからどうやって美沙を守れば良いかを考えあぐねている事を嶋原さんに伝えた。
「ふーむ……月ヶ瀬自体の戦闘能力は高いじゃろ、ワシも何回か組んだ事があるが、結構なお手並みじゃったで」
「でしょうねぇ……」
「じゃけぇ月ヶ瀬は家から出んかったらどうにかなると思うんよな……建物内は一対多にはなりにくいけぇ、一人ずつ相手にすればある程度は保つじゃろ? 相手が無法者じゃったら周囲に人がいるシチュエーションでの長期戦は嫌がるはずじゃけぇ、助けが来るまで耐えればええ」
空き巣は侵入に七分かかると諦めるというデータがある。それに照らし合わせるなら、確かに時間がかかればかかるほど発見されるリスクが高くなるはずだ。
「問題はお前よ、高坂」
「え、俺ですか?」
「ほーよ、お前はナイトじゃけぇ多数に囲まれると耐える事は出来ても殲滅力が足りんで押し負ける可能性はある……って言いたかったんじゃけど、お前……ナイトにしては強すぎんか?」
嶋原さんがゆるく拳を作って俺の脇腹を小突いて来る。果たして本当にそうだろうか?
東洋鉱業の最新鋭装備のおかげで巡回中に魔物からダメージを受ける事が無くなった。しかしそれは装備の性能のおかげであり、俺の強さのせいではない。
「いや、そんな事はないと思いますけど……」
「今日の巡回がええ例よ。ワシはマーシャルアーティストじゃが、スピード命なジョブなのは分かるじゃろ?」
「ええ、コンボを叩き込んで制圧する手数重視のジョブですよね。それが何か?」
「今日のお前、ワシでも追いつけんかったで。それに火力が出過ぎとる、ナイトが近接攻撃の専門職よりもダメージがデカいとかどうなっとんなら」
いや、さすがにそれはおかしい。ナイトの攻撃力はそこまで高くないはずだ。
ナイトは味方や自身の守護のために攻撃性を捨て、防御性能に特化したタンク職だ。
これが同じ片手剣と盾を使うジョブでも、ソードマンであれば事情が変わる。あちらはベストコンディションで敵を攻撃する為に自分の身を守る近接職だ。
「攻撃力は武器に依存する部分が大きいと思いますけど……スピードは気になりますね、エンチャントやバフがかかってる訳でもないのに」
「それにスキルのクールタイムが明けるのが異常に早いんよ。スマッシュ・ヒットってあんなポンポン打てるもんじゃあないじゃろ?」
「どういう事でしょう……? ちょっとステータス見てみます」
俺は残ったコーヒーを口に含みながら、ステータスを開いた。
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Advanced Status Activate System Ver. 5.09J
◆個人識別情報
名前:高坂 渉 性別:男性 年齢:39
所属:日本迷宮探索者協会 広島支部(特例甲種)
ジョブ:ナイトLv.28 武器種:片手剣・盾
◆基礎能力
筋力:S+ 体力:S+ 魔力:S 魔技:B
敏捷:S+ 器用:A 特殊:S
作動中:基礎能力値向上(+B相当)
スキル効果×3
スキルクールタイム1/3
◆ジョブスキル
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俺は口の中のコーヒーを贅沢に吹き出してしまった。少し気管に入ったせいでむせてしまう。コーヒーの霧は嶋原さんにかからなかったようで、それだけが救いだ。
「どうしたんや高坂、大丈夫か?」
「いえ……なんかとんでもない事になってて……なぁにこれぇ……」
基礎能力値が軒並み上昇している。確か一番高い項目でもCが最高だったはずがS+になっているし、一番低かった魔技……魔法を行使する上で必要になるステータスもBまで上がっている。
レベルは前回見た時から一つ上がっているが、そんな上がり幅じゃない。もし人から見られたら何らかの不正を疑われるレベルだ。
ステータスシステムのバグとしか思えないレベルのバフがかかってるのは見れば分かるが……出所はどこだ? 全く心当たりがない。
せいぜいこの間江田島ダンジョンに行った時にあかりから受けた歌唱バフくらいなモンだが、何日ももつような物ではないはずだ。一体何なんだ、これは……?
「……お前、まさか……違法カスタムステータスを……」
「やってないやってない、そんなん触った事もありませんよ! そもそもカスタム自体アラームすら入れてない真っさらな状態ですよ!」
「だよなぁ……どんくらい強くなっとるん?」
ここで馬鹿正直に「S+です!」と伝えようモンならフカシ扱いされるか違法カスタムステータスを疑われてしまう。
かと言って低めにサバを読むと話に説得力が無くて信じてもらえない。どうにか切り抜けないと……
「スピードと筋力共にAですね……何でこんな事になってんのかよく分からないですけど……」
「筋力はともかくスピードがA!? ナイトの成長係数じゃと相当レベルが高うないと到達出来んはずじゃけど……」
「何でなんですかね……装備にエンチャントがかかってるんですかね……?」
「でも今は脱いどるけぇ、エンチャントは……いや、近くに置いとるだけでも効果のある範囲エンチャントも存在するとは聞いた事あるが……スピードが上がるとクールタイムも短くなるんかのぉ……分からんなぁ」
嶋原さんは頭をボリボリと掻いた後、ため息をついて残ったコーヒーを飲み干し、空き缶を自身のバイクの後方についているヘルメット入れへと押し込んだ。
コンビニにもゴミ箱があるんだから捨ててくればいいのに、嶋原さんはいつもゴミを自宅まで持ち帰る。
「とにかく、この事は内密に願います。俺も何が起こってるのか分かりませんし、装備由来だったら東洋鉱業の機密に関わりそうなんで……」
「分かった、墓まで持ってく事にするわ。お前もあんま人前で迂闊な事をすんなよ、気付いたのがワシじゃけぇまだ良いが、春川さんに知られたら広島中に知れ渡るで。あの人おしゃべりじゃけぇ」
「はい、気をつけます」
話はおしまいとばかりに嶋原さんはバイクに跨り、俺に別れの挨拶を告げると帰って行った。
自宅でハムスターを飼っているらしいので、その世話の為にも一刻も早く帰りたいのだろう。わざわざ時間を割いてくれたのは感謝の一言だ。
俺も早く帰らないと、美沙が家で待っている。俺はコンビニのゴミ箱にコーヒーの空き缶を捨て、バイクに乗って南観音の自宅を目指してアクセルをふかした。
§ § §
尾けられている。そう感じたのは庚午橋に差し掛かる前の三叉路あたりだった。
俺の後ろをぴったりと大型のバンが追いかけて来ている。試しに庚午橋を渡って少し走った後、空港通りの交差点を右折すると、やはり俺と同じ方向へ曲がる。
前後の車と同じ方向に行くという偶然はバイクに乗っていると度々あるが、こっちの速度にピッタリ合わせて来るのは異常だ。普通ならスピードを緩めた段階で追い越したりするはずだ。
もしこの車が越智君絡みの追跡者だとすれば、このまま真っ直ぐ帰る訳にはいかない。美沙を危険に晒す羽目になってしまう。
気のせいだと思いたいが、安易な思い込みが致命的な失敗を招くケースを業務上よく知っている。念には念をの精神で対処するのがいいだろう。
俺は物流倉庫や工場の居並ぶ二車線の道路をさらに直進する。このまま真っ直ぐ行くと観音マリーナ海浜公園に辿り着く。
公園と呼ぶにはあまりにも殺風景な何もない空き地だが、その方が逆に良い。
昔は結構な数の釣り人がいたが、警備員が一日中張り付いている状態での釣り人の追い出しが行われた結果、訪問客はほぼ居なくなっている。戦闘になっても巻き込まれる一般人は居ないはずだ。
もしバンが俺を追跡してきた者であればそこで誰何すればいいし、途中で離れたら俺のただの思い違いだ。それはそれで結果オーライだ。
俺は間も無く視界に現れるであろう観音マリーナ海浜公園に向かって、スピードを上げた。




