第29話
今回のアタック最後の下り階段を降りていく。この下が階層ボスの出る十階層だ。
十階層から下は広大な森が広がるフィールド型ダンジョンとなっており、難易度が一段階上昇する。今のメンツでの攻略はちょっと……いや、かなり厳しいだろう。
階段を降りる際に手を繋ぐ順番は左から俺、月ヶ瀬、幸村、氷川さんだ。これは二階層に降りた時からずっと変わらない。
俺と手を繋ぐのを氷川さんが嫌がり、氷川さんと手を繋ぐのを月ヶ瀬が嫌がり、俺と幸村が手を繋ぐのを氷川さんが嫌がった結果の消去法的な並びだ。
女性だらけのパーティで手を繋ぐなんて、普通に考えたら鼻の下の一つでも伸びそうなイベントだ。
しかしこの殺伐とした雰囲気のせいで地獄と化している。月ヶ瀬も氷川さんも剣呑な雰囲気だし、幸村は表情が死んでいる。
思えば、ダンジョン絡みの人付き合いでここまで険悪な雰囲気になったのは初めてだ。
一番最初に俺をハメた三郷セキュリティの石原もいけ好かない奴だったが、それでも氷川さんほど露骨ではなかった。
嶋原さんの厳しさも職務遂行の熱意の裏返しであって、不和の種をばら撒きたいからじゃない。
何の理由もなくギスギスしているパーティがこんなに辛いとは思わなかった。暗黙の了解が出来上がるのも頷ける。
階段を一番下まで降りた俺達を待ち受けていたのは、一辺が百メートル程はありそうな四角いバトルフィールドだった。
ツルツルとした大理石のような材質で出来ており、水でもばら撒かれたら靴の材質によっては滑って転んでしまいそうだ。
そんな白亜の決戦場のど真ん中には、五メートル程の二足歩行の鮫がいた。パッと見はホオジロザメっぽいが、目に宿す狂気は野生のサメのそれではない。
腹ビレのあたりからニョキっと生えた筋肉質な人間の足でしっかりと立ち、人間の腕のように変形・発達した胸ビレでタルワールのような曲刀と宝飾が豪華なラウンドシールドを構えている。
異様な雰囲気の階層ボスを目の当たりにして、俺は率直な感想を月ヶ瀬に耳打ちで告げた。
「あのサメ、映画の題材にしたら一部のマニアが喜びそうだな。ダンジョン・シャークとか言って」
「ダメっす、先輩。ダンジョン・シャークは既にあります。六年前にベン・アンダーウッド監督がカリフォルニア州のカンブリアダンジョンで撮影して、一昨年封切りになった奴っス」
「もうあるのかよ……流石だな、サメ映画業界」
「はい、一応見に行きましたけど、今世紀最悪のとんでもないクソ映画でした。十分そこそこで寝ちゃいましたからほとんど内容覚えてねぇっス。ちなみにサメ映画マニアにはドン引きするくらい大好評でした」
実際に見に行ってんのか。よくそんな物を放映する映画館を見つけたもんだ。横川の映画館か? それとも八丁堀の奴か?
俺達の雑談を遮るように、幸村が一つ大きく咳払いをした。表情と気を引き締めて、幸村へ体を向ける。
幸村は俺達の傾聴の姿勢が整ったのを確認してから、ブリーフィングを開始した。
「それでは、このステージを使えるようにする為のお掃除を開始しましょう。見ての通り、一番大きな障害はあちら、歩くサメです。名称はシャーク・ウォリアーです」
「アイツの行動パターンは判明してるんスか?」
「はい。基本的には両手の剣と盾を扱い、探索者のソードマンに似た振る舞いをします。スマッシュ・ヒットや貫通攻撃のペネトレート、シールド・バッシュからノックバックを引いてダメージとスタンを足したようなシールド・スマイトなんかを使います」
「基本的にはって事は、例外もあるんスよね? そっちはどうです?」
「床に水魔法を撒いて、地面を滑って噛みつく行動が確認されています。動きは単調ですけど、物凄く速いので早めに避けましょう。突進を回避しても海に飛び込まれ、水中からの飛びかかりもあります。滑りやすいので足元にも注意してください」
念の為スマホで情報を調べてみたが、幸村の説明通りだった。
加えて、討伐の適正レベルは今の俺達よりちょっと下だ。楽勝ではないが、そこまで目立った苦労はしないはずだ。
とはいえ初見の相手、油断せず全力で当たらないと凡ミスでやられる事だって考えられる。
ダンジョンアタックはゲームとは違って、何度もやり直しが効くわけじゃない。命は誰だって一つだけだ。
「今回は私もサポートに入ります。味方全員への能力向上スキルと敵への妨害スキルを交互に入れていきます。敏捷性や攻撃の威力が増減しますので、感覚の切り替わりにご留意ください」
「そういやあたしも先輩もダンジョン警備員っスから、バフ貰うような戦闘をした事がないんで、どんな感じなのか分からないんスよね……戦闘突入する前に、試しに一度かけてもらっていいっスか?」
そう、俺達ダンジョン警備員のほとんどが白兵戦を主とするジョブについている。たまにアーチャーやエクスプローラーがいたりするが、それでも稀である。
警備員に支援系のジョブが居ないので、これまでのダンジョンでの活動では一度もバフを体験した事がない。
ジョブはその者の素養が大きく関わってくる。警備員は貰った給料を即日でギャンブルと酒で溶かすような知力のぶっ壊れた奴ばかりだからメレーしか生えてこない……なんて悲しい理由ではない。
徒手の護身術や警棒・警戒杖の取り扱いを学び、業務中は常に危険を警戒し、発注者の身体・生命・財産を最前線で守る警備員は、その職務上必要となる資質が近接戦闘職が生える条件に近いというだけの話だ。
幸村はさもありなんとばかりに大きく頷き、俺達にスキルを行使した。途端、鼓膜の裏側とでも言うべき場所からアップテンポな音楽が鳴り始める。
縦ノリ系の正統派アイドルソングといった感じの曲で、聞いていると妙な高揚感に包まれる。試しに軽く剣を振ってみると確かに振りが早いし、力が剣に乗っている。身体能力が確実に上がっている。
「これがアイドルジョブの基礎スキル、オーディエンス・リンクです。今、脳裏で音楽が演奏されていますよね? これに合わせて私が歌声バフを乗せていきます。サビあたりで全力が出るように調整しますので、合わせて下さいね」
思ったより効果を実感していたが、これでもまだ基本で、さらにバフが乗ると言う事は相当な能力向上が見込めそうだ。
「なるほど、これが支援ジョブのスキルか……気休め程度のものを予想していたが……結構いいモンだな」
「そっスね。プラシーボ効果的な奴だろうって高を括ってましたけど、想像してたよりずっと実用的っスね」
「ちゃんとジョブとスキルに基づいた物ですから、効果はちゃんとありますよ。では、音楽は一旦止めて……と」
幸村のスキル制御により、脳裏の音楽が止まった。しかしまだ何か、身体的な部分ではないどこかで幸村と繋がっているような感覚が残っている。
その繋がりを追うように幸村を見ると、にっこりと微笑んでいた。
「気付かれましたか? このスキルは終了させない限り、ずっとリンクが残るんです。いろんな使い方が出来るんですよ。例えば、こんな風に……」
《テレパシーみたいに、送りたい相手に個別で言葉を伝える事が出来るんです。あいにく一方通行なんで、高坂さんの思念を読み取ったりは出来ないんですけど》
脳裏に幸村の声がクリアに聞こえてきた。これには少し驚いた。
戦闘チームから離れた所でバフやデバフを配りつつ、重要な場面でアドバイスや警告を個別で送れる……つまり通信士や司令官、軍師に近いポジションを張れる。
今回は四人構成だが、これがもっと大規模な作戦行動となればアイドルの価値はかなり高い物になるだろう。
「さて、それじゃあ各々準備をしましょうか。十分後に階層ボス戦開始とします」
幸村の提案に、俺達は頷いて肯定を示す。
§ § §
《それじゃ、始めます! スリー、ツー、ワン!》
幸村のリンクから合図が掛かり、楽曲のイントロが脳裏に流れ始めた。派手なドラムから始まり、ベースとギターとピアノ、それからバイオリンが入ってきた。
気分はまるで処刑用BGMを聴きながらゲームをやっているような感じだ。
聞き入ってる場合ではない。イントロが終わるまでに接敵して攻撃を開始する予定になっている。俺は思い切り地面を蹴って、一歩踏み込んだが──
(えっ、マジか!?)
たった三歩でシャーク・ウォリアーの目の前まで辿り着いた。都合三秒ほどの予想外の出来事に、サメ人間も月ヶ瀬も、当事者の俺も度肝を抜かされた。
付きすぎてしまった勢いそのままに、シャーク・ウォリアーの剣を持っている右手めがけてスマッシュ・ヒットを叩き込む。
まだあんまり使っていない八重垣の剣が唸りを上げてサメの腕に当たり……そのまま両断してしまった。
サメの腕が血飛沫を上げて、握り込んでいた剣ごと宙を舞う。怪獣のような雄叫びを上げて、シャーク・ウォリアーが苦しんでいる。
《「「えっ」」》
あまりの光景に月ヶ瀬だけでなくリンクで繋がっている幸村ともハモってしまった。何が起こった?
月ヶ瀬が追っ付けで炎と氷の魔法剣を叩き込む。サメの腹に深い切り傷を残したが、これまでの戦闘から鑑みてもバフが乗った分相当と言える威力だ。
一旦後方へ避難し、様子を見る。月ヶ瀬もこちらに合流してサメ男を観察している。
「どういう事っスか? 先輩の攻撃がやたら強くなってる気がするんスけど? あと最初の何スか、縮地ですか?」
「俺にも分からん……武器の性能か、ラピ……ドラゴン戦でレベルが上がったせいか、それともバフのお陰か……」
「バフのお陰って言っても、あたしにも同じバフがかかってるはずなのに上昇幅はそんなでもないし……先輩に多くバフがかかるように贔屓してるとか?」
この現象は一体どういう事なのか。バフ入りの戦闘の経験が無いので、今の一撃が想定された物なのか否かが分からない。
しかし先程、驚愕の声がハモった時にリンクからも同様の幸村の声が入っていたので、あちらも予想していなかった可能性がある。
《皆さん、とりあえず落ち着いてください! 高坂さんのバフはこちらとしても想定外です! 原因の調査は後で行いますので、討伐に専念してください!》
動揺している俺の脳裏に、俺達と同じく大混乱の幸村の声が響く。
既に曲はAメロに入っているのに歌声バフが来ていないあたり、相当にとっ散らかっていると思われる。
手が止まってしまっている俺達に構わず、氷川さんの矢が一本、また一本とサメに刺さる。が、こちらは深く刺さっておらず、あまりダメージになっていないようだ。
弓の威力ははあくまで弓自体の攻撃力依存で、どれだけ使用者にバフが加わったとしても攻撃力が増える訳ではない。
矢をつがえたり狙いをつけるスピードは本人由来の要素なので向上が見込めるが、直接の威力には繋がらない。
俺達は氷川さんの射線に入らないように回り込み、改めてシャーク・攻撃を仕掛けようとしたが……
「おわっつ!? 危ねえ!」
流れ弾ならぬ流れ矢が飛んで来た。気付けたのはセンス・エネミーのお陰だ。
氷川さんの方からチリッと悪意のような物を感じ、まさかと思いつつ矢の軌道に意識を向けてみたらこれだ。
俺はディフレクションを発動して手持ちの剣で矢を叩き落とし、返す刀でシャーク・ウォリアーの足を斬りつけた。
骨があるはずなのに無抵抗で太ももの付け根から切り離された足が、大理石の床を転がりながら滑って海に落ちた。
今の射撃は完全にアウトだ。一発なら誤射かも知れないなんて話ではなく、センス・エネミーが発動している。これはシャーク・ウォリアーに対する物ではなく、俺に対する敵意だ。
探索者同士の争いは暗黙の了解なんて話で済む問題ではなく傷害罪、法律の問題だ。ごめんで許される物じゃない。
「何やってんだコラァ!!」
俺の身の危険に人一倍敏感な月ヶ瀬が即座にキレた。八重垣シリーズの細剣を放り出し、例の二メートルの刀を抜き放ち、シャーク・ウォリアーが文字通りの一刀両断に処せられた。
縦にスッパリやられた哀れなサメ人間は金色の粒子を撒き散らしながらドロップ品のカードを落とす。
月ヶ瀬はそれを無視し、まるで風にでもなったかのようなスピードで氷川さんに駆け寄り、その刀を大上段で振りかぶり……氷川さんを唐竹割りにする寸前で止めた。
俺は床に転がっている月ヶ瀬の細剣とカードを拾い上げ、月ヶ瀬の元に駆け寄った。
刀を寸止めしている月ヶ瀬の前には両手を広げて氷川さんを庇う幸村、そして理解が追いついておらず、自分が刃を向けられた事に今になってようやく気が付き、ガタガタと震え始める氷川さんがいた。どう見たって修羅場だ。
「……あたし、言いましたよね。手が滑らないよう祈っとけって」
「はい。しかし、今貴女がここでこの者を斬ってしまうと取り返しが付かなくなります」
「あたしは別にいいですよ? 先輩以上に大切な物なんてありませんから。家同士のいざこざなんて今に始まった話じゃないでしょう?」
月ヶ瀬の周りに重苦しい空気が漂い始める。これは十年ほど前の中学生だった頃のみーちゃんや、この間のラピス戦の時に月ヶ瀬が纏っていた物……殺気だ。
氷川さんの震えが一際強くなる。直接向けられている訳でもない俺でさえ冷や汗が止まらないのに、当の本人の恐怖はいかばかりか。庇っている幸村も細かく震えているし、何なら目に涙が溜まっている。
……いや待て、今家同士って言ったか? もしかして幸村も月ヶ瀬と同じ《天地六家》絡みの付き合いなのか?
「今回は大きな借りがあるから、この茶番に付き合いました。準備に余念がないあなたの仕切りで、起こったミスがコレですか?」
「……謝罪のしようがありません。本当に失礼しました」
「この状況で歌って踊る気にもなれませんよ。どうせあなたの本当にやりたい事はそっちじゃないでしょ?」
月ヶ瀬の問いかけに幸村は答えない。もしかしたらリンクを使って考えを伝えている可能性はあるが、そうだとしたら俺には分からない。
「別にいいですよ。私は先に受付まで上がっておきますから、やりたいようにどうぞ。そのゴミはここに置いときます? 上に連れていきましょうか? どうせ受付も仕込みですよね?」
「……はい、すみません。よろしくお願いします」
幸村が深く頭を下げると、月ヶ瀬は氷川さんの首根っこを引っ掴んで引きずりながら階段の方へ歩いていく。
「先輩、幸村さんからお話しがあるそうなんで聞いてあげて下さい。あたしはちょっとコイツと話がありますんで、全部済んだら上で合流しましょう」
こちらに顔を向ける事もなく、月ヶ瀬と氷川さんは階段に消えた。ダンジョンの情報通りであれば、今頃入り口に辿り着いている事だろう。
しかし、幸村のやりたい事とは一体何だったんだ? 今日は月ヶ瀬との撮影としか聞いていない。しかし月ヶ瀬が撮影を放棄して受付に戻った今、本日のスケジュールは全て終わった事になる。
「高坂さん、あの……お話したい事があるんですが、いいですか……?」
「いや、それは構いませんが……氷川さんはいいんですか? 撮影も無くなってしまいましたし」
「いいんです。元々撮影はついでです。本当の目的は別にあるんです」
幸村はだだっ広い大理石のバトルフィールドの中央へとゆっくり歩を進めた。
月ヶ瀬がシャーク・ウォリアーを血祭りに上げた影響はすっかり消え、真っ白な地面は空と海の青の中に浮かんでいるように見える。
中央まで歩いていった幸村は、こちらに振り返った。その顔は先程までの物とは違い、妙に大人びていた。
「私の苗字……幸村は、母方の旧姓なんです」
「旧姓……?」
「はい。本名で活動するには都合が悪かったので、使わせてもらっています。どうせもう、この世にはいませんから」
にこりと微笑む姿は少女のそれではない。月ヶ瀬とはまた別のプレッシャーを感じる。
殺気ではなく、凄味とでも言うべきか。決してアイドルが笑顔のままで発していい物ではない。じっとりと額に汗が浮かぶ。
「ご挨拶を。お初にお目にかかります。古くから諜報活動を生業とする《天地六家》の一つ、雪ヶ原家──その百十五代目惣領を任されております、雪ヶ原あかりと申します」
雪ヶ原あかり。雪ヶ原と言えば、探索社協会のお偉いさんと話をしている時に月ヶ瀬が度々口にした名だ。確か、雪ヶ原マターとか言っていた。
つまり、あの時の情報操作を担当したと言う「雪ヶ原」が、今目の前にいる齢十八歳の少女だと言うのか?
信じ難いが、天地六家を名乗っている上、月ヶ瀬が「大きな借り」と言うのだから間違いないだろう。
「君が……いや、あなたが、雪ヶ原……?」
「君、でいいですよ。最初から言ってるじゃないですか、敬語はいりませんって。世界でただ一人、高坂さんだけは私の事を『君』と呼ぶ事を許可します」
無茶を言わないで欲しい。最初に敬語だったのはただの依頼人の間柄だったから、今敬語以外出てこないのは幸村の機嫌を損ねたら容易く社会的に死ぬからだ。
ラピス襲来時にあれだけ大暴れしたにもかかわらず、大きな騒動にならずに済んだのは、目の前にいる少女の功績だろう。
恐らく、既に俺の素性も尻のシワの数まで把握されているはずだ。家族構成も全て調査されていてもおかしくない。
現代における情報とは武器だ。正確な情報もデマも使い方によっては人が死ぬ。
特に俺は致命的な情報が多すぎる。ステータス付与の時に消えた原初の種子、俺以外誰も持っていないアビリティ、未だ手探り状態のダンジョンの情報を大量に持っているラピス。
もしかしたら、俺が気付いていないだけで他にも知られたらマズい情報が隠れているかも知れない。
幸村……いや、雪ヶ原あかりが俺を消そうと動けば、俺は日本で生活出来なくなるかも知れない。そう考えると脂汗が止まらない。
「大丈夫ですよ、今日の私は幸村灯里です。月ヶ瀬さんが中途半端にバラしちゃったから、仕方なく名乗っただけです。高坂さんの情報をどうこうしようなんて考えてませんよ」
「……じゃあ、一体何の話をしようと言うんですか?」
「むー、やっぱり敬語をやめてくれない……仕方ありませんね。この方法だけは取りたくありませんでしたが……敬語をやめてくれないと、『妹さん』に高坂さんの居場所を教えます。これならどうですか?」
「……分かりました。いや、分かった」
そう来るとは思わなかった。月ヶ瀬にも知らせていない妹の事を持ち出されるとは思っていなかった。
俺には妹がいるが、会えない事情がある。実家にはお袋に手紙を書く以外連絡せず、盆暮れ正月にも帰省しないのは妹と顔を合わせないようにするためだ。
特例甲種探索者の記者会見で身バレするんじゃないかと思っていたが、清々しいくらいに全く報道されなかったので、妹は俺が栄光警備で働いている事は知らないはずだ。
もし何かしらの情報を掴んで俺の居場所を知った妹は、万難を排してでも押しかけて来るだろう。それは困る。
やはり俺の事情は完全に把握されている。そういう認識で間違いないだろう。
「込み入った事情を利用してごめんなさい。高坂さんとはもっと親しくお話がしたかったんです」
「……まあ、いいさ。まさか誰にも話してない妹の事まで知られてるとは……で、俺と話したい事って?」
「はい。実は折り入ってお願いしたい事がありまして。今日の探索で、高坂さんの実力はダンジョン警備員で埋もれさせてしまうには惜しい水準であると判断しました。高坂さん、私達のパーティに加入していただけませんか?」
いきなり降って湧いたパーティ加入の申請に頭がついていけない。そもそも雪ヶ原の言うパーティはVoyageR絡みのスタッフ用パーティだろうか?
どういう役回りを求めているのかは皆目見当がつかないが、スタッフとして雇用したいと言う事なら御免被りたい。
俺は警備員しか出来ないし、する気が無い。今の生活が一番性に合っている。
「俺は警備員として働くのが一番肌に合っているからな。ダンジョン探索をメインにするつもりは無いし……そもそも、『うちのパーティ』と言うのは? スタッフとしてって事か?」
「VoyageRのメンバーとしてですけれど? きちんと衣装も仕立てますし、ダンスレッスンと歌唱トレーニングも受けて頂きます。費用は弊社持ちですよ?」
「いや待った、それこそ無理だろ!? アイドルに混ざれって言うのか! 誰がどう見ても『何だあのオッサン』ってなるだろ! 今日だってさんざっぱら不審者を見るような目で見られたのに!」
いきなりとんでもない爆弾を放り込んで来たので思わずタメ口で捲し立ててしまった。
月ヶ瀬ならまだ分かる、俺にアイドルやれとは一体どんな思考回路を通したら出て来るんだ!?
「どうしてもダメですか? 悪くない話だと思うんですけど……」
何故断られたのか分からないとばかりにすっとぼける雪ヶ原に、つい語調がキツくなってしまう。
「ダメに決まってるだろ! 何をどうしたらそんなトンチキな要求が出て来るんだよ! どこに悪くない要素があるんだ!」
「そっかぁ……名案だと思ったんですけどね……じゃあもう一つのお願いとどっちがいいか、決めてもらうしかないですねぇ」
あからさまな困り顔を浮かべながら、雪ヶ原はこちらへと近寄って来る。一歩ずつゆっくりと距離を詰め、俺との間が十センチも開かないくらいに急接近する。
雪ヶ原は大きく深呼吸をしたかと思うと、俺の顔を見上げた。その頬はやや赤みが差しており、何かを決意したかのような意志のこもった瞳で、俺の目を見つめている。
その様相には雪ヶ原を名乗っていた時の重苦しいオーラは無く、ただの年相応の少女のようにしか見えなかった。
「高坂さん、好きです。私を守って頂いたあの時から、ずっと忘れられないんです。私とお付き合いしていただけませんか?」
「……は?」
俺に理解出来たのは、さらに危険な爆弾を叩きつけられたと言う事だけだった。




