第26話
特例甲種探索者許可証を渡されてから約一ヶ月が過ぎた。短い梅雨が終わり、うだるように暑い夏がやってきた。
屋外で働く警備員にとって受難の季節だ。最近ではびっくりするほど遠くなってしまった秋の始まりまで、暑さをこらえながら働かなくてはならない。
ステータスによって特殊な環境への耐性や身体能力がマシマシになった探索者でも、暑いものは暑い。耐えられる事と快適に過ごせる事は別の要素として考えなくてはならない。
年々深刻さを増している夏の酷暑は七月に入ったばかりの今でも既に殺人的だ。警備員に限らず熱中症で倒れてお亡くなりになったニュースが毎週どこかで挟まるくらいだ。
会社支給の空調服で耐えきれなくなった隊員はネット通販で買った水冷服を試したり、どデカいクーラーボックスで大量の冷凍ペットボトルを持ち込んだりと各々独自性のある暑さ対策で夏を乗り切ろうとしている。
普段は口やかましい会社の重役や指導教育責任者も、暑さ対策にだけは過度な口出しを控えている。下手に対策を禁止した結果、倒れられたり死なれたりしたら責任問題に発展するからだ。
ダンジョン警備に関して言えば、夏の暑さや冬の寒さとは無縁だ。ダンジョン内の気温は外の影響を全く受けずに、常に一定に保たれている。
普段は不満たらたらで働いている五号警備員も、この時ばかりはこぞってダンジョン勤務を希望する。暑さ寒さを避けたいのは皆同じだ。
俺はぶっちゃけ、どちらでも構わない。ダンジョン警備は東洋鉱業から提供された装備のおかげで普通の施設警備と何ら変わらないレベルの楽な仕事になってしまったし、外で働くにしても、暑いなら暑いなりの対処法がある。
そんな訳で、特例甲種探索者許可証を拝領したにもかかわらず、俺はダンジョン警備に呼ばれる事が極端に減り、道路での交通誘導の仕事が多くなってしまった。
これにへそを曲げたのが俺に会う為に入社したのに、俺と働く機会が激減した月ヶ瀬だ。
女の子を酷い環境に置いておくべきではないと言う春川常務のよく言えば人情味あふれる、悪く言えばえこ贔屓全開な人事采配によって、月ヶ瀬は中広ダンジョンのレギュラー隊員の座に据えられている。
しかし当人からすればありがた迷惑以外の何物でもなく、精神的疲労のせいかマンションの廊下で会うごとに眼光の鋭さが増しており、イライラの爆発が間近に迫っているのが見て取れるようになった。
殺しは御法度だぞ、せめて半殺しに留めておけ。とりあえずうちで飯食ってけ、一桜とか三織は月ヶ瀬大好きだからな。
しかし東洋鉱業の中本社長が言ってた「アンタ、忙しくなるぞ」とは一体何だったのか。
怪我もなく平穏無事な生活を取り戻している今となっては、よく分からない。
その真意を考えようにもいささか頭が回りが悪くなってしまう酷い暑さの中、今日も俺は働いていた。
§ § §
《高坂さーん、生コン車来ましたー!》
「はい、越智君、越智君、こちら高坂。現場は受け入れ準備完了につき、バック誘導で送られたし、どうぞ」
《りょうかーい!》
越智君との無線交信が終わり、規則的なホイッスルの音が近づいて来る。
警笛を鳴らすと怒鳴り込んでくるクレーマー気質の住民に配慮した誘導をしなければならないが、この辺の人はあまり騒音に頓着しないのが分かっているので警笛を使う。その方が安全だからだ。
腕時計に目をやると、露骨なくらいピッタリの午前九時。作業開始が早いと近隣住民に怒られる事もあるので、これくらいがちょうどいい。
今日の現場は戸坂くるめ木、新晃ハウステクノ様より発注頂いた西本様邸新築工事だ。本日の作業内容は鉄の型枠にコンクリートを流し込む生コン打設作業となっている。
安全注意事項としては、現場内に無関係の者が立ち入る危険性がある事と、工事車両と歩行者、または通行車両が接触する可能性がある事。
対策は周囲の確認と適切な声掛け、分かりやすく大きな動作での合図と誘導だ。作業人員は二名。
敷地の入り口から少し入った所でポンプ車がアウトリガを出した状態で待機しており、生コン車の到着を今か今からと待っている。
暑いと生コンがすぐに固まってしまうので、夏場の生コン打設は時間との勝負だ。最悪昼休憩が取れない事もある。昼過ぎに終わる事もあるが、それは運否天賦だ。
今日の相勤者は俺と一緒に丁種探索者の試験を受けて落ちた越智君だ。デリカシーの無い隊員から「越智が落ちるとかオチが付いたな」等といじられたりもしていたが、そんな酷い事を俺は言えない。人の心とか無いのか?
かと言って受かった俺がフォローするのも嫌味に感じるかも知れないので、越智君の方から話題にしない限りは極力触れないようにしている。
バックで誘導している越智君と生コン車のケツが見えてきた。この大きさでこの面積だから……大体十台分くらいだろうか。
ピストン輸送する台数にもよるが、よっぽどのミスがなければ午前中には終わるだろう。
バックで現場に入れたのはポンプ車の向きと道路の狭さのせいだ。現場での転回が難しいので、バックで付けるしかない。
離合は可能だが生コン車の前方が道路に出てしまう為、通行車両に幅寄せをお願いする事になる。
生コン車の誘導が終われば越智君は定位置に戻って工事関係車両が来ないか監視し、俺は現場で通行車両の誘導となる。
現に越智くんは生コン車の誘導を終え、定位置に駆け足で戻って行った。若いっていいなぁ、ステータス無しでアレだもんな。
しかしここは住宅街の奥まった場所、朝の通勤ラッシュが終わってしまえば車の往来はほぼ無い。後は生コン車の退場と退場の誘導だけやって、日陰で暑さを凌ぐだけの簡単なお仕事だ。
……そう言えば、「離合」は九州と本州のいくつかの県でしか使われないと聞いた。じゃあ何て呼ぶんだ? と思い調べてみたら「すれ違い」だそうだ。離合で良くないか?
《高坂さん、もう次の生コン車来ましたけどどうします?》
「はい、越智君、越智君、こちら高坂。現場に余剰スペース無し、どこか広いスペースで待機するよう要請されたし、どうぞ」
《りょうかいでーす!》
またもや越智君から無線が飛んできた。元気なのは良いが、もう少し声量を落とすかマイクから離れてもらいたい。
声が割れてしまっているし、イヤホンを付けていると耳が痛い。これが嶋原さんだったら説教三十分コースだ。
しかしこの様子だと本当に午前中で終われそうだ。どこか蕎麦屋で冷たいざる蕎麦をたぐり、汗を流しにスーパー銭湯に行くのも良い。
日が落ちるのが大分遅くなった夏空の下、風呂上がりの爽快な気持ちでバイクを走らせるのは実にいいもんだ。
ダンジョン警備を始めてから大変な事ばかりだったので、こんな日くらいスーパー銭湯でリフレッシュしても許されるだろう。
まだ仕事が始まったばかりだが、下番後の皮算用を始めつつ、俺は灼熱の太陽を浴びながら生コン車の退場を待った。
§ § §
その後、滞りなく終わるかと思いきや、十台目が来た時に若干生コンが足りない事が発覚し、追加の一台を監督が発注した。
妖怪イチ足りないはいつでも我々の背後に忍び寄る。全くもって迷惑千万な妖怪である。
往復一時間はかかる佐伯区石内の生コン業者から運んで来ると言う事もあり、生コン車の到着が正午を過ぎるのが確実となった為、水分補給の名目で十五分ずつ休憩を取る事にした。
俺も越智君もタバコは吸わない為、そんなに休憩はいらない。せいぜいメールやSNSを見るためにスマホを触る時間が欲しいなといった所だ。
これがベビースモーカーの相勤者だった場合大変だ。工事車両一台誘導するたびに一本吸ってる人もいる。肺と財布へのダメージが甚大になりそうだ。
「高坂さんって、いつも無線堅苦しいですよね」
「そうか? 交通誘導の二級を取った時の指導要領がずっと抜け切らなくてな……他の奴にも同じ対応を求めてないだけ嶋原さんよりは緩いだろ?」
「そりゃまあ、そうですけど……」
「俺や嶋原さんみたいにきっちりやれとは言わんが、羽目だけは外すなよ。田村みたいになりたくはないだろ?」
トランシーバーにも種類があり、特定小電力無線局と簡易無線局がある。
前者はネット通販でも簡単に買えるオモチャみたいなトランシーバーで特に許可を取る必要もないが、後者は業者が総務省に利用申請をして、免許を取得する必要がある。
特定小電力無線局の利用に関してはそこまでうるさく言われないが、簡易無線局は結構厳しい。アホな使い方をしているとすぐに怒られる。
うちの警備員だった田村は、あろうことか簡易無線局トランシーバーで今日の昼飯をどうするかとか、今しがた通りかかった女性の胸部が大きいだとか、いい性風俗店を知らないかとか、業務に関係ない非常識な内容ばかり発報していた。
田村自身はトランシーバーを雑談も出来る便利な無線電話くらいの感覚で使っていたが、この通信を運悪くお偉いさんがチェックしていた為、とんでもない騒動に発展した。
無線免許取消しの憂き目に遭い、弊社の会長と社長と専務による土下座せんばかりの謝罪でどうにか事なきを得たが、田村はこの責任を取らされる形でクビと相なった。
多少のミスは許される緩めの社風だが、重役に累が及ぶような失態は許さない「会社の看板に泥を塗るな」のスタンスがしっかり出た形だ。
……田村は今は何をしてるんだろう。あまり親しくなかったから連絡を取る事も無いので、どうなっているのかは分からない。次の職場でも変なやらかしをしていない事を祈っている。
「田村さんはアホなだけですから……さすがに俺はあんな事はしませんよ」
「そこは信用してるよ、越智君は多少抜けてるけど真面目だからな。……さ、そろそろ生コン車も来そうだから立ち位置に付いてくれ」
俺が配置に戻るよう促すと綺麗な姿勢で敬礼をし、「了解しました!」と声を上げ、回れ右からのダッシュで戻っていく。
それが出来るなら無線もちゃんと要領に沿った物が出来るだろうに……もしかして意趣返しか何かか? それにしても本当に元気な奴だ。
§ § §
その後生コン車も無事到着し、午後一時を少し回った所で監督から作業日報へのサインを貰い、帰ってヨシとのお言葉を頂いた。
しかし作業が終わった現場を放ったらかしにして帰るのも気が引ける。水を撒いて道路上に残った生コンを洗い流し、現場の土砂を引きずったせいで付いたタイヤ痕を竹箒で掃くくらいの事はしてから帰る。
この掃除が案外馬鹿にならない。警備員は警備が仕事ですと言わんばかりに速攻で帰る奴と、しっかり掃除まで済ませて帰る奴では監督の心象が違ってくる。
栄光警備は四時間半未満の勤務は半日分の給料しか出ない。勤務実態の把握は作業日報の勤務時間欄であり、そこに承認のサインをする発注者の思し召し次第だ。
つまり、現場監督や発注業者の職長が半日分ではなく一日分として勤務時間を記入してくれれば、たとえ一時間で仕事が終わったとしても満額の給料を頂けると言うシステムだ。
中にはドケチな業者もいるが、掃除までしっかりやっている警備員には温情を施したくなるのが仁の道。今日は一日仕事になったが、後日どこかのタイミングで半日仕事になってしまった時に、この気遣いがボディブローのように効いてくるのだ。
そんな訳で、俺達は現場の好感度稼ぎのために掃除に勤しんでいる。俺は箒で土や砂利の掃除、越智君は道路への水撒きだ。
大分暑くなってきたので後輩にはなるべく涼しい仕事をさせようと言う親心だ。……親ではないから先輩心か?
「しかし高坂さん、何でこんな仕事してるんですか?」
「何で警備員をやってるのかって事か?」
「いいえ、五号やらないんですか? って話ですよ。聞きましたよ、なんか凄い装備をもらったって」
その話、どっから漏れたんだ? 少なくとも俺は喋ってない。月ヶ瀬はそもそも俺以外の隊員と積極的なコミュニケーションを取ろうとしないので、喋る事はないだろう。
大方、春川常務が口を滑らせたんだろう。あの人大事な話をうっかり喋る癖があるし。
「ああ、それな……うちはほら、人員配置は春川さんが取ってくる施設警備と交通誘導が最優先だろ? 次が藤原さんが取ってくるイベント警備、最後に吉崎さんの五号だから……春川さんが行けっつったら行くしか無いんだよ。装備は関係無くてな」
「丁種落ちた俺からしたら羨ましいし、もったいない限りですよ。あーあ、俺もステータスがあったらなー」
羨ましいか? 本当に? ステータス付与で激痛に苛まれ、大量のゴブリンに殺されそうになり、全くやった事のない対人戦をぶっつけ本番でやらされ、ドラゴンの攻撃を耐えたり腕を切り裂かれたりするのが本当に羨ましいか?
そう問おうとした時、ホースで水を撒いている越智君は、聞き捨てならない言葉を吐いた。
「ステータスがあったら、悪人をバッタバッタとなぎ倒してやるのになー」
「……ん? 悪人?」
「力があったらヒーローみたいになってみたいのは当然でしょ」
何の疑問も持たずに言い切った越智君の様子を見て、彼が丁種試験を落第した理由に見当がついた。
「越智君、あの試験……丁種探索者の許可を得た者はステータスの力を用いて犯罪者を取り締まってもよいって設問にマル付けなかったか?」
「あー……はい、付けましたね」
「それだ、それで落ちたんだ」
テストの選択肢には、禁忌肢と言うものがある。これは医学生の試験によくある「絶対に選んではならない選択肢」で、これを選んだ時点で失格が言い渡されるという非常にキツいトラップだ。
俺も後日知らされたが、丁種探索者試験にも禁忌肢の様な問題があるとの事だった。
そもそも、丁種探索者の仕事はダンジョンの運営だ。魔物を倒すのも付帯業務であり、主業務ではない。
ステータスを取得させるのも魔物が跋扈するダンジョン内に常駐するのに、魔物を倒せるようでないと仕事にならないからってだけの話だ。
武器を向けるのも魔物に限定すべきで、人間に向けるべきではない。我々は警備員であって警察ではない。
正当防衛が適用されない状況下での対人戦はただの傷害罪や殺人罪になり、しょっ引かれるのはこちらだ。
丁種探索者も警備員も特別な権限を有していない。それを理解していないような危険な人間に力を与える事は出来ない。
だから、そんな選択肢を選ぶ奴は容赦なく落とす……そういう設問があるのだ。
「警備業法第十五条、言えるか?」
「えーと……警備業務を行う時には権限が無いから他人の権利や正当な活動に干渉してはいけない……?」
「大分端折ってはいるが……まあいい、つまり俺らは一般人と同等の権限しかないから、取り調べをしたり強制力のある交通整理は出来ない。現任教育で習うだろ?」
俺達警備員は毎年一回、必ず研修を受けなければならない。これを現任教育と言い、業務上必要になる知識を中心に十時間指導を受ける。昔は前期後期で年二回だったが、オリンピックに伴う人手不足の解決策として、回数が年に一回に減った。
教育の内容は警備実務に必要になる技術や関係法令が八割くらい、事故事例や緊急通報の練習が二割くらいといったところで、警備員が警備員として働く為に守らなければならない警備業法も、嫌と言うほど叩き込まれる。
「そうですね、習いましたね」
「警察に出来る事を警備員が出来ないのもそうだが、警察にも出来ない事は当然警備員にも出来ないだろ? いくら警察でも、道行く人を悪い事しそうだからってぶん殴ったり、実際悪い事をやってる奴に致死性の高いスキルをぶっ込んでいい訳がない。つまり警備員はなおさら出来ない」
「確かにそうですけど……」
「あの選択肢にマルを付けたって事は、それを理解していませんと自白してるような物なんだよ。だから落ちた」
越智君は俺の説明に納得がいかないようで、喉に小骨が刺さったような顔をしていた。
「でも、ノブレス・オブリージュってあるじゃないですか」
「高貴さには義務が伴うって奴だろ? 警備員なんてどう見てもノブレスじゃないだろ、そう言うのは誰にも遮られないような高い地位を得てから主張するもんだよ。警備員は所詮、ステータスを持った所で日給九千円程度の警備員でしかない……ってね」
雑談をしてる間に掃き掃除も終わった事もあり、箒を片付けてホースの水を止めようとした時、越智君の呟きが聞こえてしまった。
「……高坂さんはステータスを貰えたから、そんな事言えるんですよ……」
俺はその呟きをスルーして、蛇口をひねって水を止めた。反論した所で越智君は納得しないだろう。
ホースリール側面の取手をぐりぐり回し、越智君が取り落としたホースを格納する。さっさと現場入口の蛇腹ゲートを閉じ、監督に挨拶をする。
「それじゃあ掃除も終わりましたんで、お先に失礼します! またよろしくお願いしまーす!」
越智君に帰るよう促し、俺自身も制服を上だけ脱いでバイクに跨る。肌着代わりにTシャツを着ているので一応見た目も問題無いし、汗で濡れているのはバイクに乗っているうちに乾くだろう。
……俺はこの時、もっと越智君の気持ちに寄り添ってやるべきだった。それに気がついた時には、あまりにも遅すぎた。
しかし俺の脳内は冷たいざる蕎麦とスーパー銭湯に支配されていて、それどころでは無かった。
翌日、越智君が栄光警備を退職した。




