幕間2 激突! マリンフォートレス坂(5)
戦闘が始まってから一番驚かされたのは、一桜の戦闘スキル……と言うか、戦闘センスだ。
シトリンの護衛とは言うが、一桜はヒロシマ・レッドキャップだ。そのスキルは近縁種であるゴブリンと大差ないと思っていた。
ヒロシマ・レッドキャップの戦い方は単純だ。スマッシュ・ヒットでぶん殴る、以上だ。そこに戦略は一切ない。
しかし、一桜は違う。自分の役割を理解し、適切な行動は何かを考えながら戦闘を組み立てている。ただ殴るだけではなく、シトリンが戦いやすくする為の工夫を常に考えている。
固定砲台と化しているシトリンはまだまだ未熟で、迫り来る敵のミスリル・ゴーレムの圧力に心をかき乱され、狙いが思うように定まらない。
そこに気がついた一桜は自らターゲットになるようミスリル・ゴーレムを引きつけ、攻撃をバットでいなし、シトリンが攻撃しやすい様に戦闘を組み立てている。
俺は当然、こんな事を教えていない。ラピスだろうか? いや、その線もないだろう。ダンジョンに連れて行く機会はほとんど無かったし。
戸惑っている俺とは違い、月島君は何かに気付いたようだった。俺の側に寄って、小声で囁いた。
「……高坂さんですよ、あれ」
「え、俺?」
「そうです、あの動き……まだラピスちゃんが敵だった時、美沙ねぇを庇って戦ってた高坂さんの動きに似てるんです。ほら、あのスマッシュ・ヒットだって……!」
しっかりと目を見張って一桜を観察する。ミスリル・ゴーレムの剛腕から放たれるパンチを、下から掬い上げるようにスマッシュ・ヒットを叩き込む。
ミスリル・ゴーレムは軌道が逸れてアッパー気味に空振った拳に引っ張られるようにしてバランスを崩し、尻餅をついた。
しかし一桜は追撃を加えない。自分の攻撃ではミスリル・ゴーレムに傷一つ付けられない事を理解しているようだ。
一桜はなかなか立ち上がれず苦戦しているミスリル・ゴーレムの足をバットの一撃で払い、再び転ばせた。その時、一桜はこっちに笑顔を見せて、思念を送ってきた。
《えへへ、おとーさんの真似っ!》
……ああ、そうか。あれは紛れもなく俺のシールド・バッシュだ。
ドラゴンの尻尾や爪の軌道を逸らして月ヶ瀬や自分の身を守った時のシールド・バッシュと同じ運用方法だ。
俺が「シトリンを守れ」と言った事をこれほどまでに理解していたとは。いや、それよりも、あの時の戦いをこのレベルにまで昇華させていたとは……
「とんでもない子だな、一桜は」
「はい、もはやレッドキャップの枠に収まらない知能です。……だからでしょうね。あれを見てください、ブチ切れてますよ」
月島君が顎で指した先、対戦相手の佐原・宮園コンビは怒髪天だ。顔を真っ赤にしながら一桜を指差して怒鳴り散らしている。
これまで地対空の戦いを繰り広げていたシームルグが矛先を完全に一桜に変えた。しかし一桜は冷静に攻撃を躱していく。
食らったらタダでは済まなそうなシームルグの危険な攻撃のみをスマッシュ・ヒットで軌道をずらしつつ、ミスリル・ゴーレムの機先を制している。
この状況で本来の性能を発揮できるようになったのが、相方であるヒロシマ・エルフのシトリンだ。
これまで自身への攻撃が気になっていたせいで狙いが定まらなかったが、シームルグが一桜を狙うようになったお陰で一転してフリーになった。
本来の落ち着きを取り戻し、火属性を付与された燃え盛る矢を何本もシームルグへと叩き込む。
これだけ痛手を負わされても、シトリンにヘイトが向く事はなかった。恐らく、相手のテイマーが一桜への集中攻撃を命じているのだろう。
やがてハリネズミのように矢が突き刺さったシームルグが焼け焦げながら地面に衝突し、しばらくもぞもぞと蠢いていたかと思うと、金色の粒子へと変わっていく……って、あれ? カードに戻らないのか?
「月島君、そういやあいつらのテイムモンスター、カードになる気配が全く無いがどうなってるんだ? カード化とのシナジーについては説明してるんだよな?」
「さっきも言いましたけど、極端な保守派なんですよ。他のテイマーは自分のテイムモンスターを大事にしてるから進んでカード化を取得したんですが、彼らにとってはテイムモンスターよりも自分の主義主張の方がよっぽど大切なんで……」
「じゃあ最初からタクティカルゾーンに出してたのもカード化させてないからだったのか……使い捨てもやむを得ない……どころか積極的に使い捨てにしてるのか……?」
「自分のやり方が一番冴えてると思い込んでるからこその傲慢さですよ……っ!? マズい!」
月島君がシトリンに撤退を指示しているのを見て、俺も一桜に下がるよう指示をした……が、遅かった。
シームルグを倒された対戦相手のテイマーが繰り出した四番手は獅子の頭と体に山羊の頭、蛇の尻尾を持つファンタジーの定番モンスターとも言えるキマイラだった。
キマイラの進軍速度は凄まじく、撤退命令のタイムラグのせいで距離が空いてしまったシトリンと一桜の間に飛び込み、分断させた。
こうなってしまってはシトリンを守る者はいない。キマイラの背中から生えている山羊頭の目が赤く輝いたかと思うと、眩い電撃がシトリンを貫いた。
エルフには魔法への耐性も多少あるとは言え、それで防ぎ切れるような生半可な電撃ではなかった、シトリンはぐったりと倒れ、カードへと戻った。
一人ぼっちになってしまった一桜を待っていたのは、ミスリル・ゴーレムとキマイラによる包囲攻撃だった。
機動力に勝るキマイラが一桜の行く手を遮り、ミスリル・ゴーレムが一桜に攻撃を仕掛ける。
それを凌いだとしても、キマイラの吹く炎に焼かれ、蛇の放つ水に吹き飛ばされ、ミスリル・ゴーレムに蹴飛ばされる。
これは明らかに勝つ為の攻撃じゃない。一桜をいたぶり苦しめるのが目的のリンチだ。
わざとギリギリ避けられるか避けられないかの際どい攻撃を放ち、一桜が避けたら確実に当たる手加減された追撃を放つ。さっきからその繰り返しだ。
さすがに観客も気がついたようで、ブーイングの嵐が巻き起こる。しかし対戦相手のテイマーはそんな物はどこ吹く風とばかりにシカトを決め込んでいる。
やがて一桜の足取りがふらふらと覚束ない物になったのを見て、ミスリル・ゴーレムが拳を思い切り振りかぶり、地面ごと破砕する勢いで一桜を叩き潰す……かのように思えた。
その寸前で一桜は猛烈な勢いで動く何かに身を攫われた。一桜の体を咥えてタクティカルゾーンへと駆け寄って来たのは銀色の毛並みの大きな狼……月島君の最後の手持ち、ダイアーウルフのジローだった。
本当の事を言えば、月島君は今ここで一桜を助ける指示を出すべきではなかった。明らかに失策だ。
タクティカルゾーンまで連れ帰ったとしても、ポーションで回復させる暇があるかどうかわからない。
戦略的観点から言えば、ジローを危険地帯に突入させるくらいなら、そのまま一桜には倒れてもらって、カードに戻した方が安全だ。
それでも一桜を助け出す判断を下したのは、月島君の優しさのせいだけじゃない。俺のせいでもあると思う。
先程から月島君がチラチラと俺の顔色を窺っている。よっぽど酷い顔をしているんだろう。一桜が心配で気が気じゃないのは隠しようがない。
タクティカルゾーンまで運ばれた一桜は、ぐったりと体を横たえたままで、俺の方に顔を向けた。
一桜はポーションを取り出して飲ませようとする俺に痛々しい笑顔を浮かべて、首を横に振った。
「多分ね、それ飲んでもすぐダメになっちゃうと思うから……ジローちゃんとドラゴンちゃんに残してあげて」
「一桜……お前、そんなにボロボロじゃないか……痛いだろうに……」
「ううん、大丈夫。それよりも……おとーさん、ごめんなさい……シトリンちゃん、守れなかった……」
俺は目から大粒の涙をこぼす一桜の頭を撫でてやると、一桜は堰を切ったように涙を流し、嗚咽を漏らした。
「そんな事はないぞ。お前がシトリンを守ってくれたから、あのデカい鳥をやっつける事が出来たんだ。お手柄だぞ」
「……一桜ね、おとーさんみたいに……なりたかったなぁ……ドラゴンちゃんからみんなを守った、強いおとーさんみたいに……一桜は……みんなのおねーちゃんだから……」
一桜は目線が定まっておらず、うわ言のように取り留めもない事を呟いている。俺はこんな状況を見た事がある。息を引き取る間際の祖母が、まさにこんな感じだった。
「つよく、なりたい、なぁ」
一桜は最後にそれだけ呟くと、目を閉じた。程なくして一桜の体はカードに送還され、俺の手元に戻ってきた。
そのカードをカードデバイス「神楽」に戻す俺の心中は荒れに荒れていた。近年では珍しいくらいに怒りの感情に飲み込まれていた。
一桜が一体何をした? ここまで痛めつけられる理由がどこにある? 主義主張の為ならここまでやっても許されると思っているのか?
偏頭痛のような脈動を、何故か神楽から感じた。何もしていないのに、ケースから一枚のカードがスッと出て来た。……もしかして、お前も怒ってるのか。
俺は飛び出たカードを手に取り、テイムモンスターを召喚した。俺の最後の手持ち、カオスドラゴンのラピスだ。
ラピスは召喚されてすぐ、俺に背を向けた。
「……状況は分かるか?」
「魔を統べる者よ、先に教えておく。妾は上位種故、カードの外の事もある程度把握出来るんじゃよ」
その声色はいつも通りの飄々とした物だが、俺には分かる。テイマーとして繋がっているラピスの意思が、刺々しい怒りの感情に満ち満ちている。
「一桜は、事あるごとに上位種である妾を妹扱いしよってな。自分が一番先にテイムしてもらったから、自分が長女だと言って聞かんのじゃよ。下等種のレッドキャップ風情がドラゴン相手に姉御面とは……などと不愉快に思っておった時期も確かにあったが……存外、悪い物では無かったぞ」
突如、暴風が吹き荒れた。ラピスから吹き出すように具現化された闇と混沌が、実体を持ったかのように渦巻いている。
一歩、また一歩とコンバットゾーンに近づくラピスの足取りはゆっくりと、しかし威厳を感じる物だった。
「こんな跳ねっ返りの『妹』ではあるが、姉の仇を取らずして、何が妹か……そうは思わんか?」
「……そうだな。頼んだ、ラピス。一桜が残した仕事、片付けてやってくれ」
ラピスの足が止まる。そう言えば、名前を呼ぶのはこれが初めてだったな。
「ラピス……そうか、それが妾の名か」
「ああ。遅くなって済まないな」
「では……狐よ。その名、この件が終わり次第拝領するとしようぞ。今しばらく、妾はドラゴンでいい」
「? どういう意味だ? 名前で呼ばれたくない理由があるのか?」
今ではダメな理由があるとして、それは一体何だろうか? 俺は首を傾げて意味を問うた。
「名を授けられて喜ばぬテイムモンスターなぞおらんよ。主人殿と妾との絆が生まれる大切な儀式じゃからな。喜びの感情に浸りながら戦うのも悪くない。じゃが──」
ラピスが歩みを止めた。
小さい背丈。ゴスロリ然とした服。豪奢な金髪の縦ロール。どこをどう見ても可憐な少女としか見えないはずなのに。
俺は、その姿につい最近対峙した死闘の相手、カオスドラゴンの面影を強く感じていた。
「今ばかりは、憤怒の中で戦いたい気分でな。今一時の我儘を許せ、主人殿」
ラピスの纏う闇に、地獄の業火のような真紅が差した。




