第16話
月ヶ瀬はどうやらスーパーの駐車場警備に出ていたようで、帰って来たのは二十時を回った頃だった。
隣室のドアが開いた音が月ヶ瀬の帰宅を知らせてくれたので、少し待ってから訪問した。
「あれま先輩、どしたっスかこんな時間に」
ドアからひょっこりと出て来た月ヶ瀬はいつもは制帽に押し込んでいる長い黒髪をひっつめ髪にして、普段見ない大きい丸メガネを掛けていた。お前、いつもはコンタクトだったのか?
大きめの白いTシャツには荒々しい毛筆体で「モホロビチッチ不連続面」と書かれ、そこから伸びる足はぴっちりとしたスパッツを履いていた。
何だそのTシャツ、どこで買ってきたんだ? あといくら夜が暖かくなってきたからって人前に出るのにその格好は何だ、ズボンくらい履きなさい。
「ちょっと田方ダンジョンで色々あってな……あまり人に聞かれたくない事なんだが」
「……まさか先輩、魔物とヤったんスか!? それで次はあたしを手篭めに……!?」
藪から棒にとんでもねえ事言いやがるなこの野郎、巡回で忙しいのにそんな暇がある訳がない。暇があったとしても俺のストライクゾーンはもっと上だ、幼女をコマす趣味はない。
「ヤってないしヤるつもりもねえよ! 俺のスキルの話に決まってるだろ!」
「あ、そっちっスか、了解っス。場所どうします? あたしの部屋今結構カオスな事になってるんで、あんま人入れたくないんスけど」
「俺も俺で年頃のお嬢さんを部屋に入れて変な噂でも立ったら困るからなぁ……」
「んー……じゃあ屋上行きますか? 今の時間なら人いないでしょうし」
うちのマンションの屋上は名目上立ち入り禁止となっている。二十年以上も前に、地元の不良中学生が無断侵入し、溜まり場として使っていた時の事故のせいだ。
夜中に酒が入った事もあり気が大きくなった中坊が悪ふざけで錆びた鉄柵に乗った途端バキッと柵が折れて二人転落、頭から地面に落ちてお亡くなりになったと言う経緯がある。
当初はマンションの管理会社による管理不行き届きなのではないか? とツッコミを食らったそうだが、何度も警察通報で散らしているにも関わらず、ゴキブリのように湧いてくるジャリ共をどう管理しろと言うのか。
紆余曲折あってマンションの管理会社が替わり、屋上のドアには鍵が付いた。しかしナンバーロックなので、番号を知っている一部の住民は喫煙所として使っている。
「そうだな、屋上に人が居るようなら別の日でもいいし」
「そっスね、なーんか嫌な予感がするんでなるべく早めに聞いときたい気もしますから……ちょっと待って下さいね」
月ヶ瀬は一旦部屋に引っ込み、間も無くスマホと京ちりめんっぽい布地で出来た小さながま口財布を手に持って出てきた。
「んじゃ、お茶でも買ってから行きましょうか。立ち話では済まなさそうですし」
§ § §
結局、屋上は鍵が閉まっていた。誰も使っていないと言う証左だ。
俺達は誰が来ても良いように隅っこに行き、相談を開始したのだった。
コンクリートの出っ張りに腰掛け、自販機で買ったお茶を飲み飲み、今日あった出来事を話す。
最初の方は真面目に聞いていた月ヶ瀬だったが、話が進むたびに嫌そうな顔つきになり、説明が終わる頃には重いため息をついて眉間を指で揉みしだいていた。本当に申し訳ない。
「……確認っスよ。まずテイミングを習得した……これは別にいいっス。売らずに使うかもなーとは思ってましたから」
「ああ、あんま見かけないから売るのも勿体無いかと思ってな」
「ちなみに売ってたら大体一千万円くらいっスよ。丁種だと遭遇する魔物もたかが知れてるんで、売っぱらった方が良かったかも知れませんが……まぁ、市県民税高くなっちゃいますしね」
そんなに高いのか、あのスキル……強い魔物をテイム出来たら強いだろうが、月ヶ瀬が言う通り俺らが遭遇するのはゴブリンとかレッドキャップ、コボルトといった弱い魔物ばかりだ。売っても良かったと言われたらその通りだ。
「今はさほど金に困ってもいないからなぁ……」
「そっスね。で……これも例に漏れずアビリティ入りした、と」
「そうだな。で、効果はこう」
俺はステータスの内容をスマホのメモアプリに書き写した物を見せた。月ヶ瀬の眉間に皺が寄る。
「……先輩、これ、誰にも言ってないっスよね?」
「もちろん。こんなの言えるはずがない」
「先輩に良識があって何よりっス。これバレたらどえらい事っスよ」
「具体的にはどこが?」
「全部っス」
天を仰いでまた大きなため息と共に絞り出すように、月ヶ瀬が言う。あんまため息つくなよ、幸せが逃げるぞ……と言ったら首でも絞められそうな雰囲気だ。
「まず使役数に上限が無いって事っス。丁種にメリットが無いって言いましたけど、これ、弱い魔物でも物量で押せるって事になりますよね。言ってしまえば先輩自身がゴブリン・リクルーターになれます」
「ええ……俺嫌だぞ、あんなの集めてダンジョン巡回とか……いや、でも既に近い状態なのか。レッドキャップが九にコボルトもついてるから」
「そっスね、もう今の状態で常軌を逸してます。……そんで、テイミング所持者の一番の問題は魔物を常に連れ歩く事になる点っス。テイム済みとは言え、一般人は魔物にバチコリビビったり警戒しますから。それを解決しちゃうのが……」
「カード化って事か」
「そっス。先輩だけ無限に悪魔を呼び出せる悪魔召喚プログラムを持ってるようなモンっス。……しかしカード化自体は、もしかしたらアビリティじゃなくても出来る可能性があるかも知れませんけど」
「と言うと?」
「先輩が入院してた時に教えてもらった分も含めて考えたんスけど、アビリティって枠組みは純粋な強化と言うか、制限解除って感じがするんスよね……だから基本的なシステムは変わらないはずなんで、カード化も追加スキルじゃなくて普通のスキルカードで覚えた奴だったらワンチャン再現性があるかなと」
なるほど、俺一人にしか使えないなら問題だが、誰にでも出来る事なら隠し立てする必要は無い。
問題は再現性の確認だ。先程も聞いた通り、テイミングのスキルカードは市場価格一千万円と高額であり、おいそれと試す訳にはいかない。
かと言って、既にテイミングを持つ人間にコンタクトを取るのも危険だ。素性がある程度把握できている人間でないと信用出来ない。
「でもどうするんだ? 再現性をどうやって確かめる?」
「それなんスよね……テイミング高いし、そもそも買える在庫があるかどうかも分からないんスよね……」
「カード化のスキルカードを用立てる必要もあるよな。追加スキルとの共存って出来るのか?」
「その問題もありましたね……元が同じ追加スキルは共存出来ないんで、探索者協会に頼んで抜いてもらう必要があるっスね。まあでもカード化なら怪しまれる事は無いっスよ。何だかんだスキルカードに比べて不便っスからね、追加スキル」
「で……高いのか? カード化のスキルカード」
「んー……大体百万ってとこっスかね」
テイミング程ではないにしても、思ったより値は張るようだ。スキルカードはピンからキリまで色々あるが、高い物は本当に高い。
そもそもステータスに追加スキルと言う機能が搭載されたのは一昨年の話だ。
有用ではあるものの個人で買うとクソ高いスキルカードを、多少性能は劣っても誰でも使えるようにとのコンセプトの元に開発され、ようやく日の目を見たと言う話だ。
ネット小説のようにアイテムボックスや異次元倉庫みたいなチート収納がある訳ではないこの世界で、ダンジョン内での輜重や兵站は重要課題だったが、それをある程度解決したのがカード化だ。
魔力の含まれている物品しかカード化する事は出来ないが、逆に言えば魔力が微量にでも含まれていれば良い。ダンジョン産の素材を使った武器防具や野営道具、飲食物は問題無くカード化出来た。
そんな物流の破壊者になり得るカード化のスキルカードはスライム系の一部の種がドロップする。そのドロップ率は非常に悪かった。その為、初めてオークションに出た時の落札価格は一億円の値を付けた。
アホほど高いものの、それはまさしく値段相応の能力であり、一億円でも安いとばかりに値が吊り上がってもバカスカ売れ、やがてダンジョンドリームの代名詞とも言われるようになった。
しかし確実に有用なスキルだ。誰もが使えた方がいいに決まってる。すぐに日本のダンジョン関連の研究者が解析に乗り出した。
人の足を引っ張ることに定評のある日本の政治家や企業が抵抗勢力と化しそうなものだが、ダンジョン関連は生まれたての若い産業。既得権益もクソもない為妨害工作ができなかった。
かくして追加スキルシステムが開発され、ローンチ用スキルとしてカード化をはじめとした数々の有用なスキルの部分的エミュレートが可能になった。
そのせいでと言うか、おかげと言うか、一時期は最高額三十億円にまで上がったカード化の価格も一気に下落し、今では百万円にまで下がってしまったと言う訳だ。
そんな経緯があったのは横に置いておくが、いくら安くなったとは言え、検証の為にポンと一千百万円を出せる訳がない。
月ヶ瀬がいいとこのお嬢さんだと言っても限度があるし、俺は俺で日々の生活で手一杯だ。
「流石に出せんぞ、合わせて一千百万とか」
「っスよね……ん、いや、もしかしたら……? ちょっと待って下さいね」
月ヶ瀬は何かを思い出したかのようにスマホを取り出し、どこかに電話をかける。
「もしもし、母上ですか? 私です。……はい、そうです。月ヶ瀬としての話です。ツキシマさんちのチヒロちゃんに明日の朝八時に観音の探索者協会に来るようにお伝え願えませんか? ……はい、この番号にお願いします。あとカード化のスキルカードを用立てて頂けませんか?」
どうやらご実家に電話しているようだ。米が切れたから送ってくんない? くらいの感覚で末端価格百万円の物資の無心をしてる所を見るとマジで太い実家のようだ。
「そうですね、チヒロちゃんに持たせてください。……はい。……よくご存知で。大丈夫です、いずれお連れしますので……はい。すみませんがよろしくお願いします」
電話を切った月ヶ瀬がスマホを何やら操作しながらこちらに話しかけてくる。
「先輩、明日休みっスよね? ちょっと付き合って貰えませんか?」
「そりゃあ構わないが……誰かに会うんじゃなかったのか?」
「いや、ちょっとアシスタントを呼ぼうと思いまして。行き先はちょっと遠いんスけど……」
月ヶ瀬はスマホの画面をこちらに見せた。どうやら地図アプリのようだが、地形に見覚えが無い。確かに近場ではないな、これは。
よくよく画面を確認して、ピンの立っている所の地名が目に入った所でようやくピンと来た。
「……東広島市黒瀬町……丸山? あんな所に何かあったか……?」
「ダンジョンっスよ。丁種でも自由に入れる奴があるんス。ほら」
今度は探索者専用のアプリ・シーカーズを開いてダンジョン一覧から丸山ダンジョンの項目を開いて見せて来た。
記述よると丸山ダンジョンは初心者教導用ダンジョンであり、仕事以外でのダンジョン探索が禁じられている丁種探索者であっても探索が許可されている。
出てくる魔物もスライム系に特化していてレベルが低く、最下層まで降りてもレベル十二のポイズンスライムが最も強い魔物になる。
「そんな訳で、一緒に検証しませんか?」
「俺の方からお願いしたい所だからな。もちろんだ」
俺の返事を聞いて、月ヶ瀬が「やったー! デートだー!」と大喜びをしている。デートではない。もう一度言うがデートではない。
しかし東広島と言えば、ここから車でも一時間以上はかかる遠方の土地だ。俺も月ヶ瀬も車は持っていない。一体どうやって行くつもりなんだろうか?