第87話
「何だ……アレ」
思わず声が漏れてしまった。
俺達の救援に来た嶋原さんがフェニックスを圧倒している。明らかに手応えのあるダメージの入り方だ。
フェニックスの方も攻撃を嫌がり、体色や目の色を変えて嶋原さんに襲いかかっている。あれは怒り状態だろう。
Aチームのメンバーが束になっても敵わなかった奴だぞ? 何であんな事になっているんだ?
「うおっと危ねえ、姉ちゃんは下がっとれ! 邪魔じゃ!」
刀を構えたままで放心していた千沙さんがフェニックスのブレスに巻き込まれそうになっているのを嶋原さんが素早く抱え、バックステップ一発で後方で立て直しを図っている混成パーティの面々の近くまで下がり、千沙さんを降ろす。
嶋原さんは千沙さんに振り返ったり言葉をかける事もなく瞬時に戦線に復帰し、フェニックスに飛びかかっている。
まるで俺がカバーリング・ムーブで瞬間移動した時みたいな挙動をしているが、あれは恐らくマーシャルアーティストのスキルだ。アクセラレーションだったか?
でもあんなにクールタイムの短いスキルではなかったはずだ。
あかりのアビリティでブーストされている俺が言えた話ではないが、何が起こってるんだ?
「ラピス、嶋原さんのアレは一体何だ?」
「いや知らんし………見た感じ力の源泉は原初の種子の成り立ちに近いが、完全にステータスシステム依存の発現の仕方しとるし……何アレ怖ぁ……妾聞いたことない……」
負傷が癒えぬまま俺の隣に立っていたラピスに聞いてみたが、怯えた様子で嶋原さんを見つめながら感想を漏らす。
ラピスに分からない物が俺に分かるはずもない。トーカがいれば疑問に対する答えが返ってきたかも知れないが、未だ音沙汰なしだ。
「お兄ちゃん!」
俺はしばらく嶋原さんの戦いを見守っていたが、後方から唐突に呼びかけられた。かわいい妹の声を聞き間違えるはずがない。
「梨々香! 無事だったか!」
「それはこっちのセリフだよ! 綾乃さんからお兄ちゃんが危ないって聞かされてびっくりしたんだからね! ……って、大丈夫なの? その怪我……火傷?」
梨々香が俺の全身を見て、心配そうな顔を向けてくる。
そんなに酷い事になってるんだろうか? もはや緊張感と興奮で痛みを感じないし、負傷具合も自分では確認出来ない。
「ああ、もう痛いかどうかもよく分からん。ポーションが飲めないくらいには手が動かない」
「それもう限界なんじゃないの!? ちょっと待ってて、ヒールポーション飲ませてあげるから……」
梨々香がリュックサックを降ろして中身をごそごそ漁っていると、急に増えた乱入者に意識を向けたフェニックスが嶋原さんそっちのけで襲いかかってきた。
鋭い爪が梨々香に振り下ろされる。俺は動かない体を必死に動かし、カバーリング・ムーブを発動させて梨々香とフェニックスの間に滑り込んで爪を剣で受け止めた。
とうの昔に限界を迎えている俺の体力では、フェニックスの爪を押し返すのは無理だった。
このまま受け止め続ければいずれ力負けして俺が爪の餌食になる。かといって、爪を避ければ梨々香が危ない。最悪死んでしまいかねない。
梨々香は探索者になりたてだし、ここまでタイム・ルーラーの力で魔物を回避しながら来たはずだ。
まともな魔物から殺意の籠った攻撃の脅威に晒されたことがなかったであろう梨々香は、腰を抜かして恐慌状態に陥っている。すぐに退避するのは無理だろう。
剣の刃先に手を添えて、両手で剣を支える。これならもう少しくらいは保つだろう。
俺はフェニックスを睨みつけたまま、極力穏やかな声色を保ちながら梨々香に喋りかける。
「梨々香……美沙の所まで……下がるんだ」
「で、でも……お兄ちゃん……」
「大丈夫だから……早く……ッ」
俺を押し潰さんとばかりに体重をかけてきたフェニックスのせいで片膝を付かされてしまった。
その様相を目の当たりにして正気に戻った梨々香は、地面に置いたリュックサックを引き摺るようにして後ろに下がっていく。良かった、これで懸念が一つ減った。
しかしここから無傷でフェニックスの攻撃から逃れられる気がしない。
体力もそろそろ限界だし、俺が攻撃を抑えていると言うよりフェニックスに押し込まれていると言ってもいい体勢だ。
もうこれまでかと覚悟を決めた瞬間、剣に掛かっていた重みが一気に無くなった。
思わず尻餅をついてしまった俺の目に映ったのは、嶋原さんのドロップキックを喰らい、横っ跳びですっ飛んでいくフェニックスの姿だった。
「高坂ァ! おどれも下がっとれ! 死ぬぞ!」
すっくと立ち上がりこちらに怒鳴りつける嶋原さんに、俺は返事も出来なかった。
呆気にとられていたのもあるが、声を出せる程の余裕が無い。
梨々香を庇ったのが正真正銘最後の力だったようだ。辛うじて意識を保っているのがやっとで、もはや這いずり回るのも無理だ。
全く動けず返事も出来ない俺を訝しんだのか、嶋原さんがこちらに顔を向けた。
そこには驚きと悲しみ、そして怒りが混ざったような表情が張り付いていた。
さっきの千沙さんのように俺も後方まで運ぶつもりだったのか、嶋原さんは一つ舌打ちをして俺に手を伸ばす……が、フェニックスがそれを許さない。
フェニックスがデカい図体に似合わない素早い動きで嶋原さんに飛びかかり、俺や梨々香に振りかざされた爪が今度は嶋原さんに迫る。
嶋原さんはマーシャルアーティスト、攻撃に特化したジョブだ。攻撃の回避は出来ても、タンク職のように受け止めるような芸当には向いていない。
嶋原さんは極力俺の方に攻撃が来ないように拳で打ち払いながら、俺から距離を取るのが手一杯だった。
フェニックスが嶋原さんにかかりっきりになり、ある程度距離が離れた所で俺の両腕に何者かの手が回され、持ち上げられたかと思ったらすぐに後方へと引きずられた。
左右を確認すると、綾乃と静香が俺を抱えていた。両手に花などと冗談を言っていられる状況じゃない。
「高坂さんだいじょび!? 生きてる!?」
「助けに来ましたぞ! さあ、これを!」
綾乃に頬をぺちぺち叩かれ、静香に二種類のポーションを続けざまに飲まされる。
片方はさっき俺が取り落としたのと同じ種類のヒールポーション、もう一つは火傷の治療用ポーション、バーンヒールポーションだ。
体力や治癒力をブーストするヒールポーションと違って、バーンヒールポーションの方はすぐに効き目が現れた。
炎症を起こしていた箇所は赤みが収まり、水ぶくれやケロイドになりつつある箇所はかさぶたのように硬化してポロポロと剥がれ落ち、綺麗な皮膚が現れた。
体の傷が多少癒えたおかげで、再び立ち上がれるようにはなった。
まともに戦えるかと言われたら返答に困るが、嶋原さん一人に任せる訳にはいかない。攻撃を受け止める人間は必要だ。
俺が戦線に復帰しようとふらつきながらも立ち上がると、後ろから手を引かれた。
一瞬体勢を崩しかけたが、どうにか踏ん張って耐える。
「駄目です、渉さん! まだ回復しきってないのに! 盾だって無くなっちゃったじゃないですか! 剣だけでどうやって戦うつもりなんですか!」
振り返ると、美沙が涙をこぼしながら俺の手をしっかりと握っていた。
確かに、さっきのブレスで東洋鉱業から提供されていた盾が溶融してしまった。代わりの盾も持ってきていない。
だが、だからと言って下がってばかりはいられない。嶋原さんは一人で戦線を保たせている。
他が壊滅している以上、タンクとして戦えるのは俺しかいない。
最悪、武器種制限解除のアビリティがある。盾がないと使えないスキルを剣で発動する事だって出来る。
特異性や希少性を考えるとバレたくはないが、今はそんな事を言っていられない。今は無茶のしどころだ。
俺は美沙の手を振り払い、重い体と剣を引きずりながらフェニックスの方へと歩み寄ろうとしたが、後ろから抱きつくように組み付かれて足が止まってしまう。
……一体誰かなんて、もはや見なくても分かる。
「美沙、離してくれ」
「やだ! 嫌です! せめてあとちょっとだけ休んでからにしましょうよ!」
「駄目だ。嶋原さんを見てみろ、一人で捌き切るのはそろそろキツそうだ。誰かが何とかしないと……」
「でも! 渉さんこんなに傷ついて! 何で渉さんばっかり戦わなきゃいけないんですか!」
「しょうがないだろ、周りを見てみろ。みんな満身創痍だし、今動けるタンクは俺くらいだ。今嶋原さんが倒れたら、美沙もあかりも、綾乃も静香も、それに梨々香もみんな死ぬ。……俺がやるしかないんだ」
タンクだけに限って見ても柿崎さんの様子も芳しくないし、混成パーティのタンクも虫の息だ。
大剣使いに至っては動いている様子がない。……まさか、死んでいる……?
胴に回された腕に手をかけて外そうとするが、さらに強く抱きつかれてしまう。
「やだ、やだ……行かないで」
どうしても離れようとしない美沙を引き離そうと苦慮していると、ついに嶋原さんがフェニックスから手痛い一撃をもらってしまった。
嶋原さんはフェニックスの爪が掠ったせいでアーマーが破損したようだった。血が滲む脇腹を抑えながらフェニックスから距離を取り、ヒールポーションを一気に煽っている。
戦闘の足を引っ張るような怪我ではなさそうだが、やはり嶋原さん一人で戦わせるには無理がある。
「クソッ、手が足りん……!」
嶋原さんも人手不足を痛感しているのか、呻くように声を上げた。
これはもう切羽詰まったとしか言いようがない。美沙の気持ちも分からなくもないが、うだうだやってると皆死んでしまう。
「美沙! お願いだから行かせてくれ!」
「嫌です! 絶対嫌です! 何で大事な人が傷付くって分かってるのに行かせなきゃならないんですか!」
「今俺が行かなかったら全滅だぞ、分かってるのか!?」
「分かってますよ、勿論! それでも嫌なんですよ! あたしが生き残っても、渉さんがいないなら生きてく意味なんて無いんですから!」
俺はしがみつく美沙の腕から抜け出せずにいた。
どうしたものかと悩んでいると、唐突に俺のカードデバイス「神楽」が輝き始めた。一体何だ?
唐突な現象に俺が戸惑っていると、全く触れてもいないのに神楽の蓋が開き、そこからカードがいきなり飛び出て実体に戻る。
赤いユニフォームシャツに身を包んだ少女達……一桜達ヒロシマ・レッドキャップの皆が俺の意志に依らず、勝手に召喚状態になってしまった。
九人の少女は皆俯いていた。その中で一桜が顔を上げ、俺の目をじっと見つめる。一桜の目は真っ赤に腫れており、涙が滲んでいた。
「……あのね、お父さん。一桜、すっごく悔しかったよ」
一桜だけでなく、皆がバットをぎゅっと握りしめている。
「一桜、弱いから……お父さんの役に立てないんだって、すごく、すっごく悔しかったよ」
「みおりもね、おっきいとりさんすごいこわいけど……おとうさんにいらないって思われる方が、よっぽどこわいよ」
一桜や三織の言葉に、他の子も頷く。七海に至ってはボロボロ泣いている。
七海は怖がりだ。皆同様役立たず扱いされるのもフェニックスのいるこんな所に出てくるのも怖かっただろう。
それでもカードの中に引き篭もらずに出てきたのは、怖い気持ちを堪えてでも成し得たかった事があるのだろう。
「だから、決めました。戦える私達になると。お父様を失望させない強い私達になると」
六花が進み出て、あかり仕込みの流麗な仕草でお辞儀をしながら宣言する。
「ボク達だけだったらどう強くなればいいのか分からないけど、ここにはいっぱいお手本がいるからね。ボクも……ううん、『拙者も』、見様見真似で学ばせてもらいますぞー」
九音の口調が変わった。まるで俺の後ろに控えている静香そのものだ。
あんまり教育によろしくないから真似しないで欲しい。
「一桜達が弱い魔物なら、戦える魔物になればいい! ここには、それが出来るだけの力が集まってる!」
一桜が力強くバットを天高くかざすとバットが一桜の手から離れ、まるで魔物が死んだ時のように金色の粒子に変わり空気に溶けた。
それに倣って他のヒロシマ・レッドキャップもバットを掲げると、どんどんバットが金色の粒子に変わる。
やがてボス部屋全体に金色の粒子が満たされ、急激に息苦しさが薄れていく。
まるで昨晩キャンプを設営したセーフエリアのような……もしかして、魔素が消えている?
「この反応……まさかあやつら、この場の魔素を喰い尽くして上位の存在になるつもりか!?」
ラピスが驚愕で目を見開いて一桜達を見つめている。何か知っているのか?
「ラピス、つまりあいつらは進化しようとしてるのか?」
「いや、進化は長い年月をかけて遺伝形質を最適化する普通の生き物特有の奴じゃろ? 一代限りの形質の変化じゃからミューテーション、突然変異になるんじゃなかろうか?」
ラピスはこめかみを指で揉み、一桜達を見回しながら続ける。
「そういうシステムは無くはない……が、レッドキャップ種の上位種族なんて聞いたことがないからのう。一体何になるつもりなんじゃろうか……?」
ラピスは戸惑うように呟いて自分の思考に潜っていった。
一桜達はよくある育成ゲームで言う所の進化を試みようとしているんだろうか?
戦力不足のこのタイミングでの強化はありがたいが……大丈夫なのか?
「みんなー! お勉強、はじめー!」
『おー!!』
一桜が声高に叫ぶと、ヒロシマ・レッドキャップの皆が散り散りに走り出した。
さっき九音が言っていた「お手本」だとか「見様見真似」って単語から推察するに、探索者のジョブをコピーするとかそういう類の進化方法なのかも知れない。
二葉は何を思ったか、フェニックスと睨み合っている嶋原さんの所に向かった。フェニックスは弱い魔物がいきなり割り込んで来た事に戸惑っている。
三織と六花は俺の側……いや、美沙か。突然の展開にポカーンと口を開けて放心している美沙の手を取った。
四季は手当を受けているあかりの所へ。四季はあかりの部屋に入り浸ってたから、分からなくもない。
五月はへばっている柿崎さんに、柿崎さんの隣でせっせと介抱していた長岡さんには八宵が付いた。
七海は混成パーティの魔法使いの所へ。俺はあまり面識がないが、昨日のキャンプの時とかもかわいがってもらってたな。
九音は静香の横で手を握っている。普段から静香の部屋で一緒に過ごしているからってのもあるかも知れない。
そして言い出しっぺの一桜は、俺の手を握ってじっと見上げている。
それぞれ「お手本」を選んだヒロシマ・レッドキャップの皆が光をまとい、選ばれた探索者もまた光に包まれる。
俺も一桜の放つ光に照らされ、魂の奥の方まで覗き込まれるような感覚に襲われた。
やがて一桜達が放っていた光が激しさを増し、皆思わず目を瞑ってしまう。 探索者達の悲鳴とフェニックスのけたたましい雄叫びがボス部屋に響く。
まぶたを突き刺す強い光が治まったのを確認して目を開けると……一桜達の頭上には光り輝く武器が浮かんでいた。




