第86話
混成パーティの大剣使いのヘビーウォリアー……三人目のタンクが膝をついた。肩を大きく縦に揺らしながら喘ぐように息をしている。熱にやられたか。
他にも何名か敵の攻撃を誘導できそうなジョブはいるが、現状ではあまり役に立つとは思えない。皆疲労しきっている。
まともに機能しているタンクは、これで俺と柿崎さんだけとなった。しかしその柿崎さんも序盤のテンパりのせいでやや疲れ気味だ。
柿崎さんは俺が前衛として出張っている間に後ろに下がって、長岡さんに体調をケアしてもらっているが……他の面子同様、そろそろ限界が近い。
フェニックスはと言うと、かなりの手数の攻撃を食らっているはずなのに無傷だ。
切られたり刺されたり魔法を食らうたびに即時に回復しているモンだから、正直決定打を入れられている手応えを感じない。
内部的に疲労やダメージが蓄積している可能性も無いわけではないが、フェニックスの目から殺意と闘志……それと、理性の光が消えていない。
ボス級の強い魔物は自らの命を脅かす存在に対して激怒する物だが、俺達の攻撃を食らったところで怒ってすらいない。
つまり、結構な長時間死闘を繰り広げているにもかかわらず、俺達は未だフェニックスに脅威と思われていないという事だ。
これは正直、勝算や勝ち筋といったものが全く見えて来ない。
「これは……キツいな!」
「仕方がないじゃろー! ほれ、ブレスが来るぞー! 泣き言言うとらんでしっかり防ぐんじゃー!」
半ばヤケクソで戦っているラピスから警告が飛ぶ。
フェニックスの仰け反り方から、広範囲を焼くためではなく、誰か一人に狙いを定めた局所的なブレスだとアタリをつけた。
そしてその対象は、攻撃に躍起になっていたせいで逃げ遅れた混成パーティの侍の女性だ。
駆け寄っていては間に合わない距離なので、カバーリング・ムーブを使って侍の前に瞬間移動し、盾を構える。
自分のパーティのタンクが戦意喪失状態なので、侍の女性は生きるのを諦めたような絶望的な表情で震えている。
俺はフェニックスの嘴から迸るブレスを盾で受け切る。大丈夫だ、俺が戦える間は誰も死なせるつもりはない。
やがて細くて勢いのある青い炎のブレスが消えると、フェニックスは俺に向かって飛びかかり、爪で引っ掻こうとする。
これは盾で防ごうとすると盾を掴まれて遠くに投げ飛ばされてしまうので、剣で受け流す。
さっき笠木さんが盾を飛ばされたのをしっかり見ているので、同じようなミスは犯さない。
返す刀でフェニックスの足を斬りつけるが……まただ。火を吹くだけでダメージにならない。
攻撃が柿崎さんに向いた事もあり、こちらは問題ないと判断して再びサンブリンガーズの持ち場に戻ろうとしていた俺を、侍の女性が呼び止めた。
「あの! 高坂さん、ありがとうございます!」
「一旦下がって休憩するんだ。手が足りてないから手早くな」
俺は軽く手を挙げて返答してその場を離れる。
パッと見かなりそっけないように見えるが、仕方がない。完全にこっちの都合だ。
異能が封印されてただの探索者程度に弱くなったはずの美沙から背筋が凍りそうなくらい殺気の籠った視線が飛んで来ている。
あかりもハイライトの消えた目をこちらに向けながらスキル発動のために歌っている曲の歌詞をヤンデレ風に変えたりして圧をかけている。
器用な芸当だとは思うがやめなさい、「貴方を殺して私も死ぬ」とか「あなたと結ぶ赤い糸を小指の根本から抉り出す」とか歌うんじゃない。普通に怖いし変なデバフが乗りそうだ。
全然勝てる見込みが見えて来ないのに、君らは随分と余裕だな? 一体どうなってるんだ?
「渉さん、ちょっと」
ラピスの横に戻ったタイミングで、美沙が後ろからこそこそと近づいて来た。
不用意に近寄って来た美沙とラピスを対象にしたブレスが襲いかかる寸前だったので、俺はラピスと美沙を抱きしめて、盾で庇う。
チリチリと火の粉が盾の外で舞う。……危ない所だった、下手したらみんな焼けてる所だ。
「美沙、迂闊に前に出たら危ないぞ、下がってろ!」
「あ、はい! 嬉しかったです! じゃない、手短に! メッセージが来ました、救援がこちらに向かってます!」
「救援? 一体誰が……」
「妹さんが闇ヶ淵と霧ヶ峰、あと嶋原さんを連れてくるそうです」
「梨々香が……? それに綾乃に静香に……嶋原さん? どういう事だ?」
俺は耳を疑った。情報量が多い上にあっちこっちに飛びすぎだ。
梨々香はまだ探索者の資格を取ったばかりだし、ダンジョンには入らないよう言いつけてあったはずだ。
静香が唆したとは思えない。静香は何だかんだ言って常識人だし、俺と同様に梨々香を大事にしている。
そうなると梨々香を連れ出した張本人は恐らく綾乃だが……実家の祖母はもう大丈夫なんだろうか?
さらに嶋原さんが来るって話だが、何であいつらと面識があるんだ?
そもそもあの人は丁種だから、警備の仕事以外ではダンジョンに入れないんじゃないのか?
「詳しい事は分からないんスけど、闇ヶ淵が妹さんの力が無いとあたし達が全滅するって言ったらしくて……これからダンジョンに入るそうです」
「これから!? ドラゴンスケルトンも復活してるのに、これから来てどうするんだ……? タイム・ルーラーもどこまで使えるか分からないし、異能封じのデバフだってあるんだぞ?」
梨々香の力……タイム・ルーラーは時間に干渉する原初の種子の力だ。
中学生の頃からずっと成長が止まっていたのも、その能力が暴走しっぱなしだったせいだ。
不随意的に梨々香が時間加速に近い力を使っていたとトーカから報告を受けていたが、綾乃にはそれを知らせていない。どこで知ったんだ?
それに、もしタイム・ルーラーを使って爆速でここまで来たとしても、戦闘要員は嶋原さんしかいないのでは現状を打開出来るとは思えない。
「分かりませんが、闇ヶ淵の予知能力に何かひっかかる物があったんだと思います。とにかく頑張って耐えてみましょう、もしかしたらワンチャンあるかもっスよ」
「可愛い妹をこんな所に来させたくはないが……そうだな、やってみるか」
美沙が俺の側から立ち去ろうとしたその時、どこかから男と女の叫び声がした。
盾の構えを解いて声のした方を見ると、グロッキー状態からどうにか復帰した大剣使いと柿崎さんが吹き飛ばされて壁に叩きつけられていた。
……マズい。タンク役がいない。俺のこめかみに汗が滲む。
一瞬思考が真っ白に染まる中、樫原さんの声が俺達を正気に引き戻した。
「皆さん、一箇所に集まって下さい! 近接の人もあまり散らばらないで! 高坂さん、しんどいですけど踏ん張って下さい!」
「了解! 誰か負傷したタンクをこっちに運んでくれ! タゴサク、ケラマ! 頼んだぞ!」
俺達がある程度攻撃を誘引しているにもかかわらず、フェニックスの一度の攻撃で負傷者が大勢出ている現状において、貴重な回復要員であるケラマとその機動力を担うタゴサクも多忙だ。
熱波や炎で気温がとんでもなく上がっている事もあり、少しへばっている様子だったが、俺からの命令でやる気を持ち直したようだ。二匹ともキリッとしている。
ケラマに至っては触手の様に身体の一部を伸ばして折り曲げて挙手の敬礼みたいな真似をしている。器用だ。
力仕事が得意そうな大柄の男性探索者数名が気絶しているタンクの回収に向かい、タゴサク達もそれに追従する。
この状況において、フェニックスを引きつけられるのは俺一人だ。
それでも戦わなければみんな死ぬ。俺が駄目になったら、残る道は総崩れだ。
皆の命綱がこの盾に括り付けられている様を想像してしまう。……どうしようもなく、重い。
俺は剣と盾のグリップを今一度強く握り直して、フェニックスへと襲い掛かった。
スマッシュ・ヒットを乗せた斬撃が翼に当たるも、炎を吹き上げるばかりだ。やはり何度斬っても手応えが無い。
まるでRPGに出てくる「キーアイテムが足りていないせいでダメージが入らない中ボス」みたいな印象だ。
俺にとってダンジョンでの活動といえば、警備計画に基づいた浅い階層を巡回するだけだったから、こんなフェニックスみたいな難物が最下層の常なのかどうかも分からない。
ダンジョンの攻略経験がありそうなコンカラーもいないのだから、もはや誰に尋ねても明確な答えは返って来ないだろう。
うちの情報のスペシャリストが歌でバフを撒くばかりで、効果的な攻略方法を持ってこない時点でお察しとも言える。
だから俺に出来る事は、とにかくフェニックスの気を引いて近接職や後衛職に攻撃が飛ばないようにするだけだ。
……何だ? フェニックスがブレスを吐こうとしているが、予備動作が妙だ。
今までよりもやけに溜めが長い。まるでこれから深海に潜りますとでも言わんばかりに深く息を吸い込んでいる。これは……マズい!
「全員、俺の後ろに隠れろ! 今までよりもヤバいブレスが来る!」
俺が喉が張り裂けんばかりに叫ぶと、近接職が急いで持ち場を離れて俺の後ろに移動する。
範囲内のダメージを全て肩代わりするスキル、インビンシブル・ウォールを発動しようとしたが、圧倒的に範囲が足りない。
インビンシブル・ウォールの効果範囲は半径5メートルだ。その中に二十人近くをギチギチに押し込めるのは無理だ。
俺はこっそりインビンシブル・ウォールとエンデュランス・ペインに全体化のアビリティを乗せる。
これで皆を範囲内に収め、肩代わりするダメージの大幅な軽減が可能なはずだ。この期に及んで秘密だの何だの言っていられない。
しかし……何だろう、この妙な胸騒ぎは……?
「来るぞ、ワタル! ボーッとするでない!」
ラピスの声掛けで沈みかけた意識をフェニックスに向けると、ちょうど灼熱の炎を纏ったブレスがこちらに迫り来る所だった。盾を強く握る。
火災現場のような炎の巻き上がる音に混じって、背後から押し殺した悲鳴がいくつも聞こえる。
普通に考えたら半分くらい焼け死んでいても仕方がない攻撃だ。そりゃあ怖かろう。
全員をカバー出来ているのはひとえに制限に引っかからずに使えているアビリティのお陰に他ならない。
……しかし、おかしい。とっくにブレスが終わってもいい頃合いなのに、まだまだ収まる様子がない。
もしかして、溜めが長かったのは長時間ブレスを吐き続ける為……?
全員が焼けた空気のせいで段々と息苦しさを覚え始めた頃、一番先に限界を迎えたのは俺の盾だった。
ただでさえフェニックスの高熱を伴う攻撃に晒され続けていた盾は、いかに東洋鉱業謹製の最新鋭とは言えども耐久性を大きく損なっていた。
そこに来て、この長時間のブレスだ。盾は赤熱を通り越してドロドロに溶融し、グリップを残して消し飛んだ。
「しまっ──」
俺は突然の盾の消失に狼狽の声を上げた。吸い込んでしまった熱い空気に肺を焼かれ、一瞬意識が飛びそうになる。
だが意識よりも早く吹き飛んだのは俺の後ろにいたAチームの仲間達だ。一拍遅れて俺の体も熱波に追いやられて、強かに壁に叩きつけられた。
ダメージが許容量を大きく超えてしまったタゴサクとケラマがカードに戻り、俺の手元に戻る。ラピスは辛うじて生き残っている。
痛みと熱でうまく動かない体を動かし、上体を起こして見渡すが、もはや全滅と言ってもいい壊滅状態だ。
動ける人間はヒールポーションを飲んで一命を取り留めている。混成パーティの方ではヒールポーションを飲ませようとしても飲み込めない重傷者がいるようだ。
ガリンペイロも全員戦闘不能だ。長岡さんに至っては綺麗な顔に火傷が広がっている。
火傷を負っているのは長岡さんだけではない。全員どこかしらに酷い熱傷を負っている。それは美沙やあかりも同様だ。
二人とも息があり、意識もハッキリしている。自分でヒールポーションを取り出して服用出来ているし、ひとまずは安心だ。
……そうなると、自分の負傷が気になる。
後方で守られていた皆がこの有様なら、俺は一体どんな怪我を負っているだろう。鏡が無いので分からないが、想像したくもない。
バーンヒールポーションがあれば後遺症や火傷痕を含めて一瞬で完治出来る。
第五階層までは火山エリアだった事もあり、バーンヒールポーションの備えもあるが、今はそれどころじゃない。
俺は震える手でヒールポーションのカード化を解除して飲もうとしたが、手を滑らせて落としてしまった。
疲労とダメージが蓄積してしまったせいだろうか、まともに体を動かせそうもない。
勝利を確信したフェニックスがけたたましい雄叫びを上げ、悠々と俺に近づいてくる。
フェニックスはこれまでの戦闘で、誰を真っ先に潰すべきかようやく理解したようだ。
「渉さん!」
後ろから美沙が叫ぶ。
チラッと見ると、まだ体力が回復しきっていないのか、四つん這いで少しでもこちらに近付こうとしながら手を伸ばしている。
どうにかして助けたい気持ちは分かるが、あまりにも離れ過ぎている。
他に誰か居ないか見渡してみるが、皆満身創痍で動けない。
今、俺を助けることが出来そうな人は誰もいない。ああ、これは詰んだか。
フェニックスが俺に飛びかからんと爪を振りかざす。
最期の最期まで諦めるつもりはない俺はフェニックスを睨みつけていたが、人影が俺の横を通り過ぎた。
「ちー姉様!」
美沙の言う通り、俺とフェニックスの間に割り込んだのは千沙さんだった。
博物館エリアのドロップ品の刀を手に、汗を流しながらフェニックスに真正面から立ち向かっている。
剣を地面に突き刺して杖のようにして立ち上がろうとしたが、うまく力が入らない。
「千沙さん、下がって! 探索者でもこんな有様なのに、力が出せない貴女じゃ無理です!」
俺が千沙さんに呼びかけるが、全く意に介さない様子で刀を抜き放ち、正眼に構えている。
まさか……フェニックス相手に戦うつもりか? 異能の力が戻ってないのに?
「ちー姉様! 無理です! あたし達でも駄目だったのに! 今からでも遅くないから、渉さんが言う通りに下がってください!」
「いいえ……いいえ! 力が無くとも、私は月ヶ瀬の長姉です! 牙なき人の牙として、魔を討つ一族の長です! 皆が倒れたこの期に及んで、後ろで指を咥えて見ている訳には参りません!」
悲痛な千沙さんの叫びがドームにこだまする。
フェニックスもこれまで戦闘に参加してこなかった人間の力量を測りかねているようで、手を出しあぐねている。
「……美沙さん。こちらに救援が向かっている話、申し訳ありませんが唇の動きから読みました」
「ちー姉様、まさか時間稼ぎの為に!?」
千沙さんはフェニックスを睨みつけたまま、軽く頷いた。
「もちろん、むざむざと死ぬつもりはありません。異能は無くともこれまで魔を討ってきた経験はあります。戦線を立て直す時間くらいは稼いで見せますとも。それに……」
千沙さんが少し悲しげな顔で笑う。その表情を見られたのは、きっと俺だけだろう。
「今の月ヶ瀬には、美沙さん。貴女がいます。神代の祖先に選ばれ、神も魔も斬る定めを与えられた真なる月ヶ瀬……貴女の生かす為の礎となるなら、きっとこの命を賭する価値もありましょう」
「バカな事言わないでください! せっかく! せっかく姉様と仲良くなれると思ったのに! これまでのすれ違ってた時間を一緒に埋められると思ったのに!」
美沙が涙をこぼしながら立ち上がろうともがいている。
ヒールポーションは治癒力を高めるだけで、飲んだらすぐに傷が塞がる訳ではない。
美沙の声を背中で聞く千沙さんの目にも、涙が滲んでいる。
「……ここ数日、とても楽しかったです。まるで普通の姉妹のようでした。これまで私は不甲斐ない姉でした。美沙さん、ごめんなさいね」
「やめて……やめて下さいよ! まるでもう会えなくなるような事言わないで下さいよ!」
「美沙さん、高坂さんと仲良くするのですよ。出来ればお二人が祝言を上げるのを見たかった所ですが……こんな姉ですから、仕方がありません」
フェニックスが自分を前にして悠長に話を続ける千沙さんをついばもうと嘴を叩きつける。
異能が無くとも、千沙さんにはこれまで月ヶ瀬の一族として戦ってきた経験が生きているようだ。
千沙さんは刀で受ける事はせず、左右に飛び跳ねて回避する……が、最後の一発をかわしきれず、刀で受け流そうと試みた。
しかし地力が圧倒的に足りない。刀に叩きつけられた一撃を耐えきれなかったようで刀を取り落としてしまった。
フェニックスが皆をまとめて焼き殺そうと大きく胸を反らし、ブレスを吐こうとしたその時。
「ォォォォオオオオオオ!」
野太い雄叫びが階段の方から轟き、弾丸のように飛び出した何者かの放ったパンチがフェニックスの胸に突き刺さった。
まるでブレスを吐いた時のように、、フェニックスは真上を向いたまま火を吹いた。
不完全燃焼で黒い煙と共に舞い上がった炎はドーム状の天井にぶち当たり、弱くなった部分から瓦礫がバラバラと落ちてくる。
何が起こったのか分からなかった俺は、フェニックスに飛びついた何者かの正体を見極めようと目をこらした。
横に大きな体躯、見覚えのあるガントレット、そしてボディアーマーに描かれているのは東洋鉱業のロゴマークと栄光警備の社章。
深く冷たい怒りの表情を隠そうともしないその男は……嶋原さんだった。




