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天人伝承  作者: 安芸
第五章 戦場に咲き狂うということ
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盟約

 キルヴァ対ウージン王の決着です。

「待たれよ」

 キルヴァの足が止まる。だが拒絶を示すかの如く背を向けられたままだ。

 ウージン王はいま一度キルヴァの注意を引くべく告げた。

「ではこちらはスザンの休戦条件に加えて、戦死者への見舞金を二倍にしよう。更に、我が国自慢の製鉄鍛錬施設を直にお目にかけようではないか」

「まさか」

 さすがに驚いて、キルヴァは振り返った。

 ウージン王はキルヴァがようやく見せた青年らしい若い青臭さの残った表情に満足がいって、口を横に伸ばしながら大きく頷いた。

「左様。但し、人数はある程度制限させていただくが。いかがかな?」

「……製鉄鍛錬施設と言えば、軍事機密の中枢。武器の設計から製造までを担う重要拠点。その心臓部を披露とは、少々過剰にすぎる申し入れのように思えますが」

「なに、そなたを侮り見くびった、せめてもの詫びよ」

 あっけらかんとウージン王は言いきって、パドゥニーに手を差し出した。軍師は王の掌に羽扇を載せ、ウージン王はそれを緩慢なしぐさで煽いだ。

「とはいえ、このままでは公平を欠いている。そこで新たに要請をひとつ、付け加えたい」

 やはり、奸智に長けた王である。転んでもただでは起きぬ、と評したのは父王ディレクで、わざわざ転んでは高い拾いものをする、と評したのは軍師リューゲルだった。

 キルヴァは姿勢を崩さず、油断なく訊き返した。

「新たな要請とは?」

「我が末姫マリュカの夫に、ディレク王が第二子キャスザイン王子をお迎えしたい」

 それは事実上の人質要請であった。

 好条件と引き換えに、娘婿という地位を与えつつも身柄を押さえられ、いざという場合はまさに命を盾に取られる。

 キャスザイン・ダルトワ・イシュリーは義母エリフェア妃の産んだキルヴァの腹違いの弟である。現在は第八領地の領主を拝命しているものの、まだほんの六歳であった。

「悪い話ではあるまい。我が姫は九歳、キャスザイン王子は確か六歳であったな。若干姫の方が年上であるが、たかが三歳差、似合いだと思うのだが」

 餌と脅しを常套手段とする、まさにライヒェン式の交渉術である。

 キルヴァはウージン王の背後、後方に待機するライヒェン駐屯軍を眺め、それより手前の荒野を眺めた。ここからでは、なにも見えない。だが、さきほどから、カドゥサはずっと同じ高さ、同じ場所を旋回している。時折発する声はまぎれもなく警告で、注意を呼びかけているのだ。

 おそらく、塹壕でも掘って兵を潜ませているのだろう。あの位置からすると、弓矢部隊に違いない。 だとすれば目的は、この身の確保か。

 ステラに一瞥を向けると、微動だにしない美貌で首肯された。案ずることはないようだ。

 状況整理をした思慮の結果、キルヴァはにっこりと笑った。

「それは良案です」

 ぱっ、とウージン王の顔が綻ぶ。イシュリーとスザンを裂くための懐柔策として苦肉の提案であったが、もし実現すれば、スザン征服後もイシュリーとの融和を図るためには最良の切り札になる。血を見ずして、絆が保たれる。優位はライヒェンにあり、子供が生まれれば尚更、両国間の関係は強化されるだろう。

 万が一、キャスザイン王子が血筋に見合わないうつけだった場合は、ひそかに始末してしまえばいいだけのこと。そしてしばらくのちに病死の知らせを届ければいい。そこでおそらくイシュリーとは戦争になるだろうが、それでも少なくとも十年の安全条約が結ばれる。当面の危機は回避できる。そこが肝心なのだ。

 ウージン王は意気揚々とパドゥニーに合図した。

「では正式な婚約の儀はあとで執り行うとして、口答約束の他に一筆いただけるかな」

「お待ちを。私の話はまだ終わっておりません」

 キルヴァは姿勢を正した。瞳が悪戯っぽくきらめく。

「姫君のお相手は私では不足でしょうか」

「……いま、なんと申した」

「私は恋人も婚約者も無論妻もおりません。女性に関してはまったくの潔白の身。もし姫君を私の妻にいただけるのであれば望外の喜びというもの。婚姻を通じてライヒェンと恒久的な同盟を結ぶことができるとは光栄至極、なんたる僥倖、さいわいにして最善――願ったりかなったりです」

 微笑むキルヴァとは反対に、思惑が方向性を欠いてしまい、すっかり面喰ってウージン王はしどろもどろの体になった。

「いや、しかし、姫はまだ九歳で――」

「あと七、八年待つくらい、私はどうってことありません。のんびり、国を整備してお待ちいたします」

「そなた、本気か」

「本気です」

 ウージン王はまた考えた。若造相手になかなか思い通りにことが運ばぬのはなぜなのか、理解に苦しむところである。しかし、この申し出は悪くない。比べるまでもなく、第二王子より第一王子、次期王位継承者であるキルヴァ王子の妻である方が身分も地位も保証され、いいに決まっている。

 人質を取り、担保にする。

 だがそれよりも。

 正式に婚姻が結べるのであれば。

 その相手がシュリトゥの息子、あの美しく優しく、ついに手の届かなかったひとの忘れ形見であるならば……。

 ウージン王はほんの束の間、昔に思いを馳せて、眼を瞑った。瞼があいたときには、心が決まっていた。

「そなたになんの不足があろう、キルヴァ王子よ」

「では」

「よかろう。我が末姫マリュカが十六の誕生日を迎えた折にそなたに嫁がせる。それまでは我がもとで健やかに育て、良き妻、良き母となるよう教育することを約束しよう」

「ありがたき幸せ」

「なれば、いまを限りにイシュリーは我がライヒェンと同盟を結ぶことに相違ないな?」

「はい」

「共にスザンを打ち滅ぼすことを誓うか?」

「はい」

「我が姫との婚約を受諾するか?」

「はい」

「では、誓いの血の証を」

 キルヴァは歯で指先を噛み切って、ウージン王の胸元めがけてさっと手を振った。血が迸る。またウージン王も同じしぐさをした。キルヴァの白い衣装に赤い鮮血が散る。

 二人は静かに正対して、両者深く礼をした。

 それから公約の誓書を互いに交わし、読み上げ、印を捺し、複製をつくり、交換し、すべての手続きを滞りなく完了させた。

 認めた証書を箱に納めてパドゥニーに預け、ウージン王がくっくと笑う。

 傍ではパドゥニーが出番のなかった弓矢部隊へ撤収の合図をしたところであった。

「どうもこのたびはそなたのいいように手玉に取られた感があるな。誰の入れ知恵だ? ディレクではあるまい。リューゲルか? それとも、そちらの白き十二翼天か……?」

「私の軍師、次軍師セグラン・リージュの策です」

「ふむ。落ち着いたら、紹介してもらう必要がありそうだな」

「では酒宴の席でも設けましょう」

「楽しみにしている。だがその前に、スザンを滅すぞ」

「完膚なきまでに」

 既に日は傾き、風が冷たさを増す中――夕焼けに、珍しく大きな半円の虹がかかっていた。

 吉兆か、凶兆か。

 空の慻族であるステラでさえももの珍しそうに眺めていた。

 この夜、キルヴァは陣地に戻って帰りを待ち侘びていた皆に無事な姿を見せ、交渉の場の一部始終を話した。

 翌日。

 約束通り、五日目にして王宮へ帰還を果たしたキルヴァはライヒェンとの条約の締結を告げ、その証書を提出し、また自らの婚約に基づく恒久的同盟の正式認可を主張した。

 かくて事態は一気にスザン討伐へと動き出す。

 ひとまず天人兵団の投入は見送られたものの、いつでも出征できるよう待機を命じられた。

 そしてキルヴァには、王命により、正式に出陣要請が下った。

 

 怒涛のスザン戦のはじまりである。

 


 記念すべき五十回目で一区切りとは、我ながらいい配分でした。はい。

 次回より、また戦場です。はー。ガンバレ、私ー。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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