真昼の謀りごと
ライヒェン国ウージン王とその軍師パドゥニーです。
少し肩の力の抜けた王、を描きたいものですが、これ、いかに。
ライヒェン国、首都バルーチィより北北西――イシュリー国との国境。
ここに、総勢五万ほどの軍勢が駐屯する国境線基地があり、その中央部に、慌ただしく整えられた大天幕があった。
イシュリーとの公式会談のため首都にある王城より遥々遠征し、数日前から滞在を余儀なくされているのは、ライヒェン国王ウージン・マルスカーヤ・ライヒェンである。
ライヒェンとイシュリー間の交渉権利は第一王位継承者キルヴァ・ダルトワ・イシュリー王子が一任されており、王子はいまスザン国との国境線の前線基地に待機中との知らせを受けて、ライヒェン国王ウージンはこの国境線での公式会談を申し入れた。
そしてついさきほど、会談を了承する旨の報告を携えた使者が帰参した。驚いたのは、その日時だった。
今年齢四十九のウージン王は凄い憤怒の剣幕で大天幕内を忙しく行き帰した。その口腔からは唾が飛び、罵倒の声が延々と紡ぎだされる。
「今日の正午だと? ふざけおって。あと一バーツと二十ハイトでどうやってここまで辿り着けるというのだ。こちらの使者と共に出立したというならばともかく、そうでなければ、この距離ではどうやってもその三倍の時間がかかるだろうに、ええい、くそ、はじめからこの会談を蹴るつもりだな。愚弄しおって。若造が嘗めてくれるわ」
脇に控える、ライヒェン国軍師パドゥニー・グシカールは冷静な姿勢を崩さなかった。
「しかし、そうなればそうなったで、国境侵攻の名目を得られるというもの。王子に事の真偽を糺すという大義名分があれば、首尾よくすればその身柄を押さえられるかも知れませぬ。身柄を押さえられずとも、我が国が接触を図り軍の一部でもイシュリーに入ってしまえばよろしいのです。スザン側からしてみれば、それだけでも休戦条約を締結したように見えるでしょう。とにかく、スザンとイシュリーが手を組む事態を避けねばなりません。それには、とりあえず申し出通り、正午までは待つことが得策かと存じます。しかしながら、お相手が王子であるならばなにも我が君ご自身が出向かれずともよろしいのではないですか?」
ウージン王はううむ、と唸って、どさっと椅子に腰をおろした。肘掛に肘をつき、頬杖をついて少し物思いにふけったあと、ぽつりと呟いた。
「……昔、イシュリーのディレク王とは一時懇意にしていたのだ。ディレクのはじめの妃シュリトゥは私ともよしみがあってな……シュリトゥがディレクのもとへ輿入れして……そうか、あれからもう二十一年も経ったのか。大きくなっただろうな……」
「キルヴァ王子は、この会談において戦闘の意志がないことを示すために、従者は近衛をひとりだけ就けて来られるようです」
ウージン王は眼をつむって美しき故人を――他の男の妻となった――シュリトゥの面影を回想していた。
長い時を経ても尚、甘い痛みに胸を掻かれる。あの若き日の思い出は、いまもまだ輝かしいままだ。
美しく、優しく、儚げなのに気丈な一面を持ち合わせたシュリトゥには、大勢の求婚者たちが群がった。かくいうウージンもそのひとりで、一途に恋い焦がれた日々を過ごした。
しかし、シュリトゥが選んだのは――。
「ディレクの倅か……あの阿呆な男の血をひいているのだ、さぞや間抜けな面に違いあるまい。そうだな……もし予定通りに参上したならば、一目ぐらい、顔を見てやってもよいな。うむ。シュリトゥに免じて私が直々に会談に臨んでやってもよい。ん? なんだ、まだなにか申したか?」
軍師はいま述べた事柄を繰り返し言った。
すると、ウージン王は烈火の如く顔を赤く染めた。
「なに? 従者は近衛ひとりだと? 豪胆を示すつもりか? ならば私も供はひとりだ! パドゥニー、そちが来い」
「おおせのままに」
「生意気で命知らずで無礼なところは父親そっくりだ! ディレクもそうだった! 破天荒で礼儀知らずで大雑把で誰かれ構わず敵にまわしては揉め事三昧、仲間内では馬鹿騒ぎ三昧、あれでよくシュリトゥが嫁にいったものだ」
「我が君」
「なんだ」
「お許しいただければ、キルヴァ王子の身柄を取り押さえますが」
ウージンの顔から温さが拭われる。すう、と瞳が細められて瞳孔が尖った。
「……なんだと?」
「王子を捕らえてこの際イシュリーに無条件降伏を促してもいいですし、それでディレク王が王子を廃嫡なさるような処分を下されるならば、聡明で人たらしと名高い王子を貰いうけることにいたしましょう。王子にはもれなく六名の手練がついてきます。“戦場の黄姫”こと ダリー・スエンディー 、“不屈不抜のミシカ” ことミシカ・オブライエン、“隠し武器使い” ことエディニィ・ローパス 、“百変化の影法師”こと クレイ・シュナルツァー 、“潰乱の疾風”こと カズス・クライシス 、“黒き死神”ことアズガル・フェイド。いずれも百戦錬磨のつわものです。他にも王子を慕い、つき従う者が出てくるやも知れませんね。
そうなれば、しめたもの。イシュリーは弱体化し、我が国は戦力増強となります」
ウージン王は半ば呆れたようにパドゥニー・グシカールを見やった。
「そちはまったく抜け目のない男だな」
「では、ご了承いただけますか」
「許す。但し、王子に傷をつけることはまかりならぬ。無傷で捕らえるのだ」
「承知いたしました。では、弓矢部隊を待機させます」
生き生きと企みに奔走する軍師パドゥニー・グシカールにあとを任せて、ウージン王は表に出た。
太陽は中天に昇りつつあった。降り注ぐ光は白濁し、眩く、ウージン王は額に手を翳した。空は高く、蒼く澄み、分裂した雲がゆっくりと流れている。
ウージン王は腕を組み、空を眺めた。まだ見ぬ敵国の王子を思い、その父たる友人だった男を思い、かつて恋をし、憧れたひとを思った。
正午まで、あと僅か一バーツである。
どこで区切ろうかなあ、と思っていたら、中途半端な感じ。ちょっと短めでしたね。キルヴァ出番なし。次回持ち越しました!
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。