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天人伝承  作者: 安芸
第四章 苦しみを見出すということ
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誓いの言葉

キルヴァとステラです。

意外に接点の少ない二人のエピソード。どうぞおつきあいください。

 翌日、早朝。

 クレイ・シュナルツァーがライヒェン国に発った。

「近衛教育は取りあえずジェミスに引き継ぎました。戻りましたら、また私がびしばしと飴と鞭を振るいます。私が留守でも、どうか身辺にご注意を。では行って参ります」

 次いで、エディニィ・ローパスがスザン国に発った。

「しばしお暇いたします。お身体にお気をつけて。くれぐれも薄着で外出なさったり、おかしなものを召し上がったりなさらないでください」

「私のことはよい。――エディニィ。絶対に無茶をするな。ただでさえ危険な敵地だ、加えて君は女性で美しい。私は心配だ……君になにかあっては、私は自分を許せないだろう。だから、無理はよせ。必ず無事で戻るのだ。よいな」

 エディニィは一瞬泣き崩れそうな表情を浮かべたが、すぐに唇を引き結び、無言で礼をして背を返した。

 たちまち、朝靄の中に消える。

「……王子は天然で口説かれるからあいつも大変だなあ」

「なにか言ったか、カズス?」

「いえいえ、なにも。俺、クレイとエディニィの分まで頑張りますから」

「ああ、頼む」

「王への使者も発ったんですか」

「いましがた。一両日中には戻るだろう。それまで色々とやらねばならないことがある」

「なんでも言ってください」

 キルヴァはカズスの懐に半歩深く踏みいって、小声で命じた。

「――鍛冶職人と鎧職人ですね。わかりました。ただちに腕のいいのを手配します。アズガル! 俺ちょっと外すから、王子を頼む」

 アズガルは既に陰に控えていた。無言で、さっさと行けというしぐさをする。

 陽が昇った。やわらかで透明な光が射す。いくぶん冷気を含んだ風が面を撫でる。

 清々しい朝の空気を深呼吸して、キルヴァは天空を振り仰ぎ、一声かけた。

「ステラ」

 ほとんど真上から、火の天人が頭を下に、長い髪をたなびかせながら、垂直に降りてくる。キルヴァの近くまで来ると反転して、翼をたたむ。

「なんだ」

「おはよう」

「『おはよう』?」

「朝の挨拶だよ。朝がおはよう、昼がこんにちは、夜がこんばんは、だ」

「……では、おはよう。それで? 私を呼んだのは挨拶指導のためか?」

「少し話をしたい」

「またあの狭い中か。外ではならんのか」

「天幕がいやならば、外でもよい。そうだな、ちょっと視察にでるか。アズガル、来い」

 キルヴァはセグランとダリーにその旨を告げてから、朝食の支度や見張りの交替で忙しない陣中をよぎった。ふわふわと漂いながらあとに従うステラへの視線が熱い。あからさまな敵意、反感、興味本意、困惑と、さまざまな心中を物語っている。

 そして、およそ戦場には不似合いな美貌が男たちの眼を惑わすことにも、否が応にも気づかされる。

 キルヴァは、なぜか胸がうずいた。周囲の視線が疎ましく感じられた。

「ステラ、手を」

「なんだ」

「手をひく」

「なぜ」

「ひきたいのだ。いけないか」

「……ひとに触れるのはまだ慣れぬ。まあ、おまえなら……どうかな」

「いやだったら、離せ」

 キルヴァは手を差し伸べ、ステラはためらいがちにほんの指先だけを重ねた。キルヴァはほとんど温もりのないステラの白い指先を握ったまま、足早に陣地を抜けた。

 スザンの領地が彼方に見渡せる丘陵の頂まで登る。野生のゴールデン・ツリーの巨木が一本しなやかに立ち、鮮やかな黄色い花をブドウの房の如くたわわに咲かせていた。

 キルヴァはステラの手を離さぬまま、木の根元に座り、朝の光に滲む地平を眼を細めて眺めた。ステラはすぐ隣に寛いだ恰好で宙に留まっている。

「こうして……二人だけでゆっくりと話すのははじめてだな」

「おまえはいつも大勢に囲まれているからな。私の出番などないのさ」

「そんなことはない。私はずっと夢見心地で考えていた……そなたともしも再会できたらあれも話そう、これも話そうと。だが、いざ再会してみると、胸が詰まってなにを話せばよいのやらわからなくなってしまった。――ジアが亡くなったことは、知っているか?」

「ああ。あれは頭の固い、面白みのない、鍛冶職一筋の男だったが、分別はあったな。よく私の面倒を看てくれた。おかげでこのとおりだよ。……あれは、私と風ので葬った」

「『風の』?……金髪蒼眼、短髪で、十翼の……風の天人のことか?」

「おまえ、奴を知っているのか?」

「一度、ごく最近少し話をしただけで、名は知らぬ。だが、ジアを看取ったと話されていた。口ぶりからすると、ジアとは旧知の仲であったような気もするな」

「ああ。奴も、あれには世話になったようだ。まあそういうわけで、私と奴は二人であれを火葬にし、風葬にした。胸を患って長く寝たきりだったが、最後はそう苦しまなかったぞ。おまえとセグランの心配をしていた……そうだ。あれからおまえ宛に託されたものがあるのだが、その件についてはなにか聞いているか?」

「少し」

「その分だと、まだ受け取ってはいないようだな」

「……風の天人は、それは、天人とひとの運命を左右する力を持っている恐ろしいものだと。私の手元には届かぬように願っていると、言っていた。それがなんであるか、私は知らない。正直、少し気後れしている……十翼の天人にさえ恐ろしいと言わしめる“もの”など尋常な代物ではない。そなたは、それをどう思うのだ?」

 蒼眼が、キルヴァを直視する。サファイアそのものの如く、美しい双眸だ。

「あれは、打ってはならぬものを打ち、造ってはならぬものを造り、完成させてはならぬものを完成させたのだ。おまえだろうと、誰だろうと、手にしてほしくはない」

「……ではやはり、いまはまだ、私は知らぬままにしておこう。おそらく、いずれ遠からず知るはめにはなるだろうが、そのときが来るまで私は訊くまい。それでよいか?」

 ステラは判然と答えなかった。

 眼が逸れて、繋がれたままの手に視点が向く。だが振りほどこうとはしない。

「話とはこのことか?」

「いや、すまない。これからが本題だ」

「もったいぶらず、さっさと言え」

「そなたに頼みがあるのだ」

「なんだ」

「――私の、七人目の近衛になってほしい」

 キルヴァは少し強く、手を握りしめた。

「私のために、私の近くにいてほしい。これは、強制ではない。そなたさえよければ、受けてほしいのだ。私は、できる限りそなたの自由を尊重したい。誇りを傷つけたくない。だがその役職に就くことで、そなたを一部とはいえ、束縛することにはなるだろう。――そなたを私の近衛に置くという名目があれば、誰も他にそなたに手が出せない。そしてそなたが私の傍に在ることを否定もできない。どうだろう、考えてみてもらえるか」

「私はおまえのものだ」

 ステラは、ためらいがちにキルヴァの手を握り返した。

「何度も言わせるな。私はおまえゆえにすべてを委ねると誓っただろう。おまえの近衛だと? よかろう。自由などいらん。誇りはおまえゆえにある。束縛がどうした、望むところだ。私はおまえの傍にいられれば、ただそれだけでいい」

「……本当に?」

「天人は嘘をつけぬ」

「……ありがとう、ステラ」

 ステラはキルヴァの心の裡を読んだかのように、付け足した。

「――たとえいつか、私の天人としての力を必要とするときが来たとしても、おまえは私を好きに使えばいい。私がいいと言っているのだから、それをおまえがうしろめたく思うことはない。私がおまえを恨みに思うこともない。その結果、なにがどうなろうと、なにものをも敵にまわそうと、すべて私が望んだこと。それだけは憶えておくがいい」

 ゴールデン・ツリーの甘い芳しい薫りが胸に染みた。

 繋いだ指先から伝わる命の脈動が、なんとも尊く思われた。

 キルヴァはそのままステラの手を胸に引きよせ、心臓にあてた。そして言った。

「憶えておこう。そなたも、憶えていてくれ。私は、そなたと離れない。そなたを裏切らない。私は決して、そなたを放さない――」


 次話、新章開始です。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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