ノーヴァ戦争・六
カドゥサの見せ場? です。
鳥は天人の使い、ということで、とても神聖な生きものなのです。
長い夜の終焉を告げる光の鐘は雨上がりの清々しい風と共に場を照らした。
そこにひろがっていたのは戦争の生々しい爪痕そのもので、夥しい死傷者の姿がゲオルグ・ニーゼンの立場や役目、務め、目的といった現実を叩きつけた。
「……だがこのまま引き下がるわけには参りません。御身を預からせていただきましょう」
ゲオルグ・ニーゼンはすっと片手を上げた。
それを合図として、峠に予定通り陣取った味方の本軍が現れる。最前列に整列した弓矢部隊は全員弓に矢をつがえ、攻撃指令を待つのみの態勢であった。
だが、この窮地に動ずることなく、キルヴァはまったく別の方角を眺めていた。
――紅と黒の二筋の狼煙が上がっている。
先にそれに気がついたのはダリー・スエンディーをどうしても攻略できずに互角勝負のまま朝を迎えたアレンジー・ルドルだった。
「なんだ、あの叫びは」
「――ム王子ご落命! タルダム王子ご落命! タルダム・ヨーデル・スザン王子ご落命――!」
「なんだと」
「ご落命! タルダム王子ご落命! タルダム・ヨーデル・スザン王子ご落命――!」
「全軍至急帰還せよ! 全軍至急帰還せよ!」
ゲオルグ・ニーゼンはアレンジー・ルドルとの距離を詰めてそっと耳打ちした。
「どういうことだ」
「わからん。わからんが、あれはスザンの伝令馬に間違いない。タルダム殿下はお亡くなりになられた……襲撃に遭い、打ち滅ぼされたということなのだろう」
アレンジー・ルドルはキルヴァの傍まで馬を進めた。さりげなく、キルヴァの周囲をダリー・スエンディーを筆頭に他五名の近衛が囲って防衛態勢を整えている。
「こちらが陽動だったのか」
「はい」
「負傷者や補給隊が見当たらないが、どうした」
「谷には無数の横道があります。そこに隠しました。ここにいるのは少数精鋭の私直属の機動部隊のみです。あとはすべての兵力を本軍として集結させ、国境線の前線基地奪回のためあちらに向かいました。私の役目はあなたがたを迎撃し、夜明けまで足止めすることでした」
伝令の決死の叫びが徐々にスザン軍に浸透してゆく。
急速にざわめきが大きくなり、混乱の様相を呈してきた。
だがアレンジー・ルドルとゲオルグ・ニーゼンの両名は微動だにせず、二人ひとつの彫像の如く頑なな姿勢でキルヴァとじっと睨みあっていた。
「このまま我々がおとなしく退くと思うか?」
「せめて一矢なりとも報いねば殿下の無念は晴れまい。そう、たとえば御首をちょうだいできれば帳尻が合うというもの」
「首でなくとも、死の奏上でもかまわんさ。――弓矢部隊、攻撃用意!」
キルヴァに思うところのないアレンジー・ルドルの決断は早かった。
ものものしい気迫のこもった大音声が谷間の岩肌に反響しながら駆け抜け、降ってわいた訃報に動揺し揺らいでいた全部隊の意識を強引に収束させた。
ほとんど一斉に、びぃん、と弦が鳴る。
狙いが定められる。
スザン兵はとっとと散って、イシュリー兵は立ち往生していた。
キルヴァは腹に力を込めてあらん限りの声もて呼ばわった。
「――来い、カドゥサ!」
高みから、まっしぐらに飛来したギィ大鷹の鮮烈な姿に弓矢部隊は慌てて攻撃を中止した。
すべての鳥は神聖なる生き物で、いかなる理由があろうとも傷つけてはならないという掟がある。まして矢を向けるなど言語道断で、万が一にも的中すれば死罪は免れない。
灰色の翼をひろげ、ゆっくり、悠然とキルヴァの頭上を旋回するギィ大鷹は、その存在で、たった一羽でスザン軍の攻撃の手を停止させた。
「……なんとまあ」
呆れたように口を聞いたのはゲオルグ・ニーゼンであった。
「神聖なる鳥の中でも最も強く、稀少で、利口なギィ大鷹を、それも滅多にひとに慣れないオスを飼いならすとは……本当に類まれな資質を持たれた方だ、あなたは。いや、実におもしろい。興味深い。ここは潔く我らは退きましょう。だが、ただ去るのも芸がない上、愚直にすぎる。ここは置き土産をしていきましょう。それでよかろう」
アレンジー・ルドルはゲオルグ・ニーゼンを一瞥して、そのまなざしの中に敢て言葉にしない提案を憮然とした面持ちで了承した。腕を振り、法螺貝を鳴らすよう合図する。
「退却、退却――!」
「全軍退却、全軍退却――!」
ダリー・スエンディーとミシカ・オブライエンがアレンジー・ルドルとゲオルグ・ニーゼンの行く手をそれぞれ遮った。
次話がこのノーヴァ戦争最大の見せ場です。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。