ノーヴァ戦争・一
まずは、スザン軍の突撃よりどうぞ。
真っ暗闇の中、スザン軍はイシュリー軍の谷間の夜営の灯を目指して突進した。
日暮れから前線基地を出立し、夜半にかけて奇襲の布陣を整え、完全に寝静まるのを待っての突撃である。
騎兵はわずか百騎、あとの九百は歩兵で、それぞれ剣と槍を振りかざし、雄叫びを上げて斬りこんでゆく。
だが気勢も凄まじく乗り込んだ敵陣には一兵もなく、代わりに、無数の篝火と角に松明を括られた牛や羊、猪の群れがいた。
「なんだ、これは」
「牛だ、牛がいるぞ」
戸惑いのざわめきがひろがる中、眠りを妨げられた獣たちが異様な気配に興奮し騒ぎはじめた。そこへ、間髪おかず頭上から矢の雨が降ってきた。
「盾用意!盾用意!」
夜陰に伝令が飛び交い、すぐさま盾を掲げたので矢襲は難なく防いだ。こんなこともあろうかと全員が盾を携帯していたのだ。
しかし、野に放たれた獣たちはそうはいかない。ただでさえ興奮し右往左往しているのに加え、俄かに危険にさらされて、獣たちは狂ったように暴走をはじめた。入り乱れて行軍の真っただ中に突進したのである。
悲鳴が上がる。隊列が崩れる。折しも勢いを増した雨が視界の暗さに拍車をかける。
更に問題だったのは、スザン軍にとって牛は信仰の対象であり、すべての鳥と同じく、いかなる理由においても殺生が禁じられていた。
「回避、回避――!」
「牛だあ、牛がいるぞおッ」
思いもがけない戦法に出鼻を挫かれて、この襲撃の先鋒を指揮していたアレンジー・ルドルとゲオルグ・ニーゼンの両名は奇襲が失敗したことを悟った。
「敵がいないのでは話にならんな」
「本陣を攻めて左右の高所にいる奴らをおびき寄せるというおまえの案はどうなったんだ」
「どうもこうもあるか。矢はどちらから降ってきた」
「左右両側」
「ということは、軍を二手に分けているということだ。おまえ、昼間のうちに偵察させただろ、どちらが登りやすい斜面だ」
「左だ。山裾がゆるい、明かりさえあればいけるな。まあこの雨で足場は悪いから多少愚図つくかも知れんが」
「おそらくそちらに負傷兵や補給隊がいるはずだ。怪我人に急勾配の崖を登れとは言えんだろうしな。だから主力は右にいる。ということは、おまえ、そっちいけ」
「どうして」
「若いからだ。若い者は若いうちに苦労しておけ」
「たった二つしか違わんだろう」
「若いことは若い。つべこべ言わずにとっとと行け。深追いはするなよ、あくまでも谷に引きずり降ろせ。まあそれができなくとも谷に目を向けさせておけばいい」
「適当に応酬しとく。じゃあな」
「とちるなよ」
「誰にものを言っている」
鼻で笑って、ゲオルグ・ニーゼンは叱咤の声を上げた。
「全員青角灯用意!獣なぞにかまうな。俺の隊は俺について来い!ついて来られない奴は減給するぞー。知らんぞー」
いまいち迫力に欠ける指令だがそれがいつもの調子だったので、彼の部隊はすぐさま指示に従った。 光を封じていた布を取り、腰に下げていた携帯用の青角灯を明るくした。少し辺りの様子が見える程度の視界を保ったことでやや落ち着きを取り戻し、指揮官を探したところ、本当に勝手に先に走っていってしまったので慌てて後を追う。
アレンジー・ルドルは馬首を左に方向転換した。
「全員青角灯用意!俺の隊は俺について来い!ついて来た奴にだけ報償やる。頑張ったらもっとやる。やるったらやるぞー。稼ぎたい奴はとっとと来い。あ、動けない奴は帰れよ。あとで見舞金やるから無理するな。人間命あってのものだからな」
こちらの指令もいつも通り明確だったので、彼の部隊も態勢の立て直しは早かった。怪我人は帰還し、それ以外は報償目的もさりながら、彼らの指揮官の身の上が心配で急ぎついていった。
スザン軍の士気はまるで衰えなかった。
スザンの名だたる豪傑三名のうち二名がこの場にいて指揮を執っているのだ。闇夜も嵐も恐ろしいものではない。後れを取ってこの両名になにかがあってしまうことだけが恐ろしい。
いま、スザン軍千名の突撃隊は半分にわかれた。
息継ぎ、息継ぎ。
緊張して、苦しいです。
恋愛もので、あまーく、ばたばたと展開していくものも好きですが、神は~やこの天人~のように、硬質で凛とした姿勢の物語も好き。ギアが入れ替わります。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。