六人の近衛兵
少年キルヴァがジア老人より譲り受けた鷹が、立派に育ちました。笑。
この物語は、人名に気に入ったものが多いです。
キルヴァは赤煉瓦づくりの大型兵舎が建ち並ぶその向こう――建造物群の中でも一際高い領主の居城の塔のてっぺんを見つめた。小さな影が舞い上がる。ふわ、と浮いたその姿は両翼を一度はばたかせたのち、首を前に突き出した恰好で、ぐん、と一気に下降した。
と、ほぼ同時に、一番手前の兵舎の二階窓から人影が現れたかと思うや飛び降りて、そのまままっしぐらに全力で疾走してくる。
宙を滑空し飛来して来たそれは、ギィ大鷹の成長したオスで、灰色の翼と黒い頭部、黄色い眼、そして鋭い黒い嘴をもっていた。
キルヴァの頭上で大きく宙返りをしたギィ大鷹、カドゥサは、照りつける太陽にその姿を重ね、光の中一点の影となり、黒く映える。そして優美に翼をたたみながらキルヴァの腕に舞い降りた。
これと同着で、脇目も振らずに突進してきたのは下半身に薄い下着をつけて紐を結んだだけの裸の男で、着くなりキルヴァの足元に跪いた。
「カズス・クライシス、ただいま参上致しました!」
ぶはっ、と横でクレイが噴き出す。ミシカまで苦笑する気配がした。キルヴァも思わず笑ってしまった。
「え、なんかおかしいですか、俺」
カズスは跪いたまま太腿に手をおいた姿勢で顔だけちょっと持ち上げ、キルヴァを見て首を傾げた。その腕にギィ大鷹のカドゥサがとまっているのに気づくと、失態に気づいたように顔を引きつらせた。
「……もしかして、そいつを呼んだんですか?」
「そうだ」
「あちゃー。またやったか。俺何度目だろ……しかも裸だし。あーすいません王子、ちょっと御前を失礼して服着てきてもいいですか。って、あれ、前にも同じ会話をしたような気がするな……? えーと、気のせいですかね?」
「いや、気のせいではない。はじめて会ったときも君はそう言った。忘れたのか? 私はカドゥサを呼んだのに、君が裸で走ってきて驚いた……もう六年前になるか」
「ああ! そういえば、そうでしたっけね。俺、まだ入隊したばかりだっていうのにいきなり王子に名前を呼ばれてびっくりしたのなんのって! そうか、俺が王子にお仕えしてもう六年になるのか――」
六年前のカズスとの出会いは衝撃的だった。
カドゥサを呼んだはずなのに、全力疾走で眼の前に現れたのは、赤みがかった金髪に灰色の眼、日に焼けた肌、傷痕だらけの鍛えられた肉体、とても若く、精悍で、力があり余っているといった風貌の真っ裸の男だった。
変わった男だ、という第一印象と共に、意志の強そうな瞳と実直そうな振る舞いが、ふと別の誰かを思い起こさせた。
四年前に別れたきり会っていない、特別の秘密を分かち合う存在。師とも兄とも慕っていた、心を尽くしてくれた、少し年上のひと。
――セグラン・リージュはキルヴァのために、キルヴァがために、キルヴァゆえに、いまもまだ離れた地でひとり闘っている。
少しセグランに似ているかも知れない、と思ってキルヴァはカズスを傍においた。六人目の直属の近衛兵だった。すぐにまったく別の人格であることは判明したが、そのときには彼が近くにいることの騒々しさに慣れていた。
「時の経つのは早いなぁ」
しみじみと、感慨深げにキルヴァを眺めるカズスの視界にクレイは横いった。手綱を操りキルヴァの近くに馬首を寄せて、皆に聞こえるようにしっかりした声で耳打ちした。
「ほうら、やはり来たでしょう。王子、この男は頭が悪い――いや進歩がないと思いませんか? なにせ六年前とまったく同じ行動、同じ台詞ですよ。こんなのいらないんじゃないですか」
「おいこら、こんなのってなんだ! 王子に変なこと言うなよ! 首切られたらどうすんだ」
「私も同意見です。露出狂なんて、王子のお傍には無用です」
そう言ったのはミシカで、キルヴァと眼が合うとまんざら冗談でもないようににやりと口辺を歪めた。
あまり無駄口をきかないミシカまでそんなことを言うものだからカズスは慌てふためき、キルヴァにしどろもどろに言い訳した。
「俺は露出狂じゃねぇ! 王子、俺違いますからね。ほんと、違いますからね。俺いま演習後で、水浴びしたばかりで服着る前に呼ばれたから――服、そうだ服着てきます。すぐ着てきますから俺を置いていかないでください」
「私がどこかにいくなんて、どうしてわかる?」
「そりゃわかりますって。クレイとミシカだけじゃなくてダリーとエディニィも来たし。それにさっき練兵場からアズガルが出て行きましたからね、たぶんそこらへんにいるでしょう。俺だってお供しますよ。お願いします、少しお待ちを」
一方的に許しを請うてカズスは踵を返し、兵舎へと駆け戻ってゆく。その恥も外聞もない裸の後ろ姿を見咎めて、合流したばかりのエディニィは悪態をついた。
ダリーはクレイから事の顛末を聞くとくっと笑い、ミシカは傍観を決め込んでいる。
ふと背後に視線を向けると、そこにはいつのまにいたのか、アズガル・フェイドが頭を垂れ、跪いてキルヴァの声がかかるのを待っていた。
「来たか」
「ご命令を」
「皆と一緒に供を頼む」
「畏まりました」
アズガルは一礼して風のように姿を消したかと思えば、いつのまにか馬の手綱を引いて傍に控えている。
キルヴァは彼がどうしてそんなふうに動けるのかいまだにわからない。
アズガルとはこの顔ぶれの中で一番長く一緒にいるが、彼についてキルヴァが知っていることはほとんどなかった。
アズガルの黒い双眸には感情がない。出身国不明の容貌は冷たく整い、癖のないまっすぐな黒髪はやや長めでひとつに束ねている。背は高く、痩躯、常に黒装束で履物も黒、佩いている長剣の柄や鞘まで黒、黒以外を身にまとったところを見たことがない。物音をたてずに歩き、ふらっと姿を消しても、気がつけば影の如く傍にいる。決して皆の輪の中にはうちとけない。皆もそれを承知しているので彼には一切話しかけない。いつもの仲間内の光景だった。
キルヴァは、今朝早くセグランより書状を受け取ってからはじめて胸が安らぐのを感じた。するとカドゥサが自分の存在を忘れるなと言わんばかりに抗議の声を上げた。キルヴァは微笑して、カドゥサを空に放した。
あっという間に、カズスが戻ってきた。
今度はきちんと身支度を整え、武装して、自らの愛馬に跨っている。その姿は颯爽として、さきほどの惨めさは微塵もない。
「お待たせしました! さあ行きましょう。で、どこに行くんです? 王子が俺たち全員を連れて出かけるなんて珍しいですよねぇ。……あれ、待てよ。もしかして、さっき勘違いして出て来なかったら、まさか俺、さりげなく置いていかれました?」
「そりゃ置いていくわよ。あんたみたいに騒々しい奴を誰が好んで連れて行くの」
と辛辣にも言い切ったのはエディニィで、隣ではクレイがしきりと頷いている。
キルヴァは無言で馬首をめぐらせた。軽く手綱を振るう。愛馬のバレンジーレが低く嘶き、早足で駆けはじめる。
すぐに皆が後に続き、数瞬のちには、右前方にエディニィ、左前方にクレイ、右にダリー、左にミシカ、右後方にアズガル、左後方にカズスがそれぞれ定位置に就いた。
そして上空にカドゥサの羽ばたき音を聞きながら、キルヴァはカズス、と呼ばわった。
「なにも告げずとも、君は私の傍にいろ。こうして常に、どんなときも必ず。たとえ私が突然姿を消したとしても探し出してついて参れ。よいな」
息をのむ気配。ついで感極まった威勢のいい声が響く。
「――はっ! 必ずや」
「もちろん、そのお言葉は私たちにも向けられているのですよね」
ちょっと不満そうに言ったのはクレイで、キルヴァは首肯した。
「無論、君たちも同様に決まっている。今日はこれから少し遠出する。帰りは夜になるだろう。そのつもりでついて参れ」
「どちらまで行かれますのか」
ミシカが訊く。瞳には警戒の色がある。
キルヴァはミシカと視線をぶつけたまま、一切の反論を許さぬ口調で目的の地を告げた。
「第一領地、シュイ湖だ」
無事、第二章の滑り出しです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。