魔王を追って
その日は別に変わったこと無く、普通に始まった。
ベッドで起床して眠い目を擦りながら洗面所で顔を洗い、着替えてダイニングで朝食を食べる。中学三年生の妹はもう学校が終わっていたから、まだ寝てたな。
学校指定のコートを着込んで学校まで行く。途中、磨上の家があるタワマンの前を通るけど、俺と磨上はまだ一度も待ち合わせて登校したことは無かった。駅前を抜けて坂道を上り、学校に着く。教室に入ってバッグを机の横に引っかけた。
そこで気が付いた。
隣の席に女生徒が座っている。それはいい。磨上は女だからな。しかしながら問題なのはその女生徒が磨上では無かった事だ。栗色の髪のセミロング。羽川さんだった。俺はそれを見て暫く考え込んだ。あれ? 席替えなんてあったかな?
これまでに何度かあった席替えでは磨上が何らかの力を行使したものか、俺と磨上は必ず隣の席、しかも一番後ろの席になっていた。不正を疑う奴がいて、公開でのくじ引きになったのにそれでも結果が変わらなかった。あれほど俺には魔力による不正を戒めていたくせに、これに関しては磨上は涼しい顔で不正をして譲らなかった。
それなのに、俺の隣の席が替わっている。あり得ない事だった。それに、やっぱり思い出すが席替えなどは昨日に行われていなかった筈だ。
どういうことなのか? もしかして磨上が席を一時的に貸しているだけなのか? と、思ったのだが、朝のホームルームが始まっても羽川は動かない。というか、ずっと私の席はここですよ、というような顔をしている。そして、磨上が何処にもいない。空いている席も無い。
俺の心臓はドクンと跳ねた。俺は羽川に尋ねる。
「羽川。その席は磨上の席じゃ無かったか?」
羽川は不審そうに眉をしかめ、周囲の生徒に確認するような視線を向けながら言った。
「ここは私の席だよ。それに、磨上って誰?」
あの学校の有名人である魔王をどうして忘れる事が出来るんだよ! と俺は混乱しながらも、羽川と彼女を囲むクラスメートの男女に、このクラスに転校してきた超美人で才女の皮を被った魔王である磨上 洋子の事を説明した。
しかしながら羽川もクラスメートも、全員が首を横に振った。
「知らない。誰それ」
「聞いた事も無いわねー。そもそもこの一年、転校生なんていなかったじゃない」
「いいねぇ、美人の転校生か! ロマンだな!」
……一体どういう事なんだ。俺は極めて混乱して、クラスの全員、一人一人に磨上の事を聞いてみた。答えは――誰も知らない。一人として覚えていないどころか、そんな人居るわけ無い。浜路、頭がおかしくなったんと違うか? と言われる始末だ。
おかしい。そんな筈は無い。だって磨上は昨日までこのクラスに居たじゃないか!
俺は自分のスマートフォンを確認した。確か、神原が磨上に携帯の番号を聞いた時に、俺も磨上の番号を登録したはずだ。ついぞ掛けたことは無かったが。
しかし、無い。磨上 洋子の名前が何処にもない。確かにあの時に登録した筈なのに……。
俺は愕然とし、呆然とし、混乱した。
放課後になると俺は久しぶりに一人で下校路を辿った。磨上のマンションの前に来たが、俺一人で彼女の部屋には行ったことが無い。部屋番号ぐらいは覚えているけど。入り口の管理人に言えば良いのか? と考えながら、結局マンションはスルーして、俺はそのまま帰宅した。
リビングには妹と、母親が並んでソファーに座ってテレビを見ていた。
俺は二人の前に駆け込んだ。「兄貴、テレビが見えない!」と妹が言ったが、無視する、俺は叫んだ。かなり俺にも余裕が失われていたからな。
「磨上 洋子を覚えているか!」
昨日もこの家に来て晩飯を一緒に食べて、そのソファーで妹と磨上はじゃれ合っていたじゃないか。覚えていない筈はない。
しかし、何としたことか。妹と母親は顔を見合わせた後、首を横に振った。
「「知らない」」
俺は必死に、磨上はこの二ヶ月ほど毎日家に来て、晩飯を食べて帰っていた女生徒だと説明した。もの凄く美人である所とか、俺に勉強を教える事が出来るほど成績優秀だとか、声が綺麗だとか、食べる時の所作が美しいとか、胸が大きいとか。しかし、語れば語るほど二人の表情は曇っていった。妹は不審を極めた口調で言った。
「兄貴の彼女なの? それ。そんな凄い人が兄貴の彼女になんかなるわけないじゃん。イマジナリー彼女じゃなくて?」
俺は思わず妹の頭にげんこつを落とした。うっかり本気でゴツンとやりそうになり、慌てて寸止めした。
「痛い! お母さん! 兄貴がぶった!」
「落ち着きなさいよ和樹。それでその娘がどうしたの?」
「……もういい」
俺は諦めて自室に戻った。そしてドアを閉めると、自分の魔力を解放した。
「魔力探知!」
索敵スキルの一種で、もっと広大な地域の魔力を感じ取ることが出来る。その代わり、微少な魔力は感じられなくなるのだが。磨上はこの能力で海外から俺の魔力を感知したと言っていたが、俺には流石にそんな事は無理で、精々この地方、半径百キロメートルくらいしか感じ取れない。
それほど遠く無い所に大きな魔力反応があったが、これは色が金色に近いから恐らく神原だろう。磨上にしては魔力が小さすぎるし。俺は丹念に探れる範囲は魔力探知で探り、更にもっと大魔力を(魔王クラス)を感知出来る魔法も使って日本中を探してみたのだが、磨上の反応は感じ取れなかった。
おかしい。いくら何でもおかしい。俺はベッドにフラフラと腰掛けて頭を抱えてしまった。あまりのおかしさに吐き気を催すほどだ。
……落ち着け。これまでの冒険でも、魔族の幻影魔法で混乱させられた事は何回もあったじゃないか。しかし、幻影魔法は所詮幻影。気持ちを強く持っていれば惑わされる事は無かった。基本は、自分を見失わないこと。おかしいと言う事にちゃんと気付くことだ。
可能性を考えよう。
一、全てが俺の妄想で、磨上なんて女は始めからいなかった。
却下だ。俺はそこまで妄想に溺れちゃいない。磨上がいないことを信じるなら、俺が異世界になんて行っていない事の方がまだしも信じられる。そしてさっき俺は魔法を使ったから、俺は確かに異世界に行っている。以上。
二、磨上が異世界に行ってしまった。
それもおかしい。異世界召喚された場合は、帰還術で帰ってきた場合は一秒の狂いもなく元の時空に帰還出来る筈だ。帰還の時空がずれた事は無い。
三、磨上が異世界召喚された挙げ句、勇者か魔王に敗れて存在が消滅した。
……これが一番可能性が高そうだ。異世界で敗北して存在が消滅すれば、その人間は無かった事になるだろう。存在は消去され、人々の記憶からは消去され、無かった事になってしまう。有りそうなことだ。
だが、この仮説にも一つ問題がある。
俺が覚えているという事実だ。存在消滅のメカニズムは知らないけど、本当に磨上は根本的に完膚なきまでに消滅してしまったなら、俺が覚えているというようなバグが起こる筈がないだろう。なのでこれも否定出来る、としよう。
となると、最後に考えられる仮説。
四、磨上がこの世界から自信の痕跡を消して、雲隠れしてしまった。
という説だ。
磨上はこの世界の事象を操る術を使う事が出来る。それを使えば、この世界に残る自分の痕跡を消去することは出来るだろう。だから恐らく、彼女はそれでクラスメートや俺の家族から自分の痕跡を消したのだ。
しかし、その術は恐らく俺には効かなかったのだ。
理由は俺と磨上のレベル差だ。事象を改変するなどという大魔法に制限が無いわけがない。俺には使えない術だから制限の内容は分からないけど、俺と磨上のレベル差では、俺の記憶を改ざんする事が出来ないという制限があったのだろう。それで、俺一人だけ磨上の記憶が残されたのではないか。
そう考えればつじつまは合う。おそらくはこれが正解だ。だから磨上は間違い無く存在するのだ。
問題は、磨上がなんだってそんな事をしでかしたか、なのだが……。
俺は翌日の放課後、磨上の住んでいる筈のマンションに行った。意を決して、マンションの管理人に声を掛ける。俺は何度もここに来ていて、管理人には何度か挨拶をしている。顔見知りとは言えないけど、覚えていてもおかしくない。
しかし、管理人は俺の顔を見て首を傾げていた。ここでも記憶が改ざんされているのではないかと思われる。
「二十二階の磨上さんに用があるのですが、取り次いで貰えませんか?」
「? 何の御用でしょう?」
「娘さんである、洋子さんの同級生です。今日登校してこなかったんで心配で……」
管理人の困惑は深くなってしまったようだ。
「磨上さんのところに娘さんなんていませんが?」
……そこからか。そこから改ざんされているのか。俺は管理人に謝って仕方なくマンションを後にした。
磨上が親子の縁を切ってまでこの世から消滅を企んでいるとは流石に予想外だった。だってあいつはこれまで、十七回異世界に行っても必ず帰ってきていた。この世界に愛着があるから帰ってきていたのだと思っていたのに。
しかし、これでは磨上を追跡しようがないではないか。痕跡が、俺の記憶にしか無いのでは。そもそも磨上は一体何処に行ったのか。異世界か、それともこの世界の何処かになのか。
俺は駅前のベンチに座って考え込んだ。しかし、幾ら考えても妙案は出て来ない。そもそも、磨上の手がかりが少な過ぎる。考えてみれば俺は磨上の事をよく知っているようで、驚くほど何も知らない。容姿、雰囲気、手触りはよく覚えているのに、磨上が何を考え、何をどう感じて生きている人間だったのか、俺は全然知らないのだ。
沢山話をしたけど、ほとんどがたわいも無い無駄話だった。真面目な話をしたことはほとんど無い。磨上の心の深奥に触れるような、彼女の気持ちと重なるような話をしたことはほとんど無かったのだ。
だから、どうして磨上が俺の前から消えてしまったのか。消えてしまう決断をしたのかがまるで分からない。あれほど一緒にいて、異世界でも共に旅をして、この世界では間違い無く磨上と一番近かった人間は俺だと思えるほど仲が良かった、彼氏彼女とまで言われた関係であるにも関わらず、俺には磨上の事が何も分からない。
ゾッとする。磨上は孤独だったのではないかという可能性に。
異世界に転移して勇者なり魔王なりをしている、なんて話はこの世界では誰にも言えることでは無い。それはそうだろう。頭がおかしいと思われるし、魔法など使ってみせようものなら周囲から異端者として迫害されかねない。これは俺がそうなら俺より強大な力を持つ磨上なら尚更だっただろう。
誰にも言えない秘密を抱えているというのは孤独な事だ。俺は磨上と会って初めて隠すこと無く異世界の話が出来る相手を得た。俺がこの世界では気後れしてしまうほどの美人で優等生である磨上と気兼ねなく付き合えたのは、この共通の秘密を抱えているという事情が大きい。
しかし、磨上はどうだったのだろうか。俺は磨上に、以前の冒険の思い出話を何度かしたが、そういえば磨上は過去の異世界転移での話はほとんどしなかったな。それは魔王なら勇者に言い難い事もあるだろうと思っていたのだが、考えてみればそれは磨上が、俺にも言えない事情を心の中に抱え込んでいたという事ではないか。
誰にも言えない事情を抱え込んでいた磨上は、だからあれほど俺に拘ったのではないか。いつか、その内、俺には秘密を明かすことが出来ると期待していたのではないか。異世界の高レベルの勇者であるこの俺になら、抱え込んでいた事情を全て明かす事が出来ると期待していたのではないだろうか。
しかし、俺は磨上を受け入れなかった。……いや、仲良くはなったけど、俺には魔王と勇者の関係であるという遠慮があったし、それに磨上のアピール、つまり肉体関係のお誘いには倫理観的に応じられなかったのだ。そのせいで、本当に俺たちが恋人関係、深い繋がりを持たなかったせいで、磨上は抱え込んでいたモノを俺に預けられなかったのかも知れない。
磨上があの妖しい笑顔の下で何を考えていたのか。俺には何も分からなかった。いや、前回の異世界行きや、進路の話をした時など、磨上の仮面が剥がれそうになった時はあったのだ。優等生でそして大魔王であるという外面の下に、磨上の一人の人間としての姿が隠れていたのだ。なぜ、俺はそれを求めなかったのだろうか。それを知っていれば、分かってあげていれば、今この時に磨上の居場所が分かっただろうし、俺はこんな後悔を抱えずに済んだだろう。
兎に角俺はもう一度、磨上に会いたい。会わなければいけない気がした。あの何時だって俺を翻弄する魔王に会って、俺は言うべき事を言ってやらねばならない。何を言うのか、それは磨上を目の前にしないと分からないけれど。
しかしどうやって。どうやって磨上を見付けたらいいのか。俺は妙案が浮かばないまま、ベンチで頭を抱えて唸っていた。
その時、俺の前を女子生徒の集団が通り過ぎようとした。その中の一人が俺を認めて声を掛けてきた。
「あれ? カズキじゃん。何してんの?」
茶初のツインテールが揺れる。神原が俺の事をスティックアイスを舐めながら見下ろしていた。他の女生徒がざわつく。
「え? 知り合い? 彼氏?」
「違うわよ! えーっと、ちょっとバイト先の先輩。ただの!」
異世界をバイト扱いとは言い得て妙だな。確かにバイト代わりにはなるけどな。
……ちょっと待て。
「神原。俺を覚えているのか?」
神原は途端に俺を馬鹿にしたような目で見た。
「そりゃ覚えているでしょ?」
「……俺と何処でどうして出会ったのかは覚えているのか?」
異世界で会ったとは言い難いだろうけど。
「まぁ、うん。バイト先で会ったわよね。先輩と、カズキと」
俺は思わず立ち上がった。
「磨上を覚えているのか!」
神原はドン引きし、周囲の女生徒は悲鳴を上げた。俺は構わず神原の肩を掴んで揺さぶる。
「磨上を覚えているんだな!」
「ちょっと! 誰よ! 磨上って! そんな人知らないわよ!」
「今、先輩って言っただろう! 俺以外に先輩がいたことは覚えているんだろう?」
俺が大きな声で怒鳴ると、神原は目を丸くした。神原の友人達は「け、警察を呼んだ方が良いんじゃ無い?」とか言っているが構うものか。やっと見付けた磨上に繋がる僅かな手がかりなのだ。逃すことは出来ない。
「……先輩。うん。先輩……。あれ? 先輩の名前、え?」
神原は混乱している。俺は神原に、ゆっくりと教え込むように言った。
「その先輩の名前は、磨上 洋子だ。俺とお前と磨上で旅をしたな? 思い出せるか?」
神原は頭を抑えてううう、っと考え込んだ。神原もレベル11の勇者だ。磨上の現実改変が十分には行われなかったのかも知れない。
しかし神原は首を横に振った。
「だめ、思い出せない。何でだろう……あ!」
神原は慌てて自分のスマートフォンをバッグから取り出した。
「これに登録してある筈。先輩とはSMSでお話しているから!」
神原は電話番号を磨上に聞いていた、俺の携帯からは消えてしまっていたが、神原のはどうか。神原はショートメールアプリを開いた。今時SNSを全くやっていない磨上と連絡を取るために神原はショートメールを使っていたようだ。
「あんまり返事は来なかったけどね。……あった! これだ!」
神原が叫ぶ。俺は神原からスマートフォンを奪い取って画面を覗き込んだ。
『洋子せんぱい』
と書いてある。……見付けた。間違い無く、磨上がこの世界にいた痕跡が、ここだけに残っていたのだ。俺は神原のスマートフォンを持った手が震えるのを止める事が出来なかった。
◇◇◇
俺と神原はバーガーショップに移動した。コーヒーだけを頼んで隅の方の席に陣取る。
神原の友達は驚愕と疑いの目で俺たちを見送っていたが、俺も神原もそれどころではなかった。神原のスマホの画面を見ながら俺たちは同時にうーんと唸った。
そこにはSMSでの磨上と神原のやり取りが表示されている、筈なのだが……。
「文字化けしちゃってるね」
そう。送信した神原のコメント(先輩! おはようございます! 今日会いませんか! みたいな呼び掛けだ)は残っているのだが、それに対する磨上の返答(ああ。嫌だ。などぞんざいな返事だったらしい)は文字化けを起こして意味不明な文字列になってしまっているのだ。
明らかに磨上の干渉によるものだろう。完全に消えなかったのは奇跡に近い。
「カズキのスマホには残ってないの?」
「ない。そもそも。俺は磨上とメールをやり取りしたことも、電話をしたこともない」
「あんたそれでも先輩の彼氏なの?」
……彼氏じゃないんだ。もしかしたら、それがいけなかったのかもしれないんだがな。
神原は「先輩」という存在と、俺とで異世界を旅した記憶はあるのだが、磨上に対する記憶は相当に曖昧になっているのだという。顔も思い出せないけど、憧れと怖さだけはなんとなく思い出せるくらいであるらしい。
しかし、神原のスマホに残るデータ。これだけが磨上について残された最後の手掛かりだ。
神原は先程、磨上にショートメールを送ってみたのだが、宛先不明のエラーが出てしまった。電話も掛けてみたが「この番号は現在使われておりません」というアナウンスが流れるだけだ。神原は頭を抱えてしまう。
「どうしてなのよ! 確かに、確かに先輩はいたのに!」
そう言ってくれるのはもうお前だけだよ神原。俺はそれだけでだいぶ救われた。そう。磨上が俺の妄想だとか錯覚でないと思えるだけでも心強いのだ。
こうなれば、ほぼ状況は確定だ。磨上は自分で、どこか違う世界に行き、同時にこの世界の自分の痕跡を全て消し去ったのだ。なんと自分の親の記憶を消してまで。
二度と戻らない覚悟だという事だろう。どこかの世界で、勇者なり魔王なりをやって、そのまま異世界に住み着くつもりなのだろうか。
「……神原、異世界から帰って来なかったらどうなるんだろうな?」
俺はふと思い付いた事を神原に尋ねてみた。神原はきょとんとしている。
「どうって、どうもならないんじゃないの? 異世界で生活しなきゃいけないだけで」
私はスマホもネットも甘い物もない異世界にずっと住むなんてごめんだけどね、と神原は言った。それもあるけど……。
「神原、異世界にいる間、歳を取った事はあるか?」
「は? ……いいえ? ないわね。前の冒険では十年くらいはあっちで戦ってたけど、身体は成長しなかったわ」
と神原は無意識に胸を撫でていたが、俺は見なかったフリをした。
「ゴホン! そうだろう? じゃあ、魔王を倒した後も異世界に居続けると、俺たちはどうなる? 不老不死ということで良いのか?」
神原は虚を突かれたという表情になった。
「え? まって? え? そ、そういう事になるのかしら? あっちで病気や怪我で死ななければ……」
異世界ではヒットポイントがゼロにならない限り死ぬ事はない。そして、異世界には回復魔法がある。俺くらいの高レベルになれば、かなり高いHPがあるので、滅多な事でHPが一気にゼロになる事は無いし、少しでも残っていれば回復魔法で瞬時に回復出来る。磨上にやられたように、一気にHPをゼロにされなければ、事実上俺が死ぬ事は無いと言えるだろう。
もちろん、異世界にしかない不治の病などがあるのかもしれないが、思い出せば異世界で仲間が病気で伏せった事はあっても、俺が病気になった事はない。
俺たちが魔王討伐後も異世界に居続けると、事実上の不老不死の存在として君臨し続けることになるだろう。それって……。
「神様と一緒だな」
不老不死で、魔王を倒せる絶対的な存在で、当然人間が束になっても敵わない存在。そんなの、神と言わずして何と表現したら良いのだろうか。
俺と神原は思わず見つめあって絶句する。これまで俺は九回世界を救ってきたが、自分が世界を救った後にその世界で自分がどう扱われるかまで考えた事など無かったのだ。
まさか自分が神と化するなんて。想像を絶する事であった。そんなの、魔王討伐後に俺を引き留めた国王やお姫様だって考えてなかっただろうよ。
「……それって、魔王側で召喚されても同じよね?」
神原に言われてその可能性にも気が付く。魔王が世界を魔界に堕とした後に異世界に残れば、永遠に魔王として、魔界の神として異世界に君臨し続ける事になるのだろう。
想像以上に、俺たち異世界からの勇者や魔王というのは、異世界にとってとんでもない存在なのだという事が分かってきた。そりゃわざわざ召喚するわけだな。
……この事を、磨上は知っていた筈だ。あいつは勇者として世界を救った後に異世界に残ったことがあると言っていたからな。それを聞いた時には、深くその事について考える事はなかったんだが……。
「何年、残ったんだろうな?」
俺の呟きに神原は返事をしなかった。
磨上は、その時も結局はこの世界に帰還した訳だが、それは帰りたかったからではなく、何か事情があったからなのではなかろうか。もしかして、不老不死である勇者が君臨していた事によって何らかの問題が生じたのかも。
前の異世界で会った魔王サーベル。あいつは勇者で居続ける事の絶望を語っていた。何度世界を救っても、何度でも魔王が誕生して、勇者は何度でも召喚される。結局は魔王が世界を滅ぼすまで、それは続く事になる。なるほど。それは嫌になるわな。ならば自分も魔王になって、世界を滅ぼす側になろうと思ったのだろう。
しかし、本当にそうか? 勇者側にだけそんな偏りが許されるのだろうか? もしかしたら魔王側にも、世界を魔界に堕とした後に同じような揺り戻しがあるのではないだろうか。魔界に希望が生まれ、そこから新たな勇者が誕生し、世界に光を広げて行く事だってあるのではないだろうか。
磨上はそれを知っていたのではないか。だから、磨上は結局はこの世界に帰ってきていた。そしてなるべく魔力を使わず、異世界転移術に引っ掛からないように生活していた。もう異世界には行きたくないと、思っていたのかもしれない。
その磨上が、もう戻らないと決意して異世界に行ってしまった。理由はよく分からないが、この世界に未練が無くなった。もしくはこの世界に絶望を覚える何かが起こったのかもしれない。
この世界を捨てて、異世界で神になることを(勇者側か魔王側かは知らないが)決意したという事だろう。しかしそれは……。
「神様になって、永遠に戦い続けるという事だよな」
勇者である自覚があるこの俺でも、それはちょっと勘弁してほしいと思う。一つの異世界で永遠に生き、何度も登場する魔王を何度でも打ち倒す。なんというか、虚しくなりそうだ。他の異世界に召喚されて、魔王を倒して良い気分で帰還するのと、また全然違うと思う。
磨上はその、終わりなき戦いをしに異世界に行ったのだ。いくらあの磨上でも、その永遠の牢獄に耐えられるのだろうか?
孤独。孤独だろう。異世界で永遠に生きていれば。仲間も皆死に絶えてしまい、一人になってしまう。神は友人を得られないというではないか。神になった磨上の周りには誰もいなくなる。
磨上はあれで、他人と関わる事自体は好きなのだ。クラスメイトと談笑している様や、俺の母親や妹と遊んでいる姿が楽しげだったのは嘘では無いだろう。神原と旅しながら戯れあっている時も、本心から神原との友人関係を楽しんでいたと思う。
それに、俺といる時の磨上は確かに幸せそうだったのだ。俺と一緒にいるのが嬉しい楽しいと、伝わってきた。たまには怖いところもあったが、彼女は望んで俺の側にいてくれた。
その磨上が、永遠の孤独に耐えられるのだろうか?
耐えられなかったらどうなるのだろうか?
……それを思うと、俺はいてもたってもいられなくなった。だめだ。磨上をこのまま異世界で、神にしてしまうわけにはいかない。永遠の牢獄に閉じ込めてしまうわけにはいかない。磨上 洋子は神ではない。人間だ。魔王かも知れないけど、やはりこの世界にいるのが正しい。相応しい。
磨上を、なんとか連れ戻さなければいけない。いや、連れ戻す。俺は決意した。
……問題は、磨上がどの異世界に行ってしまったのかという事だ。俺はこれまで、異世界に行く時には異世界側から召喚されている。自分から異世界に跳んだ事はない。
しかし今回は磨上は自分で異世界に跳んでいるはずだ。そうでなければこの世界で現実を改変する暇がないからだ。
ならば、この世界で大きな魔法を使って異世界に跳んだ、痕跡がある筈だ。魔力残滓。その痕跡を辿れば、磨上がどの異世界に跳んだか、辿れるかも知れない。
俺がそう考えた、その時だった。
「あ……!」
神原が驚きの声を上げた。自分のスマートフォンを凝視している。俺も慌てて神原の額に自分の額を押し付けるようにして、スマホの画面を覗き込んだ。
「な……!」
唯一の手掛かりである、神原のスマホに残る磨上とのSMSのやり取りが、文字化けし始め、そして消え始めていた。今更ながら磨上の術の影響が及んだのか? いや……。
もしかしたら、今この時、磨上が異世界から魔力を使って神原から改めて自分に関係する事象を消そうとしているのではないだろうか。
とすると、これは逆にチャンスだ。
「神原! 貸せ!」
神原が混乱したような表情になっている。もしかしたら神原の記憶の完全な消去も同時に行われつつあるのかも知れない。俺は神原の手からスマホを奪い取る。
舐めるなよ魔王! 俺だってレベル27の勇者だ! それなりに魔法は使えるんだ!
「魔力追跡!」
俺は魔力を全開にして、スマートフォンに流し込んだ。そして、魔力感知を行う。それにより、スマートフォンに外部から入ってくる魔力を探知して、そのルートを逆探知する。スマートフォンからは磨上とのSMSのやり取りが完全に消えつつある。しかし、ギリギリ間に合った。
確かに、俺は磨上の魔力の痕跡を掴んだ。そのルートを今度は逆に俺の魔力を送って補強する。失うものか! これがほんとうに最後の手掛かり、磨上に続く道なのだ。
俺の魔力は時空を飛び越えて、異世界へと届いた。よし! そのまま魔力を磨上のいる場所まで……。と思ったのだが。
突然バン! と大きな衝撃があって、俺の魔力が弾かれた。くっ! 辛うじて集中を切らさず、異世界までのルートは確保出来たが、磨上の所までは届かなかった。流石は俺より高レベルの魔王だ。ルートごと潰されないで良かったよ。
俺は意識を元の世界に戻すと神原に言った。
「よし! 磨上がいる場所が分かったぞ! 行くぞ神原!」
しかし、神原は挙動不審な状態になっていた。なんだ? どうした?
「え? 何? え? 私なんでこんなところにいるの? あんた誰? え?」
しまった。磨上の術で、今度こそ神原から磨上についての記憶が消されてしまったものらしい。磨上どころか俺のことまで忘れてしまったらしい。
困る。磨上を追い掛けるには神原の協力が必要なのだ。俺は神原のほっぺたをガシッと両手で挟んだ。
「神原! 俺を見ろ!」
「何よあんた! 何するのよ! キャー! 変態! 変質者! 警察ー!」
警察を呼ぶな警察を! バーガーショップの店内は神原の悲鳴を受けてざわ付き始めている。俺は暴れる神原をパワーで抑え込むと、無理やり神原を目線を合わせた。
「情報共有!」
俺は魔法で、視線で磨上についての俺の記憶を神原に送り込んだ。勇者の能力の一つで、俺の経験や知った情報を仲間と共有出来るスキルだ。なかなか便利な能力で、仲間と旅する時には役に立ったものだ。
いきなり記憶を大量に送り込まれて、神原は硬直した。俺が頬から手を離すと、フラフラストン、と座席に腰を落とす。呆然としている。おそらく記憶が混濁してしまっているのだろう。
店員や近隣の席の客が飛んできて俺たちに声を掛ける。
「どうしたのですか?」「何か問題でも?」「警察とか言ってませんでした?」
俺は内心冷や汗をかきながら何くわぬ顔をして言った。
「大丈夫です。ちょっと痴話喧嘩で……」
集まってきた連中は不審そうな顔をしていたが、意識が戻ってきた神原が「大丈夫です」と言ったので、なにやらブツブツ言いながらも戻っていった。
周囲に人がいなくなってから、神原がぼそっと言った。
「誰が痴話喧嘩よ」
「思い出したか?」
「何とかね」
記憶を流し込んだ目的は、神原の記憶が完全に消えてしまう前に、記憶を補強する事だった。完全に忘れてしまう前なら、補強することで記憶改竄に抵抗出来ると思ったのだ。何とか成功したようだ。
「くそー。私だって勇者なのに! 簡単に記憶を改竄されちゃうなんて情けない!」
いや、神原がそれなりのレベルの勇者だったから、磨上がおそらく自分の魔力が回復するのを待って改めて事象操作の術を使わなければならなかったのだ。おかげでようやく糸口が掴めた。
「で、どうするの? 先輩がいる異世界が分かったって、そこから召喚してもらわないと行けないでしょう?」
そう。勇者と言えど、異世界召喚を受けなければ時空を超えて異世界に行く事は出来ない。基本的にはそうだ、しかし。
「自分の力で異世界に転移する事は出来る」
俺の言葉に神原の目が丸くなる。
「基本的にはテレポートの魔法と同じだ。だが、時空の壁を越えるんだから、膨大な魔力が必要になるけどな」
そもそも、テレポート自体がレベル20以上の魔法で神原にはまだ使えない。
「俺一人の魔力だとちょっと足りない。神原の魔力の助けが欲しいんだ」
これが俺が神原の記憶を無理やり戻した理由だ。異世界までの跳躍に必要な魔力は桁違いだ。磨上なら単独でも跳べただろうが、俺一人では魔力が足りないのである。
「俺が魔法陣を出したら、神原は外から魔力を供給してくれれば良い。そうしたら俺が行って磨上を連れ戻してくる」
俺がそう言うと、神原はなぜか唸りながら胸の前で腕を組んだ。
「私も行くわよ!」
「は?」
「私も先輩のところに行く! 私から先輩との思い出を消そうだなんて許せない! 文句を言わなきゃ!」
……あんまり良い思い出だったとも思い難いのだが、それでも神原にとって磨上との旅は特別な思い出になっているという事だろうか。
それは何というか、良い事だ。うん。俺は頷いた。
「分かった、一緒に行こう。神原。一緒に磨上を連れ戻そう!」
「良いわ!」
俺と神原は頷き合うと、バーガショプを出た。そしてそのまま並んで歩いて、近くの神社の境内への階段を上る。
人目に付きにくいところを考えたらここになったのだ。ちなみに、ここはウチの高校の生徒の逢引きポイントで、一緒にこの階段を上がる様子が他の生徒に見られるとあらぬ噂が立ってしまうのだが、俺たちにそんな事を考えている余裕はなかった。
幸い、神社の境内に人はいなかった。そもそもこの小さな神社はいつも無人だ。俺は念の為索敵スキルで周辺をサーチする。大丈夫。無人だ。
「始めるぞ」
俺が言って、神原が真剣な顔で頷いた。
俺は魔力を解放して一気に高めた。何しろ時空を次元を飛び越える大魔法である。限界まで魔力を搾り出さないと異世界まで届かない。
「時空跳躍魔法!」
俺の叫びと同時に、俺の足元に大きな金色の魔法陣が展開した。魔力に満ち満ちたそれに神原が両手を突いて魔力を注ぎ込むと、魔法陣はさらに輝き出した。
俺はさっき繋いだ磨上がいると思われる異世界へのルートを強くイメージする。そして明確にその異世界に辿り着ける確信を得た瞬間、空に向けて叫んだ。
「転移!」
魔法陣から光の渦が立ち上がり、俺と神原を包み込んだ。覚えのあり過ぎる浮遊感。
「待ってろよ! 磨上!」
俺はそう叫びながら時空を飛び越えて磨上が待つ異世界へと向かったのだった。