魔王、格下魔王を翻弄する
俺たちは最初の村に二晩滞在した後、食料と水を補給して次の村へと出発した。俺たちの滞在中、村人の目は死んでたな。俺たちを派遣した国王への悪罵も聞いた。どうもあの国王は、国民から全然慕われていないっぽい。
それにしても魔王より酷い政治を行う国王というのも酷いな。俺がそう言うと、意外な事に磨上は同意しなかった。
「魔物、魔族は弱い魔族や生き物を捕食するから、人間の王が必要とする租税を必要としないだけじゃ。この世が魔界に落ちたら、人間どもは魔族になって強い魔族や魔物に捕食される存在になる」
守っているのは作戦上必要である今だけ。世界が魔界になり人間が魔族の一員になったら弱肉強食の魔界の理が元人類を襲うことになるのだという。それはまた恐ろしい。更にこの磨上がそれを承知でいくつもの世界を魔界に堕としてきた張本人だというのも恐ろしい。
「人間世界の支配の理は、こちらで足りない物をあちらから持ってくる、じゃ。この森の中の村だって、他から麦を買わねば生きては行けぬ。そしてその麦は租税として徴収された麦じゃ。村では森の木々で作った道具、そして動物の毛皮などを租税として差し出し、それは麦を作っている農村に回る。租税には人間社会で物を回すためという側面があるのじゃ」
もしも税が無ければ、物の必要度合いの偏りや商売の巧さによって富の不均衡が起こり、儲からないことは誰もしなくなる。すると必要なものが十分に生産されなくなって人類社会全体が困る事になるのだという。
税というのは不当に徴収されているように収める方は感じるのだが、それは結局回り回って自らに返ってきているのだと磨上は言う。
「普段贅沢をしている貴族どもも、いざ戦争や魔物の襲撃には率先して命がけで戦うリスクを負っておる。それに備える費用も必要だから楽では無いのじゃ」
戦う技術や装備を持っているというのが貴族であるための資格であると言ってもいい。普段の贅沢も、命がけで戦う報酬の前渡しだと考えればけして不当でも無かろうと磨上は言った。
スラスラという磨上に俺も神原も驚くしか無い。
「よく知っているな」
「其方もサツキも世界を救って直ぐに元の世界に帰った事しか無いのじゃろう。我は残った事があるからな」
王国の政治に関わった事があるという事だろう。最初の三回目は勇者だったらしいからな。その経験が後に魔王をやる時に生かされたという訳だ。しかし、勇者として栄耀栄華を楽しんでいたはずの磨上が、なんて元の世界に戻り、あまつさえ魔王として転移することになったのだろうか。
……何か事情があるのだろうが、ちょっと恐ろしくて俺には聞けなかったな。
俺たちはガンガン前進した。村に着けば非協力的な村人を脅して言うことを聞かせ、補給と休息をしてまた進む。かなり魔王城に近付いた気配はしていた。魔気が濃くなって普通の人間なら命を落とすか魔族化しかねないくらいになった。
「そろそろ魔物が出てくるじゃろう。ちゃんと補給を受けながら進んできた我々に兵糧攻めは無意味だと気が付いたじゃろうからな」
磨上が言うとおり、それまで全く無かった魔物の襲撃が起こり始めた。魔物は動物(元人間の場合も勿論ある)が魔物化した動物型、魔気が純粋に魔物の形状になった悪魔型魔物、悪魔型が特に人間の格好に似た姿になった魔族がいて、総じて魔族>悪魔型魔物>動物型魔物という関係だ。この魔物、魔族の強さは魔気の濃さによって変わり、魔気の濃さは魔王の魔力に依存する。
磨上の率いた魔物、魔族は強かった。不意打ちが多かったとはいえ、俺に不意打ちをかます事が出来るというのがそもそもレベルの高さの証明だ。
磨上の眷属に比べれば、この世界の魔物、魔族は弱かった。しかし、レベルは高く油断は出来ない相手だ。特に悪魔型、魔族の強さは俺でも一撃では倒せないくらいであり、その攻撃はちゃんと防御の必要があった程だ。まぁ、前回に比べて2もレベルが下がっているという事情はあるのだろうが、この世界でも舐めプしていたら危なかっただろう。
俺でこれなので二回目勇者の神原は結構大変な目に遭わされていた。攻撃は効かず、防御は貫通して何度も大きなダメージを喰らっていた。まぁ、俺も二回目はそうだったよ。俺はこまめに神原を回復させてやった。神原は涙目だが、これはいきなり魔王城の近辺にまで連れて来てしまった俺と磨上が悪い。本来は少しずつ仲間と共に前進してレベルアップしながら魔王城に迫るもんだからな。
ただ、お陰で神原のレベルは上がっていた。良いなぁ。俺も強い魔物と戦っているせいで結構な経験値が溜まっているから、もう少しでレベル26には戻れそうなんだが。
磨上の戦いぶりは、まぁ、戦いですら無い。動物型魔物なら睨んだだけで相手が爆散したからな。恐ろしい。魔族なんかは磨上を見ただけで敵わないと逃げ出してしまう事も多かった。ある時、結構強い魔族が出て、果敢に磨上に挑んできた事がある。
「ほう。その意気やヨシ!」
磨上は嬉しそうに細身の剣を抜いた。ヴァルキリー装備で白いマントと黒髪を靡かせ、剣を煌めかせる磨上は美しく、勇者そのものに見えた。
しかしやることは魔王そのものだ。
襲い掛かってきた身の丈五メートルにもなる魔族に向けて、磨上はサッサッサっと剣を斬り払った。それで魔族の四肢はズンバラリンと斬り落とされる。緑の体液が噴き出した。ぐわー、グロイ。
しかし磨上はそれはそれは楽しそうに、恍惚の笑顔を見せながら、のたうつ魔族の頭をガツンと踏み付けた。それだけであの大きな魔族が動きを封じられる。
「気合いは良いが実力が伴わんな。つまらん。魔気に戻ってもう一度出直してくるが良い」
磨上が脚に力を込めると、魔族の頭はぐしゃりと潰れ、次の瞬間その魔族は黒い塵となって風に散った。……あの魔族、レベル13だったんだけどな。それを虫のように踏み殺しやがったぞ、あの魔王。いや勇者か。
そんな感じで俺たちはサクサク進撃した。多分だが、魔王側も慌てだしたのだろう。魔物の出現率が上がり、しかも数も増えてきた。
出てくる場所も、こちらが戦いにくい場所を選ぶようになってきた。これはここの魔王が特別というわけではなく、魔族の賢い奴なら企みそうな事で何度も経験している事だった。谷を細い橋で渡っている最中に襲ってくるとか、ぬかるんだ道の所で攻撃するとか。
まぁ、俺と磨上は飛べるんだけどね。足場の不利は不利にならないよ。人間が飛べるなんて思いもしない魔物達は仰天している内に俺と磨上に魔法で打ち落とされる。神原? まぁ、死なない程度に頑張っていたよ。いつも戦い終わると涙目だったけどな。神原のレベルも9になり、あと少しで10だから、運が良ければ(覚えられる魔法はランダムなので)飛行出来るようになるだろう。
俺もめでたくレベル26に復帰した。意外なほど早いが、それだけここの魔物が強かったという事だろう。
「勇者を魔物に襲わせるなんて、勇者にレベルアップの糧を与えるようなもの」
と磨上は言っていたが正にその通りで、勇者を倒せる見込みが無いのなら、勇者を襲わせずに魔王城まで誘い込んで、最後に魔王と強力な魔物、魔族でたこ殴りにした方が、低レベルな勇者を相手に出来るので魔王軍の勝率は上がるだろうな。ここの魔王はその事が磨上ほど理解出来ていなかったのだろう。
もっとも、勇者が進んで来ると、魔王軍の領域は必然的に小さくなり、魔王の力も弱まるので、磨上くらいのレベルの魔王で無ければそうそう取り得無い作戦なのかもしれないとは思う。勇者の魔力が魔気を浄化してしまうらしい。磨上の魔力でも魔気を浄化出来るのか? は微妙だと思うけどな。あいつの魔力真っ黒だし。
「そろそろ、魔王本人が出て来ないと不味かろうよ。魔物は率先して戦わぬ者には付いてこぬからの」
なにせ魔物は弱肉強食。上に立つには常に自分の強さを配下に見せ付ける必要があるのだという。そりゃ、中々厳しいな。
「じゃが、強さを認めれば裏でこそこそ謀をして裏切りの算段をするような陰湿さと、魔物は無縁じゃ。その分はやりやすくはあるぞ」
確かにそれは楽かもなぁ。勇者として戦っていて、後方支援をしてくれるはずの王国内部で政変が起きて、戻ってみたら政争に巻き込まれて大変な事になった事もある。戦いが長引くと勇者の力が疑われて、王国内部で俺を信用する派しない派の対立が起き、その中に魔王に従おうという考えの連中までも混ざり、大変な騒ぎになって魔王討伐どころでは無くなった事もあった。
げに恐ろしきは人間かな。まぁ、今回はどうも魔王も人間くさいんだけどな。
「おう、ようやく腰を上げおったな」
磨上の言葉に俺も魔力感知の感度を上げる。かなり大きな魔力が俺たちの方に接近してくる。これは恐らく魔王が来たのだろう。俺は後ろを歩いていた神原に声を掛けた。
「神原。ここで魔力を消してジッとしてろ。巻き込まれたら死ぬぞ」
「ひぇえ!」
神原は俺と磨上の強さを知っているし、襲ってくる魔物が自分よりも高レベルな事ももう知っている。それでもこれまではこんな事は言われたことが無かったのだ。それでやってくるのが尋常な敵ではないと分かったのだろう。震えながら頷いている。
「わ、分かったわ! き、気を付けてね」
「ああ」
俺は神原の激励に片手を上げて答えると、空に舞い上がった。磨上も続く。
「……随分、サツキと仲良くなったのではないか? カズキよ」
ジトッとした目で睨んでくる。う、俺は背中がヒヤッとしたね。迂闊な返答は命取りになる気配だ。
「そ、そんな事はないだろう。そりゃ、普通に冒険すれば仲間意識も持つけどな?」
「ふむ。我の見ていないところで乳繰り合っているのではなかろうな」
「しとらんわ! そもそも、お前の目を逃れるなんてどう考えても不可能だろ!」
これは本当で、磨上の魔力感知能力をシールドする事は俺と磨上のレベル差では出来ない。なので磨上に隠れて何かをする事は無理だ。例えば磨上に隠れて神原と逢い引きするなんて絶対に不可能なのだ。
ただ、まぁ、最近は神原も俺を頼りにしてくれて、先輩と慕ってくれて、ちょっと良い感じに距離が縮まっているのは事実だ。うん。お互い勇者としての意識は強いし気が合うんだよ。恐ろしい磨上に対する防衛意識もある。貞操的な意味で。
「……ふむ。先に神原を消しておくべきか……」
「止めろ! そんな事をしたら流石に俺も怒るぞ! 絶交だ!」
「ふん。其方に怒られても何の痛痒も感じぬが、絶交は困るな」
磨上が何故か満足そうにふわりと微笑んだ時、頭上から声が降り注いだ。
「貴様らか! 我が領域を侵すこしゃくな勇者とやらは」
振り仰ぐと、飛行型の魔物の中に人影があった。デジャブだな。登場の仕方まで磨上に被らせる必要は無かろうに。
背の高い金髪の男性が仁王立ちで空の上にいた。顔立ちがくっきりしているからもしかしたら外国人かもな。でも、羽も角もないから転生者で間違い無いだろう。こいつがこの世界の魔王か。レベルは流石に見えないけど、多分25にはなっていないんじゃないか? そんな感じだ。
「だが、ここで終わりだ! この大魔王サーベル様が直々に貴様達を滅ぼしてくれる」
その名乗りを聞いて、磨上がポンと手を叩いた。
「おお。思い出した。そうそうサーベルとか名乗ったな。三回くらい前に返り討ちにしてやった勇者ではないか。なるほどなるほど。確かに高レベルの勇者だったな。貴様も」
うんうんと頷く磨上を見て、魔王サーベルは怪訝な顔をしていた。
「なんだ? 何を言っている。貴様は誰だ?」
「おう、我を見忘れたか? 貴様の戦略のパクリ元じゃ。これを見てとくと思い出せ」
そう言うと、磨上は装備を変更した。磨上の服装が一瞬でヴァルキリー装備から変更される。
つまり、真っ黒なハイレグボンテージ。身体のラインがくっきりはっきり出て胸元がバーンと露出している間近で見ると色々ヤバい、磨上の魔王装備だ。同時に、真っ黒な魔力がブワブワと溢れだしている。
それでも魔王サーベルは暫く分からないようだったな。それはそうだろう。凶悪な高レベル魔王だった磨上が勇者としてやってくるなんて、想像を絶している。
しかしながらその格好、そして恐らく何よりその高魔力を見て、魔王サーベルは磨上の正体に気が付いたようだった。目が見開かれ、顔色が変わる。彼は震える手で磨上を指さしながら呻いた。
「き、貴様は! 貴様はあの、あの! あの時の魔王!」
「おう。思い出したか。感心感心。そうじゃ。貴様を散々苦しめた挙げ句に消滅させて元の世界に叩き返してやった魔王じゃ。久しぶりじゃのう。今度はおぬしが魔王とはな」
魔王サーベルは最後まで聞いちゃいなかった。
「あ、悪魔だ! 魔王だ! た、助けてくれー! いやー!」
と奇声を上げて、周りを囲む魔物もお構いなしに、全速力で空の彼方に逃げ出したのだ。魔物、魔族は呆然としている。おいおい良いのかよ。魔王の威厳は台無し。この先、魔王の権威ががた落ちになって、命令を聞いて貰えなくなるんじゃないかね?
「ふん。根性なしめ」
磨上は吐き捨てたが、無理もないんじゃないかな。自分を完膚なきまでに倒して消滅させた相手に立ち向かうのは、勇者の誇りがあっても難しいぞ。俺だって磨上とまた対決するような事があっても、逃げ出さないとは約束出来ない、かもしれん。
磨上はついっと右手を挙げた。その先には総大将がいなくなって戸惑う魔族集団。
磨上の右手に黒い魔力が瞬間宿ると、そのままドーンと吹き出した。魔力の渦は森の木々も巻き込み魔物魔族の集団を飲み込んだ。
次の瞬間轟音と共に大爆発が起こる。爆圧と爆風と熱波がぶわっと吹き寄せ、俺は顔を引き攣らせるしかなかった。勿論、魔物達は燃え尽きて跡形も無い。い、いきなり何をしでかしやがるこの魔王!
そう。魔王。磨上の格好はもう完全に魔王だった。装備だけで無く、その表情も、溢れる魔力も。磨上は底知れぬ魔力を吹き出し、暗闇に何処までも落ちて行くのではないかと錯覚させるような、恐るべき視線を俺に向けて言った。
「遊びは終わりじゃな。あの痴れ者に我が恐ろしさを思い知らさねばならぬ」
……とっくに知っているんじゃないかなぁと、思ったり思わなかったり。
◇◇◇
そこからは手加減無しだったな。
魔王は神原を小脇に抱えて(俺が運ぼうとしたのだが「シッシッ! このエロ勇者め。あっちゃ行け!」と追い払われた。酷くない?)飛び、真っ直ぐに魔王城へと向かった。神原は運ばれている最中、ほとんど失神していたんじゃないだろうか。
雲霞のごとく押し寄せる魔物魔族は瞬殺だ。必要以上に周囲をも爆散させながら消し飛ばす。俺は後ろを付いて飛ぶだけだ。磨上は黒髪を振り乱してゲラゲラ笑っていたな。力を振るうのが気持ちよくて仕方が無いという風情だ。もう完全に魔王だな。一応はまだ勇者側の筈なんだけども。
そして俺たちは魔王城に辿り着いた。禍々しい尖塔がいくつも聳え立つ魔王城は、磨上曰く魔王の魔力が増大する度に勝手に拡張されるのだという。魔王の守っている魔力の核から成長して行くらしいんだな。
魔王が領域を広げると、領域から力を吸い取って魔力に変えて核と魔王城は成長する。すると魔気が吹き出して世界を魔界に変えて行く、という感じらしい。勇者が進むと大地が浄化されて、魔力の核に行く栄養が少なくなる。なるほど。魔力の核は生き物みたいだな。植物か。
「さて、一撃で吹っ飛ばすのも風情が無いからのう」
磨上はそう言うと、地上に降り、徒歩で魔王城に乗り込んだ。
魔王城には様々な仕掛けや罠が隠されていて、進むのは本当に難しい。本当は。
しかし磨上は力でねじ伏せた。例えば仕掛けを踏むと天井が落ちてくる仕掛けなんて避けもしない。パンチをくれて仕掛けを天井ごと吹き飛ばす。矢だとか槍だとかが飛び出す仕掛けなんて磨上に触れるなり粉々になる。伏兵として隠れていた魔物は相手がドラゴンだろうが瞬殺だ。剣で斬るか魔法で吹っ飛ばすか、それとも殴り飛ばすかは磨上の気分次第。
……俺だってここまで行かなくても舐めプで魔王城を蹂躙したことはある。圧倒的強者が弱者を踏み躙るのは、気持ちが良いことは確かだ。うん。しかし磨上は更に、魔物には期待をもたせるような反応を(わざとダメージを受けたように振る舞うとか)して、それでかさに掛かって攻撃してきた魔物をニンマリと満面の笑みを浮かべて叩き潰すとか、ちょっと勇者がやっちゃいけないような悪辣な事をしていたな。
磨上ほどの強さなら、砂のお城の中にいる虫けらを潰すくらいの感覚なんだろうなぁ。魔王軍の幹部、俺でもレベルが見えないほどの高レベルの魔族も、磨上には触ることも出来ない。いや、好き放題に攻撃させた挙げ句全然効かないところを見せ付け、そしてあえて術を使わず魔力の大きさだけでじわじわとなぶり殺して絶望を与えてたな。俺が見かねて介錯をしてやったくらいエグかった。
神原あたりはもう放心状態で、レベルアップのために瀕死状態の高レベルな魔物にトドメを刺すのを機械的にやっていたな。ちなみに俺もやった。磨上が弱らせた魔物を俺がトドメを刺すわけだが、罪悪感が半端ない。あまりやりたい事では無いな。お陰で27レベルには魔王を倒せば到達出来そうになったのは有りがたかったけど。
そして俺たちは遂に、うん、まぁ、一応遂に、魔王の間に辿り着いた。普通は感慨とか戦いへの予感に震えるとか、恐怖をかみ殺すとか、そういう心境になるもんなんだけど、磨上が大きな扉をぶっ飛ばしても俺も神原もチベットスナギツネみたいな顔するしか無かったな。
広大な魔王の間。一番奥の階の上には魔王の座があり、その後ろには大きくて真っ黒なクリスタルが浮いていた。あれが魔力の核だ。
魔王の座の前には魔王サーベルが立っていたな。堂々立っているのでは無く、逃げ遅れて右往左往しているような感じだ。もうちょっとしっかりして欲しい。魔王なのだから。
しかし、気持ちは分からないでは無い。おそらくはレベルは俺と同じくらいだから相当に強い魔王なのだ。彼は。磨上に負けた後に魔王になり、何回かは世界を滅ぼしている可能性はある。磨上曰く、勇者より魔王はレベルアップが遅い傾向があるらしい。あまり強い敵と戦えないからかもな。それでも魔王サーベルは俺と同じくらい、25以上のレベルになっている。磨上に一度倒されて、ごっそり経験値を減らされたにも関わらずだ。
かなり自信もあっただろう。磨上からパクった戦略も勿論悪くなかった。恐らく自分よりも高いレベルの勇者でも、あの戦略なら打ち倒せただろうな。相手が手の内を完全に知っている上に、勇者の常識が通用しない磨上で無ければ。
「な、なぜだ! なぜ貴様が勇者などやっているのだ! 魔王の中の魔王である貴様がどうして!」
魔王の中の魔王とは言い得て妙だなおい。しかし磨上は魔王サーベルの言葉を鼻で笑った。
「貴様こそ我こそは勇者、みたいな顔をしておったくせに、魔王をやるとはどういう了見なのだ。しかも我の戦略をパクリおって」
うん。俺もそれは気になっていた。磨上は魔王の方が向いていたからなんだろうなぁと何となく思っていたが、こっちの魔王はどうなんだろう。磨上の言葉に魔王サーベルは口元を歪めた。
「ふん、俺は勇者の欺瞞に気が付いてしまったのだ。もうバカらしくて勇者として世界を救うなんて事は出来ん」
魔王サーベルの言葉に、磨上の表情が固く、怖くなる。
「なんだ、勇者の欺瞞とは? どういう意味だ?」
俺が思わず言うと、魔王サーベルは俺に向けて吐き捨てた。
「貴様はおかしいと思わないのか? なぜ俺たちは何度も何度も召喚される? 何度も世界を救い、魔王を倒さねばならぬのだ? この戦いには終わりはあるのか?」
……ぶっちゃけ、俺はそんな疑問を持ったことなど無かった。しかしそんな事は言えんわな。曖昧な顔で聞いている。
「終わりなど無いのだ。勇者が救っても世界にはまた魔王が現れる。そして勇者がまた召喚されて魔王を倒す。その繰り返しだ。勇者には最終的な勝利を掴むことなど出来ぬのだ!」
それは……。言われてみればそうかもしれない。召喚された世界には、当たり前ではあるけど勇者召喚術が伝わっている。これは、その世界に過去、勇者が召喚された事があることを意味している。つまり勇者が俺以前にもいて、既に一度は魔王が倒されているのである。
世界がある限り魔王は何らかの理由でまた現れる。そして勇者が召喚される。俺がこの先もずっと勇者を続けていれば、同じ世界に二度召喚される事も恐らくあるだろうとは思う。
なるほど、それは確かに悩ましい問題だ。勇者は世界を救い続け、勝ち続け、魔王を消滅させ続けなければならないのだ。
「しかし魔王になれば、世界は一度滅ぼし魔界に堕とせばよい! 終わりだ! これは、この終わりなく世界において最終的には魔王が勝利する事を示していると言っても過言ではなかろう!」
理屈は間違ってはいないな。つまり勇者サーベルは魔王を倒し続けても、一度でも魔王に負けてしまえばその世界は滅んでしまうという事実に耐えきれず、魔王側に堕ちてしまったのだろう。
何だか勝ち誇ったような顔をして胸を張る魔王サーベルを見ながら、俺はしかし不思議な気分だった。魔王サーベルの言ったことは間違ってはいるまい。勇者が一度でも負ければ世界は魔界に堕ちてしまい、二度と人間の世界に復帰しない以上、魔王に有利な条件で戦い続けなければならないというのも本当だろう。
……しかし、だ。俺は魔王サーベルに言った。
「勝ち続ければ良いじゃないか」
俺の言葉に魔王サーベルは目を剥き、磨上はスッと目を細めた。
「負ければ魔界に堕ちてしまう世界を救うために、勝たなければならないのは当たり前の事だよな。何度召喚されても、何度でも何度でも戦って、勝って世界を救うさ。そうすれば良いんだろう?」
魔王サーベルの口があんぐりと開いてしまった。んん? それほどおかしなことを言ったかな? 一度でも敗北したら世界を救えない。そのプレッシャーと俺は常に戦い続けてきた。実際、磨上に負けて俺は世界を一つ滅ぼされてしまった。
もう二度と同じ轍は踏まない。次に磨上と戦うことがあっても、手練手管を尽くして、何としても勝って世界を救ってみせる。
俺が改めて決意していると、カンラカンラと豪快な笑い声が響いた。
磨上が天を見上げて爆笑していた。彼女はひとしきり笑うと、笑い過ぎて浮かんだ涙を指先で拭った。
「さすがはカズキじゃの。我が見込んだだけの事はある」
そう小さく呟くと、磨上は魔王サーベルを睨みつけた。
「こん馬鹿者が! 絶望の深度が浅すぎるわ! 大層なことを言っておるが、大方我に敗れた事で自信を失い、勇者になる事が怖くなったのじゃろうよ」
まぁ、な。もしも勇者として召喚されて、魔王である磨上とまた戦うことになったらどうしようと、俺でも思うからな。その気持ちが、勇者ではなく魔王になりたいという気持ちになり、それが召喚術に引っかかって魔王サーベルは魔王になったに違いない。
ふむ、なるほど。となると、勇者になりたいと願っていれば金色の魔法陣で召喚され易くなり、魔王になりたいと願っていれば黒い魔法陣に飲み込まれやすくなると言うことなんだろうな。実際に召喚術に引っ掛かるには魔力量とか、資質とかが関わってくるのだろうけど。
「貴様のような半端者は勇者にも魔王にもなれぬ。速やかに退場せよ」
「おのれ! 言わせておけば!」
魔王サーベルが流石にキレた。魔力が膨れ上がり、魔気が濃くなる。すると魔王サーベルの後にある魔力の核からズルリと巨大な悪魔型が生まれ出た。なんと、俺の索敵スキルではレベル判定が出来ない。かなり強力な魔物だ。腐っても魔王という事か。
あの強力な魔物と魔王サーベルが襲ってくれば、俺一人なら苦戦は免れ得ないところだったろうな。神原なら瞬殺されるだろう。
しかし相手は磨上だ。彼女は凶暴な笑みを浮かべながら、右手を魔王サーベルと魔物に向けた。
「せめてもの情けじゃ、我の最大魔法で跡形もないよう、念入りに焼き尽くしてやろう」
磨上の周囲に黒い魔法陣が三つも四つも展開し、同時に魔王サーベルと魔物の周りにも魔法陣が一気に展開した。魔王サーベルの顔が引き攣る。
「我が魔力により地獄の釜よ開け。何物も焼き尽くす業火をもって我が敵を滅ぼせ」
磨上は開いていた右手の平をギュッと握り込んだ。
「ヘル・プリズン!」
瞬間、魔王サーベルと魔物の周囲に魔力の檻が立ち上がり、一気に周囲を囲んでしまった。魔物が反射的に攻撃を檻に叩きつけるが、跳ね返されるだけだ。
「な、なんだ! 何をするつもりだ!」
魔王サーベルが悲鳴を上げたが、磨上の意図はすぐに分かった。檻の中が灼熱し始めたからだ。
「あ、熱い! ぎゃあぁぁぁぁあああ!」
魔王サーベルと魔物は熱にのたうち回り、何とか抜け出そうと魔力の檻を必死に攻撃する。しかし、磨上の魔力は圧倒的だ。檻の中は赤から黄色へ、黄色から白へと変わる。見るからに温度が上がっている。魔王サーベルと魔物の熱耐性の限界を越えたのだろう、身体から煙を吹き始め、ついには発火する。
「ぐわあぁぁぁああああ!」
ちょっと見ていられないほどの残虐な光景に、神原は立ちくらみを起こしてしゃがみ込んでしまった。神原を助け起こしながら、俺も思わず口元を押さえた。これはひどい。
もちろん磨上は満面の笑顔だ。八重歯が出てしまうほどニーッと笑っている。実に楽しそうだ。なるほど。これは魔王の中の魔王だわ。間違いねぇ。
しかしあんまり悲惨な有様に、俺は磨上を思わず叱り付けた。
「こら! 良い加減にしろ! お前には人の心がないのか!」
「そんなもん、とっくにないわい」
磨上はそう言って俺を睨んだ。俺は思わず気押される。その瞳に、良いしれぬ絶望の色が見えたからだ。俺が見た事がない、この世の色んな事を見た、その結果がその瞳なのだろう。こいつ、一体何を見てきたというんだ?
磨上はフンとビビる俺の事を笑うと、右手をギュッと握りしめた。それで魔王サーベルと魔物を閉じ込めた檻は一気に圧縮され、そして光も残さず消滅した。……かなり高レベルの魔王だったから、サーベルとかいう奴はレベルを奪われはするだろうが、消滅はせずに元の世界に帰っただけだろう。うん。きっとそうに違いない。
魔王がいなくなった魔王城には、黒い巨大なクリスタル。魔力の核が残された。これを破壊すれば世界は浄化されて人間の住める世界に戻る。
磨上は極めて嫌そうな目で魔力の核を見ていたな。見るのも嫌だと表情が雄弁に語っている。
「カズキ。其方が壊せ」
「は? 良いのか? 魔力の核を壊した奴に経験値が入るんだぞ?」
「かまわぬ」
磨上が言うのでは仕方がない、俺は剣を抜き、剣に魔力を込めた。魔力の核は魔王のレベルに応じて硬くなり、簡単には破壊出来なくなる。このレベルの核では神原には破壊出来ないだろう。
魔力が籠った俺の剣が金色に輝き出す。
「たあぁぁぁぁあああ!」
気合い一閃、俺は剣を振り抜いて魔力を解放した。金色の光が走り抜けて、魔力の核に一筋の亀裂が入る。
亀裂はすぐに二つになり、三つになり、次第に加速的に増えていった。そして黒いクリスタルが金色の網目に覆われるまでになった次の瞬間。
魔力の核は弾け飛んだ。そして破片は黒い炎となり、そして消滅した。
すると、辺りを覆っていた魔気がスーッと消えていった。世界が浄化されたのだ。勇者の、人類の勝利である。
「や、やった! やったのね!」
神原が歓声を上げる。俺もホーっと息を吐いた。何だか色々これまでの冒険とは異なる展開だったが、一応は世界を救うことは出来たのだ。文句は言うまい。
俺は神原とハイタッチをして勝利を喜んだ。その時、磨上の小さな声が俺の耳に届いた。
「……仮初の勝利か……」
思わず俺は磨上の事を見てしまった。魔力の核を失った魔王城は崩壊しつつある。既に天井は失われ、明るくなった世界で魔王そのものの姿の磨上は、呆然と青空を見上げていた。
そして俺の視線に気が付いた磨上は、何だか複雑な、寂しそうにも見える表情で、微笑んだのだった。