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優等生魔王と平凡な勇者

 磨上 洋子はとりあえず俺のクラスで大人しく学生生活を送っていた。


 というか、あっという間にクラスの中心人物に成り上がっていた。


 そりゃそうだろう。あいつを誰だと思っているんだ。魔王だぞ? 魔物、魔族の頂点に君臨し支配し、意のままに操って世界を何度も滅ぼしてきた魔王なのだ。


 魔物なんて本能で生きている生き物なんだから、強い者にしか従わない。その魔物が俺を陥れた時のような、あんな繊細な命令に忠実に従っていたのだ。それだけでも磨上の恐ろしさが分かるだろう。単なる強さだけでは多分無理だと思う。おそらく磨上には魔物を従わせるだけの何かがあるのだ。


 その魔力の巨大さは、横の席にいる俺に居眠りを許さないほどだが、他の連中には感じ取れないだろうな。だが、その圧倒的なカリスマ性はダダ漏れだ。


 その美貌だけでもう凄いのだが、見ていると恐ろしく話術が上手い。相手と話して直ぐに相手の懐に滑り込み、自分のペースに巻き込み、共に盛り上がって最後には何となく磨上の支配下に置かれてしまう。そういうことが無意識に出来てしまうようなのだ。


 磨上のような美人に苦手意識を持つ、あるいはライバル心を持つ女子だっていただろうに、磨上はあっさりとこのクラスの女子を支配してしまった。あいつに言わせれば、爪も牙もない人間の女を籠絡するなど造作も無いことだと言うだろうね。


 そんな磨上だが、学園生活を楽しんで、俺のことなどすっかり忘れて……。


 は、くれなかった。いや、俺のことなんて放っておいてくれれば良いのだが。


 なぜか磨上は事ある毎に俺に絡んでくるのだ。例えば英語の時間、俺が先生に指名されて、教科書の英文の日本語訳をするように命じられた時のこと。


 こんなもん、翻訳の魔法を使えば簡単だ、俺は魔力を……、使おうとして恐るべきプレッシャーに気が付いた。


 隣の席の磨上が、俺の事を怖い顔で睨んでいたのだ。……え? 睨むだけでなく真っ黒な魔力が吹き付けてくる。そして小さく口が動いた。


『勇者ともあろうものが、そんなインチキをするつもりなのか? 見損なったぞ』


 うぐぐぐぐ。魔王に見損なったと言われるなぞ、勇者のプライドに関わる。俺は翻訳魔法を中止した。途端に、教科書の英文は全く俺には読めない謎の文字列に変わる。


 俺は仕方無く必死に辿々しく英文を読み、必死に翻訳するしかなかった。このところ英語だけはかなり出来る生徒になっていた俺の醜態に、クラスメートや先生から失笑が漏れた。


「ちゃんと予習をしておくように」


 先生に言われて俺は屈辱の中項垂れた。磨上は涼しい顔だ。


 ちなみに磨上は全ての教科で非常に優秀である所を見せつけており、特に英語に関しては海外生活が長かっただけに先生によりも発音が良く、更に言えばドイツ語もフランス語もなんなら中国語も喋れるという。


 数学も化学も国語も小テストの点数などを見れば全て満点。俺はあまりの完璧さに魔力でズルをしているのではないかと疑ったが、全く魔力が動いた形跡はなかった。どうやら根っからの秀才であるという事らしい。


 磨上がズルをしていないのなら、俺もズルする訳にはいかない。しかしながらちょっと待ってほしい。


 俺は異世界に召喚される度に、授業が受けられなくなるのだ。つまり異世界に行っている間は高校二年生の勉強など出来ないわけで、下手をすると何年ものブランクが生じるのである。帰ってきたら異世界に行く以前にしていた勉強など忘れている。魔物の倒し方や魔法の原理とかの方が詳しくなっているくらいなのだ。


 それなのに全く魔法を使わずに、正々堂々と授業やテストを受けろというのは、ちょっと酷いのではないだろうか。魔法で少しくらいはズルやカンニングして、人並みに成績を合わせるくらいは許されるべきなのではないだろうか? 俺は人類を救った勇者なのだから。


「何を愚かな事を言っておるのか。インチキなどして成績を取って何になる。学校の成績は本人の能力のバロメーターに過ぎぬ。実力を高めなければ意味がないではないか」


 磨上は俺の嘆きを正面から粉砕してのけた。


「勉強する暇は、異世界でいくらでもあるであろう? なぜアイテムボックスに元の世界の教科書や問題集を入れておかぬ? 毎日少しずつ勉強すれば、異世界では何年も勉強出来るではないか。そういうインチキなら我は咎めぬぞ」


 ……実は、アイテムボックスに教科書や問題集が入っていた事はあるのだ。異世界転移の時に学校鞄を持って行ってしまった事も多かったからな。


 しかし、異世界で学校の勉強しようなどとは、思った事もないな。ないない。異世界の良い所は勉強しないで良い所だ、とまで俺は思っていたから。


 そりゃ、天候が悪くて冒険の途中で足止めをくらい、宿で無為にゴロゴロしていた事なんていくらでもあったし、夜は魔物が強くなるので、俺たちは暗くなると直ぐに行動を停止した。その長い夜に勉強しようと思えば、まぁ出来ただろうよ。


 しかしなぁ。すぐに役立つ訳でもない、テストとて無い異世界で、真面目に学校の勉強をする奴なんて居ないだろうよ。少なくとも俺にはそんな発想はなかった。


「ならば貴様が何もかも悪いのであろうが。黙って苦労するが良い」


 と無慈悲な魔王様は仰った。


 ちなみに、この会話が交わされているのは下校中だ。


 俺と磨上は仲良く並んで一緒に下校しているのだ。


 ……どういう事なんだよ!


 と篠原辺りは叫んだのだが。それは俺のセリフだよ!


 なんで勇者である俺が魔王である磨上と仲良く下校しなきゃいけないんだよ! ていうか、こええよ! こいつは人間を何とも思っていない、時には遊びで人間を殺しさえする魔物たちを統率して、人類社会に仇為した魔王なんだぞ! しかも十六回も世界を滅ぼした!


 なにしろ自分で「我は負けた事など無いぞ」と言っていたからな。そんな極悪非道な魔王と一緒にいたら、何時こいつが気まぐれに人間を殺戮し始めるか分かったものではないし、その時は俺だって負けを承知で磨上に立ち向かうしかない。絶対に勝てないと分かっていても。


 しかしながら磨上は今のところそんな素振りは一回も見せたことはなかった。もうこいつが転校してから一ヶ月、何度も一緒に下校しているのだが。


 身長は俺とほぼ同じ。俺の身長は百七十五センチメートルは超えているので、磨上もそのくらいだろう。女性にしてはかなり背が高い。


 その長身で黒髪を靡かせ、堂々と歩く様は、街行く人が八割は振り返るくらい颯爽として、格好良かった。そしてあの美貌である。都市部郊外でなく、新宿とか渋谷とかに行けば、アイドル事務所その他のスカウトが取り囲んで放っておかないだろうね。魔王なんだが。


 その磨上と並んで歩かされる俺の身にもなって欲しい。あまりに落差があり過ぎて彼氏彼女と誤解される可能性が無いのが唯一の救いだ。あるいは女王と下僕に見えているかもしれないけど、その方がなんぼか気持ちが楽だ。


 魔王的には勇者である俺を監視しているのだろう。どうも彼女は転生者が魔力を使ってチートをするのが許せないらしい。高レベルの勇者である俺が魔力を使って悪さをしないか見張っているようなのだ。


 今までは人目がなければ飛んで家に帰ったり(隠蔽のスキルを使えばバレる心配は皆無だ)、テレポートで都市部中心にまで出掛けたりしていたのだが、磨上の目が光るようになってからは出来なくなってしまった。


 そのくらい良いじゃねぇか、と思うのだが、磨上は一切の例外無く魔力の使用を俺に認めなかった。自分も全く魔力を使っている気配が無い。


 それと、もう磨上が転校してきて一ヶ月になるのだが、磨上は一度も異世界転移をしていないようだ。一体どういう基準で異世界召喚が行われているのかはよく分からないが、磨上くらいの高レベル魔王ならもっと頻繁に喚ばれているのかと思っていたのだが。


「勇者よ、腹が減ったな」


 磨上がしれっとした顔で言った。見るとクレープ屋のキッチンカーをじっと見ている。またか。


 磨上はこうして下校中に何やら食い物屋を見付けると食べたがる。ハンバーガーだのコーヒーだのラーメンだのお好み焼きだの。


 そして必ず俺にたかる。何でだよ。磨上の家は金持ちだと俺は知っているぞ。なんで中流階級の俺が奢らなきゃいけないんだよ?


「ケチな事を言うな勇者よ。異世界から持ち出した貴金属を売って儲けておるのだろうに」


 ……何もかもお見通しのようだ。確かに、俺は異世界から持ち帰った金貨や宝石をちょくちょく換金して小遣いにしているから、それなりに懐は暖かい。


 俺は仕方無く承諾し、俺と磨上は公園のベンチに座ってクレープを喰った。磨上はニコニコとご機嫌な顔をしていたな。


「うむ、食い物に関してはどこの異世界もこの世界には敵わんな。そうであろう勇者よ」


「……まぁ、な」


 一体この女、何を考えているのやら。


 ◇◇◇


 今日、俺は何故か、磨上の家にお邪魔していた。


 ……磨上の家といえば魔王城じゃねぇか! 家主は親なんだろうけど。


 つまり悪の本拠地だ。そこに俺は乗り込んだ、訳なんだけど。


 別に史上最大の決戦が行われた訳でもなかった。俺が囚われて拷問を受けたわけでも無かった、何回めかの異世界では、魔王城に乗り込んだら罠に嵌ってしまい、抜け出すまでに数ヶ月掛かった事もあったけな。


 それどころか俺の前には暖かな紅茶と、ケーキと、それだけでなくスナック菓子がガラスのお皿に盛られていた。


 そして俺の隣の膝が触れ合う距離には磨上が身を寄せてご機嫌な表情を見せていた。……完全に勇者、魔王と馴れ合うの図だ。どうしてこうなった。


 し、仕方なかったんや! 今日の小テスト、英語と数学の小テストの俺の点数を見た磨上が嘆いたのだ。


「勇者として恥ずかしく無いのか。その点数は。それでも世界を何度か救った事があるのだろうに」


 異世界を救うのに高校生の学力は一切問われなかったんだから仕方ねぇじゃねえか! 俺はそう叫びたい所だったのだが、魔王である磨上は普通に満点を取っているのだから、勇者としては文句も言い難い。


 その結果。


「仕方がない。我が勉強を見てやろうぞ」


 と磨上が言い出し、俺は断りきれなかった、という訳だ。


 最初は俺の家で、という話だったのだが、とんでもないと俺が断った。俺の本拠に魔王を招いて実情を知られるなんて勇者としては無防備過ぎるだろう。


 それと俺が磨上を連れて家に帰ったら、専業主婦のお袋とまだ中学生の妹に何を言われるか分かったものではない。即座に家族会議が開かれる事案だ。


 その結果「ならば家に来るがよい」という事になって磨上の家で勉強会をする事になったのだった。


 磨上の家は駅にほど近いタワーマンションの、最上階に近い二十二階だった。明らかに新築。セレブの匂い漂う高級マンションだ。管理人のいる玄関を潜り、エレベーターを上がり、静かなホールを抜けて立派なドアを潜ると、そこが魔王城だった。


 大きな窓から光が降り注ぎ、二十畳は軽くあるリビングは非常に明るかった。中には階段があり、中二階へと続いていて俺のマンションの概念は軽く覆されたな。


 俺はリビングの応接セットに席を与えられ、おっかなびっくり本革のフカフカソファーに身を落とす。そこへセーターとチェックのスカートといった庶民的な格好に(きっとブランド物の良い服なんだろうけど)着替えた磨上がお茶とケーキとお菓子を持ってやってきた。


「お茶を淹れてやったぞ。ありがたく飲むがよい」


 と魔王は言うと、俺の前にお茶とケーキを置いて当たり前のように俺の真横に座ったのだった。俺は硬直する。


「な、なんで隣に座るんだよ!」


 俺は思わず叫んだ。すると磨上は呆れたような表情で言った。


「其方、今日の目的を忘れた訳ではあるまいな? 勉強を教えるのに向いに座ったのでは支障があるであろう」


 ……それは確かにそうかもしれないけども。


 肩や脚は触れたり触れなかったりする距離で、磨上の美貌は間近にあり、それに何だか良い匂いもするし……。それと。


「は、母親はいないのか? 挨拶をしないと……」


「何を言っておる。母は仕事じゃ。今はおらん」


 ……つまりお手伝いさんがいるとか言い出さなければ、今この家には俺と磨上しかいないって事じゃねぇか!


 俺はガクブルした。さ、誘い込まれた! これではここで俺が魔王に消されても誰にも分からないじゃないか! それと、えーっと、何というか、色々まずい。色々! 怖い! 助けてー!


 と思ったのは最初だけだったな。


 磨上は至極真面目に勉強を教えてくれて、これが実に分かり易くて上手かった。要点を絞って、実例や例題を用いて教えてくれるので実践的で、苦手な数学問題がスルスル解けるようになったものだ。


 しかしながら、同時に磨上は非常に熱心な先生であり、自分も集中していたけれど俺にも集中を強いた。三時間、一度も休憩を入れる(お茶のおかわりはティーポットから入れてくれたが)事なく勉強し続けたなんて俺は初めてだったよ。


 磨上一人の時でもこの集中力で勉強しているのなら、そりゃあ勉強が出来る訳だよ。慣れない俺はヘロヘロになった。大変だった。


「ふむ、今日はこんなもんじゃろう。筋は悪くないようだから、ちゃんと毎日勉強すれば良くなるぞ」


 褒めてもらえてありがたいけど、比較の対象が魔物じゃないことを祈るばかりだ。


 磨上は満足そうにお茶を飲んでいる。うむ、魔王のご機嫌が麗しい内に帰ろう。


「じゃ、じゃぁそろそろ、お暇を……」


「なんじゃ。何もせぬのか?」


 ギクっとなる。な、何って何ですかねぇ!


 あたふたする俺を尻目に、磨上は事更に身体を寄せてみせた。む、胸が、胸が俺の腕に! プニっとー!


 俺の頭はオーバーヒート寸前になる。な、なんだ! おのれ何を企んでいるこの魔王! この勇者たる俺を籠絡しようったってそうはいかないぞ! 俺は人類を護る勇者なんだからな! えーっと、そ、そんな色仕掛けには……!


「なんじゃ、其方、経験がないのか? 童貞か?」


 磨上が呆れたように直球の質問をくれた。ぎゃー!


「あ、当たり前だろう! 俺は高校生だぞ!」


「それはこの世界ではそうじゃろうが、異世界では十六、七歳なら普通に結婚しておろうが」


 ……確かに、それはその通りで、異世界に行くと俺は完全に結婚適齢期扱いなのだ。なので、何年か勇者として滞在すると、お見合いを普通に紹介される。というか、なんで結婚しないのか不思議がられる。


 それだけでなく、貴族の館に行き接待など受けると普通に女性が送り込まれる。泊まる部屋に女性が裸で待っているなど普通のことだった(丁重にお帰り願った)。


 他にも村を救うと、お礼代わりに村娘や若奥さんが提供されたり、助けてあげた少女が夜這いを掛けてきたりした。なんなら、仲間の美少女に誘惑されたことも一回二回ではない。


 ……が、俺はそういう話を全て断ってきた。断じて、一回も女性と夜を共にしたことはない。ええ。全く清い身体ですとも。


「男が純潔を守っていてもキモいだけで自慢にならんと思うがの」


「キモいって言うなー!」


 俺だって男だから、異世界で肉欲に溺れても良いんじゃないかと、勇者の役得なんだからという誘惑に駆られたことは何度もあるよ!


 だけど、どうにも踏ん切りが付かなかったのだ。だって俺は勇者だ。人類を救うために異世界から召喚された。


 勇者認定されると、俺は王国内部で最高レベルの扱いを受ける。貴族階級のトップである公爵なんかと同等の扱いを受けるのだ。


 それは俺が魔王を倒し得る唯一の存在だからだ。実際、転移者が持っている色んなスキルやレベルアップによって手に入れる事が出来る勇者の魔法やスキルがなければ、低レベルの魔王でも人類が倒すのは難しいだろう。


 その国王に匹敵するほどの敬意を払われている俺が。その立場を利用して女性を手に入れるなんて。それはなんというか、非常に卑劣な行為ではなかろうかと思うのだ。


 そりゃ、俺は偉いんだもの。任意の気に入った女性を誘えば、大体の女性は靡くと思う。身体を差し出すと思う。しかしその女性の本心はどうだろうか。多分、本当は嫌なんじゃないかと思うんだよ。


 そこまでして俺は女性と関係を持ちたいとも思わない。それに俺は魔王討伐が終われば帰還するのだ。俺が帰還してしまったら、女性は身体を差し出し損になってしまうだろう。


 そういう事を考えると、俺はどうも異世界の女性に手を出す気になれなかったのだ。


「なんじゃそれは。単にヘタレということではないのか?」


「ヘタレって言うなー!」


 内心自分でもそうじゃないかと思ってるんだよ! ちくしょう!


「そういうお前はどうなんだ!」


「我か? まぁ、魔族の中にはいい男もおったからの」


 ねっとりと艶っぽい表情で呟いた磨上を見て、俺はうぐっ! と生唾を飲み込んでしまう。魔物の中には人間に近い形態の奴らもいて(特に魔族と言う場合もある)、確かに中には腹が立つほどイケメンな奴も見た事がある。


 つまり磨上はそういうイケメン魔族と関係を持った事があるという事だろう。


「……その魔族はどうなったんだ?」


「ああ、魔族はどうしても上下関係にこだわる生き物じゃからの」


 磨上はそれ以上は言わなかったが、どうもそういう関係を持ったイケメン魔族は、磨上の上に立ちたがってしまい、磨上と戦って消されたという感じだ。お、恐ろしい。


 こいつは恋愛関係にあった相手を躊躇なく消せる相手なのだ。


「安心せよ。我も流石にこの世界では男と関係を持ったことはない。清い身体じゃ」


 磨上はニッと笑って俺の腕を抱きしめ、俺の頬に唇を寄せて来た。完全に誘惑する姿勢だ。ひ、ひえぇぇぇぇ!


「どうする? 試してみるか? 勇者よ?」


「え、遠慮します! 謹んでー!」


 俺は磨上の腕を振り解いて逃げ出した。玄関まで這って出て、靴を履いて玄関を飛び出る。ドアが閉まった所で磨上からの念話が届いた。


『ち、ヘタレ勇者め』


 ヘタレ結構! あんな恐ろしい魔王に手を出せるくらいなら、異世界でとっくに彼女作っとるわー!


 と心の中で叫びながら、怖くてエレベーターを待つ事が出来なかった俺は、二十二階分の階段を転がるようにして駆け降りたのだった。


 ◇◇◇


 磨上の奴はそれからも何度も俺を自分の家に招いた。もちろん勉強を教えるという立派な名目でだ。


 実際、磨上に教わるようになって俺の成績は結構向上した。まぁ、あんなに真剣に勉強させられれば当然かもしれないが、磨上の教え方が良いのも事実だろう。


「それにしても其方はクソ真面目じゃの」


 磨上はそう言って呆れていた。


「この美しい我と密着しているのに、よくも真面目に勉強出来るものじゃ」


 堂々と自分を美しいと言ってのけても嫌味に聞こえないのが凄い。ふん。俺の誘惑拒絶能力を舐めるなよ! お前の、そ、そんな胸なんて、いや、嘘、止めて! 俺の背中に擦り付けないで! 我慢出来なくなったらどうするんだ!


「だから我慢の必要など無いというのに」


 く、この悪魔め! じゃなくて魔王め! 勇者であるこの俺を堕落させようとしてもそうはいかんぞ!


 磨上はこんな感じで俺を毎回誘惑してくるのだ。困る。うっかり磨上が俺に気があるんじゃないかと誤解してしまうのが一番困る。


 誤解したが最後、磨上が冷たい目をして「勘違いするでない勇者よ」というのが目に見えるようだ。俺の事など遊び、いやそれ以前の問題で揶揄っているだけなのだろう。あるいは、勇者を誘惑して魔族にする魔王スキルがあるのかも知れん。


 とにかく、こんなスーパー美人魔王が俺に気があるなんてある訳ないのであるから、何か魂胆があるに決まっているのだ。勇者としてそんな裏が見え見えの誘惑に乗るわけにはいかない。


 しかしながらまぁ、結構辛い。本当に辛い。なにしろ広いとはいえ一室に二人きり。磨上はあからさまにベタベタしてくる。しかも表情は常に甘い笑顔だ。あの魔王スマイルとは違う人畜無害で人好きのする笑顔なのだ。あの美貌でそんな顔されたら、うっかり手が伸びそうになる。


 いかんいかん! 煩悩退散! 色即是空! というわけで、俺はあえて全ての感覚をシャットアウトして、目の前の勉強に集中したのだった。それは勉強の効率も上がろうというものだ。


 磨上の誘惑は勉強会だけに止まらなかった。


 俺と磨上は隣同士の席に座っている訳だけど、人気者の磨上はいつもクラスメイトのみんなに囲まれているから、いつもはそれほど接点はない。


 しかし、休み時間や下校時には、磨上は必ず俺を誘う「昼食を食べましょう、カズキ君」「一緒に帰りましょう、カズキ君」誰がカズキ君やねん。


 その度毎にクラス中が驚きに包まれるわけだ。それはクラスの容姿も成績も平凡な男子生徒である俺が、今や学校一の美人であり秀才であると認識されている磨上に誘われていたら、それは驚くだろうよ、俺だって違う立場なら驚く。


 ちょっと待て。こいつは俺を監視しているだけだ、魔力でインチキしないかどうかを見張るために側にいるだけなんだ。と言いたいのだがそんな事は一般人には言えないわな。


 校内を仲良く並んで歩いたり、同じ高校の生徒がゾロゾロ歩く通学路を一緒に帰り、色んな所に寄り道して食事を共にしているとこを見られたら、まぁ、誤解される。仕方がない。


 俺と磨上は今や学校全体が公認したカップルだった。誰もが俺と磨上は付き合っていると見做していた。ちょっと待って欲しい。俺の認識とは随分乖離があるのではないか。一度弁明の機会を頂きたい。


 ……磨上は魔王で、俺は勇者なのだから相入れない存在なんだから、カップルになんかなりようがないのだ。それに磨上は権謀術数に長けた魔王の中の魔王。奴の行動には慎重な計算と裏があるに違いないのだ。


 つまり磨上はクラスメイトや学校の奴らに誤解させることで何かを企んでいるに決まっているのだ。どんなに楽しそうに笑っていても、俺の腕を抱いて胸を押し付けてきても、時折俺に自分の食べかけをアーンしてきても、俺は騙されないんだぜ!


 ……ううう、なんかもう騙された方が楽なんだが。だって、磨上の恋人役をやっていると、クラスメイトや学校の奴らからの風当たりがきついんだよ。なにしろ磨上は人気者だから。


「あんなパッとしない浜路なんかが磨上さんとカップルになるなんておかしい!」「磨上さんは騙されている!」「何か弱みを握って脅しているのでは?」「まぁ、酷い! 女の敵ね!」いやいや、ちょっと待ってくれよ。


 誤解が誤解を呼んで俺の評判は大変な事になっているようだった。もちろん、磨上はニコニコ笑って噂を否定も肯定もしてくれない。


「噂など気にするな。我は気にせぬぞ」


 気にしろよ! しかし実際磨上の態度はあまりにも超然としていて、噂でもって彼女を揶揄う事が出来るような雰囲気でもない。そして何の問題も無いというように平然と俺を引き連れて歩くのだ。


 当たり前だが、磨上はモテる。そりゃあモテる。少なくとも家のクラスの男子は俺以外の全員が磨上推しだった。彼女がいる奴でも「それはそれとして」磨上を推していたからな。


 恐らくは家のクラスだけじゃない。この学校に三百人はいる計算である男子生徒は、おそらく全員が磨上推しであると思われる。それが不思議でも意外でも何でもないくらい、磨上の美貌とカリスマ性は圧倒的だったんだが。


 それほどモテまくる磨上なので、体育館裏に呼び出されて告白されるなどしょっちゅうであるらしい。下校の時は一緒に靴箱まで行くのだが、靴箱には毎日のように告白の手紙が入っているのを見るからな。


 磨上はほとんどの場合、呼び出しに応じて出向いてバッサリ断っているらしい。多分だが秀才女生徒モードで如才ない態度で断っているのだろうよ。魔王モードで断ったら死人が出かねないから。


 一度、家のクラスにまでやってきて、公衆の面前で告白劇をやらかす奴もいたんだが、磨上は「ごめんなさいね」の一言で葬り去っていた。結構イケメンで有名な先輩だとか、サッカー部の主将だとかが告白したとも聞いたが、磨上が靡いた様子はない。


 ……磨上がバッサバッサと男を振る度に俺の評判が酷い事になるんだよ。一般的評価では俺よりもずっと良い男である連中よりも、冴えない一般人である俺を磨上が選んでいるように見えるわけだからな。「何か裏事情があるのでは」と疑われるのだ。


 あるよ裏事情。俺は勇者で磨上は魔王で、俺は磨上に殺されたどころか存在を消滅させられそうになったというな。でも、そんな事はクラスメイトには言えんわな。


 結局俺はクラスの男子生徒に問い詰められても曖昧に笑って誤魔化すしかなく、女性とからの謂れ無き厳しい視線に気が付かないふりをするしかなかった。一体俺が何をした、俺にどうして欲しいのだ。あの魔王は!


 そんな感じで俺だけが割を食っていたある日の事。


 俺と磨上は例によって一緒に下校していた。もう二ヶ月以上も毎日のように一緒に帰っていれば、さすがに俺も慣れた。磨上が俺の腕を胸の中に埋めてももう動揺は、あんまりしない。いや嘘。毎回ドキドキする。


 と、突然俺たちの前に若い男が立った。? どうも同じ高校生だな。ちょっと着崩していて直ぐには分からなかったけど、同じ高校の生徒らしい。何の用だ?


「おう、ちょっと顔貸せや」


 見ると、俺と磨上の回りを五人の男が囲んでいる。俺は思わず索敵スキルを発動して周辺をチェックする。うん。この五人だけだな。この五人も特に脅威ではない「人間」だ。レベルまで分かる。1レベル。うん。ゴミだな。


 だが、この場で斬り捨てる訳にはいかない。いや、斬り捨てちゃダメだな。殴り倒すのも問題あるだろう。俺は仕方なくこいつらに同意した。誘導されるまま歩く。


「どうするの? カズキ君?」


 と磨上が身を寄せてくるけど、目は笑っているな。おいお前ら気を付けろ。俺の機嫌は兎も角魔王の機嫌を損ねると、この世界から消滅することになるぞ。


 俺たちは喫茶店みたいな店に導かれた。うーん。ここで仲良くお話、という訳では無かろうな。中に入ると更に十人くらいの柄の悪い連中がいた。うん。ダメだこれは。荒事は確定だな。


「おう、よく来たな! 磨上よう! この間はよくもやってくれたな!」


 中で椅子に座っていた、赤茶色の髪の男が立ち上がった。一応制服は着ている。身長百九十センチメートルに及ばんかという大男で、腕も足も太い。レベルは2。おお、凄い。この世界では滅多に戦いなど起こらないからレベルが上がることなどほとんど無いというのに、レベル2は凄い。ちなみに、格闘の選手で3か良くて4くらいだ。


 そしてめっちゃ怒っているな。感情ゲージが真っ赤。つまり敵対だもの。そしてその視線は俺じゃ無くて磨上に向いていた。……磨上がこの男を怒らせたという事だな。何をした?


『告白を断ったんじゃが、しつこいのでちょっと捻った』


 という事だった。それで逆恨みして磨上を締めてやろうとここに呼び寄せたというわけだな。十五人。最近の個人主義が行き届いた世の中でよく集めたもんだ。


「彼氏の前で痛めつけてやるぞ! 俺を舐めた事を後悔するんだな!」


 痛めつけた後はお楽しみという訳だろうね。魔物の中にもいるんだよ。人間を喰うだけでなく犯す奴。こいつらはあの魔物と同レベルだな。徒党を組んで襲ってくる所もそっくりだ。下卑た笑い顔も。


 魔物であれば倒すのは勇者の責務だな。心に何の後ろめたさもない。でも、この世界で殺人は犯罪だからなぁ。殺さない程度にやっつけるのは、このレベル差では逆に難易度が高い。


 俺がそんな事を悩んでいるとは知らず、男どもはゲラゲラ笑いながら俺と磨上に罵声を浴びせていた。俺も磨上も知らん顔で聞いていたんだけど、大男が叫んだあるセリフで磨上の顔色が変わった。


「男を見る目の無い奴だ! 俺よりそんな軟弱な男を選ぶなんてな! 自分を護れない男を選んだ事を後悔するんだな!」


 ブチッと、磨上がキレた。あ、不味い。


 何やら大男のセリフは磨上の逆鱗に触れてしまったらしい。磨上から真っ黒な魔力があふれ出す。や、止めろ! そんな濃い魔力に触れたら、低レベルの人間なんて消滅してしまうぞ!


 俺が思わず磨上の肩を抱くと、魔王様は俺の事を地獄の底に繋がるような目で見やった。


「勇者よ。我が許す。殺れ」


 殺れ、じゃねぇよ。殺したら俺だけが犯罪者になるだろうよ。


「案ずるな。我が世界を改変してこいつらの存在を無かった事にしてやる」


 や・め・ろ! ナチュラルに高レベル魔王の力を見せ付けるのは止めろ。そんな事をしたら俺の寝覚めが悪い。


「最期のお別れか? 熱いねおい!」


 なんて男どもははやし立てているけど、お前らの存在が危ないんだよ。分かってんのかおい。


 これ以上こいつらに好き勝手に言わしていると、いつ磨上の逆鱗にまた触れるやも知れない。仕方ない。


 俺は男たちに向き直った。大男やその仲間達は身構える。中にはなんか鉄パイプみたいのを構えている奴もいる。そんなものが俺に効くか。俺はフンと鼻で笑うと、スキルを発動させた。


『勇者覇気』


 パッと一瞬だけ金色の波動が広がり、男達を直撃した。それだけで男達は目を見開いて動かなくなる。このスキルは単なる威圧だけど、自分より低レベルの魔物の動きを封ずる効果がある。あまりにもレベルの低いこいつらに全力で覇気を放出したら、多分バラバラになっちゃうから加減したよ。


 動かなくなった男達に俺は近付いて、小指を向けた。そしてそーっと。


 デコピンを放った。最初に喰らわせた男は吹き飛んで壁に頭がめり込む。あ、これでも強過ぎるか。調節が難しいな、もう。


 続けて俺はそーっと、頭が消えてしまわないよう細心の注意を払って男達にデコピンを喰らわせていった。男達は動けぬまま次々と吹っ飛んだ。天井に頭をぶつけ、戸棚にめり込み、床にゴロゴロ転がって行く。


 それを動けなくなっている男達は信じられない、という顔で見ていたな。動けなくしたのは狙いが狂って殺してしまわないためだ。難しいんだよ調節が。相手が魔物の方がやっぱり簡単だなぁ。


 最後の一人、例の大男は俺を驚愕の目で見ながら動かぬ口をなんとか動かして呻いた。


「て、てめぇ、何者だ!」


「勇者だよ。言っとくが、磨上はもっと強いぞ。二度と俺たちに手を出すな」


 大男には少し、すこーしだけ強めにデコピンをくれてやった。テーブルを三つぐらい破壊して壁にめり込んでいたけど、死んでないから大丈夫だろう。


 一応、帰りがけに回復魔法を掛けたから、男達の怪我は治療された筈だ。痛みは残るんだけどね、回復魔法。全員失神していたからかお礼の言葉は無かったな。


 俺は磨上と一緒に喫茶店を出た。磨上は不満顔だ。俺は彼女の肩を叩いて宥める。


「其方は優しすぎるぞ。あのような者どもは世の役に立たぬのだから、消してしまえば良いのだ」


「俺は勇者だから、あんな馬鹿どもでも守るべき人類なんだよ」


 磨上はなおも不満そうだったが、肩を抱く俺の手を見て、ニッと笑って機嫌を直したようだった。


「ふむ。護られるというのは気分の良いものじゃな」


 まぁ、磨上くらい強ければ、護られる事なんて滅多に無い事なんだろうよ。今回だって俺がいなければ、あいつらを消滅させて世界を改変して色々無かった事に出来たんだろうからな。……そうしてみると、俺が護ったのは磨上じゃ無くてあの連中じゃね? とも思うのだが、磨上のご機嫌をわざわざ壊す必要はあるまい。


 磨上はニコニコしながら俺に抱き付いている。俺も磨上の肩を抱いたまま、なんだかホッとして笑顔になった。そのタイミングで。


 足下に金色の魔方陣がいきなり出現したのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 商売女に手を出さないのはヘタレかもしれないけど、接待に差し出された若奥さんとかに手を出さなかったのは偉い。 別れが辛くなるから恋人を作らなかったてのも分かる。 [気になる点] 魔王にとって…
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