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婚約破棄とか聖女とか悪役令嬢とかの短編

その公女、至極真面目につき〜デラム公女アリスタの婚約破棄ショー〜

作者: ルーシャオ

気分転換の婚約破棄ものです。

 突然ですが、私、デラム公女アリスタ・デラム・ヴィースィングには、婚約者がいます。


 婚約者の名はクラルスク公爵家嫡男ヴュルストというのですが、この方、女性を取っ替え引っ替えするのです。


 婚約者がいようと舞踏会や夜会へ友達と主張するどこかの令嬢に同伴しますし、パーティーやお茶会、旅行、そういった外出の機会があれば私でなく別の女性を連れていきます。毎回違う女性、それも十五歳から三十歳までの美女を伴っているものですから、その派手な女性遍歴は誰もが知るところです。


 私は嫌じゃないかって? いえ、もういつものこととなってしまっていて、私はすっかり呆れて放置しています。それをいいことに、あちこちの令嬢やご夫人、未亡人に唾をつけて、仲間内ではモテる男扱いだそうです。仲間って誰よ? と思いますが、次期公爵の取り巻きと思ってかまいません。


 とはいえ、私もこのままではちょっとなぁ、宗教的に婚前交渉は厳禁で本当によかったけれど、さすがに将来のことを考えると常識的にアレです。もし仮に私が将来クラルスク公爵夫人になったとして、絶対に非嫡出子が大勢出てくるに決まっています。一部は認知して実子扱いにしたり、養子にしたり、気に入った子どもを贔屓してヴュルストが色々と勝手に策動したり……そんな面倒が目に見えています。


 で、問題はそこからです。夫もまともに留めて置けない魅力のない女扱いされてはですね、私も堪忍袋の緒が切れるというものです。


 そういう未来が見通せているのなら、悪い方向には行かないように今、行動すべきです。ですよね?


 なので、ちょっと私、真面目が取り柄ですから、各所に真面目にお話をして、公女の身分で打てる手をすべて打っておきました。


 これは、そんな私が婚約破棄して、元婚約者ヴュルストとおさらばし——新しい人生を見つける小さな物語です。







 トレディエールの晩餐会。年に一度、三月の初めに開かれ、国王夫妻が貴族たちを集めて夕食を共にし、一夜を語り明かす。


 我が国ではこの晩餐会に招待されることが、一人前の貴族であると認められる証になっています。高位貴族の子女は当然一生涯に一度以上は晩餐会に参加し、中小貴族も優雅で広大な国立歌劇場を貸し切って行われる晩餐会に参加することを目指して、あの手この手で出世をするのです。


 開催年によって招待客数は異なりますが、選ばれた二百人前後の貴族たちは精一杯着飾って、家の名誉にかけて失礼のないように、多くの貴族たちの憧憬や尊敬を勝ち得るように過ごします。


 私も今年は招待され、婚約者であるヴュルストを誘って出席することになりました。


 ヴュルストもトレディエールの晩餐会ともなれば、断りはしません。出席の意向を確認してから、私は祖母から譲られた由緒正しいブラックドレスにアレンジを加え、目立たず淑女らしい格好を心がけます。


 私ももう十八歳です。いつ結婚してもいい年齢になりましたし、一つ年上のヴュルストは言わずもがなです。非公式ながらも舞踏会や夜会では既婚者として扱われる立場であり、男女の触れ合うダンスなどにかまけず堂々としていなければなりません。


 そう、堂々と。何が起きてもめげず、くじけず、やってのけなければならない。


 それが大人の貴族というものです。


 私はその精神を墨守し、貴族たらんとするデラム公女アリスタです。それ以外に能がないため、全うするしかないのです。


 国立歌劇場のロビーでは、多くの貴族たちが立ち話をしていました。待ち合わせ、旧友との再会を喜ぶ紳士淑女もいれば、最後の身だしなみの調整に追われるお目付け役が慌ただしくもしています。


 私もまた、ロビーの大階段のたもとで、親友であるルチアと再会しました。ピンクパールのような美しい艶の髪を上げ、粉銀を含んだ白粉の乗りに乗った肌、南海の浅瀬のごとき透き通るような水色の瞳。まったくもって美人に成長したルチアは、ペリドットをあしらったマーメイドドレスを着こなしていました。


 私を見るなり、ルチアは子どものころの陽気な顔に戻って、はしゃいでいました。


「久しぶり、アリスタ。顔を合わせるのは二年ぶりね」

「ええ、また会えて嬉しいわ、ルチア。お父上のお体の具合はどうかしら? 昨年怪我をなさったと聞いたけれど」

「もう大丈夫よ。まったく、年甲斐もなくポロではしゃいで落馬してお母様に叱られて……おかげで私は留学から帰ってすぐに領地経営の引き継ぎよ」

「ふふ、そう言いつつちゃんとこなしてしまうのだから、ルチアは本当、ゴダール公爵自慢の娘ね」

「あら、褒めたって何も出ないわよ?」

「まさか」


 そうなのです、ルチアは哲学者の都たる隣国へ留学に行くことが許されるほどの才女。手紙のやり取りは続けていましたが、何分にもルチアのゴダール公爵家は問題のある領地が多く、ルチアの実父である現ゴダール公爵は年中領地を巡って調停するほど多忙です。そのゴダール公爵が怪我をしたとなれば嫡男が普通は引き継ぐものですが、何せルチアのほうが才覚有り余っているものですから、あっさりとルチアが引き継いであちこちを飛び回っています。


 そのルチアとやっと会えて、私は安心しました——今日はルチアの助力なしにはどうにもならなかったから。


「ねえ、アリスタ。他に知り合いは?」

「今年はそうね、半分くらいは見知った顔かしら。王太子夫妻に、テレーズ王女、セルヴァ王子……あとは各地の大公の後継ぎたちね。新興貴族も多そうだわ」


 晩餐会の招待客リストは直前まで明かされません。親交のある貴族同士であれば直接確認し合えますが、そうでなければ沈黙を貫くことが慣習です。それにしたって、今回は名だたる名家や王家が勢揃いです。会場となるオペラハウスフロアが開けば、王家を筆頭に序列順で入場しますから、何となくロビーでの貴族たちの位置もそれに合わせた形になっています。


 そんな中を、燕尾服に身を包んだターゲット……もとい、私の婚約者であるクラルスク公爵家嫡男ヴュルストがやってきます。


 あろうことか、純白のレースをふんだんに使ったドレスを着た、見知らぬ令嬢を連れて。


「アリスタ、ひょっとしてあれ、あなたの婚約者?」


 ルチアは信じられない、と眉をひそめています。その気持ちは分かりますが、私は無言で頷くだけです。


 さてさて、さあ! 役者は揃いました。やるべきことをやるまでです。


 私はルチアへ一言。


「ルチア、打ち合わせどおりに」

「任せて」


 ルチアはサッと姿を消し、どこかに行ってしまいました。


 私はロビーと、まだ扉が閉まったままのオペラハウスフロア入り口の境に立って、堂々と歩いてくる婚約者を出迎えます。


「ヴュルスト」


 その呼びかけは、最後に残った彼の良心へと響くように、という願いを込めていました。


 もしかすると、久々に会って心を入れ替えてくれるかもしれない。私は美人ではないけれど、無視されるほどの醜女でもないと思って、懸命に化粧をしてきた。ブラックドレスは淑女を淑女たらしめ、燕尾服は紳士を紳士たらしめるという言葉のとおり、ここで建設的な話し合いができるかもしれないと思ってしまっていた。


 でも、ヴュルストの目を見て、私は分かりました。


 彼が私を見る目は、そこいらのものを見る目と変わりません。


 婚約者に対する感情はおろか、私に興味はなさそうで、好悪さえも感じ取れません。直接会ったのはいつ以来かしら、久しぶり、という言葉さえ期待できないでしょう。だって、彼は私に会わなかったのではなく、私の存在を意識さえしていなかったのだから。


 ——ああ、彼にとって、私は感情を示す価値さえないものだったのね。


 どこか寂しく、どこか吹っ切れた私は、背筋を正しました。


 そんなことなど露知らず、ヴュルストはやってきます。飛んで火に入る何とやら、勝手気ままに社交界を飛び回っていた蝶も、これでおしまいです。


 好青年の顔をした、遊び人ヴュルスト。彼はわざとらしく、私に話しかけます。


「ああ、アリスタか。先に入っているならそう言ってくれ」

「ごめんなさいね。今年は友人知人が多くいたものだから、挨拶回りをしていたの。それより」


 遅れた謝罪もなく、文句を言い、得意げな顔のヴュルストから視線を逸らし、私は同伴している栗色の髪の令嬢へ目で問います。「あなたは誰?」と。


 すぐにその令嬢は察して、ゆっくりとカーツィの姿勢を取ります。


「初めまして。ザラ侯爵家のアンジェリカと申しますわ」

「ええ、初めまして」


 うーん、ザラ侯爵家は聞いたことがあっても、アンジェリカという名には聞き覚えがありません。貴族学校、宮廷、サロン、親戚筋まで思い返してみましたが、私たちはやはり「初めまして」で正しいようです。


 ヴュルストはにこやかに、こう言いました。


「どうせ伝えておかないといけなかったし、ここでもいいか。アリスタ」

「何かしら?」


 私はヴュルストのように器用ではありません。今笑顔を作ることもできず、怒ることもできず、自分に理不尽へ抵抗する力がないことは分かりきっています。


 それを、ヴュルストは見越しているのでしょう。


「俺たちの婚約は、解消してくれないか? 今なら穏便に済ませるが」


 わざとらしく、一際大きな声でそれを言うかしら。周囲の人々はざわつき、口を手で押さえて驚いています。


 私は婚約者という身分であるがゆえに、義務として抗弁します。


「どういうことかしら? 穏便に、などと言うなんて、物騒な方法にも出ると言っているようなものよ?」

「ああ、その理解でかまわない。先日、クラルスク公爵家の家督を継ぐ日が決まってな。結婚式の日取りを決めなくてはならないんだ。そこで、アンジェリカと結婚するよう進めている」


 そのアンジェリカは、浮ついた気持ちが抑えきれないとばかりに、ヴュルストに加勢します。


「ヴュルストったら、花嫁にふさわしいウエディングドレスを決めてあるのですって。それが私にぴったりでしたの。もう嬉しくて嬉しくって」

「あら、そう」

「どうかな? アリスタ、俺が君と公的な場で並んで歩いたのは何年前だったか、憶えているか?」

「五年前ですわ」

「そう、五年も音沙汰がなく、関係が良好ではない相手と結婚はできないだろう? すでにクラルスク公爵名義でデラム大公へ婚約の解消についての手紙を送っておいた。君が晩餐会から帰るころには、デラム大公も同意してくれていると思うんだが?」


 自信満々のヴュルストは、すでにお前を追い詰めているのだ、降参しろ、と言いたいようです。


 婚約者を取られた女としていちいち悔しがって、茶番に付き合うつもりはありません。私は淡々と、事実を確認します。


「ヴュルスト、一つ質問していいかしら?」

「何だ?」

「あなたはこの晩餐会に招待されたの?」


 私はハンドバッグから手紙を取り出し、見せつけます。


 トレディエールの晩餐会の招待状は、真紅の封筒に金のインクで宛名が書かれている。大昔からの伝統であり、誰もが知っています。私の名が書かれた真紅の封筒を見せびらかしつつ、私は気まずそうなヴュルストとアンジェリカへ事実確認を続けます。


「招待されていないのに、やってきたの?」

「いや、それは」

「私は正式な招待客よ。ほら、真紅の招待状。ねえ、あなたは私の同伴者だったはずだけれど、おかしいわね? 私は二人も同伴者がいるだなんて連絡は受けていないのに、困ったわ」

「ふ、ふん、君が婚約解消を受け入れてくれるなら、このまま帰るさ。さあ、どうする?」


 つまりは、こういうことです。


 招待されていないヴュルストは私の婚約者として、晩餐会への出席する権利を得ていた。だからここにいられる、しかし婚約者でなくなればその権利は消失し、帰るしかない。都合よくこのまま晩餐会に参加するつもりはなかっただろうに、ちゃんと燕尾服とドレス姿であるのは私への当てつけなのか、それとも泣き帰る私の招待状を奪って出席する気だったのか。


 まあ、そんなことはもうどうでもいいのです。


 私は、すべてが上手くいったことに神へ感謝し、ルチアの手配が終わっていることを信じて、高らかに宣言します。



「皆様、ショータイムでございます!」



 自分でもこんなに舞台俳優のような遠くまで聞こえる声を出せるなんて、思ってもみませんでした。吹っ切れたせいでしょうか。


 周囲の人々の驚きは興味関心へと変わり、「何が始まるんだ?」「前座のイベントか?」と喜色が露わになっています。それはそうでしょう、婚約破棄などという辛気臭いイベントは誰も望んでいませんからね。


 ヴュルストとアンジェリカは何事かと呆気に取られ、ただ混乱しています。


「え?」

「は?」


 パチン! と私は指を鳴らし、ルチアへ合図を送ります。


 すると、ロビーの照明は落ち、スポットライトが私とヴュルストたちへ二つ照らされました。


 眩しい中、私は——暗記した台本どおりに、『ショー』の進行を開始します。


「ヴュルスト、私、考えたの。いかにこの馬鹿げたあなたとの婚約者だった日々を、真面目に皆様方を楽しませるエンターテインメントにできるか、って」


 ——理解できないという顔をしているわね、でも理解しなくていいの。虚を衝かれたあなたたち二人が、逃げ出さなければそれでいいから。


 私はもう一度指を鳴らし、新たなスポットライトの先におわすこの晩餐会の主催者、国王陛下夫妻、ならびに王太子殿下夫妻、テレーズ王女、セルヴァ王子たちへと精一杯明朗に語りかけます。


「国王陛下、いかがお思いですか?」


 白いお髭を蓄えた国王陛下は——王族の方々はホールによく響く声を出す訓練を受けているので、とても大きく響く声で——こうおっしゃいました。


「うーむ、アリスタには同情せざるをえぬなぁ。その程度で浮き名を流していると勘違いしている男など、まったくもって失笑ものだ」

「へ!?」

「あら、これは初手から手荒い歓迎ですわ。ではテレーズ王女」


 間抜け面のヴュルストへの嘲笑が聞こえる中、見事な縦ロールの金髪と紫のドレスを着たテレーズ王女が、孔雀羽根の扇子をヴュルストへと突きつけ、こう宣告します。


「不合格。ヴュルスト・クラルスク、私の従姉妹(アリスタ)の夫になるつもりなら、その落ち着きのない下半身をまずどうにかすべきだったわね」


 クスクス……どこからともなく湧き上がる笑い、それは次第に大きくなっていきます。


 ヴュルストが赤面したところで、もうショーは止まりません。


 テレーズ王女はさらに追い撃ちをかけます。


「そしてアンジェリカ・ザラ。あなた、ザラ侯爵家の末娘とうかがっていますけれど」

「は、はい、そうですわ。王女殿下が私ごときをご存じだなんて」


 ——あら、知っていたのね、テレーズ。


 でも、それは助け舟でも何でもない。アンジェリカは助かると思っていたのかもしれないけれど、テレーズはピシャリと突き放します。


「勘違いしないでちょうだい。勘違い男に勘違い女、まったく度し難い。だいたい、ザラ侯爵の好色ぶりくらい耳タコよ。あなた、母君はどこのご令嬢だったの?」


 たったそれだけの言葉が、アンジェリカのタブーに触れたのでしょう。アンジェリカは顔を真っ赤にして、テレーズ王女を睨みつけました。テレーズはどこ吹く風で、せせら笑います。


「はい、不合格。言えるはずないわよね、私の母はザラ侯爵のお手つきメイドです、だなんて」


 テレーズ王女の手厳しさは、この国では誰もが知るところです。的確に他人の言われたくないことを言ってしまえる能力と特権を兼ね備えた、我が国随一の口喧嘩巧者なのですから。


 とはいえ、テレーズ王女は手加減し、それ以上は追及しません。私はすかさず、次のセルヴァ王子へ話を振ります。十五歳のあどけない顔をしているセルヴァ王子、とても評判の良い——悪童です。


「さて、まだまだ行ってみましょう。次はセルヴァ王子」

「正直な感想を言っていい?」

「どうぞ」

「浮気性の人間はほら、理性が性欲に負けているわけだから、そもそも我が国の責任ある高位貴族としてふさわしくないのでは?」

「ごもっともな意見ですが、これは各所の紳士淑女もチクリと良心が痛んだりしているでしょうね」

「はっはっは! この程度で良心が痛むなら、そもそも浮気も不倫もできないと思うな、僕ぁ!」

「王子、お隣の王太子殿下(兄君)が青い顔をなさっていますよ?」

「本当? まさか兄上、浮気を!?」

「するか、馬鹿! いつもいつも、お前とテレーズのその歯に衣着せぬ物言いに頭が痛いんだ!」


 王太子殿下、おいたわしや。そんな声が笑いとともにロビー中から聞こえてきます。


 私が指示したわけでもないのにアドリブのコントを挟んでくださった王家の方々に感謝しつつ、私はヴュルストへ止めを刺すことにしました。


 再度、指を鳴らします。王家の方々のスポットライトは消え、ロビーの入り口に一つ、スポットライトが点ります。


 そこに誰がいるか、気付いてしまった周囲の貴族たちは、皆慌てて最敬礼を示していきます。まるで波がロビー中に広まっていくかのように——ヴュルストとアンジェリカでさえも——人々はしっかりと()()へ敬意を表すのです。


「さて、本日はスペシャルゲストをお呼びしておりますわ。皆様ご存じ、聖教会の誇る至聖女教皇ミリアム聖下です」


 コツン、コツン、と鋭くヒールの音を鳴らして、金の教皇衣をまとった亜麻色の髪の若き聖女はやってきます。我が国の宗教権威の頂点に立つ彼女は、本来ならば俗世にそう関わることはありませんが……頭を下げたヴュルストとアンジェリカの傍を通り過ぎ、私の隣へやってきたアルカイックスマイルの聖女ミリアムへ、私は質問を投げかけました。


「聖下、私は婚約解消を迫られておりますが、聖下はどのようにお考えでしょう?」

「そうですわね、まず教義的に解釈すれば結婚とは契約であり、神の前にともに歩む誓いを立てるものです」

「ふむふむ」

「それができないのであれば、婚約をなかったことにしたいと主張する側が誓いを立てる務めを放棄したことになり、それは解消ではなく婚約破棄、と表現すべきです」

「つまり?」

「ヴュルスト・クラルスクは、その婚約を破棄され、その責任を取るべき側にある、ということが我々の認識でございますわ。我が信徒アリスタよ」


 ニッコリと聖女の笑顔はスポットライトよりも眩しく、人々の心に深く刻まれたことでしょう。


 私は婚約破棄を言い出されるだろう、もしくは言い出さずとも似たような話題が出るだろうと考え、聖女ミリアムを晩餐会に呼び出していました。もちろん、国王陛下の許可をいただいた上で、宗教的にとても大事なイベントとなりうるのだと強く訴えた結果のことです。貴族間の婚約破棄が常態化すれば、婚約という重要な契約を保証してきた聖教会としても信用性が崩れ、宗教権威のイメージにヒビが入ってしまいますので看過できない問題になるわけです。だから、聖教会トップである聖女ミリアムがわざわざ出てきてくれたのです。トレディエールの晩餐会で宗教見解を示せば、我が国上層部で広く共有される、という打算もあってのことでしょうが、利害が一致したのでした。


 私は司会として、このショーのまとめに入ります。


「だそうですが、いかがかしら、ヴュルスト。それと、私からヴュルストを横取りしたアンジェリカ嬢」


 頭を下げたまま、二人は動きません。いえ、身震いはしていますね。どんな感情で、その震えは来ているのか、それは聞かずとも問題ありません。


「こほん。改めまして、私、アリスタ・デラムはここに宣言いたしましょう。ヴュルスト」


 ——私はこの問いの返事だけもらえれば、それでいいのです。


「婚約破棄、ということでよろしいのね?」


 追い詰められたヴュルストが「……はい」と答えるまで、幾筋ものスポットライトが無情にも彼を照らし続けたのでした。









 トレディエールの晩餐会は、今年も無事終わりました。


 午前二時、劇場裏の王族専用控え室に呼ばれた私とルチアは、大変上機嫌のセルヴァ王子に出迎えられて絶賛されていました。


「いやあ、ここ最近で一番面白い出し物だったよ!」

「笑い事じゃないでしょう、セルヴァ王子! もう、アリスタの気持ちを考えてくださいな」

「おっと、すまない」


 そう言って、ルチアは怒ってくれました。私の——馬鹿みたいなショーで誤魔化した気持ちを分かってくれているのでしょう。


 結局のところ、私は一度も、浮気性な婚約者(ヴュルスト)を振り返らせることができなかった女です。その負い目をずっと心の奥底に溜め込んで、見返してやると励むわけでもなく、何とかしようと努力したわけでもなく、ただ真面目に貴族令嬢らしく生きてきただけです。


 婚約さえなければ、勝手に自然消滅していたような仲でした。恋仲ということさえ烏滸(おこ)がましい、彼と夫婦になるのだと思っていたのは私だけ。どう足掻いても、私には彼との縁がなかった。ならばさっさと諦めればいいのに、それさえもしなかったのです。


 我がことながら、実に未練がましい。私のブラックドレスは、結ばれることもなく喪服を決め込んだかのよう。


 ——いけない、いけない。


 私は首を振って、暗い考えを吹き飛ばそうとします。


「これでよかったのでしょうね。はあ、男運が悪いとはこのこと。お父様は今ごろ、クラルスク公爵家に損害賠償を請求してお忙しいでしょうし……どこかへいいひとを見つけに行きましょうか」


 そんなふうに気分転換を考えていたところに、国王陛下がやってきました。


「おお、ご苦労だったな、アリスタ、ルチア」

「国王陛下」


 私とルチアはサッと身を翻し、お辞儀をします。非公式な場ですから、カーツィはやりすぎなのです。


 セルヴァ王子はそんなことをまったく気にもせず、話を進めてしまいます。


「どうかしたのかい、父上」

「いや何、こたびの一部始終、見事な差配であったからな」

「またそういうほら、僕と同じアリスタの気持ちを考えないことを」

「ええい、そうではないわ!」


 国王陛下とセルヴァ王子のやり取りに、私とルチアは、ふふ、と思わず微笑んでしまいました。


 コメディチックな雰囲気を振り払うように咳払いをして、国王陛下は私へお褒めのお言葉をくださいました。


「アリスタ、そなたの真面目さはよく知っておる。加えて、今回のように落ち込むだけでなく逆襲を果たし、何の後腐れもなくことを収束させた手腕、なかなかのものだ」

「お褒めいただき光栄にございますわ。でも、こんなことはもうやりたくはございませんわ」

「うむ。そこでだ」


 国王陛下はちょいちょいとセルヴァ王子を呼び寄せ、尋ねます。


「セルヴァ、アリスタの婚約者に立候補するか?」


 それを聞いたルチアが「あらま」とほくそ笑んで喜び、肘で私の脇腹を小突いてきます。


 まさかの王子との婚約話、私が国王陛下へ返事をするよりも先に、セルヴァ王子が軽口で応じます。


「僕が? 冗談はよしてくれ、僕なんかがアリスタに釣り合うと?」

「お前は確かに不出来だが、イタズラやら策略にかけては天性のものがある。あと他人をからかう才能もある」

「それは褒めているのかなー」

「そこでだ、アリスタを見習い、支えることでこの先必要なものを学べ」


 なるほど、国王陛下のお心積りはそこにあったようです。セルヴァ王子は第二王子として王位を無視して天真爛漫に育ちましたが、それゆえに少々王侯貴族のしきたりに疎いところがあります。婚約を理由に、年上で子女教育を受けている真面目な私をセルヴァ王子の教育役兼お目付け役にしよう、ということですね。


 ルチアなどは、ふむ、と少し考え込んだ挙句、国王陛下の意見に同意したのです。


「いいのではありませんこと? 真面目なアリスタと、いたずらっ子なセルヴァ王子、意外といい関係を築けるのでは?」


 これには国王陛下もご満悦です。


「才女ルチアの太鼓判だ。いいな、二人とも。とりあえず、結婚を前提に付き合ってみなさい」


 はっはっは、と高笑いをして、国王陛下は控え室から去っていきました。


 どうやら、そういうことが決まり——私とセルヴァ王子は顔を見合わせて、何となく気恥ずかしくなって、互いに目を逸らしました。


「よろしい、かしら……セルヴァ王子殿下」

「ああうん、そうだね、まあ、呼び捨てでいいよ。それよりも」


 あろうことか、セルヴァ王子は私の目の前にやってきて、片膝を床に突き、私の両手を取って見上げてきたのです。


 女性であれば誰もが憧れるプロポーズの姿勢に、見上げてくる藍色の瞳は真剣そのものです。突然のことに固まった私へ、セルヴァ王子は宣言します。


「僕ぁ、ヴュルストのように女性の尻を追いかけることはしない。イタズラ程度なら毎日二十個くらいは考える悪童だが、女性に対しては誠実かつ礼儀正しく対応するよう教え込まれていてね。これでも王子だ、みっともないことはしないと約束する」


 私は、うろたえたくなる心をどうにか抑え、言いたいことをいくつか呑み込んで、それから深呼吸をして……何とか平静を保ちつつ、頭を垂れました。


「では、お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますわ」


 こうして、私は婚約破棄をした直後に、新たな婚約を結ぶことになりました。


 いいのでしょうか? でも、とりあえず、と国王陛下もおっしゃっていましたから、とりあえず、です。


 それに、立ち上がったセルヴァ王子は茶目っ気たっぷりに、こんな素敵な提案をしてくれたのですから。


「うん、さっそくだが、これからヴュルストをさらに追い詰めないか? 色々やりたいことが思い浮かんでね、ちょうどいい標的ができたからさ、ほら」


 どうやら、セルヴァ王子の悪童の本性が疼いてしまっているようです。


 もちろん、断る理由はありません。


「ええ、よろしくってよ。まずは作戦会議と行きましょう、急いてはことを仕損じます」

「よし、今日は一旦帰って、一休みしてから王宮へ来てくれ。楽しみだな!」


 至極楽しそうに、セルヴァ王子は帰っていきました。


 さて、私たちも帰らなくては。ルチアとともに国立歌劇場の外まで歩いていく間、こんな話をしました。


「あなたとセルヴァ王子、まるで一緒に遊ぶ約束を楽しみにしている子どもたちね」


 ちょっと愉快そうなルチアには、そう見えていたようです。私とセルヴァ王子は婚約者というよりも、友達のような感じでしょうか。


「でも、私はそんなこと今までしたことないもの」

「そうね。なら、童心に帰って楽しみなさい、アリスタ」


 私たちは笑い合って、帰路に就きます。







 その後、私とセルヴァ王子によるヴュルストに対する計略の数々が何を引き起こしたかは——のちのち新聞を読んでもらうと分かりやすいかもしれませんね。当然、極上のエンターテインメントを国中に提供することになりました。




 おしまい。

※ヴュルストですが、名前の綴りがWüerstで、独語でソーセージの綴りがwurstです。読み方もヴュルストとヴルストです(真剣)

※追記:べ、別に下ネタじゃないんだからね!!!!!


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― 新着の感想 ―
[一言] 脳みそソーセージ男の末路がどうなってしまったのだろうw そもそも不法侵入で捕えられてそうでもありますが。 あ、王太子殿下の愛用胃薬と新聞、どこに売ってるんでしょうかね……?
[一言] 色んな意味でバカップルご臨終ですね(ナムナム)
[一言] 新聞は何処で買えますか?
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