知的生命体のうち、宇宙に出て希望を持てるのは人間だけらしい?
子供の頃、こんな話を聞いたのをふと思い出しました。
『猿を始めとした地球上の知的生命体をスペースシャトルに乗せて宇宙に連れて行くと、例外なく発狂して死んでしまう。
それは大気圏脱出の為の高Gに始まり、無重力体験、更に窓の外に広がる無限の宇宙と未知なるものに触れ続けて恐怖で頭がおかしくなるからだ。
しかし人間だけは違う。
人間はそうした未知なるものに対して希望と可能性を見出せる唯一の生物なのだ』
人の持つ想像力は無限大で、新しい発見を求めて冒険が出来る。
だから人類はここまで発達出来たんだ。
なるほど、人間すげぇな!
と子供心に思ったものです。
だけど大人になった今、改めて考えるとこれは本当なのだろうかと思う訳です。
例えば知的生命体を宇宙に連れて行ったら死んでしまったのは事実で、人類で宇宙に行って発狂していないのも事実でしょう。
だけどそこから「だから人類だけ特別なんだ」となるでしょうか。
知的生命体、代表して猿にしておきますが、猿の立場で考えてみましょう。
長年檻というなの個室で引きこもり生活を余儀なくされていたところ、急に知らない人達が現れて自分を強制的に何処かに拉致されます。
シャトルのなかで暴れられても困るのできっとシートベルトなどで拘束されていることでしょう。
これから何が起きるかも分からないまま突然爆音と全身に掛かる重み。それは目に見えない何者かからの攻撃かもしれない。
それに何とか耐えられたと思った次の瞬間には無重力という名のまたもや目に見えない力で上手く動けなくされてしまう。
そして自分を連れてきた人間が、いやなにか白いごつい2足歩行の化物が窓の外を見せるんです。
(あ、ここはもう自分の生きていた世界ではないんだ。もう帰れないんだ)
そう悟らせられるには十分過ぎる光景でしょう。
これで正気を保て、希望や可能性に期待しろっていう方が無理じゃないでしょうか。
対してその時、人類はどうかと言えば。
まず一番の違いは自分たちの意思で宇宙に行こうとしているんです。
事前にどう言う事が起きるかの説明も受けていればその為の訓練もしています。
そして成功すれば無事に帰って来れるし帰った後は世界から称賛されることもほぼ確実です。
つまり、人類は宇宙空間で希望を持ったわけではないんです。
宇宙に行く前に希望を携えていたんです。
そうじゃなかったら誰が「地獄行きの片道切符だけど良い?」って聞かれて頷くものですか。
続いて折角なので異世界ファンタジーだったらどうかも考えてみましょうか。
ラノベにありがちな異世界転移も考えてみましょう。
あなたはある日突然、足元に魔法陣が光ったかと思ったら見知らぬ大草原に立っていました。
どうやってここに来たのか、帰る方法はあるのかも分かりません。
もちろん神様による説明なんてありません。
当然チート能力もある訳がない。
ガサリと近くの草が動いたかと思えば顔を出したのは中型犬サイズの生き物。
それが紫の煙を吐きながら襲い掛かってきます。
命からがら逃げきったかと思えば、目の前には緑色の川が流れていて見るからに飲めそうもありません。
その川の対岸にようやく原住民と思われる人達を見つけます。
何とか助けてもらおうとしたけど当然言葉が通じるはずもなく、何事かを話し合っていた彼らはおもむろに銃を、それもSFに出てきそうなハイテクな銃をこちらに向けて撃ってきました。
どうやら知識系チートも原住民の足元にも及ばないようです。
そこから何とか命からがら逃げきれたとして。
この状況で希望を持っていられる人はどれだけ居るでしょうね。
もちろん物語のようにこの後でお助けキャラと出会うなんてことはありません。
水も食料も手に入らないので餓死するのが先か、魔物や原住民に襲われて彼らの胃袋に納まるのが先か。
夜行性の魔物も居るのを考えれば呑気に寝ることすら出来ません。
その状況で、
「さあ待ってました。待望の異世界ですよ!」
……なんて、ならないですよねぇ。
結局チートなりなんなりで生きていける事が保障されていて初めて希望を持てるのです。
だからどちらにしろ、人類だから凄い!特別!っていうのは違うんでしょう。
ただ。
それとは別に自分は特別で何か使命を持ってこの世に生まれたんだと考えられるのが人類です。
逆に自分の生きる意味なんてないって自殺するのも人類ですけど。
その点だけはもしかしたら他の知的生命体には無いことかもしれませんね。
これを書いた後でWikiなどで調べてみたところ、実際にはちゃんと生還できている動物も数多くいたようです。
(なら私の聞いた話はなんだったのか、という問題は残りますが)