エルフの郷
「長兄様。全て順調に進んでます。今日の出し物もお楽しみいただけるかと」
「それで、何か見つかったのか?」
「ええ。もう、目星はついております」
「目星か」
二十年近く前、『何もない森』に墜落した巨大都市であるエルフの郷。
いくつかある闘技場の中でも、二番目に大きい円形闘技場で森の魔女とエルフによる戦闘が繰り広げられている。「長兄様」と呼んだのは猫背で気味悪く皆に嫌われているエルフの男だ。
「いえいえ、イヒ。すいません。情報を整理すると、ほぼ確実であろうと結論に至りました。そこは『赤の森』と呼ばれている場所でして。鮮血の魔女、赤髪の魔女、獣の森、獣人の森という話があります。こちらを――」
長兄は差し出された報告書を、闘技場に向けた顔を動かさず受け取った。視線だけを少し下げて報告書に目を通すと、
「赤の森か。たしかにあいつと一致するな」
「ええ。確信致しましたのは、やはり目撃情報ですな。森の魔女でありながら美しく、会話を交わした者も多いとのこと。子供のような容姿であったり、少し成長した姿であったりと。許可されますか?」
下の会場では、魔女がエルフの戦士をすでに三人殺していた。
エルフの郷にある三つの騎士団の中から一人ずつが順番に舞台へと乱入する形式が流行っており、今は四人目の青年が剣と盾を持ち飛び降りた。
「弱いな」
「あれで下位といったところでしょうか。本来は森でこそ力を発揮する森の魔女ですから。まだまだあんなものじゃないですよ。イヒヒ」
長兄が猫背を見下すように見ると、すぐに闘技場へと視線を戻した。
「エルフの戦士だ。私が弱いと言ったのは。あの程度の魔女にあっさりと殺されおって」
「そう仰らずに。あいつらは新生児です。紫の魔女プルプラの腕を回収してから生まれるようになった奴らですよ。我らがエルフとはまだ別格ですので、どうぞご容赦を。あ、ほら、四人目はシルヴェール団長が稽古をつけた内の一人ではありませんか。期待できますよ、きっと」
長兄は闘技場の様子をみて鼻で笑った。
一人目の戦士は、魔女が投げた小石で頭が吹き飛んだ。一回目、二回目と弱い小石に油断したのだろう。三回目は本来の威力を発揮し、破裂音と共に頭が消え飛んだ。
二人目の戦士は、魔女の見た目に惑わされて死んだ。細くみすぼらしい老婆。簡単に折れそうな手足だとばかりに舐めてかかっていた。小石の攻撃を避け、魔女に近づくと槍を腹に突き刺した。「グエ」と苦しんだ魔女の演技に安堵したのだ。魔女は槍が刺さったまま笑い出すと、両手で槍を伝いエルフの戦士にあっという間に近づく。両手でパンとエルフの頭を叩き潰した。
三人目の戦士は、小石を避け、魔女との接近戦を避けて風魔法と弓矢で応戦した。魔女の命を削り持久戦にもちこもうとしたが、獣のように走る魔女に追いかけられる無様な様子となった。会場がどよめきたったのは、魔女が使った魔法にある。それには長兄も少しだけ驚いた。
雷の魔法。
シンプルな雷撃だったが、エルフの中でもその魔法を扱える者は限られている。最強の一人として謳われる長兄も雷魔法の使い手だ。故に魔女の使った雷魔法に驚いていた。
「あれはどうやって生まれたんだ?」
「イヒヒ。偶然です。まさか、あのような魔女が生まれるとは思いもしませんでした。ですが、問題がありまして…。何せ雷の魔法を使うもんでして。早いうちに処分しなくてはいけないと考えました。状態こそ弱いですが、今日は二十、三十の戦士が死ぬかもしれませんね」
「質の悪い新生児はともかく、育った者を失うのはあまりいい気がしないな。そうだな…」
長兄が考え事をしている間、猫背は観客らしく腕を動かし応援している。だが、その様子は明らかにエルフ側ではなく魔女の応援だった。横にいたはずの長兄が飛び降りる瞬間まで気づかない程夢中になっていた。
闘技場は突然の参加者に驚き、今までになく湧いた。
長兄が戦闘に参加する機会など滅多にみれないからだ。
「グィヒ」
長兄は舞台に降り立つと、魔女の投げた小石を小さな雷で撃ち落とした。その様子に警戒した魔女がゆらりゆらりと様子を伺う。その間に彼は大きな声で皆に話しかけた。
「皆の者、よく聞け。私は外の世界にある『赤の森』という場所に興味を持っている。今、ここにいる貧弱な魔女と違い、そこには本物の魔女がいる。私が考えるには、第二騎士団副団長イーゼルの剣を素手で握りつぶし、我らが――」
話している最中でも魔女が青年を雷の魔法で殺そうとしたが、失敗してしまった。長兄が出した雷撃に合流しそのまま逸れてしまったのだ。長兄が魔女に近づきながら話を続けた。
「今日はこの魔女を倒した騎士団にある権利を与えようと思う」
闘技場で観客として観戦していた二人のエルフが神妙な面持ちで顔を見合わせた。金色の短い髪で青い瞳の男、現第二騎士団団長のシルヴェール。そして彼の腕を抱きしめる赤い髪の女、シエナ。二人は長兄の演説を聞きながら小さな声で話した。
「この流れだと、どこかの騎士団が彼女の所にいくことになりそうね。シル? 貴方が立候補したらどう?」
「それはどうかな。僕は次兄様のことがあるから。仮にそうなったとしても、副団長のイーゼルを派遣するだけで僕はここ、エルフの郷に残るよ」
「そっか。どうしようかしら。あの筋肉馬鹿に指揮をとらせたら何がおきるかわからないわね。かといって、そうなると彼らのやりたいほうだいになるかも」
シルヴェールは舞台にいる長兄を、シエナは観客席にいる猫背を見つめる。丁度、会場が大盛り上がりとなりそのまま二人の会話は終わった。
「――、さぁ、この魔女を殺して見せよ。その騎士団には外の世界に出る任務を与えよう」
長兄は演説を終えると、魔女の首を掴んだ。
魔女は彼の腕を握り暴れたが敵わないと悟り、全身に雷を纏い彼に流した。しかし、長兄はものともせず鼻で笑うと魔女を叩きつけ、がっかりした様子でそのまま席へと戻った。一番近いところで見ていた青年は呆気に取られている。
「ははははは! よし。俺が行こう! 赤い髪の魔女だと! この俺の剣を破壊したあの麗しき美…憎き魔女め。長年、夢見た彼女に再会できるとはさらに興奮して眠れなくなるではないかっ! はははは」
シルヴェールとシエナの後ろで副団長のイーゼルが立ち上がった。
「イーゼル? ちょっと、あんたじゃ勝てないわよ」
「今の俺なら、勝ってーっる!」
「ちょっ、あ」
シエナの制止も間に合わず、イーゼルは勢いよく部隊へと降り立った。
急ぎのあまり、自慢の大剣を持ち込まずに素手のままだ。
「あの筋肉馬鹿…。シル? あいつを助けに行ってやってよ」
「ははは。死にはしないだろう。まぁ、いいんじゃないかな。この後にシエナが入ればいいんじゃない?」
「え? あ、そうねぇ。でも、私がもらっちゃってもいいのかしら?」
「うん。僕ら第二騎士団は次兄様のものだし。第一は長兄様。第三は姫様のものだけど、今は実質的に第一騎士団みたいなものだし…。ほら、やっぱりシエナが行くのが一番いいじゃないか」
「ううん。また外にいくのかぁ。でも、まぁ、彼女にも会えるし。久しぶりにクレアとエレノアにも会いたいから、そうね! そうしましょう」
舞台ではイーゼルが魔女の小石を胸で弾き飛ばしている。体力、持久力、丈夫さ、頑丈さは天下一品。『負けないから勝てる!』というのが彼の勝ち方だ。
今度は魔女との張り手対決をしている。「んふぅ」という声を漏らしながら魔女との殴り合いに発展する。誰が見てもイーゼルの方が格段に有利だったが、皆が彼の負ける瞬間を待ち望んでいた。
「じゃぁ、私も準備していくかな。あ、あの馬鹿、自分が勝てると思ってるのかしらね。次の一手で負けるわね」
「シエナ?」
「なぁに、シル?」
「今日から、出発まで夜は空けておくよ。長旅になるかもしれないね」
「もう! シルってば。そういうあなたが好きよ!」
「あ、終わるみたいだよ」
シエナが舞台に降り立つと、ちょうどイーゼルが目の前で踊る様に小刻みに震えながら倒れていくところだった。尻を突き上げるようにうつ伏せに倒れると、最後は放屁し気絶した。同時に会場が笑い声で包まれる。
「たく、あんたは馬鹿ね。いくら丈夫で強いからって雷魔法には勝てないってことくらいわかってたでしょうに、この馬鹿!」
シエナがイーゼルの尻を蹴ると音で返事した。さらに会場が笑いに包まれていく。同時に彼女が舞台に降りた事で勝負が見世物が終わることに落胆する者も多かった。席に戻った長兄と猫背が話をしている。
「騎士団からではなく、シエナに決まりそうだな」
「ええ、はい。まぁ、シエナなら嬉しい限りですな。腕はたしかですので。少数精鋭で人数が少ない分、我らの部隊を派遣する融通が利きますし好都合かと、それに…」
細い体で美しい赤髪のエルフ。細く長い杖を使い地面すらえぐり取る魔女の攻撃を全て受け止めている。彼女が現れた瞬間、皆がこの勝負は終わりだと確信した理由は、彼女に攻撃を通せるイメージが湧かないからだ。
「それに?」
「グヒ、グヒヒ。もしも、もしもですよ? あの、その…シエナが魔女に殺されでもしたら。彼女の体は…」
「ああ、好きにしろ。お前の楽しみで使っていいぞ。誰にも見られなければな」
「ヒィ! すいません。考えただけでも興奮します。あの女とは本当に気が合いませんが。そうですね。バラバラにしてしまえばわかりませんから。死ぬなら、美しいまま死んでほしいですな」
「シエナは死ぬような馬鹿はしないだろうな。目的をはき違えるなよ」
「はい」
シエナはその攻撃、その防御全てに魔法の障壁を織り交ぜている。エルフの郷には彼女と同じように防御魔法を得意とするものは多い。だが、彼女の防壁魔法、障壁魔法の強度には誰一人届かない。展開速度、範囲、硬度、持続性においても誰一人敵わない。同じ魔法の使い手として彼女が崇められているのはその技術によるものも強い。
防御魔法において難しいのが威力や衝撃を逃がす力だ。それ次第で消費する魔力が段違いになり、さらには同じ硬度でも対応できる威力に大きくさが出るのだ。
シエナは内包する莫大な魔力に頼らず、その技術を身に着けている。それはシルヴェールの前任であるリードレという最強の剣士との稽古による賜物でもあった。
長兄、副団長イーゼル、シエナといったトップクラスの戦いを間近で見た青年はふと気づいた。魔女との戦いの中で見せる、シエナの悲しそうな顔。哀れみだろうか。いや、優しさにも見えた。ついに魔女が消滅するという時に、何かを呟いているようにも見えた。
「ふぅ。終わった。大丈夫? シル…シルヴェール団長が褒めてたわよ。稽古の成果が出てたって。やったじゃない」
「あ、ありがとうございます。あの? 最後に魔女に何か仰ってませんでしたか?」
「え? あぁ、さよならって言ったのよ。それじゃね」
この日、シエナ率いる特別部隊の任務が決定した。
遠い地にある『赤の森』に向かい、そこに住む魔女討伐および死体もしくは一部の回収。
◆◇◆◇◆◇◆◇
夜、香草や花がたくさん浮かぶ浴槽にシエナがシルヴェールの上に重なに浸かっている。
「近いうち大きな大会が開かれるって、もう聞いた? あの気持ち悪い猫背が外で色々してるみたい」
「聞いてるよ。シエナの計画は何かあるの?」
「計画? そうねぇ…猫背が尻尾掴ませてくれれば楽なんだけど。あいつの尻尾なんて汚そうだから握りたくないけど。もう、どれが本体かすらわからないし。一番醜いのが本体だっていうのが私の勘よ」
「はは。その通りだね。何人かの門番担当から聞いたんだけどさ、外に出る猫背はいつも顔が少し整ってるんだってさ。帰ってきたことはほとんどないみたい。外に出す自分には少し化粧をするみたいだね」
「うえぇ。気持ち悪い、ん―」
『何もない森』に降り立ったエルフの郷。
今もまだ地上に残ったままだが、見上げる夜空は変わらない。
シエナは話を済ませて二人で夢中になりたいことがあったが、まずはこれからのことだ。
「あ、そうよ。こういうのはどう?」
「いいこと思いついたのかな」
「ええ。私達が向かうのは『赤の森』。道中にはきっと危険が一杯だわ」
「どんな危険かな」
「それはもちろん、まずは森の魔女との遭遇。それに、盗賊や山賊、私達エルフに恨みを持つウッドエルフとの戦闘もあるかもしれない。魔物もいるわ。もしかしたら私達もしらないような怪物もいるかも」
シルヴェールが脇に置いたグラスを手に取り果実酒を一口飲むと、残りをシエナが奪うように飲み干してしまった。結局は二人の口の中で混ざり合い話が続く。
「盗賊や山賊は脅威になるのかな? でも、ウッドエルフは心配かな。彼らは独自の魔法を発展させているからね。それで道中の危険がどうしていいことなのかな」
「建前では私達は、ここを襲った魔女を追っていることになってるじゃない? 赤の魔女、緑の魔女。二人ともク――」
シルヴェールがシエナの唇に指をあてがう。察したシエナは短い沈黙のあと彼の指を味わう。そして話を続けた。
「で、真の目的は猫背の実験ってとこでしょ? もちろん、力の回収は大前提だけど…私達だけじゃなくて、あいつらが一緒に来るってこと自体物語ってるわ」
「ああ、そういうこと? わざと危険な方へ誘導するってことかな?」
「そうよ。でも、それは手段の一つ。何回かは時間稼ぎ出来るけど、増援もあれば、寄り道にも限度がある。そこで登場するのが最強の魔物」
「最強の魔物? シエナは最強の魔物を知ってるの?」
「あら? シルもよく知ってるじゃないの」
「…」
「私をここまで強くして、片目を失って、エルフのくせに獣人になったエルフ騎士団最強の男でぶっきらぼうで、言葉足らずで、空気読まない人」
「まさか、リ―」
今度はシエナが彼の唇に指をあてがう。
「彼は死んだことになってるのよ。きっと、私達は道中で謎の白狼に何度も襲われる。とくに猫背は目の敵にされたように殺されるわ。部隊は毎回半壊。私の部下たちは強いから生き残れるけど、彼らの用意する部隊はどうかしらね。報告に戻って、補充を待って、ほらね。時間かかるわ。猫背は絶対に自分の分体を派遣するでしょうし、その間に私も時間が出来る。ちょぉっと…散歩がてら、二人に会いに行くかもしれないわね」
「どうして、リ…白狼は襲うのかな? 諸々、頻繁すぎると怪しまれないかな」
「大丈夫よ。そのくらいまで怪しまれたら、赤の魔女の使いってことにすれば。彼は実際にあの森に現れたことあるし。それに分体とはいえ、猫背でのうっぷん晴らしの機会を彼に何度も与えるのよ? 被害だって、彼の攻撃をまともに防げるのって私くらいよ。私の部隊だけが生き残っても嘘にはならないでしょ。多分、あの人空気読まないからこっちも手加減できないけど」
自分に言い聞かせるように頷くシエナ。
実のところはどこまで防げるのか少し不安だ。二度、三度ほど「うん」「大丈夫」と頷く様子にシルが微笑んでいる。
「そうか、その間にクレア達に森に行ってもらうってことかな?」
「そう! 私はその時間稼ぎ。あの子達が彼女と会って、さっさと用事を済ませて、そのあとで私達が行く。あとは彼女が何か解決策だしてくれるんじゃない?」
「作戦の後半はかなりざっくりしてるね。ちなみに彼女っていうのは…どの彼女かな?」
「赤の魔女」
「…大変なことになりそうだなって考えるのは、僕だけかな?」
「どうしてよ?」
「わかるだろ? 赤の魔女ってことは一番若い」
「そうねぇ…そうよねぇ…ちょっと待って、すごい不安になってきた」
「あはは。懐かしいね。ウィルたちとの冒険を思い出すよ」
「時間ってすごいね」
「そうだね。時間はすごい…じゃぁ」
「うん」
チャプチャプと水の音が鳴る。
◆◇◆◇◆◇◆◇
花のように舞う雪景色の中に大きな白狼が一匹。隻眼なうえに、普通の馬など細く見てるような大きさだ。向かう先、小高い丘の頂上に枯れた大樹が一本。根の一部が椅子のようになっており、白狼はそこへ辿り着くと地面に落ち着いた。
しばらくすると、雪が次第にゆっくりとなり、やがて空中で止まる。
つい先ほどまで誰も座っていなかったはずの椅子に一人の女性。
長く白い髪は独特の動きでふわりふわりと浮き上がる。風のような、水の中のような動きを少しだけ見せている。左頬に小さな傷があり、肌は美しくもわずかに亀裂がはいり剥がれているようにも見えるが、同時に修復している。
「動くわ」
白狼は動いていないように見えるが、残った方の眼が彼女を追いかける。
「まずはシエナに会ってちょうだい。貴方に頼みたいことがあるみたい」
彼女が歩き、空中で舞い止まったままの雪とぶつかると面白い現象がおきる。薄く柔らかい雪が弾かれたように動く。髪の毛や白く薄いローブは引っ張られる程離れた時に初めて動き始めるが、水中とはまた違う動きだ。
「赤の森にクレア達が向かうように、お願いね。あの子には一度伝えたけど…」
悲しそうな顔をしたかと思ったら、思い出したように笑う。
「ふふ。あの子、きっとウィルに似たのかしら。エレノアの影響かしら。ちょっと不安なのよね。寄り道ばかりしてちゃんと赤い森にいけるのか」
白い髪の女性と白狼の眼が合う。そして、笑顔で聞いた。
「リードレ。ウィルはちゃんと死んだ?」
少し強い風が吹いたように感じる。
ゆっくり、優しく舞い降りていた雪が彼女の軌跡に合わせて少しだけ荒れ吹いた。そしてリードレと呼ばれた白狼が立ち上がり答える。椅子には誰もいない。
「死んだよ」
白狼はそのまま駆けだし、周囲に広がる広大な森へと入っていった。時折、森の中が光るのと同時に雷鳴が響く。あっという間に森を駆け抜け遠くへ離れていく。
白い髪の女性は座った椅子から動かず、彼の行く先の空を見つめていた。