第3節「憧れと帰郷」
朽ちた枝を踏みしめると、グシャっと枯れた葉や枝を踏みしめる音、それに後ろに続く大勢の息遣いが耳に届いてきていた。
憧れの騎士たちと仕事をしているはずなのだが、俺はその憧れの騎士たちの前を歩き、故郷の山中を先導し案内をしていた。
ここは王都から騎士たちを連れて遠征に向かった先。そこはコアコセリフ国と教国の国境に位置する山脈にある森の中。
森の中をどれほど進んでも細い木がうっそうと続いている……俺としては懐かしい光景だが、同じ種の細い木が延々と続くこの森は、地元の人間でなければ間違いなく迷っていただろう。
うしろを振り返ると、さすがは騎士隊というところか、呼吸が乱れてこそいるものの慣れていない道を行軍できているのは彼らの胆力によるものだろう。
尊敬の念を抱きながらも、俺は騎士隊を国境の山中が見える谷へ騎士隊の面々をお連れしている最中だった。
* * *
王都で騎士隊に合流した俺は何も聞かされないまま、集められた兵士たちと同じ馬車に詰め込まれ、そのままの形で故郷であるチケル村周辺の平原まで馬車に揺られ続けていた。
その馬車の中で言い渡された注意事項は二つ。
一つ、案内役である俺の仕事は、慣れない騎士たちが歩ける道を選別し、国境への道を見張れる一へ案内すること。
二つ、作戦内容は極秘であり、詮索はしない。騎士隊の隊長である騎士称号の身分を持つ者に従うこと。
多少気になる点はあったが、この二つが主な命令で、俺は今こうして騎士隊を連れて森の中をただひたすらに国境へ向かって歩いている、という訳だった。
* * *
「おい、リヴェリクとやら、まだ歩かねばならないのか?」
呼びかけかれた声にはっとなり、ちらりとついてくる騎士隊の面々を確認する。
さすがにかの有名な騎士隊の一つとはいえ、吐息には疲労の色が見え始めている。だが、目的地まではあと少し、騎士隊の面々には申し訳ないが、もう少しだけ頑張ってもらわねばならない。
「寒い山中、防寒もあって動きにくいですが、あと少し歩きます。日が落ちる前にはたどり着けるかと」
「分かった。そう伝えておこう。おいお前たち――」
心配しながら山中を進んでいると、急に強い風が森の中に駆け込んでくる。谷が近い証拠で、森の切れ間である丘を越え木々の間から丘の向こうを覗くと、教国との国境である山々が広がった景色が目に飛び込んでくる。
黒く染まった岩が反り立ってできた高い崖になっていて、崖の下には目的地である国境へ続く道があるはずだ。
そう思い、崖の縁に走り寄り防寒用の手袋で滑らないように崖の岩肌に手を乗せる。
目下にはごつごつとした岩肌が並び、ほとんど崖に近い坂が山道まで続いている。うしろの兵士に合図を出した。
すると数人の兵士たちが駆け寄り、地図を目の前に滑り込ませた。大雑把な地図ではあったが、未知の続く先に王都につながる街道があるはずで、おそらくこの道で間違いはないだろう。
「ここでいいのか、リヴェリクとやら」
振り返るとそこには今回の遠征の指揮を執っている中肉中背の初老騎士――フレミア・ド・シュヴァリエ殿が骨ばった頬骨を同じく骨ばった指先で撫でながら腕を組んでいた。
少々嫌な雰囲気は感じるが憧れの騎士様には違いない。
彼の背後には彼の私兵たちと、王都の詰所から派遣された兵士がいる。……のだが、先日負かしたいやみ君などの見慣れた顔が覗き嫌な顔をしてしまいそうになった。
頭を振って気が抜けそうな自分に喝を入れる。非常に気にかかるが今は仕事が優先だ。
「はっ! この先の崖が山道を見下ろせる場所です。ここからなら、国境へ荷物が運ばれるのを監視できるかと」
後ろの兵士にも聞こえるようそう大声を上げ、教国との国境を示す山々が遠くに見える山中の崖を指すとフレミア殿が崖から体を乗り出し、下に広がっている山道を見下ろすと不穏な風が吹き込み土煙が広がった。
「崖、か。たしかに見張りにはちょうどいい場所だ。……おい、お前たちは周囲の警戒をしろ。――して、リヴェリクとやら。この道は教国につながっているというのは確かなのか」
「はっ! この周辺が教国との国境だと思われます。幼いころ、この道を教国の神使殿が通られたのを拝見しています。ただ、場所が場所です。これ以上先に行けば、教国に侵入したことをとがめられる可能性もあるかと」
「なるほど。……見たところ高台になる崖は多数。逃げ隠れする山道も多ければお互いに監視をしていても逃げおおせる手段は多い、といったところか。ふん、件の亜人攫いも隠れようと思ったら幾らでも隠れられる土地、というわけか」
「はい。亜人嫌いの教国から逃げるのにも最適かと」
「この辺りの地形は把握しているのか?」
「いえ、申し訳ありません。ふもとの村に住んでいる人間ですらこの辺りの地位には明るくありませんので……」
「それはどうしてだね」
「山道は危険です。ふもとのチケル村は山道に入る前の比較的温暖な平原にあるため、防寒用の装備が整っていません。それにフォーヴ――魔力を暴走させた人や獣である魔物たちや山賊の危険もあるので、一般の人間は森以上に深く散策はあまりしないのです」
「そうか。一般人にこれ以上の調査は無理というのであれば我々の仕事。ここまでの案内の礼を言おう。待機していなさい」
「はっ!」
緊張する受け答えを終え、胸を撫でおろしながらも兵士が周辺警護をしている位置に入る。
近くの木に触れると、懐かしい感触が防寒用の手袋越しに伝わり、ああ子供のころもこの辺で遊び倒したなという記憶が蘇ってくる。
魔獣が出るとはいえ、数も少なく氷をまとっていること以外は普通の獣と同じだ。対処方法はいくらでもあるため、森の中は村の子供たちの遊び場のようなものだった。
「しかし、この森の近くに亜人攫い、か……村が心配だな……」
亜人攫いとは言うが、彼らはいわば奴隷商に奴隷を売り渡す連中だ。近くに村があると知れば、そこにいる村人を物色しようと手を伸ばしても不思議ではない。
いっそフレミア殿に進言をして、村の周囲も警戒に当たってもらった方が良いだろうか。
自分の中に浮かんだよこしまな考えを頭を振って放り出す。
――いや、余計な心配をするべきじゃない、か。俺が進言したとしてもフレミア殿が受け入れなければ仕事の邪魔になってしまう。それよりは一刻も早く"亜人攫い"を捕まえた方が良い、よな。
気を取り直して周囲に気を配っていると、近くの林の中で明らかにやる気なさそうに周辺警護をしている集団がいて、すぐにその正体に気が付いてため息をついた。
あいつらはギアン隊――ギアン隊長が派遣した兵士たちなのだが……どうにもこの任務についてのやる気が足りないらしい。
……いや、正直分からなくはない。俺だって騎士と仕事ができるとならなければあいつらと同じように仕事に身が入らなかったかもしれない。
だが、今はそんな奴らにかまっている暇はない。とにかく警戒をしながらでもフレミア殿の何かを盗めないかと横目でフレミア殿の事を観察してみる。
初老を迎え髪に白髪の混じり始めたフレミア殿は、崖下を睨んでいるだけ……周りの兵士に合図を送るわけでも、崖下へ兵士を送るわけでもない。
なにか、強烈な違和感を感じた。
もちろん、下っ端である俺には考えも及ばないことはこの世の中多々ある。だが……なんだろう。土ぼこりを払ったり、遠くの山を眺めるフレミア殿はまるで……そう、まるで時間が経つのを待っているような、とにかく、仕事をしているという意味ではいやみ君たちに感じたやる気のなさを感じてしまう。
今すぐここで何も起きないと把握しているような……。
しばらく眺めて一向に動こうとしないフレミア殿を訝しんでいると、フレミア殿と目が合い、心臓がきゅっとなってしまう。しまった、俺までさぼっていたのがばれてしまったのか。
そう思ったが、「おい、君! リヴェリク君!」と声をかけられ、慌ててフレミア殿に駆け寄った。
「はっ! お呼びでしょうか」
「そろそろ日も沈む。この周囲に設営に丁度良い場所はあるか? 数日はここに見張りをたてたい。出来れば人里や山上から分からない場所だ」
「それでしたらちょうどよい場所がこの近くに。森の中なのでテントの明かりであれば漏れにくく、煙さえあげなければ付近の人里からも見えないかと」
「ふむ、ではそこへ案内してくれ。長丁場になりそうだ、先に休める場所を作って置こう」
「わかりました、こちらです」
「うむ。おいお前たち! 見張りをここに二人一組で配置しろ。テントの設営を終えたら交代を寄越す。残りはついてきて設営場所へ移動! 目的地につき次第、設営をしたまえ!」
号令を受けた兵士たちが一斉に動き始め、まるで歯車のように隊列を作り、俺に道を開いてくれる。
やはり、騎士隊の人間はすごい。フレミア殿の行動などすっかり忘れ、騎士隊の動きに見ほれながらも人波を抜けて森の中を先導する。
騎士隊の動きを確認しながら、黙々と森の中をしばらく歩いていくと、反り立った坂沿いにあるひらけた場所に出ることが出来た。
樹木が少なくなった円形広場のような場所で、村の木材を調達していた跡地でもある。ずいぶん昔、妹と一緒に何度も遊びに来たこともある。元々人が立ち寄っていた場所なので魔物もあまり近寄らず、野営を張るのに十分な広さも確保されていた。
「つきました、フレミア殿!」
目的地に着いたのでそう声をかけると、遅れて付いてきていたフレミア隊が各々のペースで案内した場所に到着し、それぞれ周辺に危険がないかと散策を始める。
危険がないと把握し始めたころ、ずいぶんと遅れてフレミア殿が到着したが、その双肩は大きく揺れている。騎士であるのにもかかわらず、悪路には慣れていないようだった。
「はぁはぁ……。思っていたよりも近いな」
「はい。先ほどの崖まで木に目印の傷を掘っておきました。目印をたどることが出来れば、交代をするのにもちょうど良いかと」
「よ、よし。皆、そろそろ日も落ちる! フレミア隊以外も自分の隊でテントを作っておけ! 今夜は準備に時間を使う。調査は明日以降に行う! 幸い木はある。狭い部分の木だけを使い、防衛拠点も築いておけ!」
フレミア殿の号令で、荷物を背負っていた兵士たちが次々とひらけた場所へ行き、すさまじい速さでテントや防衛拠点を築き上げていく。
ギアン隊の兵士たちも自分たちのテントを組み上げ終わるころにはもうそこには小さな防衛拠点が出来上がっていた。
さすがは慣れている、野営を張る手際は間違いなく歴戦の兵士のそれだ。
設営をしていたギアン隊の兵士もあっけにとられたのか、「すげえな、あっという間だ」と声を漏らす。
心の中で同意をしつつも、騎士隊に後れを取るわけにはいかない。自分も続こうと設営に手を貸していると、後頭部を何かにぶん殴られた。
痛み続けるほどではなかったがそれなりの衝撃があったので、苛つきながらも振り返るといやみ君が枝で肩を叩いていた。
「なんだ」
「おお、怖い。騎士見習のリヴェリク様がすごむと怖いねえ。……騎士様がお前を名指しでお呼びだよ」
「フレミア殿が?」
いやみ君をよけて奥を見るとフレミア殿が設営する兵士たちから少し離れた森の中でたった一人でこちらを見ていた。
――たった、一人で? 騎士であるフレミア殿が俺を? いったいどうして……。
意味は分からない。が、とりあえず上の身分である騎士を待たせるわけにはいかない。
「……すまない。教えてくれたことには感謝する。ここの設営は任せてもいいか」
「ふん、そうそうちゃあんと感謝はしろよ。俺も寝る場所だ、俺も手伝うのは当たり前だろうが」
俺が場所を開けるといやみ君はどこか満足したようにテントの設営を変わってくれる。
ほかに言い方があるはずなのだが……今はいい、これ以上フレミア殿を待たせるわけにもいかない。
フレミア殿のもとへと駆け寄ると周囲の声は届きにくくなり、設営場所からも影になってちょうど見えない位置になっていた。
秘密の相談事には使えそうだが、なぜこのような場所に呼ばれたのだろうか……。
首をかしげながらも左手を肩にあて敬礼する。
「フレミア殿。お呼びでしょうか」
「おお、リヴェリク君。すまないな、急に呼び出して」
「いえ。わざわざ案内役を名指しということはなにか急用でしょうか」
「いやなに、貴殿に礼を言いたくてな」
「礼、ですか。祖国の平和を守る騎士様に礼を言われるほどの事はしておりまんが……」
「そんなことはない。貴殿が行ったのは我が国の平穏を保つためには必須の事柄なのだ。胸を張り給え。君のおかげで我が祖国の為になるのだ」
「祖国のため、ですか」
「もちろんだとも! いやいや、君に案内を任せて正解だった! これで"亜人攫い"は見つけたも同然、此度の調査は殆ど成功したと言ってもいい!」
「いえ、そんな……」
思っていたよりも褒め倒され、何と答えてよいかわからず曖昧な返事をしてしまう。
実際大したことはしていないし、今回の調査で亜人攫いが出ると決まっているわけでもない。騎士様には悪いが、何もかもそんなにうまくいくとは限らない。
だが、騎士様はもう成功を確信しているかのように笑い胸を張られた。
「はっはっはっ、謙遜するでない。誇りたまえ! しかし、ここまで良い仕事をした兵士に対して波も無しというのも私の信用が知れてしまう。かといって金品を融通すれば周りが黙ってはおらぬだろう」
「いえ、そこまで気を回していただくわけには……」
「そう言うな、これも私の信用のためと思いたまえ……ふむ、そういえば貴殿の故郷はこの近くだとギアン隊の隊長殿もおっしゃっていたな」
「はい、確かに私の故郷は近くにあります。ちょうど崖下の道をたどり、ふもとの分かれた道のもう片方に」
「それなら話が早い。貴殿の功績をたたえ、だれよりも先に休暇を与えようじゃないか」
「休暇ですか? しかし、ここには帰郷に来たわけでは……」
「君はずいぶんと仕事熱心なようだな? ではこうしよう。半日ほどの任務を貴殿に与える」
「……もしや、それで故郷の村を見て来い、ということですか?」
「その通りだとも。この周辺は"亜人攫い"の出没地域。何があったとしてもおかしくはない。その村で情報収集を含めた斥候をお願いしようじゃあないか」
「……物は言いようですか。仕事に私情を持ち込むのは個人的にはあまり感心できませんが」
「まあ、そう固いことを言うな。正直なところ、あの村はあの村で警戒しなければいけない場所なのだ」
「理解はします。たしかにそこの道に"亜人攫い"が出るのであれば、あの村で何か情報があってもおかしくはないかと」
「察しが良い。だが、調査をしようにも周囲の散策や警戒に人員を割くにしても限界はある。貴殿も故郷の村の近くに"亜人攫い"など出たら心配で仕方なかろう」
「それは、まあ……はい」
「だからこそ山中をすばやく移動でき、戻ってくることもできる貴殿にこの任務を任せたい。危機があればすぐに戻り報告せよ」
多少私情が入るし、どうして俺に休暇を取らせたいのかは理解が出来ないが、理にはかなっている。
村が心配だったのは間違いないし、兵士を派遣できないかと進言しようとは思っていたのだが……。
「それは、やはり命令でしょうか」
「そうとも。この地に詳しい貴殿に斥候を任せる。期限は半日、情報がなければそれでも良しとする」
「分かりました。騎士様がそこまでおっしゃるのでしたら、この任務甘んじて受けさせていただきます」
「そうか! 受けてくれるか! では兵たちには君が任務へ出たと伝えておこう。日が暮れ、就寝前になったら中央で見張りや散策地域の作戦会議を行う。それまでには戻ってきたまえ」
フレミア殿はそう言いながら頷き、何度も肩を叩かれてしまう。国王陛下の時とは違い、感動こそしないものの、故郷の現状を知れるというのは安堵の材料にはなる。
「お心遣い、感謝いたします」
兵士の輪の中に戻っていくフレミア殿に声をかけたが、気が付かれなかったのか、そのままほかの兵士に話しかけ、設営テントの視察に向かわれてしまった。
もしかすれば、俺の心情などとっくに察していてそれ込みでこの任務を言い渡したのかもしれない。さりげない気づかいに感謝し、とりあえずギアン隊の人間にも報告しようか一瞬悩む。
――いや、あいつらは俺に対していい考えは持ってない。やいのやいの言って事態がこじれるだけだろう。俺よりも上の人間であるフレミア殿が直接命令したと聞かされた方が説得力があるだろう。
そう勝手に判断し、フレミア殿の言う通りこのまま森を抜け、故郷へと向かうことにした。