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幕間「この子、苦手なんだよなあ……」


 フレミアの罪が明らかになり、リヴェリクが牢に移された直後――。



「よし、じゃあ、はじめよっか!」



 一人の白い騎士服に身を包んだ少女にも見える栗色の毛のウィルカニス……狼系亜人種の少年がテーブルに手をついて腰掛けた。



 彼らが居るそこは人が誰も来ない地下牢のような部屋だった。

 城の程近く、半地下につくられた部屋で、白石レンガで組まれた壁や、地元の木を使った梁によって支えられている。

 微かに空けられた換気用の窓から苔と湿気の匂いが抜け、中途半端に換気されたその部屋は、快適とは言い辛い。

 中もテーブルと椅子が二つずつ置かれているだけで、だれかが住むようにできていない部屋……尋問室と呼ばれる、罪人や証人に話を聞くための一室。



 今はその狭い部屋にウィルカニスの少年……フランと、もう一人の二人だけ。

 互いにテーブル越しに見合うように、もう一人も椅子に座っていた。


「えっと、メアーちゃんでいいよね」


 にっこりと微笑んだもふもふの毛皮を纏った亜人、ウィルカニスの少年騎士、フランが緑色の瞳を細め、目の前に座っている首輪をつけたままの少女。

 ラベンダー色の毛皮を持っている兎系亜人種であるラパンプルジールの少女――リヴェリクと行動を共にしていたメアーに問いかけた。


「……」

「えっと、急に呼び出してゴメンね。今日から色々聞いた話をちゃんとまとめなくっちゃでさ。まずは君がどの村に居て、どうやってあの男、フレミアっていう骨っこ人間とあったのかーって下りなんだけど……」

「…………」

「えっと」

「……」

「メアーちゃーん?」


 フランが首筋に手を当てながら名前を呼んでも、メアーは心ここにあらずの状態で、ぼうっとしたままだった。

 どうしたものかとフランが栗毛の髪をいじりながら「んー」と考えてみる。


(まいったなあ。年齢が近くて亜人の当事者だからって選ばれたんけど……)


 チラリと、自分の対面に座っているメアーを見る。


 長い耳を後ろに倒し、かぼちゃ色の瞳からも光は薄い。

 明らかに気落ちした表情を見せる彼女は、完全に深い絶望の中に居る人のソレで、フランの話など欠片も入って来たない様子なのは明白だった。


 試しにフランが目の前で手をひらひらと動かしてみるが、メアーは気にした様子もなく、ぼうっと中空を眺めているだけだった。

 反応の薄い彼女に、フランは大きくため息をつく。


(この子、あの人……リヴェリクを通さないとなにも聞いてくれないんだよなあ……。どうしよっかなあ)


 ちゃんと聞く姿勢を取っていたが、無反応の彼女に対しては余りにも調査が進まず、フランが椅子を傾ける。

 古い木材を使った椅子がフランの全体重を支え、ギィと耳心地の悪い音を鳴らしていた。


 一周回って休憩時間にしようかなと、フランが目論んでいると、天井の板材を見つめていたメアーの視線がピタリとフランに止まる。


「ご主人さま……」

「んー? あ、やっと反応してくれた?」

「ご主人さまを、連れてった人……っ!」

「あれ、もしかして雲行きが怪しい?」

「……ご主人さまはどこ……?」

「わあ! それはちょっとやばいかも!」


 目の前の少女から殺気と魔力の混ざり合った濃密な圧力が広がり、ぶわっと全身の毛が逆立つ。

 慌てすぎて、テーブルと椅子を盾にするように転げ落ち、敵意が無い事を知らせるために両手をひらひらとさせる。


「ちょっちょっ、ちょっと待ってメアーちゃん!」

「?」

「分かってる! 君が何よりご主人様――リヴェリクって人の事が大事なのはじゅーぶん! 十分に分かってるから!」

「…………」

「ね? リヴェリクは無事で、ちゃんと生きてるから! すこしだけ、君の話を聞かせて欲しいんだよ。だめかな?」

「……ん」


 部屋の中に充満していた殺気がスッと凪いではあとフランは溜まっていた息を肺から追い出す。

 思ってたよりも危険な子だったんだなーと、どこか他人事のように考えながら、彼女に対して、どうすれば効率よく話せるかなと算段をつけていく。


「……よし、これでいこっか」

「?」

「ねえ、メアーちゃんってさ、ご主人様の事、何よりも大切って感じだよね?」

「ん」

「だよねー。でもね、君のご主人様は今重要な事件に関係してる人だから、あんまり他の人とあっちゃ駄目なんだって」

「……」


 長めの兎耳が背中の方へ垂れ下がり、目に見えてメアーはしょんぼりとしてしまう。

 逆に、フランはコレなら話しを聞いてくれそうだな、と確信してちょっとだけ、スンスンと鼻先からにおいを感じ取った。


「でね、僕から一つだけ提案があるんだ」

「ていあん?」

「そうそう、提案。もう一度、あの裁判で話してたことを教えてくれたら、たぶん君が喜ぶこと……そうだなあ、本来だったら会えないはずの君のご主人様……リヴェリクに合わせてあげるって言ったら?」

「っ!」


 お、食いついた。

 フランが持ちかけた交渉……本来だったら事件解決の立役者である彼女から言いだせば何の問題も無い"お願いごと"の内容に耳がピンと持ち上がる。


「もちろん、メアーちゃんが――」

「それでいい」

「もっと……って、え?」

「ご主人さまに会えるなら、それでいい」

「え? いいの?」

「ん」


 本当だったら、もっと譲歩させて情報提供だけじゃなく、今後の陛下の役に立てるようにとか色々考えていたフランとしては、肩透かしを食らってしまう。


「あはは、そっか。君はそれが一番だもんね」

「ん」


 彼女にとって、それに代えられるモノなんて存在しないのだろう。

 どういう生活を送って来たかは、フランには分からないが、それでも、あのリヴェリクという青年は、メアーというラベンダー色のラプールの少女にとって、それほど大切なことをしてくれた相手なのだろう。


 きちんと報告書の内容を聞こう。

 そう思っていたのに、フランはふっと微笑むと別の事を聞いていた。


「……ねえ、メアーちゃん」

「?」

「君のご主人様。リヴェリクって人は、そんなに大事?」

「……必要なお話?」


 メアーにそう言われて、そういえば、必要じゃないなとフランは思い、顎に手を当てる。

 栗色の毛皮が顎に当たり、そのまま手癖で頬を撫でる。

 実際、なにも関係のない話だ。

 雑談……にしては重いなあと心の中では思いつつも、いつも他人へ向ける笑顔を向ける。


「んー? あはは、ちょっと……ううん。全然違うかも。まあぶっちゃけさ、報告書って言うのならこの前の裁判で聞いた話をそのまま書けばいいだけだから」

「ん」

「だからこれは、純粋な僕の質問かな? 僕もそういう子が居るから」

「ご主人さまみたいな?」

「そういうことかな?」

「…………」


 くるりとメアーの視線がフランを追い、それに気が付いたフランが左右に揺れる。

 揺れるフランを追って、メアーのかぼちゃ色の目が左右に揺れて、ちょっと面白いかもと、フランは変な好奇心を刺激されてしまった。


「面白おもちゃ……」

「?」

「ああいや、ごめん。なんでもないよ。どうしたの?」

「お名前……」

「名前? ああ、僕の?」


 フランが自分を指さして聞き返すと、メアーは小さく頷き、チャリっと首輪が音をたてていた。

 名前を憶えて無くて、それで黙っちゃったのか。

 そう納得したフランはあははと笑う。


「あはは、僕は亜人騎士のフラン。フラン・ド・シュヴァリエ。大丈夫?」

「ん、ふらん、はその人の事、"すき"なの?」

「え?」


 名前を憶えられていなかった事よりも衝撃の事を聞かれ、思わず固まってしまう。

 なのに、メアーはまるで当たり前のことを告げるように、そして何度も口にしたその言葉を目の前の若い亜人騎士へと伝えていく。


「私は、ご主人さまのことが、好き。足を怪我したら、汚した私を心配して抱いて一緒に寝てくれた。食べ物もダメな物と平気な物をたくさん私に教えてくれた……。ご主人さまの"セイギ"も"悪いこと"は知らない。でも、ご主人さまが私を見てくれて、私はご主人さまの言うことを聞く。そうすれば、褒めてもらえる、から。だから、好き」

「それは他の人でもいいんじゃないの?」


 彼女が求めているのは、ごく普通の事だった。

 とはいっても、市場に出回らない裏や闇と呼ばれる奴隷や、外国に売り飛ばされた人にとっては代えがたい物ではある。


 しかし、彼女はそういう経験をしたにしては、随分と"傷"が無い。


 それを自分の経験と照らし合わせて感じ取っていたフランが、そう聞いてみると、メアーの気配がスンと冷たい物に変わる。


「ダメ」

「……っとと、怖いよ。なんで駄目なの?」

「だれも、見てない。から」

「ええ? 見てないって、君を?」

「私はただ、褒めて欲しいだけ、だから。でも、私が何も言わなくても、褒めてくれたのは、褒めてくれてた人と、ご主人さまの、二人だけ……。それ以外は、ダメ」

「んー、僕には君の気持ちは分からないけど……」


 チラリと、フランがメアーの様子をうかがう。


 橙色の瞳はしっかりとフランを見ているのに、目の前にいるはずのフランを見ていなかった。


 愛おしそうに、そして、満足そうに。

 形の良い唇から、熱のこもった吐息が零れ、彼女の話す言葉一つひとつに、思わず息を呑みこんでしまうほどの気持ちと言う名の迫力が込められているのが誰の目にも明らかだった。


 自分と年齢も背格好も変わらないラプールの少女に気圧されて、フランは思わず緑色の瞳で何度も瞬きを繰り返す。

 ただ、橙色の瞳が、ずっとリヴェリクしか見ていないことに思い至って、安堵の苦笑が漏れた。


「あはは。すごいね、君」

「……?」

「いやあ、聞いた僕の方があてられちゃうなんてなーって」

「あて、る?」

「あはは、恥ずかしいって感じ。君がそれだけご主人様の事、好きなんだなーって思っただけだよ」

「ん。いつ?」

「いつ? ……あ、もしかしていつリヴェリクと会わせてくれるってこと?」

「ん」

「わあ、すっごい唐突なストレートな要求。でも、ちょっと気が早すぎるから、ごめんね?」

「約束」

「その点は大丈夫! 僕はこれでも、近衛騎士と同等に偉い亜人騎士だからね!」

「おー」


 パチパチと乾燥した拍手が室内に響いた。

 明らかに合わせられた拍手にちょっと空しくなったフランは、コホンと咳払いをして共に席に着いた。


「えっと、じゃあそういう事で、色々と話してくれるよね」

「ん、ご主人さまのためなら」

「あはは、この短時間で君と意思疎通が図れるようになりそう。じゃあまずは――」


 まずはという言葉を皮切りに、フランはメアーから、フレミアの蛮行や、亜人攫いと思わしき集団の動向。

 さらには、彼女の周辺環境の調査を聞き取り、一つ一つを報告書にまとめていく。

 やがて、数枚の報告書が出来上がり、フランは緑色の瞳を薄くした。


「これは……参ったなあ、僕だけだときつそう」


 想定以上の範囲に及んでいたフレミアたちの蛮行に、ペンを片手に持ったままフランは頭を抱えた。


「たいへん?」

「ちょっとね」

「そう」

「うんうん。大変だよー。本当はちょっとでも手伝って欲しいんだけど……まあ、無理っぽいし、他の調査と並行しないとなあ……」


 愚痴りながらメアーが教えてくれた村や、情報をコアコセリフ国の地図と合わせていく。

 フランが頭を抱えたのも当然で、メアーが持っていた情報はコアコセリフ国の南部全域に及んでいて、一人で回れる範囲を優に超えていたし、当然ながら亜人攫いの報告が多数寄せられている地域も少なくない。

 全部が全部フレミアの蛮行と言うわけではないだろうが、ここに隣国の間諜や本当に亜人攫いが関わっていないとは言えない……そんな状況だったのだ。


 フラン一人で調査をするにも、戻ってきた亜人騎士たちと連携しなければ情報の確実性もなく、危険性の高い場所へ行くのは妹に心配をかけてしまう。

 家への襲撃のせいで妹はただでさえ傷ついているから、万が一にも自分が死ぬわけにはいかない。


(……仕方ない、先輩騎士たちとも連携しないとか)


 フランはため息をついて席から立ち上がった。


「こっちで確認作業をしないとだめだから、君はここで待っててくれる?」

「ん、ご主人さま」

「……あー、ちょっと待ってて。これだけの情報を持ち込んでくれたのならきっと要望はかなうと思うから。ただ、明日とか、そのあたりまでは待ってくれる?」

「……約束……」

「だーもう! わかったってばー!」


 耳を後ろに流されたショボンとまでされてしまったら、同じ亜人として彼女の気持ちを組まないわけにはいかない。

 というか、とある事情があるフランとしては見過ごすことは出来なくなっていた。


 フランがメアーに向かってテーブルに手を突き、人差し指をたてる。



「いい? 僕と陛下からの特別待遇だからね? 具体的には――」





 フランがメアーの事情聴取を終えた翌日――。


 フランたちの粋な計らいということで、リヴェリクの牢で日中を過ごす権利を得たメアーが、満足そうな顔で、リヴェリクに抱き着く姿が日常になっていた。


 周りの冷やかしにリヴェリクはあまりいい顔をしなくなったのもこの日を境だったらしい。



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