第20節「正義の末に」
誰かが牢に入ってくる足音と、痛む体で目が覚めた。
地下特有のカビ臭さはするが、それ以外は意外と清潔に保たれているのか、石と小窓から入ってくる風のにおいの方が強い。
そっと目を開けると、かすかに入り込んでくる光に照らされ、目の前には丸石や小石などが積まれた石壁が板を張り合わせて作られた天井まで続いていた。
起きなければと寝ぼけながらも思い体を引きずり壁を使って上体を起こすと、起きた壁と反対側には鉄格子がはめられている。
鉄格子の向こうには空き部屋の牢と城へ続く廊下があるのだが、鉄格子にかじりついたところで牢屋以外は見えないのはもう何日も前にやっていた。
どうするかと思考を回していると、壁につけた背中からひんやりとした冷たさが広がり、ちょうどいい眠気覚ましになる。
冷静になった頭でここが城の地下牢であることを思い出し、ふうと息をはいた。
「……そうか。まだ城の地下牢か」
今ここにメアーは居ない。
彼女はフレミアの余罪追及のため、とあることを条件に貴族たちに連れていかれ、俺はこうして城の地下に囚われていた。
フレミアの私兵を襲撃し、城下の人々に不安をまき散らしたことに変わりはないが、メアーが無事な事以外、俺は何もわからなかった。
……ああ、文句を言うのであれば近所がやけにうるさいことくらいか。
むしろ、不満はその程度、魔物やフォーヴに襲われないことを考えれば快適でさえある。
「……下手に野宿するよりは快適なのは問題だな、罪人が戻ってくる」
こんな時だというのに、牢屋の快適さの是非を考えてしまう自分に苦笑する。
牢屋の音がしたからメアーが来たのかと思い体を起こしたのだが、兵士がそのまま通り過ぎていく。重い体を動かして、無駄なことをしたと脱力感に襲われながらも頭で壁を叩いた。
そう、メアーは俺が放り込まれてからも、度々俺の牢屋に来てくれている。
メアーが今回の事件について話す際に出した"とある条件"が"俺と同じ牢へ入り、日中を過ごすこと"だったからだ。
本来であれば、事が収まるまでは檻越しにすら会うことは出来ないはずだが、事情を知っているフランたちの粋な計らいだと巡回の兵士にからかわれた。
個人的にはメアーが言うことを聞かないのではと思ったが……とにかく、兵士が門の開閉を行う代わりに日中を俺と過ごすことを許可されていた。
こうしてやることもなく牢の端に座っていると、兵士に案内されたメアーが牢に入れられ、牢が開いた途端に腕の中へ飛び込まれ、幸せそうに目を細める。
時間になるまで抱きしめてやると、兵士に促されどこかへ連れていく……それが数日続き、もはやほかの牢からも、適度な暇つぶし行事として囃し立てられている節すらあった。
メアーがそれでいいのならば、俺としては言うことはないのだが……。
どうやって交尾やら見せつけろなどと下品な野次を飛ばす連中を黙らせるか考えていると、再び牢の扉が開かれる音が聞こえてくる。
「ん、今日は人通りが多いな……」
また見回りの兵士だろうか。
労力が無駄にならないことを祈りながら、体を起こすと見覚えのある体格の兵士が牢を覗き込むように立ち止まっていた。
その傍らには誰も居ないが、見覚えのある顔に思わずふっと笑ってしまう。
「なんだ、あんたもここに来たのか、なんなら相部屋でもするか?」
「おいおい、俺まで捕まったみたいに言うんじゃない。俺はまだまだ現役で兵士詰所の隊長なんだ。――元気そうで安心したぞ、リヴェリク」
「おかげさまで、元気です、ギアン隊長殿」
「はっ、そうか。そりゃあ残念だ、しおらしいお前を見るのが楽しみだったんだがなあ」
「言ってろ。……今日はギアンさんだけなのか?」
「あ? ああ……ふっ、お前が人の心配をするとはねえ……。いや、今日はお前から迎えに行ってやれ」
「どういうことだ」
「聞くな。なんでもその方が向こうからしたら都合がいいらしい」
「都合がいい? ……メアーを連れていくということか」
「悪いな、リヴェリク、これ以上は俺からは答えられん」
「答えられない……ってことは、上の人間ってか」
「さてな、俺はお前たちを連れて来いと言われただけだ、聞いても無駄だぞ」
肩を竦め、はぐらかそうとするギアンさんを睨み返す。
念のため顔色を観察してみるが、口元を引き結び姿勢を正すギアンさんはいつもの姿と変わらない、父さんと同じ年齢でもあるギアンさんは周囲の人間が緊張感を持つのに十分な威厳を持っていた。
珍しい姿に目を丸くする。
いつもの彼なら率先して緊張をほぐすように立ち回る……ということは、相応に緊張をしなければならない相手、ということだ。
つい疑いを向ける自分に嫌気がさし、はぁとため息をつく。
今疑ったところでどうしようもない、大人しく従うために立ち上がった。
「分かった、素直に従おう。メアーはどこだ」
「牢近くの宿だ。聴取が終わったら、一瞬でも早く会いたいって言われたからな。それと、会いに行くのはやんごとない身分のお方だ。悪いがあの嬢ちゃんの着替えも手伝ってやれ」
着替えと言われつい嫌な顔を返してしまうと、ギアンさんは分かっていたかのように苦笑する。
念のため、侍女が居ないのかという希望を込め「俺がか」と聞いてみるが、やれやれと言った様子で先ほどとは別の意味で肩を竦められる。
「お前意外とはしゃべりたくもないらしいとさ、かわいいところもあるじゃねえか」
「……分かったが、あの子はちゃんとした服なんて持ってないぞ」
「最初の日に来てた服で大丈夫だから心配はするな、支給品は簡易的で一人でも着られたがお前と一緒の時の服は一人だと無理なんだとよ」
「気乗りはしないが理解はした……」
「助かるよ」
いけ好かない商人からの貰い物だったが、彼女がそう言うのであれば無下にするわけにもいかない。
どうやって見ないように手伝ってやるかを考えていると、「ああ、それと」と何かを思い出したようにニっと笑う。
「あの子言ってたぞ、あの服だけは特別なんだとよ。妬けるねぇ」
「……うるさいぞ、ギアンさん。ほら、縄をかけろ」
「いや、いらん」
「は? 俺は罪人だぞ」
「分かってる。だが、今回は"相手方に失礼のないように"と言われている」
「……どういうことだよ」
「さあな。ほら、行くぞ」
道中揶揄われる気配をひしひしと感じながらも、メアーを迎えに行く。
手縄の無い違和感を感じながらも石畳の道をギアンさんの後に続き、城下の宿でメアーと合流する。
言われた通りなんとか二人で着替えを済ませると「逃げずに大人しくすること」と表面上の注意を受け、そのまま通りに出ると今度は来賓用の馬車に出迎えられ、どういうことだと再び目を丸くさせられた。
問いかけに答えが無いので、仕方なく身なりのいい御者を見つめていると、ギアンさんが慣れた足取りで馬車に乗り込み「王城へ」と聞こえてくる。
牢が城内にあるので出戻りになったが、相手が城に居ると考えるといよいよただ事じゃないと緊張して手が汗でじっとりと濡れていく。
いったい何をされるのかと戦々恐々としながら、そのまま城内へ入り、馬車を下りると、目の前にはあからさまに名工が手掛けているであろう継ぎ目の見えない壁立ちはだかり、地下牢とは真逆にある城の反対側にまで連れてこさせられていた。
同じ王城内とはいえ、コアコセリフ城は広い。
反対側に移動させられるのなら馬車が必要なわけだと嫌な顔でギアンさんの後について行くと、今度は人間は減り亜人の姿が徐々に増え始める。
本当に国王が亜人を受け入れようとしていることに驚かされる。
メアーやフランのような獣人や、川や水の中で泳いでいる魚によく似た亜人、かと思えばずんぐりむっくりで手先の器用さで有名なドワーフや、耳が長く弓の扱いが上手いと聞くエルフまで……。
それどころか、見たこともない種族や人間と見た目がほぼ変わらない種族までが城内を手に手に書類や荷物を持ち忙しそうに駆け、中には人間の侍女とも楽しそうに会話をする亜人の兵士らしき姿もあった。
チテシワモ地区では珍しくないが、ほかの場所ではまだまだ珍しい光景がそこに広がっていた。
これが国王陛下がやろうとしている未来、か。
巻き込まれたせいか、それとも俺自身が最初からそう感じていたのか分からないが……ずいぶんと長い道のりになりそうだと、他人事のように思ってしまった。
「ご主人さま、どうしたの?」
「え?」
声をかけられ、自分が足を止めて今の光景に見入っていたことに気が付く。
もう一度、忙しそうに駆ける彼らの姿を目に焼き付け……
「……いや、何でもないさ」
とメアーに返してから歩き出すと、ギアンさんがこちらを振り返って待ってくれていた。
「おいおい、リヴェリク。急に足を止めるんじゃない、置いてくところだったぞ」
「悪い、手間をかけた」
「俺は良いが……どうした、何か気になる事でもあったのか」
「……ギアンさん、この城にいる亜人たちは?」
「ん? ああ、陛下が城へ招き入れた亜人たちだと聞いてる。私たちのチテシワモ地区と似ている光景だな」
「彼らも城での仕事を?」
「王や一部貴族が率先して仕事を割り振ってるらしい。まだ城勤めをする貴族たちの反発も強いらしく、隅に追いやられているが……貴族連中と変わらんほど仕事をしてくれているそうだ」
「今の口ぶりだと、ギアン隊長殿はこの事を知っていたのか」
「……喋りすぎだ、リヴェリク。自分が罪人扱いというのを忘れるな」
「ごまかすの下手だな、相変わらず」
「うるさい、さっさと歩け」
露骨に会話を切られ、そのまま城の奥へと向かわれてしまう。
驚いた、ギアンさんの口ぶりからして知人が王城に努めているのだろう。
今の今までおくびにも出さなかったのに、俺にばれた途端、先ほどまでの緊張した歩みではなく勝手知ったる我が家のように突き進み始めた。
「まったく、俺が足を止めなきゃ置いて行く勢いだな……」
ズカズカと歩いて行ってしまうギアンさんに呆れながらも、メアーに声をかけようと振り返る。すると、メアーは嬉しそうに俺を見上げていて、かけようと思っていた声がぐっとのどに詰まる。
大きく子供の色を宿したガラス玉のような瞳がかすかに動き、上目遣いに目を細めるとふっと口元をほころばせる。
どこか、誘うような……蠱惑的にも感じる彼女の所作にばつが悪くなり、慌てて視線を前に戻した。
「行くぞ」
「ん」
変わらぬ様子のメアーに変な緊張をしながらギアンさんを追いかけると、とある部屋の前で立ち止まっていた。
「ここだ、近くで待て」
俺たちが追いついたのを確認してから、何かの合図なのか、リズムをつけてノックをする。
すると、ドアの向こう側から待ちかねたとでも言いたげな足音が聞こえ、軋みながらドアが半開きになった。