第18節「本当の抱擁」
広間が橙色の光に包み込まれ、周りが騒然とする。
広間に飛び込んできた光の色とその意味に気が付いて、また目の前の事が信じられなかった。
だって、閉じた瞼を貫通した光の色は、柔らかくも包み込む橙色だ。その色は、旅の途中、何度も目にした、あの子が灯してくれた魔力ランタンの色だったから。
しかも、今のは別れ際に伝えた、過剰に魔力を注がれたことによるフラッシュ。
つい最近まで見ていた俺が、その色を見紛うわけがなかった。
だが、あの子がここに来るわけがない。来るはずがなかった。
あの子を介抱して、ここに連行された。場所すら伝えてない。この場所を知らないあの子がここにたどり着くなんて不可能なはずだ。
はず、なのに……。
目を閉じたまま、背後で誰かが駆ける音がする。
鎧じゃない、身軽さすら感じる程軽い足音がカーペットの上を走ってくる。
ありえない、だって、俺はお前を……。
「まさか、お前なのか、メアー?」
ここに居るはずの無い、彼女の名を呼ぶ。
そんなはずはない。俺はあの子をギアンさんに頼んで、チテシワモ地区に置いてきた。こんな罪人を裁くための裁判に来るはずがない。
なのに……。
跪いていた腕がだれかに触れられる。
服越しでもわかるほど小さく、柔らかい指先がぎゅっと服を掴み、もう離さないと言わんばかりに手繰り寄せられ抱きしめられる。
だれかの体温が確かに伝わり、自分でも目が見開いていくのが分かった。
「ご主人さま、メアーが迎えに来た、よ? また、褒めてくれる?」
顔を上げると、かぼちゃ色の瞳に大きな隈を残した少女が、かすかにその大きな瞳を潤ませ、別れたはずのメアーが微笑んでいた。
こんな時だというのに、こらえきれなかった感情で目頭が熱くなり、同時にこの先の事を考えた恐怖で息が詰まってしまう。
どうして……どうして、こんな場所にまで来てしまったのか。
俺を助けに来れば、彼女だって罪人として扱われてしまうなんて分かっているだろうに。
なんとか逃げられないかと探したが、先ほどの光を受けたばかりだというのにすでに体勢を立て直し、俺たちを取り囲もうとしていた。
もう逃げられないと悟り、周りが突然現れたメアーを警戒する中、彼女を守るように抱き寄せる。
「メアー、お前、なんで……」
「自由って言ってた、から。迎えに来た、よ? もっと頑張るから、ご主人さまに首輪をつけ直してほしい」
「お前、また奴隷にでもなるつもりか。俺は自由にしろって言ったはずだ、メアー!」
「ん、だから、首輪、もう一回、ご主人さまがいい」
本来なら怒るべきなのかもしれない。
せっかく彼女が助かるように俺の剣の傷をつけ、サラを遠ざけ、ギアンさんにもお願いをした。俺が居なくても平気なように最低限出来るだけの事をして復讐を果たそうとしたのに……。
なのに……彼女は来てしまった。
なぜこうも上手くいってくれないのか。なぜ、彼女は自由を理解し俺の元へと来てしまったのか。
なぜ、俺は……
俺が良いと、もう一度首輪を望む彼女の言葉で胸が温かくなってしまうのか。
こうして彼女がここに居ることが、彼女を巻き込んでしまう気がして怖くて……なによりも、嬉しく思ってしまう自分が居た。
彼女を抱き寄せると、横から騒がしく「貴様!!」と声が上がった。確認するまでもない、貴族席に居たフレミアの声があがった。
「お前、まさか! 生きていたのか!? しかも、どうやって城内に……。くそ、おい、何をしている! 誰でもいい、その亜人も捕まえろ!!」
「チッ、メアー! 頼む、お前だけでも逃げろ」
「だめ、ご主人さまも一緒」
彼女だけでも逃げてほしくてそう叫ぶが、メアーは頑なに俺の腕を離そうともしない。こうしている間にもじりじりと、武器を手にもった兵士たちが距離を詰めてくる。
焦っていると、メアーが突然俺の腕を離した。軽くなった腕に引きずられるようにメアーを見ると、いつの間にか両手で持った魔力ランタンを掲げ、ランタンが淡く発光し始めていた。
まさか、もう一度あのフラッシュを使うつもりなのか。だが、あの商人が言うには……。
止めようとした旬あkん、小さな両手で抱えていたランタンにパキっと軽い音がし、メアーが大きな瞳を見開き、ランタンを抱え込んだ。
「あ、ご主人さまにもらった、ランタンが……」
咄嗟に抱え込んだみたいだが、彼女の胸元で光が徐々に弱まり、音を立てて入ったヒビは止まらずにガラスが割れていく。
先ほどのような強い光を放つことなくバラバラとその場でフォーヴ化した獣たちのように光の粒になって霧散してしまい、奥歯を噛み締める。
やはり、耐えきれなかったか。
あれは緊急脱出用の技だと、あのリャーディの商人に教えてもらった通り、一度しか使えないというのは間違いじゃなかったようだ。
これで、彼女は逃走手段を失った。
魔法さえ使えば逃げることもできるだろうに、メアーは逃げる様子もなく再び俺の腕に抱き着いた。
逃げようともしない彼女に感情が高ぶり「どうして……お前は……」と言葉が漏れ、抱き着いた肩が跳ねる。
「ご、ごめんなさい。ご主人さまにもらったランタンを壊しちゃった……」
「っ、いい……。そんなものどうでもいい! どうして、逃げない! ランタンも、魔法も! お前なら一人で逃げることだってできるはずだ! 俺なんて置いて行けばいい!」
「やだ……」
「メアー!」
俺の怒号が広間で反射し、その場が静まり返った。
まるで時が止まったかのようにシンとした謁見の間に、メアーの「約束……」という小さな声が広がる。
ほとんどか細く消えるような声で、震えている声だった。なのに、俺に届いたその声は、どんどんと大きくなっていく。
「約束。猪のお肉もまだ探せてない……」
「に、肉? 森で話した、干し肉の話か?」
半信半疑の問いだったが、戸惑いなくメアーは頷かれ動揺する。
命がかかっているこんな時に彼女は何を言うのか。
たしかに約束した。だが、それは王都前の森でした口約束で何の強制力もない、ただの世間話みたいなものだ。
駄々をこねるメアーを引きはがそうと、もう片方の手を伸ばしたが、嫌々をするようにぎゅっと抱きしめ離れようとしなかった。
「そんなことどうでもいい! 離れろ、メアー!」
「いや」
「っ、お前、いい加減に……!」
「まだ、ご主人様が好きって言った食べ物を食べられてない!」
怒りで握った拳が行き場を失い、メアーの張った、しかしそれでもまだ小さな声が謁見の間に……いや、俺の中で反響する。
初めて聞いた彼女の叫び声に驚き見つめ返すと、濁ったかぼちゃ色の瞳が俺をじっと見つめ続けていた。
今こうしている間にもフレミアが何かを叫び続けているはずなのに……メアーの叫びが聞こえた誰も……国王陛下やフランも、周りの兵士すらも動いていないのか、音が全く聞こえなかった。
「好きなって、お前、何を……言って……」
「あの夜、約束、まだたくさん抱きしめてもらってない、よ? 寝られない日も、一緒に寝てくれるって約束した。ご主人さま"セイギ"だから、約束破ったりしない、から」
「……いいや、俺は悪い人間だ」
「ううん、ご主人さまは悪い人じゃない、よ? ご主人さまは私のお願い聞いてくれた。サラって人をかばった。私を自由って逃がそうとした」
「それは! っ……」
「もっと……もっともっとたくさん褒めて、ご主人さまの大きい手で頭を撫でて? それから、たくさんたくさん教えて、ください。悪い事も正義の事も……ご主人さまの物にして? 私、それがしたい」
「俺が……俺は……最初からお前を利用するつもりだった。お前の約束を、俺は……」
叶えられるはずがない。
当然だ、元々叶えるつもりなどなかった。フレミアという悪を倒すことだけを考えていた俺が、生きて彼女と約束を果たすなど考えていなかったのだから。
しかし、首を振りぐっと頭を押し付け距離を詰められる。
「知ってた、よ。ご主人さま、約束守る気がないって思ってた」
「な……んで……なっ、ならなぜ……」
なんで、メアーは俺についてきたんだ。
言葉にならない疑問が浮かび、メアーは「えへっ」とだらしなく笑いをこぼす。
「二度目に会ったご主人さまが、初めて可哀そうじゃない目で見てくれた、から。私に優しくしてくれて、褒めてくれて……」
「俺は何もしてない……お前に、俺は何も……」
「ううん、たくさんしてくれた、よ? 頭を撫でてくれた、たくさん頑張ったことを褒めてくれた。一緒に寝てくれた」
「それだけだ。俺を利用しろって言っただろ」
「ん、でも、私は初めてだった。嬉しかった。ご主人さまは"私の正義"だよ? だから次は……私を好きに使って?」
彼女が口にしたのは森でも語った言葉の延長でしかない。
違う、俺は彼女の言うような人間じゃない。もっと、もっとひどい人間だ。
彼女を利用するために助けた、必要だから優しくした、必要だから彼女に命令もした。なにも……何も特別なことなどしていない。
どれもこれも正義のためだ。
感謝されるいわれもない。当然の、事……。だから、余計に彼女が分からなかった。
なのに……。
目の前のメアーを見つめる。
見上げた長いまつ毛越しに見えるカボチャ色の大きな垂れた瞳。まだ幼さの残る顔立ちに、油断をすれば手を伸ばしてしまいそうなほど綺麗で柔らかな肌。
ご主人さまに仕えている証の、武骨で痛々しくもある不釣り合いな首輪。
彼女は、俺が正しいという。
なにも知らないのに……彼女の言葉がただただ嬉しくて仕方がなかった。
溢れそうになる涙を必死で抑えながら、彼女の首輪に触れ「なあ、メアー」と語りかける。
垂れ目で隈の浮き出た大きな瞳で俺を見上げ「ん」と短い吐息でメアーは返事を返してくれた。
「俺はひどい人間だ」
利用するためだけに彼女を檻から助け出し、正義感を満足させるためだけに自由にしろと命令し、約束すらまともに守ろうとしない……彼女の、メアーの求めていないご主人さまだ。
そんな俺に、首輪をつけてほしいと目の前の少女は願う。
だから、もう一度、最初に首輪をつけた時と同じ言葉を繰り返した。
「ん、酷い人はきっと、褒めてくれない、撫でててくれない、よ? 殴ってくる。壊そうとする、から、平気」
「今度こそ死ぬかもしれないぞ。俺を置いて、命惜しさで逃げ出すなら今しかない」
「でも、探すのはもう嫌。ご主人さまがいい」
「本当にいいのか、俺は……」
お前を他人に放り投げた人間だ。
「すきに使って、ください。駄目でも、また自由に追いかける、から……えへっ」
「はあ……。そうか。なら……」
付け直して、と言った首輪に手を伸ばすと「ん」とまるで口づけでも交わすように彼女が顔を上げ、目を閉じる。
こんな時なのに苦笑しながら彼女の首に手を伸ばし、緩んだ首輪をしっかりと付け直してやる。苦しくないように、そして落とさないように。
作業を終えた手を彼女の頬にあてる。
「ああ、メアー。これでお前は俺のものだ。我が儘があるのならその時にまた言え。考えてやる」
「ん……ありがとう、ご主人さま……もう一回、抱きしめて? 今度は何もしない、から」
「……ああ」
言われた通り、縛られた手で何とか彼女を抱きしめるために背中に手を伸ばすと、くぐるように彼女も頭を下げられる。
ゆっくりとメアーが頭をくぐらせると、耳がピンと張り、ポスンと軽い衝撃と共に俺の方に倒れこんでくる。
今度は、俺から……最初のような檻越しではなく、ちゃんと正面から彼女を抱きしめてやった。
背中に回した腕と彼女の背の間に髪の感触が伝わり、グシャッとつぶれた髪が首筋を撫でる。暖かい生きている人の温かさが服越しに伝わり、緊張で詰まっていた息が漏れ出した。
鼓動がうるさいのは……どっちの、だろうか。
まだ彼女が巻き込まれるかもしれないという怖さは残っている。
だが……。
いまはとにかく、彼女と再会できたことが嬉しくてしょうがなかった。




