第16節「おしえて、ご主人さま」―2
「じゆう……て、なに……」
ご主人さまが私に残してくれた最後の命令。
"じゆう"がなにか分からなくて、このままじゃご主人さまに捨てられるかもしれないって怖くなる。
それが出来なかったら、いい子じゃない。上手くできなかったら、今度こそご主人さまに会えなくなるかもしれないって、そう思ったら怖くなって目が痛くなって、口から言葉があふれてた。
「え? 自由ってどうしたの、急に……」
「……ご主人さまが行っちゃう前に、最後に私に命令した、ことだよ。もう自由だって。でも、どうしたらいいかわからなくて……」
気が付いたらそう答えてた。
そうだ、今この人はじゆうって聞いて、反応した。じゆうの意味を知ってるなら、教えてもらわなきゃ。正義も悪いことも分からないけど、それだけはこの人に教えてもらわなきゃ、頑張れない。
ぎゅっと首輪を握りしめるとその人は「それ……」って首輪を指さした。
「どうしたらって……。あ、その首輪……」
「これ?」
これは、ご主人さまの証。この人がご主人さまになられるのが嫌で、見られるのが嫌で指で隠す。
動物の皮を荒くなめして作られた、太くてざらざらとした首輪が指に伝わってきて、しっかりと私がまだご主人さまの物だって教えてくれる物。
この人に渡すのはだめ。
だって、これはあの人の物だし、この人はかわいそうな目で見る人だって分かる。
「おしゃれさん、ってわけじゃないよね?」
「おしゃれ?」
「あはは、違うんだ。だって、すっごく綺麗な服着てたから……。でも、それならその首輪はどうしたの? 誰かに酷いことをされてたってこと?」
「ううん。新しいご主人さまを見つけたときは、これをつけてもらえって」
私がそう言うとサラって人は"あの目"で私を見る。
やっぱり、そうだった。
この人は私を褒めてくれる人じゃない、かわいそうな目で見ないのはやっぱりご主人さましか居ない。
「それ、リクが言ったの?」
「うん」
ご主人さまにも言われたこと。
新しい人が居るはずだって。そう言われたことを素直に言うと、サラって人は顔が一気に真っ青になった。
「ね、ねえメアーちゃん。リクからその……か、体を求められたりとか……え、えっちなこととか、要求されたわけじゃないの? 殴らせろだったり、色々やれって命令されたりとか!」
「ううん。ちがった、よ? 私がしようとしたら、怒ってた。だから、服を脱げって言われるのを待ったり、触れって言われるのを待ってたけど、ご主人さまは何もするなって。命だけは自分で守れって言ってた、よ? それだけ」
「っ……はああー。悪いかわからないっていうから勘違いした! そっか。それだけ……それだけ、だよね。よかった……」
「よかった?」
「うん。あはは、不器用なところは変わらないんだなって。でもそっか、今のリクも正義のリクだったんだね……」
さっきまで困ってたのに、今度は嬉しそうにご主人さまのことをセイギって言って笑っていた。なんでそんな顔をしているのかわからなくて、心の中がざわついて、私の中が壁の外みたいにうるさくなっていく。
この音はうるさい。止めたい。
耳をキュッとして、音を聞くのをやめても音は大きくなっていって、やだなって思ってると急にサラって人が「あーもう!」って大きな声を上げてテーブルにぶつかる大きな音がしてびっくりする。
見てみると、頭を抱えてテーブルと口づけしてました。
そういう人なのかな。
「リクに女っ気があるからけん制しようとしてわざわざ何日も詰所に通ってようやくここまで来たのに、相手がこんなに疎くて小さくて私よりかわいいなんてずるい! 本当にバカみたい! リクのバカ! 正義バカ!」
「……どう、したの?」
「もう! あのバカ! ……っ。あのね、メアーちゃん」
「ん」
「奴隷は誰かの言いなりになる仕事だって聞いてる。今はそうじゃないけど……でも、すごくひどい事をされる場所もあるって聞いてる!」
「そう、なの?」
「うん。ケガしても、病気になっても……。どれだけ辛くても声を出すのもダメって言われたらそうしなきゃいけないの!」
「ん、ご主人さまの言葉守らなきゃって言われて――」
「ううん、違うの。だからね? その、リクは……メアーちゃんのご主人さまはきっと、こう言いたかったんじゃないかなって」
そこまで言ってサラって人は立ち上がって、私の横に来る。
首輪を取られるかもしれないって思って、体を使って隠すけど、サラって人が私の手を片っぽを抱きしめるみたいにぎゅってされる。
「メアーちゃんが一番やりたいことを優先して……すきなことを欲しいって」
その言葉がご主人さまの言葉みたいにすって胸の奥に入ってくる。
「やりたい、こと?」
「うん! だって、リクがずっと言うことを聞けっていうわけがないもん! リクは、私の好きなあの人は誰かのために動くのが一番好きな人だから!」
「だれかの、ために……」
そう、なのかな。
私は、優しい人の言うことを聞けば、褒めてくれた。
それが嬉しくて優しい人の言う通りにすれば、たくさん頑張った。でも優しい人はすぐに居なくなっちゃって……。
私がしてほしいって言ったから、ご主人さまも私を何度も褒めようとしてくれてたって知ってる。
だって、ご主人さまは嫌な顔をしながらもずっと私を撫でて褒めてくれてたから。
だからご主人さまは最後も褒めてくれようとしていたけど……。
そういえば、どうしてご主人さまは今日まであんなにずっと怒ってたのに、最後は辛そうに微笑んでいたのだろう。
ずっと考えて、口に指をあてて思い出す。ご主人さまが言った言葉を。
「すきに……」
ご主人さまが何度も……セイギと同じくらい言った"すきにしろ"って言葉。
やりたい……やってほしい事。
それが何だろうって考えて、すぐに分かった。
最初にご主人さまが許してくれた、頭を撫でて、褒めて……そのために頑張りたい。
優しい優しいご主人さまは最初から私のやりたいことをたくさんしてくれていた。
たくさん褒めてくれた。たくさん撫でてくれた。一緒になって抱きしめて、眠らせてくれた。優しかったあの人みたいに。
あの時、撫でてくれた手が、温かかった体温が、優しい声が、私の耳にも頭にも背中にも、体にも残ってる、よ。
首輪を……もう一度、ご主人さまに首輪をつけてほしい。
ああ、そう。私、それがしてほしい。
――ああ、ご主人さま、私の好きにしていい、だよね。だって"自由"なんだもんね。
そう考えると、悲しかった気持ちがどんどん嬉しい気持ちに変わって、胸が温かくなる。
えへっ、っと嬉しくなった気持ちが溢れて、こんな気持ちいいことをご主人さまが教えてくれたって思うと、もっと嬉しくなる。
だから、ね? ご主人さま。
私、もっともっと……たくさん教えてほしい。
ご主人さまのお願いがようやくわかって、うるさかった世界がシーンってなった。
胸がドキドキして、体が熱くなっていく。
だめ、だよ。だって、好きにしたら、ご主人さまに嫌われてしまう。
でも、ご主人さまは"セイギ"が好きみたいだった。私の褒めてくれる人、みたいに。
だから"セイギ"を頑張ったら、ご主人さま、許してくれる、よね。
大きな町で、魔法を使わない。誰も殺しちゃいけない。そんなご主人さまとの約束を全部守って、私のすきにしたら、ご主人さまは帰ってきてくれる、よね。
だから、早く行かなきゃ。
ギアンって人に返してもらったご主人さまの荷物を両手持つけど、大きくて両手で抱えないと無理だったから、付け方は分からなかったけどガチャガチャって動かして、落とさないように首輪をつけた。
ぶかぶかだったけど、ご主人さまにまたつけてもらえばいい、よね。
「行かなきゃ」
椅子から立ち上がって、狭い石レンガの建物の外を目指す。
ここに居ても、ご主人さまには届かない。
――どこに行くんだっけ、ギアンって人がご主人さまに会いに行くって言ってたから……。お城ってところ、かな。
どこに行くか分からなくて首を傾げたけど、ギアンって人がそこに行くって言ってたからそこに行ってみることにした。
急いでいこうとしたら、後ろから声をかけられて止められる。
「ちょ、ちょっとメアーちゃん、どこに行くの?」
「? ご主人さまのところ、だよ?」
「リクの所って……でも、リクは悪い人って使っちゃってて……」
「だめ、なの?」
「だ、駄目だよ! 今リクを助けに行ったら、メアーちゃんまで悪い人にされちゃう! そしたら、リクがせっかく逃がしてくれたのに……!」
「それでいい」
「え……?」
「ご主人さま"正義の人"って言った」
「う、うん。リクは悪い人じゃないだから!」
「だから、頑張ったらご主人さまは私を捨てない。えへっ、また褒めてもらえるから」
それっきりその人は黙ってくれる。
よかった、これでようやくご主人さまに会いに行ける。
背伸びをしてなんとかドアを開けると向こうから光が降ってきて、ご主人さまが教えてくれた、たくさんの人が歩いてる景色が見える。
ご主人さま。今会いに行くよ。
ドキドキと音を鳴らし続ける鼓動が大きくなって、うるさかったお外はうるさくなくなる。
これからご主人さまに会いに行けるって思うと、もっともっと。でも、それが気持ちよくて、落ち着かなくて、どんどん嬉しくなる。
「ご主人さま。私やりたいことする。だから……だから……」
私を、置いて行かないで。
うるさいのに、全然嫌じゃない胸の音を心地よく感じながら、私は大きなお城に向かって歩く。
たくさん……たくさん歩いて、お城についたら……。
たくさん、撫でて、褒めて、優しくして、ね?
すっかり良くなった足の痛さを無視して、お城に向かって走った。




