第16節「おしえて、ご主人さま」
ご主人さまが連れてかれてからすぐ。
話しかけられ、気が付いたらかしゃかしゃってうるさい人がたくさんいる場所に居た。
寒くもなくて、温かくもなくて……でも、ほんの少しの血と濃い汗のにおいがして、私が捕まってた場所に似てる場所。
石の壁に囲まれて、木の椅子とテーブルが置かれた狭い部屋で、部屋から出ないなら何もしないって言われたから、ご主人さまに言われた通りいい子にして、"ギアン"って男の人に聞かれたら全部ちゃんと答えた。
ご主人さまに聞かれたら答えろって言われたものを全部話すと、ギアンって人は大きく息を吐いて「分かった、ここで待ってろ」って言ってどこかに行ってしまった。
その後「これから城へ行く! 誰か雑務を頼む!」って言ってたけど、城って大きな家の事、かな。あんなところで何をするんだろう。
そういえば、ご主人さまもあのお城の方に連れてかれてた。
……ご主人さま。
今この場にご主人さまが居ないことを思い出して、せめてご主人さまの事を感じたくて首に手を当てる。でも、そこに首輪は無くて……手元に握ったままの首輪を握ると音が鳴った。
思い出すのはご主人さまの最後のお願い。
――ご主人さま、私、どうするの? すきにしろってなあに?
わからないから、ご主人さまに言われた通り、我慢して待つために椅子に座って石の壁をぼうっと見続ける。
椅子のへりを握って、ずーっとご主人さまのことを考えて、ご主人さまに持たされた首輪も無くさないようにってぎゅっと握りしめる。
どれだけ待っても、ご主人さまは来なかった。
その間、何度も何度も頭の中に出てくるのはご主人さまの事だけ。
私を見つけて、褒めてくれた大切なご主人さま。私のお願いを聞いてくれた優しくて、嫌な目で見なくなったたった一人の人……。
思い出すたびに、鼻の奥が痛くなる。
どうして、ご主人さまは私を置いて行っちゃったんだろう。
一緒に居るって約束してくれなかった……わたし、駄目な子だった、かな。
そう思うと、殴られた時の何倍も痛くなって、胸の中でどくどくって音が鳴った。
とまらない、うるさい音が……。
「ご主人さま、どうして私を……メアーを置いて行っちゃった、の?」
ぐるぐるぐるぐる。
頭の中がそればっかり風車みたいにぐるぐる回って、最後に言われた言葉が何度も何度も、畑に突き刺すクワみたいにぶつかってくる。
なんでか考えようとして痛くなって、ご主人さまの顔が浮かぶ。
いつも怒った顔だったのに、最後は悲しそうで……私にやさしく褒めてくれた人みたいな辛そうなお顔をして。
どうして、ご主人さまはあんな顔をしたんだろう。
どうして、ご主人さまは最後に"じゆう"なんて命令をしたんだろう。
どうして、泣きそうな顔で謝ったんだろう。
「"じゆう"って、なに……? ご主人さま……」
口から出た言葉が不思議で、意味が分からなくて、指で口の端にさわる。
そう、ご主人さまは"じゆう"にしろって言ってた。
"じゆう"って何だろう。すきにしろってなんだろう。それがずっと分からなくて胸が猫の人と喋ったときみたいにもやもやして。
全部全部壊したくなる。
でも、それだけはだめ、ご主人さまとの約束だから最後にした約束だから。
ずっとずっと守らなきゃいけなくて、でも、ご主人さまは私と最後に約束できないって泣きそうで。
何もわからない。なのに、どうしてこんなに、ずっともやもやして……。
ぐっと痛くて我慢してると、誰かがこっちに来る音がした。
耳をそっちに向けて、じっと足音を聞いてると、すぐ近くに来てすぐそこにあるドアが開いたと思ったら「わっ」って高い声が聞こえた。
ご主人さまじゃないって分かってたけど、すごく悲しくなった。
早く居なくならないかなって思ってると、その人が近づいてきて目の前で手を振られて目を向けると、見たことあるすごく、嫌な顔の人がそこに居た。
「えっと、聞こえてるよね。ごめんね、急に。リク……。赤い髪の、人間の男の人と一緒に居た亜人の子の……。メアーちゃん、だよね? 私、サラって言うの」
ご主人さまに"サラ"って呼ばれてた町の女の人。ご主人さまを好きって言ってた、女の人。
前のご主人さまを知っている人。
そんな人が言った「リクのことがが好き」って言葉が頭の中で大きくなって、ぐっと胸の中が痛くなって邪魔になる。
うるさくて、沼に沈めたいし、いやな気持ちになるのは嫌だったけど、ご主人さまとこの町で魔法を使うのはだめって約束したから必死に我慢した。
それに……ご主人さまが辛そうにこの人には手を出すなって言ってたから、私がいやでも我慢しないと、ご主人さまがもっと辛くなるって思う。
ずっとずっと……私の横で悲しそうなご主人さまが居たのを思い出して、私まで悲しくなって――。
目と目の間がすごく痛くなって視界がフルフルと震えたと思ったら、サラって人がすごく慌て始めた。
「わわ、ご、ごめんね? 急に話しかけちゃって! 泣かそうと思ったんじゃなくて、ほ、ほら、な、泣かないで?」
「ん……」
「ほっ……。ねえ、メアーちゃん。泣かせちゃったみたいだけど、聞いていい?」
「ん」
「ん、って聞いていい……ってことだよね? あのさ、メアーちゃんはリクに助けられたって聞いたんだけど、助けられてからずっと一緒に居たんだよね?」
「ずっと一緒だった。眠るときも、水浴びするときも、戦う時も」
「み、水浴び……。そ、そっか。あのね、ずっと聞きたかったんだ。彼は……リヴェリクは本当に悪いことしてたの?」
「わるいこと? 悪いことってなあに?」
"悪いこと"が何のことか分からなくて首をかしげる。
少なくともこの人はご主人さまの事を嫌ってない。だから、この人の言ってる"悪いこと"がご主人さまが教えてくれたやっちゃいけない事じゃないって分かるから余計に分からなかった。
「えと……人の物を盗んだり、壊したりとか? あとは……そう! 正義に反してたりとか! あはは、最後の葉はリクの受け売りだけど……」
「"セイギ"……ご主人さまは"セイギ"のためって言ってた、よ?」
「本当? リクは、正義のためって言ってたの?」
「ん」
「そっか……」
"セイギ"のためって言ったら、サラって人は安心したみたいに目が細くなった。
"セイギ"って安心できること、なのかな。
だって、ご主人さまは”セイギ”ならって何度も謝ってる人たちを見逃してて、その人たちはみんなほっとしてすぐに居なくなってた。
それなら、私にとっての"セイギ"はご主人さま。
……でも、前にご主人さまに”セイギ”なの? って聞いたら、ご主人さまは私に"じゆう"と言ったときみたいに悲しそうで辛そうで、泣きそうな顔をしてて……。
ご主人さまの言ってた"セイギ"と"じゆう"ってなんなんだろう。
「ねえ、メアーちゃん。聞いてくれると嬉しいんだけどさ。実はね、私、兵士さんたちにたくさんリクのことを聞かれたの」
「ご主人さまの、こと?」
「うん……メアーちゃんのご主人様は罪人だから事情を聞かせてくれって……。そんなこと絶対理由なくしない人だから、そんなことないって言ったけど……私、自信なくて……」
「じゃあ悪い人だから、ご主人さまは連れてかれちゃったの?」
「違う!! ……ううん、違うって思うの。でも、連れてった人たちはそう思ってるかもしれなくて……。ねえ、メアーちゃんは、君のご主人様と一緒にこの町に来たんだよね」
「ん」
「なら、その間にあの人が悪いことをしてたり、誰かを傷つけたりしてたのを見てたり……する、んだよね? どうしてか分かる?」
サラって人が、下唇を嚙んで、とっても辛そうに私の事を覗き込んだ。
ギアンって人と同じことを聞かれたけど、そんな顔は覚えが無くて……。不思議と、同じことをこの人にも答えていた。
「ご主人さまは、ずっとずっと殴られてたから」
「っ……どういうこと?」
「たくさんの兵士がご主人さまを殴ってた。ご主人さまが私を連れていこうとして、それで殴られて……。ご主人さまはそのまま森に捨てられてた」
「っ、そのあと彼を殴ってた人達はどうしたの?」
「近くの村を壊してた。後でご主人さまが私を見つけてくれて、その村に行ったの。ご主人さまがすごく怖い顔でその跡を見てた。だから、その村を壊した人たちに話を聞いてた」
ご主人さまに言われた通り。
馬車の事と、その人たちをどうしたか、までは言わないって約束だから。
それだけは何があっても話しちゃ駄目って、必要だからって。
そこまで言うと、サラって人の目が動き回った。
「そんな……でも、それは兵士さんたちがリクがやったって……でもリクがそんなことを……」
何も言わなくなったサラって人から目を外して、ご主人さまのことを考える。
今日何回考えたか分からない、どうしてご主人さまはどこかへ行っちゃったんだろうって。
この人がご主人さまを悪くないって思ってるのなら、ご主人さまはどうして連れてかれたんだろう。
ご主人さまが行きたかったから?
でも、だってご主人さまは私に約束してくれた。ずっと一緒に居るって。夜は一緒に寝てくれるって。命令を聞いたらたくさん褒めてくれるって。
今度は一緒に居てくれたのに。
約束……そうだ、きっと約束を守ったら……。ご主人さまが最後にしてくれた命令を守れば、また褒めて、撫でてくれる、かな。
ぎゅっと握った手が首輪の鉄の部分で痛くなる。
でも、そんなのどうでもいいくらいドキドキして、息が苦しくなった。
そう。きっと命令を守ったら、ご主人さまはまた帰ってきてくれる。ご主人さまはセイギだって言ってた。"セイギ"がほっとすることなら、ご主人さまは私を迎えに来てほっとさせてくれる。だから、絶対に帰ってくる。
だって、
正義の人なら、絶対に捨てたりなんて、しない、よね?
だから、ご主人さまとの約束を守れば、また帰ってきてくれるかもしれない。
ご主人さまが、帰って……。
そう思ってすごく嬉しくなったけど、それが難しいことだって分かった。
だって、最後の命令って、たしか……。




