第1節「リヴェリク」―2
カラッと乾燥した日ざしが訓練場に降り注ぐ、事件も起きない暇な日中――。
四つに区分けされた城下町の、亜人が多い地区、チテシワモ地区の兵士詰所。本来であれば訓練に明け暮れていなければいけない訓練用の革鎧に身を包んだ数人の兵士と土埃に囲まれながら、同様の鎧を見に包んだ俺はもう一人の男と対峙していた。
周りから「やれ!」やら「その生意気な野郎をぶち殺せ!」やら、不穏な声が聞こえてくる中、一応詰所の同期であり、嫌味が有名な同僚と見合わせ、ジリジリとした時間が流れていった。
周りの音も消えていくような集中の最中、焦れたいやみ君が飛び込んでくる。無造作に突っ込んできた木剣を弾きあげた瞬間、カコン、という耳障りの良い音が訓練城内に響いた。
ソレが火照った頬かすめて舞い上がりはるか上空に吹き飛んでいく。天井のない空に打ちあがったそれが柔らかい土の地面に転がり、ガラゴロと歪な鈴を鳴らした。
痺れた手を振り剣を持ち替えると、剣を吹き飛ばされた相手――いやみ君が地面に座り込んだのにもかかわらず、俺のことを憎々しげに見上げていた。
どうやら、まだ俺に文句があるらしい。
わざわざケンカを売ってきた相手に木剣を突き付けてやる。
「どうした! お前の言う親の七光りに対する正義はそんなものか!」
怒りを混ぜ込んでそう叫ぶと周りの兵士たちからも「あーあ」と声が上がる。
まるで俺が勝ったのが残念だとでも言いたげだ。悪いのは"親の七光りで兵士詰所に潜り込んだ田舎者"とケンカを売って来たこのいやみ君だというのに。
訓練をさぼり、人をやっかむことしかできなかった当の本人に目を戻すと、つまらなそうにため息をつき始めていた。
反省をしていないようなので木剣をさらに突きつけてやると「これはまいった!」とケラケラと笑いながら両手を上げた。
「いやあ、さすがは元騎士の息子で、自身も民草の味方である近衛騎士を目指すリヴェリク様だ。降参だ、まいったよ。さすがだ」
心にもない言葉がよくもまあ口から出る物だ。
まあしかし、気持ちがわからないでもない。自分が同期だとして、騎士として知名度があった親がいる人間が居たとしたら思うところがないこともない。
木剣を肩にかけて悪態をつきそうになるのを飲み込んでため息をつくと。
「はあ……。まだ喧嘩をする余力はあるように見受けるが?」
「ははっ、御冗談を。血筋では実力は見合うはずもございませんで」
まだいやみを言う男にいら立ちそうになり頭を振って怒りを抑え込んだ。
この手の人間はこれ以上何をしても無駄だ、突っかかるだけ無駄と判断し仕方なしに木剣を下げる。
「待て待て待て! 両者ともそこまでだ!」
木剣を下げた瞬間、だいぶ遅いタイミングで止めの号令がかかった。
声の上がった詰所入り口を向くと、鬼の形相とひげを蓄えた壮年の男性――小隊長の任を授かったこともあるギアンさんがズカズカと足音を立ててこちらに向かって来ていた。
彼は父の古い知り合いでもあり国王陛下からも認められている力ある兵士の一人で、現在俺が世話になっている詰所隊長でもある。
周りの兵士たちは怒られたくないからか、蜘蛛の子を散らすように建物の影へ逃げていくのが視界の端に映り、口元の端が持ち上がりそうになった。
脇から「げっ、隊長……」と聞こえてきたが、礼儀を正さない奴を気にする必要はないと、木剣を控え背筋を伸ばして姿勢を正し、開いた右手を左肩に充てるコアコセリフ式の敬礼をする。
「ギアン隊長、お疲れさまです」
俺が返事をした瞬間、ギアンさんも事情を察して重苦しいため息をつきながら頭を抱えた。
どうせ、またかと思われているのだろう。そう言ったのは俺だが。
手を伸ばしても届かない距離感まで来たところでギアンさんは立ち止まり、再びため息をついた。
苦労してそうだ、だれのせいとは言えないが。
「またお前か、リヴェリク! 貴様は何度うちの兵士ともめ事を起こせば気が済むんだ」
「お言葉ですが、隊長殿。いつも問題を起こす兵士は決まって騎士であった父の身分を持ち出してきます。それにこいつは――」
「やめろ、リヴェリク」
真実を上申しようとしていると、ギアンさんに手を上げて制されてしまう。
事実無根な事柄で糾弾されるのは非常に腹立たしいが、これ以上無駄に申告して反逆の意志在りとされても迷惑をかけるだけだ。
「言い訳は聞かん。お前の周りで起きる問題はいつも同じだ。今更報告はいらんだろうが」
「はっ……」
「言いたいことは分かる。不満そうだな」
潔く諦めたつもりだったが、どうやらギアンさんには見抜かれてしまっているようだった。
しかし、ここで正直に報告をしたところで、状況的には手を出したのは俺だ。言うだけで無駄だと判断して口を噤んだ。
馬鹿馬鹿しいとは思うが、だれがどう言おうと原因を俺の責任にさせられるのは言うまでもない。
素直に謝罪の意在りということにしたほうが賢いだろう。
「いえ、不満などあるわけがありません」
「リヴェリク。お前の言いたいことは分かるが、我慢も肝心だ」
「……分かっています」
「本当か? いいか、リヴェリク。この世はすべて正しいことで回っているわけではない。故郷とはいえ騎士として我が国の領土を守ったロルソスを父に持つお前だからこそ分かってくれないか」
いつものギアンさんの説教モードが始まってしまい気が重くなる。説教が長ったらしくて俺のことを分かっていない……からではない。ただただいやみ君のような人間がほかにもいるからであって……
「おい。またあいつ怒られてるぞ」「さすが元英雄である騎士の息子は違う。目をかけられている」「あんな気持ち悪い身なりのくせしてなあ」「しっ、聞こえるぞ」「聞かせろ聞かせろ、どうせ親のコネで入ったんだ」
そらきた。
耳に届くか届かないかという声量でぶつくさと謂れのない陰口をたたく連中が言葉を紡ぎ始めた。
俺こそが正義だと説法をするつもりは毛頭ないが、故郷から出ない子供じゃないのだから、もう少し大人になることはできないのだろうか。
兵士たちの声はギアンさんの耳にも届いているのか、髭を蓄えた口で大きなため息をつき、うんざりした様子で天を仰いでいた。
口では気にするなとは言ったが、ギアンさんも面倒には思ってくれているらしい。
気苦労していそうなギアンさんの為に多少は我慢すべきかと視線を空に移して考えるが、自分が曲げたところで社会が変わるわけでもない。
苦労性のギアンさんには悪いが甘えさせてもらう。
「隊長、理解はしています。ですが、父を愚弄する言葉に対しては納得する理由はないと断言します」
「当然だ、他人を見下すような発言をする兵士には喝を入れねばならん。……が、もう逃げたようだな」
言われて先ほど弾いた木剣が地面に放置されケンカをしていたはずのいやみ君はいずこかへ消えてしまっていた。
いつの間に逃げたんだ、あのいやみ君は。
「……正味、この期に及んで責任逃れをしようなど、戦士としては恥と言ってもいいが、彼らもまたこの城下を、この町を守る兵士の一端。それは分かるだろう」
「はい。それはもちろん心得ています」
「そうか、ならこの件は不問とする」
「ありがとうございます」
「それはさておき……なあ、リヴェリク」
先ほどまでの隊長としての空気感ではなく、今度は俺の知り合いのギアンさんとして名前を呼ばれる。隊長としての威厳はなくなり、まさに親戚の人と言ったところだった。
兵士としての姿勢を崩し、気まずくなって頭をかいた。
「お前の父の親友としてだが、お前の父上殿は確かに偉大だったぞ? 武勲と実績はある。まあ、女と酒癖は良くはなかったが……」
「耳に胼胝ができるくらい。故郷でもそうだったらしいと」
「それはいい。だが、息子であるお前まで"騎士"という身分を背負う必要はないのだぞ? 今のご時世、騎士になるってことがどういうことか分からないわけではないだろう?」
「現王、ユリウス・ド・コアコセリフは人間とは違う亜人達の活躍の場を増やし国力を上げようとお考えになっている方であり、その王に騎士として認められるということは父さんと同じ亜人推進派の騎士として任命されるということ、そう認識してます」
「なら理解はできるだろう。亜人推進派があまり良く思われていないのは分かっているはずだ」
難しい顔のギアンさんが何を言いたいのか、覚えがあった。
亜人推進派――それは、現王や父さんも名乗っている、元々先住の民である亜人や人外たちを国へ迎え入れ、彼らに国力の力になってもらおうと考えている近隣国の中でも稀有な派閥の名だった。
元々近隣国を含め、長い歴史の中で筋力も強く魔法という人間には扱えない力を持つ亜人たちを忌避する声はそれなりに大きい。
必然的、というべきか。人間らしいというべきか。
今、コアコセリフ国内では王が進める亜人推進派と、隣国であるエルタニア教国の『人間こそが至高』という教えに影響を受けた亜人反対派の二つに分かれており、貴族だけではなく亜人を受け入れられないという国民にも波紋が広がっている……らしい。
父さんも王と同じ亜人推進派で、父が命を落とした襲撃も亜人反対派の一派という噂まである始末だ。
ギアンさんはそれが父の遺志を継いだからこその行動で、俺の周りの問題も、それが原因でもあると考えているのだろう。
心配はありがたいが、それでも俺は父さんの遺志を継ぎたい。そう思い再び姿勢を正した。
「我が父も唱えていた亜人推進派に危険が多いというのは父が死んだことも含めて身をもって知っています。ですが、本来コアコセリフ国では弱きものを守る。それが信念であり、正義です。亜人も人間も関係はありません。私は……俺はその正義が尊いものであると思い、正しいものだと尊重しています」
「……くそ、どうしてこうも……いいかリヴェリク。父上殿のこともある。おまえの主張も正しいが、正しいだけでは事は進まぬと理解しろ。俺だって顔見知りが死ぬのはもう嫌なんだ」
「…………」
「リヴェリク」
「はい。努力はします」
ギアンさんに大人しく同意はできなかったが、俺の主張だけで国が回らないことくらいは理解している。
意見を変えないというのは百も承知だったのだろう。
ギアンさんにしかめっ面をされてしまい、何かのどにひっかかったように言葉を詰まらせていた。
ギアンさんが口を開き、肩を掴まれた。
「っ、ああ、くそ。リヴェリク! 黙っていようと思ったが言うぞ! 俺は――」
「国王様のおなーりー!」