第11節「ご主人さまのこと」―2
すごく嫌な顔をしたご主人さまが首を振って、猫の人からお顔をそらすと「いくぞ、メアー」と怖い声で名前を呼ばれる。
慌てて返事をしようとして「ん」としか声が出なくて、足の痛さを我慢しながらご主人さまについて行く。
「あ、そうだわ、待って待って、リヴェリク君」
猫の人がご主人さまを呼び止めて、ご主人さまは大きくため息をつきました。
「今度はなんだ」
「ごめんなさいね。こっちは趣味なんだけど、メアーちゃんを少しだけ借りてもいいかしら」
「メアーを? 何のつもりだ」
ご主人さまはそう言って腕を伸ばしてくれる。
嬉しい。ご主人さまが私を誰かに渡さないようにしてくれるのがすごく嬉しい。
だって、私はまだ必要で、褒めてくれる。それならどんな使いをされても平気だから、そう思えるだけですごく嬉しかった。
ご主人さま、ご主人さま、どうかもっと褒めてください。
嬉しくてぽわぽわしてたら、猫の人に目線をあわせられる。
「急ぎなのはわかってるけど、さっきのお礼の代わりって思ってくれていいわ。わたし一人じゃその子には絶対勝てないもの。ほら、試してみてもいいわ」
「……。メアー、カリーナ――あの女はそう言ってるがどうだ」
ご主人さまに言われたから猫の人を見る。
さっきと違って、猫の人の周りに魔力で作った薄い壁みたいなのがあるって分かる。
私もこんなふうにできるのかな。
壁に手を伸ばすとパキって音がして指がずぶずぶと沈んでいく。水に張った冷たくて透明の板みたいに軽くて、猫の人のお顔が痛そうだったから手を引いた。
「どうにかできるか」
「ん、大丈夫」
「そうか……。おい、行商人。一応、俺の目の届くところで頼む。お前の連れは俺が見ているが、メアーに居なくなられると困る」
「ふふっ、もちろん。わたしの荷馬車の反対の方向でお話しさせてもらうわ」
「すきにしろ。メアー、その女について行って話を聞いてやれ。用が済んだら戻ってこい」
「分かった」
ご主人さまの言いつけ通り、見えるくらいの場所に案内されて、猫の人がしゃがんで目をあわせてくる。大きな盾に割れた目が見えて、その中に小さい女の子も映っていた。
どうして、この人は目を合わせてこようとするのだろう。
ご主人さまだけが、私を見ないで見つけてくれたのに……。この人はどうして私を……。ご主人さまだけが私のことを見てくれた世界に踏み入ってきて、むっとする。
「なに」
「あら、とげとげしい。メアーちゃん、だったわよね」
「はい。ご主人さまにメアーと名付けていただいた、ご主人さまの物です」
「そう……。ねえ、メアーちゃん。ご主人さまを振り向かせたくはなあい?」
「ふりむか、せる?」
「そう。あなたのご主人様を、あなたのほうへ」
「ん……。なんで?」
「あら、どうしてかわからない?」
猫の人の言葉にうなずく。
だってご主人さまは私を褒めてくれる。それだけでいい。だから、私に振り向かせるって言葉の意味が全然分からなかった。
猫の人がくすくすと笑った。
「だって、メアーちゃんってリヴェリク君のことが好きなんでしょう? さっきわたしがリヴェリク君に声をかけた時、すっごく怖かったもの~」
何を言ってるのか分からなくて「す、き?」って聞き返すと、猫の人は「あら、あらあらあら!」ってうるさくなって、とっても嬉しそうな顔になる。
何のお話か分からなかったけど……、猫の人がご主人さまに話しかけた時、すごくもやもやしたことを思い出した。
あの時の事、かなって、もやもやしてた胸に手を当てる。
「もしかして気が付いてなかったの? あらあら、わたしてっきり」
「あの、猫の人」
「うん? なにかしら、メアーちゃん」
「"すき"ってなあに?」
私がそう聞くと、猫の人はきょとんとして、難しい顔で腕を組んだ。
「猫の人?」
「あ、ええ、好きの話よね? ……そうねえ。本当はもっと時間をかけて知るものなのだけれど、ご主人さまはそれどころじゃなさそうだし、ヒントを上げるわ」
「ひんと?」
「ふふっ、メアーちゃんはずっとご主人様のそばに居たい。何をされてもいい。その人のために何かしたい。ご主人さまに褒めてほしいって思ってたりするかしら」
「ん、する。ご主人さまが居てくれるなら、ずっと頑張りたい」
「あら! あらあら。それなら話がはやいわ。メアーちゃんの思いがどういう形かまではわたしには分からないけど……それが誰かを好きになるってことよ。ほとんどの場合だけれど」
「私が、ご主人さまを……好き……?」
わたしが、ごしゅじんさまを、すき。
最初のご主人さまを見た時は何も感じなかった。
一番最初に覚えてるのは"かわいそう"って言ってた人達と同じ目で……。私のことを使う気も利用する気もなかった。
でも、殴られて捨てられた後のご主人さまは違った。
二回目に会ったご主人さまは……わたしのことを"どうでもいい"って目で見てて……なのに、いなくなった優しい人みたいにたくさん褒めてくれてる。
だから、必要とされてるって思って……。でも、私を見てなくて……。
そんなご主人さまが檻の前に来た時、すごく……すっごく胸がドキドキして……。
これは"好き"なのかな。
今のご主人さまを見ていると、胸がいっぱいになって寂しくなる。抱き着くと安心して体が熱くなる。胸の中に好きという言葉が浸透して、温かくなって、ああ、そうなのかもしれないって思う。
だって、あの人に優しかった人みたいに褒めてほしくて、壊したくないって心から思えて、そばにいたくて一緒にいたいって……。
もし、それが好きって気持ちなら……。
胸が苦しくなってきゅっと手を握る。手の中が乾いててそれがすごく気になってしまって、何度も握りなおしてしまう。
私は、ご主人さまのことが、好き。
黙ってしまっていると、猫の人は手をポンとたたきました。
「……困らせちゃったわね。そうね、この話はここでおしまいにして、リヴェリク君の場所へ戻りましょうか」
「ま、って?」
猫の人が言ってる"振り向かせたい"がどういうことか分からない。
でも、それがもし……もし、ご主人さまがもっと褒めてくれるのなら……。
そのまま行ってしまおうとする猫の人の袖を慌てて引っ張る。
「ふり……かせたい」
緊張して声が出なかった。
どうしてなのかはわからなかったけど、でも猫の人の言う通り、好きかもしれないって思うと、声が出ないことなんか、どうでもよくなるくらいもっと見てほしくなる。
"かわいそう"じゃない、別の事で私を見て欲しかった。
猫の人を引っ張った手で猫の人を逃がさないためにぎゅっと握る。
「ご主人さま、ふりむいて、くれる? かわいそうじゃない目で、見てくれる?」
「……ふふっ、もちろんよ。荷物番の子たちに頼んで私たちの馬車後ろまで来てちょうだい? のったらリヴェリク君も警戒しちゃうから、ほかの人に壁になってもらいましょう」
「なにをするの?」
「ふふっ、わたしには男の人をどきどきさせる簡単な"秘策"があるのよ~」
猫の人がそう言って差し出した手に、ゆっくりと手を握られた。
* * *
「ふふっ、それじゃあ、ここで待ちましょう。私が声をかけるわ」
肩に手を置かれて猫の人にうなずく。
猫の人の"ひさく"を使って、ご主人さまに見えるよう猫の人の前に立つ。
どきどきする。心臓がすごくうるさい。怒られたらどうしよう。ご主人さまに嫌われたくない。でも、褒めてくれる、かな。
いろんな事を考えて苦しくなる。首を絞められたときみたいに喉が苦しくなるけど、そのときみたいに気持ちがふわふわする。
「は~い、お待たせ、リヴェリク君」
「遅かったな。俺たちは急いで……急いで……」
振り返ってくれたご主人さまが私を見つけてくれたのか、すごく驚いたお顔で止まる。
私を見てくれてる。でも、いやなお顔じゃない。それだけで不思議な気持ちになって、もやもやしてた胸がいっぱいになって頬が熱くなる。
猫の人の"ひさく"。それは新しい服をくれる。ただ、それだけ。
今まで着ていたボロボロの服じゃなくて、白地のちゅにっくって服と薄紫のすかーとって履き物。
猫の人が遠くの国から仕入れたって言ってた、ふわふわしてるのに丈夫な素材の服。
ご主人さまは気に入ってくれる、かな。
「リヴェリク君。何か言うことがあるんじゃなあい?」
「な、なにを……」
「ふふっ、ほらほら。かわいいメアーちゃんが待ってるわよ」
ぼうっとしてると、猫の人がご主人さまの背後に立ってて、ご主人さまの肩に手を置く。それがすごく嫌でむっとしてしまう。
せっかくご主人さまが私を見てくれたのに、猫の人が取る。
ご主人さまの腕に駆け寄って腕を取ろうとして、ご主人さまが嫌がるかもしれないって冷静になってそっと袖を取る。
「どう、ですか? ご主人さま」
「その……目立ちすぎない服は、その、シンプルだが、似合っている。だから、不安そうにするな」
「……」
「おい、メアー。無言にはなるな。俺が……その……困る」
「え、えへへ、ありがとう、ございます。ご主人さま」
「それと、これからはからかうのをやめろ。……困るんだ。慣れてない」
「えへへ……はい、ごめんなさい」
「……謝るな。次から服も欲しかったら言え。ある程度は何とかする」
「ん、これがいい」
「そうか、お前が良いならいい」
最初は、猫の人に物陰に引っ張られて服を着せ替えられたときは本当にご主人さまがふりむいてくれるのかなって分からなかったけど……。
もう一度ご主人さまのことを見上げると、すぐに気が付いてくれたのか、恥ずかしそうに目をそらされる。
こうやって恥ずかしそうに、でも、嫌そうじゃないご主人さまを見れたなら、少しだけ……少しだけ、もっと見てほしいって思えた。
次は、もっとご主人さまが喜んでくれると、いいな。




