第10節「メアー」―3
「えほっ、ごほっ……まさか、本当に君だとは思わなかった……リヴェリク君」
「お前は……。あの時、会話を交わしたフレミア隊の兵士か」
思った通り、この兵士は崖上で「信念を曲げずにいてくれ」と言った壮年の先輩兵士だった。
そいつが、目の前で頭から血を流して木の幹に寄りかかっていた。
相手が知り合いだから剣を下ろす……わけにはいかない。喋って人柄がよかったとはいえ、相手はあのフレミア隊の兵士だ。簡単に警戒を解くわけにはいかない。
とびかかれない程度の距離で足を止めると、後ろについてきていたメアーが背中に当たって「ん」と声を漏らした。
メアーとこの男。どう対処すべきか悩み、いやみ君とは別種のため息をついてしまう。
「そうか。君は助かっていた、のか……」
「…………。それはどれの話だ?」
「はは、あのフレミアの茶番から、だ」
「チッ、知っていたのか。ああ、残念ながらこうして無事に生きている」
「死んだと思ってたよ。よく生きてたな? 魔物も出る森なんだろ? しかもあれだけ傷つけられて……」
「知識不足だ。この地域の生き物は皆明け方から昼まで活動する。お前たちが戦った氷狼もだ。フォーヴは対処方法を知ってれば子供でも殺せる」
「は、そうか! いや、まいった、なるほどな。だから無事だったのか……知ってれば、生きていなかったってことか」
「…………。お前も茶番だと知っていたのなら教えろ。この先、どこに行くつもりだった」
「教国以外に、か? 悪いが、この先に行けとしか教えられてない」
「それなら、なぜお前たちはこの馬車の護衛を? 見たところ、無事に帰られる保証はなさそうだが」
「……崖上の一件、あれもフレミアの策だった」
「チッ、やっぱりあれもあの男の策略か」
「ああ、最初からあの亜人を一度見るためだったとよ。さすが裏で色狂いと噂がたつほどの騎士様だ。取引相手と話し合って、最初からあの亜人の少女を一晩借りる予定だったらしくてな」
「最低だな」
それを知っているお前を含めて。
言葉にしなかったが、剣を持ち直すと男は力なく笑う。
「まったく、な。だから俺もここに居る。えほっ、ごほ……」
「あ? 何故お前までいる理由になる」
「簡単だ。上司の“一晩のお楽しみ”を邪魔した一因だからだよ」
「邪魔をした? お前が?」
「ああ。もともと俺に不信でもあったんだろうさ。決定打は君がフレミアの罪を明らかにしたからだ」
「意味が分からんな。なぜ、それでお前が」
「元々あの男は裏切りで上に上った人だ。そう言う人間は、えてして他人を信用していない。お前が突撃して罪を明らかにした時点でこうなると分かってたんだ……。それで、この馬車の護衛ってわけさ」
「あいつも、か」
「あいつ?」
「俺のことをフレミアに売った……あっちの馬車の手綱を引いてたやつだ。あいつもそれで?」
「ああ、だろうな。裏切る人間を生かすほど馬鹿じゃない……」
「ふん。……結局、あいつもお前も俺の巻き添え、ってことか」
信じられない言い分だが、言っていることは真実だろう。
フレミアという男は汚いことをさらりとこなす人間だ。意地汚く生きる手段を心得ているあいつの処理をためらうことなどないだろう。
しかし、部下にすらそう言われるとなるとあの男は幾度このような事を繰り返してきたというのか。俺程度にばれたのだ、表と裏の顔を隊の人間が知らないわけがない。
メアーを使うことが目的だったのなら、この機会に不審な動きの部下も裏切り者として森に捨てるつもりだったのだろう。
俺にしたことが、突発的な行動ではない。それを考えるだけで怒りでまぶたが震える。
見ると男の片足、鎧を身につけた片方の足に泥がびっしりとこびりつき、ぐちゃぐちゃに濡れ、泥の中に血が滲んでいる。
仮に生きて帰れたとしても兵士の身には戻れないだろう、その傷は間違いなくメアーの物で眉を寄せてしまう。
男が俺の視線に気が付くと、ばつが悪そうに「ああ、これか」と口を開いた。
「あの奇跡はその子か? それとも信心深い俺たちへの天罰ってか?」
「…………」
「はっ、答えないのは正解だ。今の俺はお前とって信用ならん相手だ。だから、氷狼も連れてきたんだろ?」
「……。謝る道理はない」
「謝られたら俺が困る。俺はリヴェリクという若い正義が目の前でつぶれていくのを黙って見届けた人間だ。被害者はお前、謝らなきゃいけなかったのは俺たちだ」
「どうでもいい」
「なに? だが……」
「俺に謝られたところで、あの悪人は止まらない。それに俺以外にも懺悔しなければならないことがあるはずだ。それも、俺よりも直近に」
「っ、それは……なぜ…………」
明らかに動揺し、俺から視線を外される。この男はチケル村が俺の故郷であると知っている。いや、今ではフレミアを含めた隊の人間全員が知っている。
カマかけのつもりだったが、男の反応からしてチケル村はもう……。
一度は諦めた心に剣を突き立てられ、怒りに震えた体を止めるために奥歯を噛み締める。剣を持つ手が震え、カチカチと音を立てていた。
「リヴェリク君、すま――」
「謝るな!! それで済むのならば、剣など要らない!!! 俺がここに立っている
「……すまなかった」
「っ、お前ええ!!!」
怒りで歯止めの利かなくなった体が目の前の男の胸倉をつかみ上げる。鎧をつけ、俺よりも重いはずの男が簡単に持ち上がり、その勢いのままに木に押し付ける。
背後で「ご主人、さま?」とメアーの声が聞こえたが、もう止まることなどできなかった。
「いいか!? 今、この場で、この剣を突き立ててお前を殺さないのはお前が自分の罪を告白したからだ!! 苦しむ余地があるからだ!! 懺悔をするなとは言わない! だが、俺にだけ謝るのならば、今すぐに悔い改めろ!! その謝罪は被害者のためにある物だ!」
「すまない……」
止めない謝罪に怒りで沸騰した頭。これ以上は駄目だと男を放り投げると「エホッ、エホッ……」と咳がうつむいた男からあふれ出ていく。
何度か息を吸い込み、落ち着くために剣を持っていない手で髪をかき上げ熱を持った頭を押さえつける。
「……これが、罪滅ぼしにしかならないと分かってる。だが、復讐を続けるつもりなら、俺を殺す前にこれをもらってくれないか、リヴェリク君」
「あ? なんだそれは」
「ご主人さま、とる?」
「いい、俺がとる」
胸元からぐちゃぐちゃに折りたたまれた紙を差し出され、二度三度と紙と顔を交互に警戒をしていると、彼は紙が表になるように地面に置いて両手を上げた。
メアーにもしもの時は逃げろと言い渡し、表にされた紙を見下ろす。
そこに書かれたのはこの国の人物名の羅列、そして受け渡しや商品名と記載された用紙だった。内容をちゃんと読めば、そこには国境付近の地名や王都の名前まで見つけてしまった。
「ラトゥム語の人物名に町の名前……。王都まで? これはなんだ」
「さあ、な。これを国境で会う人間に渡せと言われていた。だが、名前はフレミア隊のメンバーリスト、おそらく"誰が持ってきた商品か"を見定めてたんだろう」
「……。フレミアの名前はない。分かる人間にしかわからない合言葉ってことか」
「それをお前に、上手く使え」
「俺に?」
「ああ、俺は国境で会う人間に渡せと言われただけだ。お前に渡したところで命令違反ではない」
「なぜだ……」
こんな重要な証拠を俺に渡すことが信じられず、つぶやいてしまう。
これは……今、俺の足元にあるのはフレミアが関わっている証拠。
名前を出さない合言葉とはいえ、経路をたどれば誰の持ち物かなんてわかってしまう。それこそ燃やされること前提の合言葉だ。
だが、目の前の男は謝罪を口にしたとはいえフレミア隊の人間、こんな証拠の塊を俺に渡す理由なんてないはずだ。
「なぜ、復讐者である俺にコレを? お前たちが折れに情報を渡すわけがない。なぜだ、言え。またフレミアの罠か?」
「そうカッカするな……はっ、強いて言えば俺の正義、かな」
「俺を裏切ったお前の、正義、だと?」
「もっともだ。お前には俺たちに復讐する理由も権利もある。あの裁判の時も、君が悪くないって俺は知っていたのにも関わらず、黙殺した俺にも、な」
「なぜだ……。なら、なぜあの場で黙っていた! それが悪であると、あの男の茶番であると知っていたのに!」
「……そう、だな。だが、わかっていてもどうにもならないこともある。仕方がないことだ」
諦めたように、そして自嘲するように笑う彼に怒りが再沸騰する。
気が付いた時には剣を持った腕を思い切り振り上げ、男の横にある木の幹に思い切り突きつけ、切っ先の無い剣のはずなのに、折れた剣が幹に突き立ち、その顔の横で自重を支えていた。
それでも耐えられなかった怒りが浮かび言葉にしていた。
「仕方ない? そのせいでどれだけの人間が死んだと思っている。お前たちの見て見ぬふりがたくさんの……! たくさんの人間が巻き込まれた!!」
「ああ、そうだな……それが理想だ」
「理想? 本来あるべき形が綺麗事だと、私利私欲のためにしか動けない醜い肉の塊だから仕方ないだと!? ふざけるのもいい加減にしろ!!」
「人間ならある程度の不条理にも目をつぶる。君もこの国の兵士ならわかるだろう?」
「同意を求めるな、少なくとも俺は王都に出てくる前からお前たちのように不正を行っている兵士を目の当たりにしたのは初めてだ」
「そうか、そりゃあ運がいいな、若造」
そう言われ、ふっと怒りに塗れていた頭に冷水が浴びせられる。
ああ、そうだ、こいつの言う通りだ。仕方ないとあきらめるのも間違いではない。俺が運が良かった、というのも、言う通りだ。
「ああ……。村の人間も、俺を拾ってくれたサラやギアンさんも……運が良いのは認めよう。俺にはもったいない人たちだった。だが、お前たちを許すわけにはいかない。フレミアという騎士の名に泥を塗った泥土に自らは足を差し込む奴らに、あれは仕方ない事とあきらめる道理もない」
「それが例え"生きるためでも"か?」
「許容範囲を超えただけの話だ。お前たちは行き過ぎた。これ以上はと、良心が咎めるうちに……、泥と分かっているのなら水で注ぎ、洗い流して清めるべきだった。周りも、中も。それをしようとしないのは怠慢でしかない。一市民ならともかく、兵士や騎士であるのならばなおさらだ」
「はっ、理想論者め。だがまあ……正論だ。そういう意味では俺も褒められる人間ではないのは確かだな」
「……今ので思い出した。俺はいつも言いすぎるらしい。お前が間違ってないのも分かっている。だが――」
「まて、言いたいことは分かる。俺をどうしても構わないが、これだけは聞いてくれ」
「なんだ」
彼は眩しい物でも見るかのように歯を見せると、地面に落ちた紙を拾い上げてもう一度俺に向かって差し出した。
「お前が正しかった、それだけは言いたかったんだ」
手を出さない俺に苦笑すると、「俺は自分を守るために若者を見殺しにした、情けない人間だがな」と皮肉る。
今胸に突き刺さっていた剣を抜かれ、怒りもあっという間に鎮静化し、何も言えなくなってしまう。
馬鹿だ。こんな簡単な事、こんな目にあうまで気が付かなかったというのなら、かける言葉などそれしかありえない。
そもそも、俺はもう悪に落ちた人間だ。この男に正しいと言われたところで誰もそれは認めないだろう。
だが……。
「俺にはもうお前を止める権利などない。理想を唱える権利も、復讐する理由もある」
ようやく正義を理解した男が、俺に紙を差し出した。
証拠の紙を渡すことが自分の正義だと口にして。
ならば……ならば俺は"弱き者に託された正義"を受け取らないわけにはいかない。
「だから、せめて……あの男を、止める手助けをさせてくれ」
「……そうか」
差し出された正義を受け取り、内容を頭に叩き込んでいく。復讐しなければならない相手と、そのメンバーリストを。この中で何人、悪に染まっているか、それも確かめなければいけない。
近くに落ちていた鞘を拾いながらメアーを探す。くっついてきていたメアーが小走りで駆け寄り、きゅっと身を縮めて俺の言葉を待っていた。
「ここに用はない。行くぞ、メアー」
「は、はい」
「お、おい! なんで、俺に止めを刺さない! お前の復讐の、フレミア隊の人間なんだぞ?」
「俺は正義だ。汚れてもなお正義を成そうとする人間を悪に染まったこの手で殺す資格は俺にはない。死ぬのも生きて戻るのも勝手だ、すきにしろ」
背後で男が息をのむ気配を感じ、振り返らずに村の方角に続く道をただ進む。
想定外の正義を示され、復讐を果たすことが出来ずにイライラが募り……その苛立ちにまた怒りが溢れていく。
俺は……俺はなぜフレミア隊の人間なんぞを見逃さなければならないのか。
許せない。
許すわけがない。だが……。
あの男の中には確かにこの国の兵士としての正義があり、フレミアという男よりも騎士として正しさを見出してしまった。
それ以上に彼の正義に対して俺が正義を実行しきれなかったことが悔しくて仕方がなかった。
だから、俺は一刻も早く、あの男に復讐を果たそうとその場を後にした。
いや……ただ俺はその場から逃げ出したかっただけなのかもしれない。
* * *
メアーを連れ、チケル村だった場所にたどり着き、焼け落ちた家の瓦礫の上でつぶやいた。
「生き残っている村人は居ない、か」
周りを見る。
そこには誰かがここは村だったと口にしなければ、もう数十年も前に廃れた廃村にしか見えないほど、荒らされていた。
あちらこちらで倒壊した建物の木材や石のかけらも山積みで、人の姿はどこにもない。畑までも踏みつぶされた作物が多く、生き残っている物も無理やり収穫をされ元の姿からは想像が出来ないほどやせ細っていた。
その光景は、俺が付いた数刻前とほとんど変わらない。
まだ煙がもうもうと上がってこそいるが、幸い火の手は沈下していたらしく、まるで水をかけられたように湿った炭の村が広がっていた。
最初は怒りで沸騰しそうになったが、メアーに「人、探しますか?」と聞かれ、ハッとした俺は誰か生き残りは居ないかと数軒探したのだが……。
フレミアたちに奴隷として連れていかれた後だったのか、数人分の焼死体を残し、人の姿も死体の姿も何も残っていなかったのだ。
メアーにも命令を出し、村を探し終えた時には夕暮れになってしまっていた。
足元に転がっていた炭クズを持ち上げると手の中でボロボロと零れ落ち、苛立ちがピークに達して手の中で崩れる前にこぶしを握り粉々に握りつぶす。
「これじゃ村じゃなくて、炭の丘だな……」
崩れ落ちていく炭が落ち、何も成せなかったという無力感と怒りが体積を増していく。
怒りに震えるこぶしを払い、せめてあの男の復讐に役立つものがないかと灰の山から探そうとすると「あっ」背後でメアーの悲鳴と瓦礫に足を取られる音が聞こえた。
反射で振り返り際に手を伸ばすと、ぽふっと髪が舞うメアーの小さな体が腕の中に倒れこんでくる。
大方、急いで駆け付けようとして足を引っかけたのだろう。まだ年齢は知らないが、背の小さな子だ。小さな歩幅では瓦礫を進むのに苦労するのは分かっていたのに。
自分に対しての苛立ちがさらに積もった。
「足元には気をつけろ」
「ご、ごめんなさい、ご主人さまのお邪魔を……」
謝る理由の無いメアーに謝られ心が荒む。
今のは彼女のことを考えずに動いた俺が悪い。なのに彼女は自分が悪いとでもいうかのように謝り、申し訳なさそうにする。なぜかは分からないが酷く苛立ちが湧き上がった。
本当に勝手な話で、自分に嫌気がさし、彼女からも目をそらした。
「今は謝るな」
つい棘を返すと、メアーは腕の中にうずくまり、耳をかぶせられてしまう。抱き着かれた腕に血が通った生物の温かさと、小さな体故の高い体温が伝わり眉をひそめてしまう。
そうだ、復讐ですべてを忘れていたが、フレミアにいち早く追いつくためには森を抜ける必要がある。
行商人も通る街道を通る手もあるにはあるが……王都までの街道にはいくつかの検問もある。変に目を付けられフレミアの耳に入るのだけは避けたい。
どうするべきかと頭にリソースを回していると、メアーの耳がピクリと俺の背後へ動き、バッと顔を上げたと思うとゆっくりと俺の背後を指さした。
「ご主人さま、あっち」
「あっち? ……王都とは逆の方角か。それがどうかしたか」
「誰か来てる」
「なに?」
慌ててメアーに教えられた方へ視線を送るが、目に入ったのは赤くなり始めた空に、遠方に続く細い道だけ。
メアーが嘘をついた、にしてはメアーは偉く警戒しているようにも見える。
しばらくにらみ続けると、メアーの言った通り、御者に操られた馬にひかれ、大きな荷馬車が数人の人影とともに現れ、息をのんだ。
いったい、どれほど遠くからこいつらのことを察知したのか。
末恐ろしい少女の力に舌を巻き、目の前の誰かに注意を向けた。
昔からこの村は農村だ。この数年で変わったところはないと母さんたちは言っていた。なら、この村に立ち寄るのは商人か兵士隊だけ。
王都とは別の道から来た、ということはフレミアの別動隊か、行商人だろうか。
持ってきた剣の柄に手を伸ばすが、先頭を歩いている誰かのシルエットが人間には近しいが三角形の耳が頭上ん映えているのを見つけ、ふぅと緊張の糸を切った。
相手は亜人のようだ、フレミア隊に亜人は居ないはずだ。少なくとも亜人反対派の人間が亜人を使うとは考えられない。
安堵し一行を観察していると、突然先頭に居た亜人が手を上げ、背後の荷馬車を止め、あろうことか俺たちに気が付いたかのようにこちらに向かい始めた。
日に照らされて映し出されたその顔に俺は驚きを隠すことが出来ずに、声を漏らしてしまう。
「お前は……」
「あらあら、やっぱりまた会ったわね、リヴェリク君」
遠征に出かける直前、ルルルクさんの宿で出会ったリャーディコーシカの女商人――カリーナと名乗った亜人証人が笑顔で俺たちの前に立っていた。