第10節「メアー」―2
まだ自由に動ける兵士がいたのかとメアーを抱き寄せたまま一緒に立ち上がり、背後にかばうが動く気配はない。どうやらすぐ近く、という訳ではないらしい。
泥に足を取られながら声が聞こえた馬車の反対側に回ると、声の主であろう兵士が泥と馬車の瓦礫に挟まれた誰かが助けを呼びながら必死に腕を伸ばしていた。
道だった場所を視界に入れると、そこにも何人かの兵士が計四人ほど転がっている。
荷車を引いていた馬の死体はあるものの、護衛していた兵士の数が足りず、思わず舌打ちが出てしまう。
数が少ないということは逃げられたか、そのまま泥に呑みこまれたか。どちらにせよ、安心して眠ることなど出来なさそうだ。
慎重に瓦礫をまたいで行くと、靴に何かがあたる。
死んだ人間の手足でもあたったのかと足元を見ると、誰かが使っていた剣が転がり、柄が動かなくなった兵士の手元に伸びていた。
心臓が緊張で高鳴り、数歩後ずさる。
まだ、息はあるのか。だが生きていればこの状況で半狂乱になってもおかしくないだろう。
軽快していると「ご主人さま、平気です」と声をかけられ、驚いて振り向くと長い耳が髪に溶け込むほど垂れているメアーが俺のことを見上げてきていた。
「平気って……。なにが平気なんだ、メアー」
「泥の中で生きているのは、あそこの馬車の人ともう一人だけだから平気、です」
「……わかるのか」
「う、うん。泥の中で動いてるの、馬車の人と少し離れた人だけだから。その人は動いてない、です」
「動く……どうしてそんなことが?」
「泥は魔力を流して動かすの。だから、動いてれば魔力がごちゃっとするから」
「こいつは動かない?」
「うん」
まだ彼女の言葉を信じられず、倒れた兵士とメアーを交互に見てしまう。
疑っている……わけではない。だが、魔力という自分にはない物を信じるためには確証も欲しい。なんとか知る方法はないだろうか。
慎重になるに越したことはない。周囲の泥を観察するが全く動く気配もなく、たしかに彼女の言う通り生きている気配はしないが……。
動かずにいると、しびれを切らしたかのようにメアーが駆け寄り、倒れていた兵士の手を邪魔そうに退けると剣の柄を握った。
「お、おい!」
「平気、です。ご主人さま」
「っ、分かった。もういい。俺が取るからお前は下がれ」
「は、はい。ごめんなさい」
勢いあまって剣と共に倒れこんでしまいそうなメアーを叱ると、そう謝られてしまった。
目線をそらしうつむいて謝罪をするメアーの言葉が胸に突き刺さり、罪悪感を覚えるが、メアーの言う通り、動くことはないようだ。
泥に膝をついて脈を確認するが、相違ない。重いため息が自然と口から漏れ出していく。
「……たしかに、お前の言う通りすでに死んでいる」
「ん、大丈夫、です」
うれしそうな声色に振り返るとメアーは声の通り嬉しそうにほほ笑んでいて、気が付くと眉が寄ってしまっていた。
まるで、目の前の死体がどうでもいいと言いたげな様子に末恐ろしさを感じてしまう。
この子はいったいどんな生活をしてきたんだ。
兵士の剣を持ち上げると、剣の切っ先は折れ直角になってしまっている……が、使えないことはない。
試しに泥を落とすために振り抜くと、ピシャっと泥が跳ねる音と空気を切る音が鳴る。折れてこそいるものの、敵を斬るためには十分な重さと鋭さは保たれていた。
「切っ先の折れた剣……。はっ、復讐する断罪の剣にはもってこい、か」
「ご主人さま……?」
「いや……。他に生きてる奴は何人居る」
「……。ちょっと離れた泥の……そと? あとはさっきの声の人……あっちの馬車の近く、です」
あっちの馬車、ということは彼女が捕まっていなかった方の馬車だろう。
崩れた木片や形を保っている木箱を幾つか避け、もう片方の馬車に目を向けると、そちらの馬車も見る影もなく崩れ去り、さっきも見たいやみ君がその瓦礫の下で呻き続けていた。
鼻で笑いながら、さっきの兵士の近くに転がっていた鞘を拾い上げる。
「そうか。褒めてほしい、だったな。なら後で好きなように褒めてやる」
「っ本当、ですか? ご主人さま」
「ああ。だが、今は目と耳と閉じろ。出来るならそのまま周りの警戒をしていてくれ。危険が迫ったらすぐに教えろ」
「ん、わかった」
少々無理を言ったつもりだったのだが、それでもメアーは長い耳を器用に折りたたみ、長い髪と耳を抱え込むとその場にしゃがみ込んだ。
そうだ、この復讐は俺のエゴ。この子に背負わせるつもりもこの子の責任にするつもりもない。
「あとは、俺のせいだと思わせるための工作か。調べる奴などいやしないだろうが、念には念を入れるべきか」
剣の刃を確認しながらつぶやき、こと切れた兵士たちに近づいていく。
そして、
動かなくなった兵士の喉元を剣で切り裂いた。
ずぶり、と肉を断つ感触が剣越しに伝わり、代謝が動かなくなった体からどろりと血が抜け落ちる。獣の解体に慣れているおかげか思っていたよりも不快感はなかったが、血が出ないのは泥で流れ過ぎているからかもしれない。
最後に近くで倒れていた一人の背中に剣を突き立て、剣についていた汚れを振り落とす。
復讐をするため……ではない。
本来なら遺体保存をすべきだが、この魔法は俺の命じた物だ。あのフレミアのように罪を逃れるような真似はしたくないし、見つかれば誰かの私怨という印象を付けられるはずだ。
「これで、俺の責任だ。あとは……」
やらなければならないことはまだある。
剣を引き抜き、馬車瓦礫に押しつぶされ今にも死にそうに悶えている兵士……私利私欲のためだけに俺への冤罪を証明することを拒否した男――いやみ君に歩み寄っていく。
いやみ君の体が視界に入りむせかえるような血の匂いが鼻先に漂い、茫然としてしまう。瓦礫の下に埋もれた体からは顔をしかめてしまうほどの血が流れ出し、助けようにも人間の手ではどうしようもないと分かってしまう。
怒りでこぶしを握ってしまうと、近づいてきた俺が誰かも判断が出来ないらしく「い、生きてた、か!」と喉を詰まらせながらも手を伸ばされる。
「お、い……頼む、ここから出し――」
「……。よう、いやみ君。まだ生きててくれて嬉しいよ」
「っ、お、まえ、は……!」
声をかけてやるとようやく誰か気が付いてくれたのか、泥の中を進むぐちゃ、ぐちゃっと言う不快な音が耳に届き、困惑と焦りが顔に出ていた。
おそらく"俺は死んだはずだ"とか"この状況で会ったのが俺でなかったら"などと考えているのかもしれない。
慣れない剣の刃の長さを確認しながら、いやみ君のこぶしが当たらないように距離を測ると、口から血を吐き出しながら「な、なあ……」と震える声を出される。
「も、もともと同じ隊に居た仲間、だろ? なあ、りヴぇりく……」
「ああ、ギアンさんのもとに集い、正義の名のもと、騎士になるために町を守る兵士仲間だったな」
「だ、だろ? なら、ほら、助けてくれよ……。今よ、すげえ痛えんだ。なんでか体は動かねえし、まわりの奴ら、は……みんな死んじ、まった」
「そうだな、お前の言う通りだ。少なくとも見える範囲では全員死んでる」
「な、な……? なら、俺だけでも、助けてくれ、よ……。ゴポッ……も、もう二度とお前に危害を加えないって誓うからさ。ほら、お前が言うのなら……えごっ……こ、この国を出たっていい! 見たくない俺の顔を見もしなくてすむし、俺も無事好物の雪リンゴを食いに行ける。な? 悪い話じゃない、だろ……?」
「お前は俺を見捨てたのに、か?」
「あ、れは、間違い、だろ? ほほ、ほら、ああ、しない、と。フレミア、様に、よ? な? 俺は悪く、ねえよ」
最後の最後で馬鹿な事を言いだしたので思わず、ため息が漏れ出した。
多少なりとも反省していれば、希望を持ったままにしてやろうと思っていたのだが……。この期に及んで自分の事ばかり。
どうせ、憚る命ももう持たない。せめて俺の目的を果たすために役に立ってもらうしかない。
非常にやかましい戯言を聞き流しながら重く感じる剣を手に近づけば、突然元気になり泥の地面をタンタンと叩き始める。
音がやけにやかましく聞こえて、長年積もっていた苛立ちが音を立てて崩れていく。
俺は、この程度の男に正義を邪魔されたのか、と。
「ま、ままママま、待て、まってくれ!」
「ああ、待ってやるよ。同じ隊の仲間だもんな。それで? 何か言いたいことでもあるのか」
「そ、そうだ! ほ、ほらフレミア殿のことを国王様に進言……。ほ、ほら、もしかしたら、さ……お前の大好きな正義でアイツを叩きのめせる、かも……」
その機会を俺とお前の二人が全部無駄にしたのだ。
自分の馬鹿さと目の前のいやみ君の馬鹿さが混じり、握っていた拳が剣の柄と手袋でこすれて痛みが増していく。
ああ、こいつの言葉にはもううんざりだ。
さっさと楽にしてやらないと、俺もこいつもつらいだけだ。
怒りに身を任せ、剣を瓦礫の下で無防備に広げられている背中に叩きおろした。
振り下ろした瞬間、硬い肉にナイフを振り下ろしたような感触と、バタバタと動き回るいやみ君の動きが伝わる。
「ぁあああああああああ! い、痛い、な、なにをして! お前! 正義はどうした!!」
ああ、本当にうるさい。
汚い悲鳴があがり、背後でビクついた気配と「ご主人さま……?」という疑問の声が聞こえ、舌打ちをしそうになる。
また俺とこいつのせいで聞かせないで済む悲鳴が増えてしまった。
「俺じゃない。聞くな」とだけ返すと背後で再び石のように動かなくなり、振り下ろした剣を引き抜いた。
次は確実に終わらせてやろうと首の根元に狙いをつけるために冷たいはずの刃を首元に当ててやると、痛みでバタついていた腕がピタッと面白いように止まる。
口元が歪みそうになったが、下唇を噛んで耐える。
「ああ、悪い。なにか言っていたのか? 嫌味を言うやつの言葉を聞いて何度もハメられてやるほど気は長くなくてな。お前への復讐を優先してしまった」
「がっ、ああああ。お前え!!」
足をつかもうとするいやみ君から数歩下がると、いやみ君のもが気で泥に溝が作られ、いやみ君は俺を恨むかのように瞳を上げた。
その目は俺への恨みばかりが募っているようだった。
「がっ! ぁあ、ま! ころ、す! お、あえも魔界に!! 落ち、ぞ、クソご、があぁ!!」
「言われるまでもない。お前は人を見なさすぎだ。お前らが悪だと罵った俺よりも先に正義の罰を受けたと思え」
そうだ、もっと俺への怒りを向けろ。それで俺とお前の関係を終わりにさせてやる。
一生俺を恨めばいい。おれはどうせ、お前らを恨むことしかできないのだから。コアコセリフ国の兵士として正しきことを何も残せなかった俺とお前、こういう最後がお似合いだと吐き気を我慢しながらも剣を持つ手に力を込めた。
「最後に教えてやるよ」
「う、がああ! おま、えが! がああああ!」
「……どっちにしろ、お前のその傷じゃ助からねえよ。……もし、また次の機会があったら、もっと殊勝に生きるんだな、 」
最後に、いやみ君の名前を口にする。
せめて死の神プロムシライに見初められろと。
忘れてやるものかと、呪いを込めて。
戦場で兵士へ水を手渡すように、うるさかったいやみ君の首筋に剣をあてると「……あ?」という情けない声が漏れる。
出来るだけあの子に聞かせないように、喉の上から下へ思い切り突き刺し、力なく落ちた腕が泥をはね上げた。
倒れるいやみ君を冷静に見下ろし、
心が動かない。歓喜にも、達成感にも……ただ、ようやく一つ終えただけという事実だけが頭の奥に積もる。
人を殺すという行為は、たとえ正しい復讐であろうとも罪悪感でつぶれそうになると父に聞いた事はあるのだが……。
「罪悪感もない、か。はっ、俺はまともな正義じゃいらしい、父さん」
耳障りな空気が肉を吸ってこぼれていく音を聞きながら、罪人を切った剣を振って血と生物の息の根を止めたという罪悪感を振るい落とした。
これで、こいつに対する復讐は終わりだ。さっさと動いて、あの男を追わなければいけない。この場で悩めば悩むだけ、フレミアに正義を執行することが遠のいてしまう。
「どうでもいい。今はフレミアが優先だ。……チケル村に行けば足取りはつかめるか」
剣を先ほど拾った鞘に納めて振り返ると、メアーは言いつけ通り、さっきの姿勢のままうずくまっていた。
靴が泥にはまりそうになりながらもメアーのもとへ歩いていくと、音を聞こうとした耳の根元が彼女の意思に反してこちらを向いていた。
……この様子だと聞こえていたかもしれない。
「メアー、もういいぞ」
「はい。もう、大丈夫、ですか?」
「あれはもういい。生き残りは居るか」
「遠く、泥の外に一人、です……」
「そうか。……褒めてほしいんだったな? よく教えてくれた。いい子だ」
「っ……はい!」
長い耳が動き、垂れ目が細められ吐息に熱がこもる。
普通に褒めたのだが、なぜか過剰に喜ばれ、俺の方が困惑させられてしまいそうで……おれは、そんなによろこばれる人間では、ない。と思ってしまう。
「……まだ喜ぶな」
つい兵士の時の癖で刺々しい反応を返すと、メアーの耳が折れ沈み込んでしまった。
「ご、ごめんなさい」
「あやま――いや、今はいい。残りはどこだ」
「あ、あそこの森の入り口で木に寄りかかって、ます」
ぎこちない言葉はともかく、今はそちらの対処が優先だ。彼女が遠慮がちに指さした方に視線を動かすと、誰かが泥のぬかるみから抜け出したような跡がある。
跡を目で追うと、森の切れ目にある樹木に寄りかかっている人影を見つけられた。
先ほど俺の招待に気が付いたらしい兵士。その言葉を思い出して、目を丸くする。
あれは……もしかしたら……。
「……メアー、ついて来い。お前を連れ去られたら困る」
「はい!」
耳の根元が再びピンと張り、嬉しそうに答えたメアーに妙な突っかかりを覚えたが、今はメアーの奇妙さに尾を引っ張られている場合ではないと違和感を振り切って向かう。
背中にぴたりとくっついたメアーに気を付けながら歩いていくと、顔こそうつむいて見えないものの兵士の胸はかすかに上下している。
剣を構えると倒れていた兵士が顔を上げ、俺を見るなり目を丸くしたのが分かった。