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第8節「ボーダーライン」―2

 掴んでいた木から手を離し、体を半回転させる。

 目の前の傾斜か崖か判断し辛い砂利に向かって足を踏み出し、崖のような坂を滑り降りる。

 恐怖を覚えてもいい程の速さで左右に流れていく景色の中、冷静に手元と足を動かし、感覚だけでポーチから肉を取り出して馬車が通るであろう方向に投げ飛ばす。

 間を開けず、痛みに耐えるためすぅっと息を吸い込み、岩肌が露出している崖路を氷狼を避けたように転がった。


 瞬間、体と地面にある砂利に木の根のようにしっかりと埋まっている岩が、薄い服とマントのように羽織った防寒布、そして毛皮の小手が擦れ、容赦なく体に衝撃を与えていく。


「がっ、ああ! ぐぁあああああああ!」


 できるだけ致命傷になるような傷を避けるために顔を足をかばいながら坂を転げ落ち、坂を転がってできた傷や兵士たちに殴られてできた傷が痛みを思い出していく。

 あまりの痛みに意識を失いかけ――。


「ふれみあああああああああ!!!」


 怒りを燃やし閉じかけた瞼をこじ開けると、自分の体が止まっていた。

 右手側に崖下の森が広がり、反対には今下りたばかりの白岩の崖が立ちふさがり、また無事に下の道へたどり着けたことを教えてくれていた。

 また命を落とさずに済んだことをほくそ笑んでいると、体が思い出せと痛みを訴え勝利で歪んだ口元が苦痛に支配された。

 肺から吐き出せない空気が喉を圧迫して声にならない音が耳に届いて、やばいなんて考えるまでもなかった。

 やはり、血を流したばかりの体で無理をするべきではなかったか。

 また傷がふさがったばかりで血が足らずふらふらとする。吐き気も足されて、ありもしない胃の内容物をまた吐き出しそうで……。

 こぶしを地面にたたきつけ、体を無理やり起こす。


「ぁああ!! まだだ! まだ死ぬには早い! あいつに罪を、正義を成すまでは!!」


 ほとんど傷が開いていないのが奇跡のような状態だったが、このままここで寝ているわけにはいかないと立ち上がる。


「はっ、はあ……はっ、意外と何とかなるもんだな。くそ……あ?」


 立ち上がった足元に砂利がジャラっと転がり落ちてくる。

 つられて見上げると、多少付きでた岩を使い、あるものは転がり落ちながらも俺とは違って軽快に何匹もの氷狼が俺の後を追い、そのうち数匹はすでに俺の居る場所まで跳べそうなほど近づいていた。

 想像よりも早いご到着に舌打ちが出る。急がなければ、俺だけが餌になるだろう。

 身につけていた防寒布をフードのようにかぶり、馬車の方へと駆けだす。出来るだけ近づこうと思っていたのだが、俺の姿が見えた瞬間 馬のいななきとともに馬車が止まり抜剣の音が聞こえた。

 やはり、腐っても兵士らしい。だが、今はそうでなくては困る。

 駆け寄る足を止めずにいると抜かれた剣を目の前に突き付けられ、強制的に足を止めさせられた。


「とまれ! この荷は騎士フレミアが任務のために必要とされている積荷である!! 何者だ!」

「き、きし! 兵士さんですか! た、助けてください! 今、狼に襲われていて!」


 顔を見せないようにうつむき、慣れない演技をする。

 生まれたこの方演技なんぞしたこともなかったが、怯えるように偽り、兵士に見えるように助けを求める左手を伸ばした。

 俺という部外者によって止められたことへの苛立ちを隠せていない兵士たちの前に跪いて背後を指差す。


「あ、あっちの方にから狼が来ていて……助けてください!」

「狼だと? 昼間に狼など……それに、そちらは教国の方角のはず。お前はどこの国の人間だ」


 懇願するように俺が頭を下げると、他の兵士からはため息が漏れ聞こえる。

 まさか、襲われている人間を助けようともしないほど他人を信用しないとは……。世も末だ。

 仕事とはいえ話程度は聞くだろうと思っていたが、善人が居るという前提をすべて捨て去ったほうが身のためだろう。

 類は友を呼ぶということか。

 だが、どちらにせよ、こいつらが逃げるのならそれはそこまでだ。森に入れば一人は殺せるし、誰かの装備を奪えるだろう。

 顔が見えないよう必死に頭を下げ、同情を煽ることにした。


「わ、私はこの国の人間です! この森で取れる薬草に興味があって! それよりもあの青白く光っている狼をなんとかしてください! 兵士さんなんでしょう!」

「青白い狼だと? 仮にお前の言っていることが本当だったとして、昼間に狼が道まで出てくるわけが――」

「あ、相手は氷狼なのです! 知らないのですか!!」

「こおりおおかみ? ……いやまて、お前どこかで会ったことがないか」


 まずい、か。

 どうやら感づかれてしまったらしい。

 万が一のことを考え、目で森への距離を測り、地面の土をチェックする。土は砂状だし、森へも遠くない。最悪、逃げること自体不可能ではないだろう。

 つばを飲み込み「……なんのことでしょう」と、出来るだけ平静を保って答える。


「……やはりお前の声、聞き覚えがある。たしか数日前だ。どこで……。っ、お前、あの時まさか寒さ対策を――」

「お、おいおい、待て! 前から獣が! 何だあれは!」


 誰かの叫び声と共に、ハッとしたような声が途切れ息を呑む音に変わり、なにか言いかけていた

 周囲の動揺の声にやっと来たかと内心安堵する。

 来ないかと思って無駄に迫真の演技を披露するところだった。

 来た道を振り返ると、まるで俺がいる位置が分かっているかのように数匹の氷狼が取り囲むように群れを広げてこちらに牙を向けていた。

 正直、群れ一つ程度の氷狼であれば対処方法を知っていれば子供でも狩りが出来る相手でしかない。チケル村で育った人間ならば、あの程度造作もないと断言できる。

 だが、あの数日の間、焚火のおかげで不幸にも氷狼に遭遇しなかった王都の人間は違う。

 何故なら――。



「光る狼!? くそ、魔物だ!! 敵襲!! 敵はフォーヴ化した獣! 総員、戦闘態勢! 各自対応せよ!!」



 そう、氷狼は魔物と呼ばれる魔力を持った獣。亜人は知らないが、見た目では強さを判別できない人間は対処方法を知らなければ全力で当たるしかない。

 この世界で生きている人間ならばそれが正しい。

 思った通りの行動に笑みを浮かべ、叫んだ兵士の横をすり抜ける。途中、もう片方の馬車にも目を向けるが、そっちもそっちでこちらの馬車が先へ進まない限りは道を封鎖されている。いやみ君の操る馬車が立往生して氷狼を迎える体制をとっていた。

 それでいい。武器の無い俺が狙うのは手前の馬車の荷台、あの少女が入っていた檻のみ。

 流石に止められるかと思っていたが、馬車の護衛だけだと油断しきっていた兵士たちの間に動揺が広がり、遅れて鞘から剣を抜く音や困惑している叫びが上がって呆れてしまう。


 ――訓練をさぼっていたギアン隊の兵士だけじゃなくフレミアの兵士もか、こいつらは本当に騎士隊の兵士なのか。


 混乱していく兵士たちを鼻で笑い、見えないように馬車の背後に回り込む。忘れないように邪魔が入らないように残りの肉を投げ、氷狼の注意もひき、勢いをつけて荷台に飛び乗った。

 衝撃でガタンと馬車の床板が揺れたが、バランスを取ってから檻にしがみついて中を覗き込む。

 檻の中は木箱や板、それに食材と思わしきものが雑然とし、とても人を乗せるような状態ではなかったが、先ほど見た限りではあの子は中央あたりにいたはずだ。


 ――あの子は……居た。


 思っていた通り、中央あたり。木箱も置かれてしまっている荷物の影に隠れるようにその子は座っていた。

 本当に少女を人ではなく物としてしか扱っていないのだろう。

 さすがに騒ぎに気が付いたのか顔を上げている……だが、虚ろな表情におびえた様子はなく、いたって不思議そうに首をかしげているだけだった。

 さっき会った時と変わらず、薄紫色の髪と肌の手入れだけはされているが、おっとりとした濃い橙色の瞳の下に隈がしっかりと浮き出ている。

 荷物と自分の体で隠したいのか、何かをぎゅっと小さな手で握りしめていた。


 ――あれは……首輪か。しかし、いやに落ち着いている。


 助け出しあわよくば俺のために利用させてもらおうと思っていたのだが、急に脳裏に考えても居なかった可能性が浮かぶ。



 この子は本当に不幸な奴隷……なのだろうか、と。



 普通は命の危険が及べば多少なりとも怖がったり、怯えたりするはず。

 年端もいかない少女がこのような事態に巻き込まれ、平静でいることが異常に思える。

 それこそ、こうなると分かっていたかのようだ。

 疑惑を抱いた瞬間、心の中に彼女も国も俺も利用した男の顔が浮かび、罠の可能性を剣で切り払った。

 あの男は俺を殺すつもりでこの寒さの中、フォーヴに襲われるように放り出したのだ。生きていることを考えての罠であれば、俺を放り出した周辺に置くはず。

 そもそも躊躇したところで俺に武器はない、あの男へ復習するためにはこの子に縋るしかない。

 覚悟を決め、檻を開ける手段はないかと引っ張ったり殴ったり、ポーチから取り出した氷狼の皮を叩きつけるが指の爪ほどしか削れない。

 苛立ちを抑えるために拳を檻へ叩きつけた。


「くそっ、俺は馬鹿か。こっちから開ける手段がない。鍵が先だったか」


 そうこうしているうちに背後から「おい、なにをしている!」と声を上げられる。対応仕様と振り返ったが、氷狼にとびかかられ、俺へ手を出せないようだった。

 焦らせるなと聡い兵士に舌打ちをし、時間をかけ過ぎたと自省する。

 どうにでもなれと汗の流れる額に構わず氷狼の皮がついていない左腕を檻の隙間に腕を差し込んで少女に叫ぶ。


「っ、おい! お前! 長耳のお前だ!」

「……に?」


 かすかだが、かすれた声で返事をされる。

 無感情にこちらに顔を向けて首を傾げた少女に指だけでも届けと肩が抜けそうになるのも構わずに腕をさらに檻の奥へ差し込むと、少女はさらに首を傾げた。


「おい、長耳! 頼む! こっちへ来てくれ!」

「ど……、して……?」

「お前は――っ」


 自由の身だ。

 いつもの癖で助けようとし、反射で口を噤んだ。

 違う、俺はこの少女に自由を与えるために来たのではない。

 一歩間違えば、この子も俺の巻き添えで殺してしまうことになるし、罠の可能性だってある。このままこいつを俺の復讐に利用していいのか。迷いそうになり、すぐに首を振った。

 どちらにせよ、この子に待っているのは死だけだ。それなら、俺のために奴隷として、言うことを聞かせた方が後で何とでもなる。罠ならば、それも利用する。

 救えるのなら、復讐を終えた後に救えばいい。

 そうだ、彼女は奴隷なのだ。ならば、新しい主として迎えれば彼女だってむげには出来ないはずだ。

 だが、どう伝えるんだ。奴隷は愚か、部下すら持ったこともないのになんて言葉をかければいい。

 一瞬、迷い、そして――。




「お前が気に入った、これからは俺の物だ。お前を俺の好きに使わせろ。代わりに俺も勝手に使え」




 気が付けば、咄嗟に浮かんだ言葉を口走っていた。






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