第6節「正義と悪役」
「早く歩け!」
背後に立ったフレミア隊の兵士に背中を叩かれ、膝が崩れ落ちる。
叩かれた瞬間、視界がぶれ、土の地面と簡素なシャツとズボン姿の自分の体が視界に入り、今の状況を嫌でも思い知らされた。
兵士に取り押さえられた直後――俺は武装を無理やり解除させられ、今からフレミアが開くという簡易裁判のためにフレミアのテントから放り出されるところだった。
簡易裁判とは言うが、実際は罪の自白や証拠を突きつけるお遊びのようなもの。正しさを証明する場としても扱うがほとんどは兵士たちの憂さ晴らしの催しと言った方が近いだろう。
無論、俺に罪なんてあるはずもない。だというのに、フレミアは自信満々に俺を捕縛させ、ほかの兵士を叩き起こすように命じた。
だからだろうか、テントの仕切りによって周りからは口々に夜中に叩き起こされた文句や怒号が飛び交っている。
訳も分からず巻き込まれた兵士たちとしてはたまったもんじゃないと俺を拘束していた兵士が俺をせっついた。
「おい、早く立て。これ以上ほかの連中を待たせるな」
「待たせているのは俺じゃない。ちゃんと見ていたのか、俺を拘束させたのも準備に時間をかけているのもあの男だ」
「チッ、罪人の癖に口はよくまわる……。言い合いをしてる時間はない、ほら、早く歩け」
罪人の癖に、と言われ頬がピクリと反射して動く。
何とか動かせないかと後ろ手に自分の腕を動かすが、上下に組まれたうえでしっかりと縄で縛られ、体から浮かすだけでも困難な縛り方をされていた。
正直、絶望に等しい状態だが、それはフレミアも同じこと。突然俺の罪を暴くと言っても向こうにはその用意なんてないはずだ。
この場をうまく説き伏せ、味方に出来れば間違っている男と叩き落すなんて簡単なはずだ。
国としての正義は間違いなく俺にあるのだから。
何とか立ち上がると、再び背中を押されようやく立ち上がったのにもかかわらずバランスを崩し何歩かよろけてしまう。
押した兵士をにらみつけると背後にいる二人の兵士と、奥にいるキッチリと正装のフレミアと、未だ檻に戻されていない亜人の少女が居た。
まだ行こうとしない俺に兵士は面倒くさそうにため息をつく。
「いい加減前へ歩け。次は放り出すぞ」
「……分かった」
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、抵抗したところでまた押さえつけられるだけだろう。
渋々入り口の布をくぐるために頭を下げる。布が頭を滑り落ち、その奥の光景がしっかりと目に飛び込んでくる。
まるで、村祭りの最後を思わせるほどの熱気が篭り、今か今かと断罪の時を待ち望んでいた。
呆れて失望してしまいそうになる自分を必死に抑え、一歩また一歩と焚火が煌々とテラス広場を進むが俺の顔が見えた兵士たちのひそひそ声で周りが盛り上がっていく。
この場に正しい心を持った人間が立たされたらどれほど苦痛に感じるのだろうな。
少なくとも罪を犯していない自分としては居心地が悪い事この上なかった。
されるがまま焚火のすぐ横まで歩かされ、膝裏を蹴られる。とっさに受け身などできるわけもなく、地面についた膝に小石がめり込み、寒さで鈍っているはずの体が痛みに襲われた。
「ぐっ……」
「いいぞ!!」「早くしろ!」「いつまで待たせる気だ!!」「さっさと終わらせろ!」
口々に割けばられる文句や囃し立てる声が響き渡り、焚火が大きく燃え上がる。
興奮の声が冷める間もなく、誰かが俺の前に躍り出た。かばうやつが居た、という淡い希望は顔を上げた瞬間期待した自分への嫌悪感へと変わる。
そこに立っていたのは、大仰に両手を広げたフレミアだったからだ。
「夜分遅くにすまない! だが、いましたさらにめでたいことが起きたのだ!!」
フレミアがまるで演説でもするかのように大げさに視線を振ると、文句や歓喜の入り混じった野次が大きくなる。
ありえない、ここに居るのは間違いなく訓練された兵士たちばかりのはずなのに、罪人を前にして熱に浮かされた観衆でしかない。騎士が裏切ったという事の重大さと深刻さを理解できていない連中ばかりではないか。
さすがにこれでは話もできないと判断したか、フレミアは興奮しきっている観衆に両手を上げて合図を出した。
「まあまあ、落ち着きたまえ。夜にたたき起こされた怒りも理解する。私とて余興の時間を取られた故に気持ちは分かる。だが、今日は記念すべき日!! この通り我が隊……否、私たちの任務に紛れ込んでいたわが祖国の方針に仇名す亜人反対派の人間を捕まえたのだ!」
大げさな立ち振る舞いを見せるフレミアの言葉に、動揺が兵士たちの間に広まる。
当然だ、現国王陛下は多大な指示を受けている。王城周辺の貴族や一部領主の受けは悪いが、民の多くは亜人たちとの生活が暗黙の了解ともなっている。
公に認められれば大手を振って亜人たちと共同生活を張れるとなれば、お互いにとって悪いことも少なくなる。
そんな陛下を裏切る不届き者を捕まえたとなれば一大事件だ。陛下の覚えも良くなるし、出世だって間違いはないだろう。
「冤罪じゃなければ、な」
俺のつぶやきを無視し、フレミアはまた大仰に頭を下げる。さながら見世物小屋のピエロのようだ。
さながら見世物小屋のショーのようで火の近くというのも相まっていやいや舞台に放り出された動物にさせられ、吐き気を覚えてしまいそうだった。
「この男に見覚えがあるだろう! ここへ俺たちを案内した男だ! 私たちはこの辺りの地理に疎い。だが、それこそがこの男の狙い! それを理由に私たちの隊に入り込み、件の亜人攫いたちと密会をしようとしていたのだ!」
「なにを馬鹿な!! 俺はただ――あぐっ」
「罪人は黙っていろ!」
フレミアの真実を知らないのか、兵士は俺の口を止めるために二人掛で武器を使ってその場に押しとどめられてしまった。
顔を見れば二人ともニヤニヤとした気持ちの悪い笑みを浮かべている。バカな、亜人反対派はお前たちの指揮をしているフレミアだし、それに付き従っているお前たちもただでは済まなくなる。
怒りのままに反論しようとし、横に居るフレミアを見上げてゾッとして言葉が止まる。
骨ばった顔に浮かんでいたのは、怖いと感じるほど自然な勝ちを確信した笑みだった。
意味が分からない。
この男は今から罰されてもおかしくない大罪人だ。なのに、まるでこの先の展開を知り尽くしているかのように、俺が必死に耐えている姿を見て笑っている。
ありえない、どうしてこの男はここまで価値を確信した笑みを浮かべられるんだ。
言いようのない不安が腹で膨れ上がり、気味の悪さが肌をつついた。
「おいおい、お前たち。そこまで邪険に扱わなくてもよいぞ? 好きにさせてやるといいだろう」
「は、はあ。しかし、こいつは罪人で……」
「それはこれからわかること……。もしこいつが正しかったらお前もこの男のようになるのかもしれないんだぞ? 相手に失礼な態度をとることはいただけない。我々は"正義の騎士"なのだからね」
「っ……し、失礼をいたしました!」
どの口で正義などと。
今すぐにでもいやみを言ってやりたい気分だったが諭された兵士の手が震え始める。奇妙に思っていると、慌てた与数で俺から武器を下げ、震える手で敬礼までし始めた。
「ふはは、落ち着くことは非常に大事だ、君も次は落ち着きたまえよ」
「…………。どの口でそれを口にしているんだ、フレミア」
「ふはは、我が隊の教育方針に口を出さないでいただけるかな? さて……」
フレミアが周りの兵士たちに向き直ると、右腕を大きく広げ、騎士のマントがぶわっと広がった。
「ではまず、この男の罪を明らかにしよう」
「罪だと? さっき口にしたのも冤罪だ。俺に罪なんて――」
「皆、よく聞くがいい! 実はこの男が亜人攫いたちと密会をしようとした証拠がある!!」
ざわついていた周囲が森ごと静かになっていき、不穏な気配が立ち込めていく。
「そ、それは何ですか、フレミア殿!」
「よくぞ聞いてくれた! 皆も見ているだろう! この男が亜人攫いと思わしき馬車を止めた時だ! 私はあのときからこやつが妖しいと感じていた。そして……これを見よ!」
フレミアが背後に手招きをすると檻に捕まっていた少女が前に連れてこさせられる。亜人の少女が焚火の影から現れた瞬間、兵士たちの動揺と焚火の揺れが大きくなった。
「そう! あの奴隷こそがこの男が亜人攫いと思わしきフードと仲間だったという確たる証拠!」
「なっ!?」
「我々が彼の危機と思い駆けつけ弓を射った時、あいつらはここに居る荷物には目もくれず逃げ出したのだ。この亜人の少女を置いて!」
「そ、それがどうしたていうんですかい、フレミア殿」
「些か不自然だとは思わないかね? 幾ら相手が多勢とはいえ、幾度も爪痕を残している亜人攫い。このようなことで証拠を残して逃げ去るなど、そこらの雑兵にも劣る所業。とても亜人攫いがとる行動とは思えない!」
「馬鹿な! おい、フレミア! 意味の分からないデタラメを並べるな!」
周りの兵士たちが「たしかに」「ほかの騎士からも逃れているとは」等々、フレミアの言葉に賛同する兵士たちが増え、焦ってそう言ってしまった。
すると、まるで待ってましたと言わんばかりに白々しく「ほう」と驚いた顔をする。
「どうやらこの容疑者にも言い分があるようだ。我々は非道ではない。相手の言い分も聞こうじゃないか。なあ、兵士諸君!」
フレミアが笑いながら周りをはやし立てるとすっかり乗せられた兵士たちがフレミアの一件寛大に見える処置に称賛の声が飛んだ。
事実を知っているこちらからすれば不快そのものでしかないが、発言権を認められたのであれば遠慮する必要はない。
「それで? 亜人攫いと協力者の疑いがあるお前はなにが言いたい」
「何を馬鹿な。俺は正しい行い――その亜人の少女を亜人排除派閥である教国に連れていかれそうになるのを阻止した! 偶然のタイミングでお前たちが助けに入ったに過ぎない! それはここに居る全員が証人だ!」
「正しい行い。なるほど。ならば、その方向性で君を裁くとしようか」
「さば、く? 何を言って……」
「無論、君が口にした正しい行いについてだ。もし君の言葉が本物だったとして、だ」
「当たり前だ! ほかに何がある!」
「まあ、待ちたまえ。たしかに弱気を助けるのは正しい。あの馬車に亜人が乗っていて、それを国外へ連れ出そうと知っていたのなら、それも間違いはないだろう」
「ああ、だから俺は――」
「そう! そこまでは正しいだろう! だが、何故君はあの馬車の中に亜人が囚われていると知っていた」
「なっ!?」
「私は何かおかしいことを口にしているかな? ん? あの夜森の中はランタンを使わなければ見えないほど暗く、報告に戻った兵士に聞けばランタンを託されたというじゃないか。そんな月明かりしかない崖上から馬車の中身が見えた、と?」
「そ、そうだ。だから、俺は彼女を助けに……」
「良い心がけだ惚れ惚れしてしまう。だが、あの荷馬車には布もかけてあった。我々もそれは確認済みである。なのにお前は中の少女が見えた、と?」
「っ、それは偶然……風で布がめくれたその中に彼女が座り込んでいたのが見えただけだ!」
「偶然に偶然。あまりにも偶然が多すぎる。そうは思わないかね。まるで世界が君の厚意を肯定するかのようだ。そんな偶然、ありえると思うのかね?」
「だ、だが、俺は実際に彼女を助けようと!」
「ならばそこ良い、お前の言う通りだった、として置こうじゃないか」
「なに? なら、何が問題とお前は言うつもりだ、フレミア!」
「簡単なことだ。なぜ我々の到着を待たなかった」
「なに?」
「相手は実力の分からない集団であり、亜人攫いと疑いがある相手である。亜人攫いは騎士たちを幾度も退け、逃げおおせてきた連中だ」
「そ、そうだ。国王陛下もいまだ尻尾を捕まえられてない」
「そう、相手はそんな危険な集団だ。だが、君はそんな相手だと分かっていながら、我々の到着を待たず単身で突入した……。これのどこが正しい行いだというのかね?」
「……たしかに規律を乱すのは兵士として悪い行いだ。だが! 規律を守り、人命を借るんジるのであれば、規律など無意味だろう!」
「それこそなお更ではないか。相手の実力が分からない以上、自らの命を落とす可能性があるのならば、我々の到着を待ち荷物と戦力の維持に徹する。それこそが正しい判断と言うものでは?」
「それはっ――! 確かに応援を待たなかったのは真実だ。だが、あの時応援は遅れていた! 俺があのタイミングで降りなければあの子は……あの亜人の少女は助けられなかったはずだ! お前が口にした"俺が亜人攫いである"ならば彼女を助ける必要などそもそもない!」
先ほどまでうるさかった焚火を囲んだ兵士たちがシンと静まり返っていく。
森の木々を揺らす風の音が鳴って「たしかに」「準備が遅れたのは確かだ」「そもそもなぜ到着が遅れていたんだ?」という声がひそかに聞こえ始めた。
どうやら、周りの兵士たちの中には今回やけに準備に時間をかけていたのを疑問視する声もあるようで安心する。彼らを引き込めれば俺にだって勝機はある。
希望を胸フレミアを見返すと気持ちの悪い口元が歪み瞳の奥がキラリと光った。
――なぜだ。なぜこの男はいまだ余裕ぶってる。まだ何かあるっていうのか?
必死に頭の中でこの男の自信になる要素を探すがどこにもない。
そもそも、この議論はいわば水掛け論だ。どちらが正しいと証明するには他人の目が無さすぎる。
困惑に困惑を重ね、動揺してしまっていると胸倉をいきなり掴まれ、無理やりに顔をあげさせられる。目の間にフレミアの汚い顔がドアップになり、ニヤニヤと笑う下卑た笑いがあった。
「ふふっ、いい反論だ。十分に楽しませてもらったぞ」
「楽しんだ、だと?」
「そう、いくらお前が反論したところで無駄なのさ。なにせ、こちらには君が亜人攫いだという確たる証拠があるのだよ」
「はっ、馬鹿な。そんなものあるはずがない!」
「本当にそう思うのかね?」
あまりに自信満々に宣言され、思わず黙り込んで考えてしまう。
だが、どれだけ考えたところでこの男が隠しているであろう証拠などあるはずもない。
「当たり前だ。なら、何故わざわざこんな遠回りな裁判まがいの茶番なんてする必要がある!」
「ふっ、ふは、はっはっはっ! 茶番! 茶番と来たか! 実に愉快! 愉快だぞ、リヴェリク!」
「な、なにがおかしい? 罪のない人間に矢面に立て、明らかな自分の罪を他人に擦り付けることが茶番でなければなんだ!」
「この私に罪があると! ならば、お前の言う冤罪に通じる証拠――あの件にはどうやって言い訳をするつもりかね」
「あの件だと?」
次から次へ、意味の分からない議論をさせたかと思えば今度は冤罪に通じる証拠だと。
何がしたいのかわからずにいるとフレミアが俺から手を離し、再び周りにいる兵士たちに対して大仰な身振りで俺を指し示した。